2009-09-21

Şeker Bayramı / シェケル・バイラム(ラマザン・バイラム)

2009.09.21

 土曜日の夜、1ヶ月のラマザン(断食)が終わり、シェケル・バイラム(砂糖祭)が始まりました。

 ラマザンが始まる前に、うちのエミネといっしょに美容院に行こう、と金曜日にトルコで初体験! 美容院に行きました。これまでトルコで髪を切る、というのがどうも怖くて(切っちゃったら、すぐに元には戻らないし)行けなかったのですが、伸びに伸びた髪の毛先がひどいことになっていて、遂に覚悟を決めました。
 単純に「毛先を切るだけ」と言ったのでシャンプーはなし。髪を切る前にお湯で全体を洗い流し、即カットに直行。毛先10cm程度を切るだけだったので特に問題は発生しなかったのですが、「前髪は?」と聞かれ、つい「少しだけ」と言ったのが運の尽き。少しそろえて……までは良かったのだけど、そこからレザーを持ち出してバサバサッと髪をすきだしちゃった。でも、時は遅し。やられる前に「それは要らない」と言えなかった自分が悪いのだけど、まるで小学生みたいになっちゃった(写真は、眉毛も書いていないので、さらに情けない感じです)。

 さて、日曜日。シェケル・バイラム1日目はエミネのお母さんが、アンカラに住むエミネのお姉さんのところに来ているので、彼女の家族を訪ねに行きました(ジハンのお父さん、お母さんは故郷シバスに里帰り中のため訪問はなし)。お姉さんの子ども・エルデムはベランダでわたしたちが来るのを発見すると、即座に下に下りて来てエミネの手にキスをし、その手をおでこに……(これは目上の人に対する尊敬と愛情の表現です)。そのエルデムくん、ソファに座ってゆっくりしているところに、こうしてみんなにシェケルを配ってくれました(これも伝統)。

 お姉さんはと言うと、手作りヴァクラバでおもてなし。いままで数えきれないほどヴァクラバは食べましたが、お家で作ったヴァクラバは初体験! なかなか美味しかったです♪ お店で買って来るヴァクラバはŞerbet / 砂糖のシロップがもっと濃いのですが、お姉さんの作ったヴァクラバのシロップはもっとゆるい感じ。しつこくなく、さっぱりした感じ。とはいえ、カロリーは相当高いと思いますが・笑。

2009-09-18

Haydi Kızlar Okula / さぁ少女たち、学校へ!

2009.09.18

 先日、何気なくテレビを見ていたら、なじみ深い曲が流れてきました。
 ♪ヨーレローレロヒホー ヨヒドゥディ ヤホホー ヨーレローレロヒホヤ ラヒフリヨー♪
ピンッときましたか? その後に続く歌詞も日本語でした。♪口笛はなぜ 遠くまで聞こえるの あの雲は何故 わたしを待ってるの 教えて おじいさん 教えて おじいさん 教えて アルムの樅の木よ〜♪

 これは「Haydi Kızlar Okula」キャンペーンのCM。トルコでは2003年から教育システムが変わって小中学校がilk öğretimという初等教育課程になったのですが、合わせて男の子に比べて通学率の低い女の子たちを学校に、というキャンペーンがユニセフとの共同で始まりました。当初は10県で始まったキャンペーンも、2005年にはアンカラやイスタンブル、イズミル、アダナといった大都市圏も加わって合計53県に(今年は何県まで広がっているのか不明)。

 もちろん、トルコの公立学校は日本と同じく義務教育であり、基本学費無料です。とはいえ、学校に通って学ぶにはやっぱりお金が必要なようで……、CM中では1ヶ月34TL(約2000円余り)あれば、学費がまかなえると語られています。

