2008-11-21

日本人の名前をもつ、トルコ人細密画アーティスト

2008.11.21

 先日、トルコの新聞を読んでいて、こんな記事を見つけました。
 「オスマン帝国時代のミニアチュール(細密画)芸術を知る最後のスポークスマン、Gunseli Kato/ギュンセリ・カトー(写真)が、11月25日からイスタンブルのIstinye Park Antik Park Sanat Galerisi/イスティンイェ公園アンティーク公園芸術ギャラリーにて展覧会を開く」

 オスマン帝国時代のミニアチュール(細密画)、最後のスポークスマンといった言葉とともに、わたしが気になったのは、Gunseli Kato/ギュンセリ・カトーという名前。ん? この「カトー」は、もしかして「加藤』?

 気になったので調べてみました。
 フルネームは、Gunseli Ozgur Katoさん。そしてファミリーネームの「カトー」はやっぱり「加藤」でした。



 ギュンセリ先生は、1956年イスタンブル生まれ。1974年、18歳の時にSuheyl Unver/スヘイル・ウンヴェル教授がトプカプ宮殿博物館で催したミニアチュールの研究に参加し、創作活動を始めたそうです。1980年にはマルマラ大学教育学部絵画学科を卒業。その後、日本の佐藤財団というところから奨学金を獲得し、来日。当初学んでいた大学の教育には満足できず、東京芸大を目指したそう。しかしながら、外国人であったために大学入学は不可能。毎日、毎日、何ヶ月も大学の門をたたき、結果的に東京芸大で初めての外国人留学生として学ぶことを許されたのだとか(東京芸大で1980年代に初めての留学生ってのはちょっと疑問だったりもする。このへんは、本当かどうか分からないです。あくまでネットが情報ソースなので)。

 1985年にはイスラミック・タイル芸術の専門家である加藤卓男氏と知り合い、氏のアトリエでセラミック研究をスタート。その後、加藤卓男氏の息子と結婚。娘をもうけますが、12年後に離婚。そしてトルコに帰国されたようです。

 かつて、東京では自身の名前を冠したミニアチュール(細密画)の学校もあったとか(いまもあるのか???)。1994年にはAsahi Gazetesi Kultur Merkezi/朝日新聞文化センターで「ギュンセリ・カトーの細密画教室」も開かれ、1年に2度この学校で講師をつとめられたようです。










 日本での個展活動もかつては充実していたようで、1984年/細密画展(トルコ共和国大使館)、1989年/細密画における女性(名古屋丸井百貨店)、1992年/トルコと日本における文化の相似性(イスタンブル大学文学部芸術学科にてシンポジウム・トルコ共和国大使館)、1994年/まったくない展[Hic Sergisi](岐阜 コーヘイ堂ギャラリー)、1994年/セラミックのプロダクトデザインの日本への紹介(東京・岐阜 マイハタギャラリー)、シルクロードの歓喜展(下呂温泉ギャラリー ※加藤卓男との共同展)、1996年/現代細密画展(東京 ワコール・ギャラリー)……その後1997年からも展覧会は続くのですが開催場所はトルコになっています。この頃にトルコに帰国されたのかもしれません。

※ Gunseli Kato氏の情報は、ここから。

※ 作品写真はここから。


 余談ですが、このブログのなかの写真の女性が、Gunseli Kato氏の娘さんなのだと思います。丸顔がかわいい。マルちゃんみたいです。

2008-11-16

MedFilm Festivali/地中海映画祭に見るトルコ映画

2008.11.16

 先日、トルコ映画がイタリアで注目を集めている、といういくつかの記事をトルコの新聞サイトで見つけました。

 11月6日からローマで“MedFilm Festival/地中海映画祭”が開催されているのですが、トルコ映画が最も高い関心を集める作品のなかに数えられている、というのです。オープニング作品として、Ozcan Alper/オズジャン・アルペル監督の「Sonbahar/秋」が上映される同映画祭では、審査員としてトルコの映画監督であるSemih Kaplanoglu/セミヒ・カプランオール氏が選ばれたことも関心を集めているとか。ほかにもUmit Unal/ウミット・ウナルや、Inan Temelkuran/イナン・テメルクラン、Baran Seyhan/バラン・セイハンといった監督の映画がラインナップされています。