2009-09-16

Kış Hazırlığı / 冬支度

2009.09.16


 先々週、エミネのお母さんが泊まりにやってきていたとき、赤ピーマンのピクルスを作っていました。市場で買って来たナマの状態でも良い香りがするのですが(こんな香り、日本でかいだことがない)、これを素焼きにして(この状態で食べても超美味っ!!!)ピーマンの皮をむき、中の種を取って、酢、塩、ニンニクといっしょに瓶に入れてつけ込むだけ。1週間たって少し食べてみたけど、すごく美味しかった。改めて、トルコの野菜のおいしさというか、豊かさに感動っ!!! 
 ただいま、我が家ではこうしてピーマンをピクルスにしたり、ベランダで乾かしたり、冬支度が着々と進んでいます。冬場はどうしても野菜が少なくなるし、あっても高い。それに旬じゃないから美味しくない。そこで、旬の時期の野菜をさまざまな方法で保存し、備えようというわけです。

 9月中旬。まだまだ日中は30℃近くまで気温が上がるけれど、朝晩の冷え込みに秋というか、初冬が近づいているのを感じます。いや、これはまだ秋なのかもしれないけれど、半袖Tシャツ1枚じゃ寒い(街にはまだノースリーブの人がたくさんいるのだけれど)。日本から送ってもらった秋冬ものも届いたので、風邪をひかないようしっかり着込もうと思います。

2009-09-15

Burası neresi? / ここは何処?

2009.09.14



 Evet, burası neresi? Anlıyor musunz? Sadece fotoğlafrara bakınca niyeyi bilmiyorum da ''Green Gables'deki Anne''ın Green Gables'yu aklıma geliyor.
 さて、ここはどこでしょう? 分かりますか? 写真だけ見ると、なぜか『赤毛のアン』のグリーンゲイブルズを思い起こしてしまいます。

 Cevabı, Kırşehir. Ankara'dan yaklaşık 100 kilometre uzakta, otobüsle iki buçuk saat. Kırşahir'in Kaman ilçesi'nde bulunan Kaman-Kalehöyük Arkeoloji Müzesi'nin yanından çekmiştim.
 答えは、クルシェヒル。アンカラから約100キロ、バスで2時間半。クルシェヒル県カマン郡にある“カマン・カレホユック”考古学博物館の近くから撮りました。


 Kaman-Kalehöyük, 1985 yılından beri Türkiye Kültür ve Turizm Bakanlığı ile Japonya Ortadoğu kültür Merkezi adına Japonlar tarafından yapılan kazı yeri. Şimdi kazı yerinin yakındaki bir yerde Kaman-Kalehöyük Arkeoloji Müzesi inşaat edilmiş ve gelecek yıl açılacakmış. Biz, Ankara'da oturan Japonlar, çok şükür, Kaman-Kalehöyük kazı lideri, Sayın Prof. Dr. Saçihiro Oğmura'dan direkt kazı hakkında öğrenebildik.
 カマン・カレホユックは、1985年以来、トルコ文化観光省と日本中東文化センターの日本人によって行なわれた発掘現場。現在、発掘現場の近くにはカマン・カレホユック考古学博物館が建てられ、来年オープンする予定とか。わたしたち、アンカラに住む日本人は、幸運にもカマン・カレホユックの発掘隊長・大村幸弘氏から直々に発掘についてのお話を伺うことができました。

 カマン・カレホユック考古学博物館入り口には、「トルコと日本の国民の友情と技術協力の象徴として、日本政府による文化無償資金協力により建設されました」の一文が。



 こちらの研究所で飼われている本物の狼。でも、犬化しています。

2009-09-06

Ben seni hiç sevmedim ki

2009.09.06

 詩ついでに、もうひとつ。トルコで結構人気らしいです。この人。詩人らしいんですけど、詩の朗読者として人気だそうで。
 http://www.ibrahimsadri.com/main.html

Erken Gelişmiş Melek / おませな天使

2009.09.06

 先々週あたりから、先生がトルコの詩を教えてくれるようになり、わたしたち生徒は先生に自分の国の詩人の詩を翻訳して見てもらうようになりました。もちろん、詩なので直訳するだけでは本来の意味が薄れたり、語感が失われたりするのだけど。
 Önceki haftadan beri hocam Türk şiirleri bize öğretmeye başladı ve biz öğrenciler kendi ülkemizin şiirlerini çevirip ona veriyoruz. Tabii ki şiir çevirme kolay değil, direkt çevirirsek şiirin orijinal anlamı zayıflaşır, şiirin ritmi ya da ince ayrıntısı kaybeder de...

 わたしもいくつか翻訳してみました。もし、日本語とトルコ語の両方が分かる人がいたら、異論はあるだろうけど、ここはトルコ語勉強中ということで見逃してください(というか、間違いを指摘してください。よろしくお願いします)。
 Ben de birkaç şiiller çevirmeye çalıştım. Japonca ve Türkçeyi iyi bilenler mutlaka çevirmeme itiraz ederler ama lütfen hala Türkçe öğreniyorum, gözlerinizi yumunnuz... ya da hatalarımı düzeltiniz, lütfen... şimdiden teşekkür ediyorum...


おませな天使 谷川俊太郎

うたがうことばかりしっていて
しんじることをしらなかった

きずつくまいとして
あいするものからめをそらし
かぎりないそらをみて
かぜにゆれるきぎをみて

おおむかしをゆめみて
かえることのできるほらあなをさがした

だがいつもあっというまに
きょうはあすになり
あすはきのうになり

あたらしくうまれてくるものたちだけが
つかのまてんしのすがたして
みえないつばさではばたき
こころのくらやみをふきちらした


Erken Gelişmiş Melek Şair : Shuntaro Tanikawa

Sadece kuşkulanmayı biliyordum
İnanmayı bilmiyordum

Canımın yanmasından korkup
Sevdiklerime gözlerimi kaçırıp
Sonsuza kadar uzayan gökyüzüne baktım
Rüzgarla sallanan ağaçlara baktım

Uzak geçmişin rüyasını görüp
dönebileceğim mağarayı arıyordum.

Ama her zaman göz açıp kapayıncaya kadar
bugün yarın oldu, yarın dün oldu

Yalnız yeni doğanlar
Bir süre melek şeklinde kalıp
Görünmez kanat çırparak
Yüreğimdeki karanlığı uçurdu.

2009-08-29

Hediye / プレゼント

2009.08.29

 きょうはカイセリに住む友人がアンカラに戻ってきていたので、久々に再会。クズライからツナルへ散歩しながら歩いて行き、お茶しました。その後、クズライ・トメルで学ぶ日本人の友だちも合流して3人でブラブラ。ツナル・トメルの隣りにはガラス製品で有名なトルコブランド、パシャバフチェがあるのですが、そこで友だちのプレゼント探し〜♪ ここのお店、学校の隣りにあるのだけど、まったく足を運んでませんでした。きょうなかに入って気づきました。ここは5年前にアンカラに初めて旅行でやってきたときに知り合いが連れて来てくれたパシャバフチェでした。ここで父と母へのお土産に……と1つ45TLもするガラス製のコーヒーマグを買って帰ったのだけど、家でコーヒーをいれた途端「パチッ」といってガラスが割れたのだった。。。(悲しい思い出)

 そこで、あのコーヒーカップがあるかと思って探したらありました。手に取り、店員さんに「これは熱いものにも使えるんですよね?」「えーっと、これは冷たい飲み物用です。熱いお湯を入れると割れちゃうんですよ。お買い求めになるお客さまにもそう言ってます」……え!? そうなの? コーヒーマグのカタチをしているけど、コーヒーマグじゃないの? 5年前に「冷たい飲み物用ですよ」とは言われなかったと思うけど。まぁ、いまさらながらになんで割れたのか分かったからいいか。

 ところで、きょうの晩ご飯はジーハンのお母さんの家でした。
 携帯に電話があり「きょうはこっちで晩ご飯よー」と言われ、行ってみると、なんと、なんと、なんと、お母さんとエミネから「遅くなってごめんね」という言葉とともに誕生日のプレゼントがーーーーーー!!!!!!
 エー! エー! なんで〜??? すごく恐縮したけど、すごく嬉しかった。そしてゲットしたのがこちら。