 第14回を迎えるという映画祭に、トルコはドイツとともに「名誉ゲスト国」として参加。映画は“街と国境の物語”という名のもとで上映されているそうで、オズジャン監督の『秋』のほかにも、ウミット監督の『Ara/すき間(2007)』、Mehmet Gureli/メフメト・ギュレリ監督の『Golge/影(2008)』、Mehmet Guleryuz/メフメト・ギュレルユズ監督の『Havar/畝(2008)』、イナン監督の『Made in Europe(2007)』、Dervis Zaim/デルヴィシュ・ザイム監督の『Nokta/点(2008)』、セミヒ監督の『Süt/ミルク(2008)』『Yumurta/卵(2007)』といった作品が目白押し。
 ちなみにオズジャン監督の『秋』は、長編映画のコンペティション部門に出品されており、もしかしたら受賞するかも!? ……と思ったら、「受賞作は11月14日の授賞式で明らかに」と書いてあるから、既に結果は出ていますね(公式サイトをチェックしましたが、受賞結果らしきものが見つかりませんでした。でも、Milliyet/ミリイェット紙では、セミヒ・カプランオールの『卵』が“ユーロイメージイタリア賞”を、オズジャン・アルペルの『秋』が“特別名誉賞”を受賞したようです)。

 公式サイト(英語・フランス語・イタリア語で閲覧可能)のShowcase Turkeyの項をチェックしてみると、なかなか興味深かったので、長くなりますが、ここでそれぞれの映画を簡単に紹介したいと思います。


『Sonbahar/秋』※特別名誉賞受賞
2008年トルコ・ドイツ共同製作(35mm/color/106min) 監督:Ozcan Alper/オズジャン・アルペル
 22歳の大学生のとき刑務所行きを宣告されたユスフは10年後に釈放となり、東黒海地方にある故郷へ戻る。そこで彼を迎えたのは初老の母だけ。父は、彼が獄中にいるあいだに亡くなっていた。また、彼の姉は結婚して都会へと去っていた。彼が唯一会ったのは幼なじみのMikail/ミカイル。秋がゆっくりと冬に道をゆずる頃、ユスフはミカイルとともに居酒屋へ行き、そこで美しいグルジアの売春婦Eka/エカと出会う。タイミングも、ふたりの状況も、異なる世界に住むふたりがいっしょになることを許してはくれない。にも関わらず、ふたりの愛は命をつかみ、孤独から逃れるために必至にもがく。


『Ara/はざま』
2007年トルコ製作(35mm/color/89min) 監督:Umit Unal/ウミット・ウナル
 トルコ語で「Ara」は「ギャップ」「あいだの場所」あるいは「探せ!」を意味する。本作「Ara」は、同時にお互いを愛し、裏切る4人の物語。彼らは互いに傷つけあうが別れることができない。彼らは彼らの過去と嵐のような関係に、またイスタンブルと彼らが帰ることのできない故郷との間に、そして心に潜めた秘密と彼らがつく嘘の間に、はたまた東と西の間に挟まっている。つまり、間の場所から抜け出せなくなっている。
 すべての映像は、あるフラットで撮られ、カメラが外に出るのはただ1度だけ。しかし、コマーシャルやテレビドラマなどが、さまざまな異なる映像として映画に忍び込んでいる。およそ10年わたって、物語はこうした映像の合間に語られる。

『Golge/影』
2008年トルコ製作(35mm/color/113min) 監督:Mehmet Gurell/メフメト・ギュレル
 友人同士のハリムとネヴザットがイスタンブルで出会う。ネヴザットは愛する女性と結婚しようとしており、ハリムに紹介する。女性の名はセルマ。家族の一部を自殺でなくし、何年の時を経てもその経験から逃れられないでいる。ハリムとの出会いを喜ぶセルマ。最初はともに楽しんでいたネブザットだが、徐々にハリムに嫉妬するようになる。セルマとハリムのあいだには何もない。しかし疑わしく映る。また、ハリムは彼女が自殺しないよう助けようとしていた。


『Havar』
2008年トルコ製作(35mm/color/80min) 監督:Mehmet Guleryuz/メフメト・ギュレルユズ
南ーーバトマン東部では、若い女性の連続的な自殺が起こり、関心が寄せられていた。これらの自殺はスカーフを被らない名誉の死であった。若い女性ハヴァルは、ある若い男性とうわさになった。そのうわさを聞きつけたハヴァルのいとこーー親が決めたハヴァルの許嫁ーーは、ハヴァルの父に彼女を殺すよう圧力をかける。いまや彼女は犠牲者であり、その父は刑の執行人となった。本作でデビューした監督は、この地域のアマチュアの俳優を起用。ハヴァルという言葉も、バトマン地域における叫び、助けを呼ぶ声、反乱で使われる言葉である。


『Made in Europe』
2007年トルコ製作(35mm/color, black and white/85min) 監督:Inan Temelkuran/イナン・テメルクラン
米軍がアフガニスタンに侵攻したとき、トルコ人の3つのグループがヨーロッパの街々(マドリッド、パリ、ベルリン)で集まっていた。それぞれのグループはヨーロッパにおけるトルコの小さなソサエティーである。彼らはそれぞれ模索している、ある国からある国へと幽霊のように生きた後、居住許可なしで生きることを。法的な立場は別として、彼らは男らしさと恥辱、不安定さと女性、親類関係と裏切り、優越感と自己憐憫のあいだに生じる一般的な葛藤に直面している普通の人々だ。彼らは移民世界の分裂を引き起こす。そして、彼らがヨーロッパに存在する“問題”ではなく、生きる“人々”なのだと我々に思い出させる。

『Nokta/点』
2008年トルコ製作(35mm/color/85min) 監督:Dervis Zaim/デルヴィス・ザイム
アフメットは、かつて犯してしまった罪に苦しみ、その罪をあがなおうと模索している。友人のセリムに強要され、彼は価値のある骨董のコーランの窃盗にしぶしぶ加担することになる。この犯罪は不必要で、なじみの薄い領域に彼を押し込む。犯罪とその罰を軸に進む映画は、有機的にトルコの伝統的な芸術書式ーカリグラフィーを物語に取り込んでいる。


『Sut/ミルク』
2008年トルコ・フランス・ドイツ製作(35mm/color/102min) 監督:Semih Kaplanoglu/セミヒ・カプランオール
高校を卒業したユスフは、大学入学試験に失敗した。詩を書くことが、彼にとって一番の情熱であり、彼の詩のいくつかは大して有名ではない文学雑誌に掲載されていた。しかし、彼の書く詩も、また彼らの売る価格の落ちつづけるミルクも、ユスフとゼフラの生活の足しにはなっていない。そんななか、ゼフラと街の駅長との浮気を目撃してユスフは当惑する。果たしてユスフは、先行きの知れない未来に対する不安に、また青春期をあとにし、痛みを経験しつつ大人への階段をのぼるという変化に対処することができるのか?


『Yumurta/卵』※ユーロイメージ・イタリア賞受賞
2007年トルコ・ギリシャ製作(35mm/color/98min) 監督:Semih Kaplanoglu/セミヒ・カプランオール
詩人ユスフは、彼の母親の葬儀に参列するため、長い時を経てはじめて彼の故郷へと帰ってくる。彼はその存在さえ知らなかった美しい娘
アイラにより、荒廃した家で歓待を受ける。その娘は最後の5年間、母の面倒を見ていた。そして母の遺言として、神聖な動物を生け贄に捧げるようにとユスフに告げる。田園地方の暮らしの受動的なリズムを嫌いながら、彼は親交のない古い友人たち、失われた記憶につまづきつつも遺言を実行しようとする。それは、生け贄が作られる場所、彼が憧れたもの以上に彼自身のルーツを理解する場所への旅だった。


 このほかにもドキュメンタリー部門として4つの作品が、また短編映画として8つの作品が同映画祭で上映されたようです。詳しくはこちら
 また、トルコ系ドイツ人でカンヌ受賞監督ファーティ・アクンの全作品も上映されている模様。うーん、その場に居合わせたい。いたら、ぜったい見に行くのになー。※興味がある方はリンクをクリックしてくださいね。

2008-11-15

Sonbaharin manzaralari/旅心をくすぐるトルコの秋景色

2008.11.15

 Radikal紙で見つけた「Sonbaharin Manzaralari/秋景色」と名付けられた写真紀行。ちょっと寒そうですが、実際に目にすることができれば、きっと寒さなんて忘れてしまうのでしょうねー。






 以下、記事をわたしなりに翻訳しました。
 フェアリー・チムニー(妖精の煙突)、地下都市、その歴史と自然の美しさで有名なカッパドキア。秋には熱気球によるツアーで、空からまた違った眺めが見られる。
 カッパドキア地方にある8つの熱気球のツアー会社が早朝から行なう周遊ツアーに参加するトルコ人および外国人ツーリストたちは、この地方の尽きることのない美しさを空から見るチャンスに恵まれる。
 黄色に色づいた木の葉の間に見える奇岩・妖精の煙突をはじめとする美しさは、空から鳥の視点で見ると異なる趣を見せる。



 わたしが最初にカッパドキアに行ったのは、はじめてトルコに旅行したときのこと。ちょうど真冬で骨の髄まで凍りそうに寒かったのですが、その美しさは本当に幻想的でした。もともと、日本で仕事をしているときに偶然カッパドキアの奇怪な景色を目にし、まるで宇宙人が住んでいるようなところだな……と思ったものです(実際に行ったら、UFO博物館もあった。行かなかったけれど)。そして、ぜったい死ぬまでに行くぞ……と心に近い、2年の時を経て、この地に足を踏み入れたのでした。

 カッパドキアに入ったのは確か朝。夜行バスに乗って、朝8時か9時くらいに宿に入ったと記憶しています。ひと晩、バスに揺られたので、まずはシャワーでも浴びて……と思ったら、なんと部屋の暖房が故障中。不幸中の幸いで、お湯は出たのでシャワーは浴びたのですが、部屋の暖房がないので寒くて、寒くて。ホテルの人に、サロンで休んだら〜と言われて、サロンで寛ぎました(サロンの暖房は壊れていなかった)。
 その日、まだ雪は降っておらず、冬の寒気が似合う荒涼としたカッパドキアは、まるで世界の果てのよう。夕方くらいから粉雪が降り始め、またそれが美しさに彩りを添えました。

 ひと晩寝て翌朝目覚めると一面の銀世界。見事に荒涼とした大地が銀色に輝く雪に覆われ、一夜にして別世界のようでした。イヌイットの人たちは、白い雪を何色にも見ると言いますが、まさしく、あの雪景色は“白”とか“銀”といった、ひとつの色で表現できるような色ではありませんでした。幸い、昼のあいだは太陽が顔を見せ、大地に映る雲の影、太陽のきらめく反射が大地を彩り、飽きることなく何枚も、何枚もシャッターを切った覚えがあります。


 2度目に行ったのは夏。8月の最初だったと思います。夏のカッパドキアは空の青さと大地のコントラストがまた美しく、夜になると洞窟ホテルなどがライトアップされて、ちょっと遠目で見ると本当に別次元に迷い込んだような気さえします。
 残念ながら、この写真紀行で紹介されている秋は、まだ目にしたことがないのですが、今度はちょっと財布のひもをゆるめて、熱気球ツアーに参加してみたいと思っています。













  以下は記事翻訳。
 東黒海の自然スポーツクラブのリゼにあるチャムルヘムシの高原で行なわれたトレッキングに参加した自然愛好家たちは、秋の、そして雪に覆われたカチカル山脈の飽くことのない美しさを味わうひとときに恵まれた。
 チャムルヘムシ郡のアバノス高原から始まり、ガイドたちとともに2665メートルの高さまで上った自然愛好家たちは、有名なアイデル高原でトレッキングを終えた。
 だいたい3時間かかったトレッキングのなかで、フィドルとバグパイプの伴奏で東黒海地方のフォークダンスに参加した者たちは、自然の中に溶け込んだような気分を味わった。

 ゾングルダックでは、秋の最後の月に森がまさしく色のフェスティバルの様相を見せる。
 黄色、緑、赤の木の葉を装う木々と舞い落ちる木の葉は、森の奥から湧き出る小川をとともに例えようもない美しさを見せる。


 こちらは、わたしにとって未知の世界。まだカラデニズ(黒海)地方には足を踏み入れたことがないので、ぜひ一度は行ってみたいと思っているのですが、行くとなると欲が出て来て、リゼとトラブゾンはぜったい外せないしと思う。となるとカルスやエルズルムなんかも行きたい……と、どんどん夢が広がって、なかなか足を伸ばすことができません。
 また、行きたいなーと思っていたのは5月6月の時期だったのだけど、こんな写真を見ると「秋もいいな〜」と思ったり。念願かなってトルコに住むことができれば、行きたいと思もう場所を一つひとつ巡っていけるのかもしれないけれど。

 カッパドキアについては、日本人にとっても人気の観光地なので説明するまでもないと思います。
 リゼは、東黒海地方にある県であり、県都の名前も同じくリゼ。お茶の産地として有名なところです。
 一方、ゾングルダックは同じ黒海地方とは言え、もっとずっと西の方。イスタンブルを起点にすると、その東にあるのがコジャエリ、さらにその東がドゥズジェ(ともに1999年の地震で大きな被害を受けたところです)。もうひとつ東にあるのがゾングルダックです。その県都・ゾングルダックは黒海沿岸国との貿易港として栄える街で、トルコでもっとも豊かな炭坑の街でもあります(それも昔の話ですが。いまやコールは燃料として終わっていますから)。

 ※記事ソース

2008-11-04

トルコの映画「私のマーロンとブランド」

2008.11.04

 前に日記を書いたのは、9月26日だから、1ヶ月以上のご無沙汰になりました。

 きょうは昼にトルコの新聞をサササッと流し読みする時間があったので、目に留まったものを後で読もうとプリントアウトしていました。

 夕方、また時間が空いたので毎日新聞の夕刊に目を通していたら、10月16日〜26日の期間で開催されていた〈東京国際映画祭を振り返る〉という記事を発見。同映画祭の「アジアの風」部門でトルコのフセイン・カラベイ監督作『私のマーロンとブランド』が最優秀賞を受賞していたことを知りました。

 そのとき「ン? フセイン・カラベイ? なんか、どっかで目にした名前だな……」と思い返し、きょうの昼にプリントアウトしておいた記事を見直すと、東京国際映画祭で「アジアの風」最優秀賞を受賞した作品が、スイスの映画祭でプログラムから外された……という記事が(Radikal紙11月2日付け)。

 正確には、同監督の『私のマーロンとブランド(英題は、そのまま〈My Marlon and Brando〉、トルコ語のオリジナルタイトルは〈Gitmek/行くこと〉』が、スイスで始まった映画祭でも上映される予定なのですが、映画祭のディレクターがトルコ文化省のお役人から「この映画をプログラム(上映スケジュール表)から外せ、さもないと資金協力しないぞ」と脅されたとか・・・。ディレクターによると、同映画祭にはトルコから400000ユーロ(日本円で5000万以上)の資金提供を受けているらしく、そのお金がなければ映画祭は実現し得ない。だからトルコ文化省のお偉いさん(名前はIbrahim Yazar/イブラヒム・ヤザルというらしい)から言われたらプログラムから外さざるを得なかったと。

 とはいえ、このスキャンダルを知ったスイスの映画館関係者たちは、これに抵抗して当初プログラムに掲載される予定だった日程で上映を決めたらしく、バーゼルでは11月19日〜26日に、チューリッヒでは20日と21日に、またベルンでは22日と23日に上映されるらしいです。

 ことの発端となったイブラヒム・ヤザル氏(文化省のお役人)は「制限のあるプログラムもあった。だからそう(プログラムから外せと)提案しなければならなかった。トルコは多様で豊かな国だ。この豊かさを例を挙げることでお見せしたいとがんばってきた。こうしたことを取り除くことや、含まないなんてことはない。フセイン・カラベイの映画に関して別の心配があったから、あの新聞で記事を書いてもらった。メディア・ミーティングを行いながら、映画祭の内容を説明するために努力する」と、なんだか分かるような分からないようなコメントをしています。

 ちなみに、Radikal紙のトップページ、この記事の導入部分では「『トルコ女性は北イラクのクルド人に恋できない』という理由で脅迫された『Gitmek』という映画の……」という書き方をしています。
 東京国際映画祭のHPにある紹介によると「イスタンブルに住む少女が、北イラクに住む恋人に会うため国境を越える。トルコ、イラク、イラン、クルディスタンをめぐる道程は困難を極めていく……。ユーモアと緊迫が交差する実話ストーリー。」となっています。現時点でクルディスタンは存在しないから、こうまで言い切るのはどうかな?とも思いますが、とにかく恋する女性が、恋する相手の男性に会いに北イラクを目指す……というロードムービーのようです。

 東京国際映画祭だけでなく、イスタンブルやトライベッカ、エルサレム、イェレヴァン、サラエボの国際映画祭などでも最優秀女優賞、最優秀監督賞などを受賞しているこの作品。あー見たくなってきた。でも、ネットで『私のマーロンとブランド』で検索しても上映情報は出てこない。日本で上映される日は来るのでしょーかねー???  せめてDVD発売でも(けど、高いだろうなーっ・・・汗)。

 Radikal紙の記事はこちら

 東京国際映画祭のページはこちら

 ※写真はすべて「Insomnia World Sales」というサイトから