 ペールピンクのニットのTシャツに、サーモンピンク色のニットパーカー。最近、朝晩が寒くなってきて、そろそろ秋物がいるな……と思っていたところにこのセット。超うれしかったー。色も明るいピンクでわたし好み♪ いつもお世話になっていて、プレゼントを贈らないといけないのはこっちの方なのに、、、カーンにもまだ何も買ってないのに(金のコインだけはかった)。キプロス土産も空港で買ったタバコとチョコレートだけだったのに。でも、本当に、本当に、嬉しかった♪

 ちなみに、トルコではプレゼントの贈り主は「Güle güle kullan / ギュレ・ギュレ・クルラン」と言います。直訳すると「笑いながら使って」。同様に「Güle Güle giyin / 笑いながら着て」「Güle güle oturun / 笑いながら住んで」と状況、対面している相手が手に入れたものによって使い分けます。もちろん、超嬉しいかったもの。笑いながら着ます、わたし。

2009-08-25

Hafta sonu... / 週末

2009.08.25

 先週末、21日の授業が終わって一度家に帰ってからすぐ、Aşti(アンカラのバスターミナル)に向かい、そこからKamilKoç / キャーミルコチのバスに乗ってアンタルヤに行ってきました。アンカラで知り合った日本人の友だちに会いに。午後3時にアンカラを出発したバスは深夜11時にアンタルヤのオトガル(バスターミナル)に到着。そこからキャーミルコチのサービス(送迎バス)に乗って友だちの家の近くまで行き、それから夜中3時まで話し込んでしまいました。
 その後、そろそろ寝ようとベッドに入ると、外から太鼓の音が……。そう、ラマザン中は夜明け前に食事をするため、Sabah Ezanı / 朝一番のエザンがなる前に食事を済ませなければならず「ほらほら、そろそろ起きて朝ご飯食べなさいよー」とdavulcu / 太鼓叩き屋さんが通りを巡り歩くのです。結構な大音量で(目覚ましだから仕方ないか)それから30分くらいは眠れず。。。そのあとは意識を失いましたが。
 次の日、昼頃からアンタルヤのKale İçi / 城壁内をめざし、ぶらぶらと見て歩きましたが気温はなんと40℃(これでも下がったらしい)。アカン、倒れそうや……と3時間ほどでギブアップし、あとは涼しいカフェで海を見ながらお茶したり、近くにあるミグロスで涼みつつウィンドーショッピング、とアンタルヤでなくてもできることをして時間が過ぎて行きました。夜は海沿いに並ぶオープンエアーのレストランで魚料理に舌鼓でしたが、客の数はチラホラ。ラマザン中の夕食はみな家でihtar / イフタルを食べていたのかなー。

 そうそう、アンタルヤの海。写真でも少し分かるかと思いますが、本当にきれいでした。透明度も素晴らしく、想像以上の美しさ。地中海ってキレイなんですねー。日本海の濁った海になれた目には衝撃でした。

 余談ですが、ラマザン中のDavulcuも、昔はもっと趣があったそうです。歩きながら太鼓を叩いてまわるDavulcuは、途中で自分の食べたいものを含めた詩を詠みあげ、その詩を詠みあげられた家の方は、所望の食べ物をDavulcuに渡したのだとか。いまは軽トラックに太鼓を積んでドンドンと叩きながら通りを行き来するだけ。時代は変わって行くのですねー。


 往復15時間かけて滞在したのは25時間。みんなに「もっといれば良いのに〜!!!」と言われましたが、月曜日の朝アンカラに到着してそのまま授業に行けるほど元気ではないので、土曜日の晩にアンタルヤを出て日曜日の朝にアンカラ到着。その後、日本から研究目的で来土中の知り合いとお昼ご飯を食べにGOP(ガーズィ・オスマン・パシャ)へ。
 ふだんはほとんど足を運ばないエリアだけど、確かイスケンデル・ケバブのおいしい店があったはず……と足を伸ばしたところ、そのお店は潰れていて、仕方なく別のお店を探してブラブラ。最終的にKukiというカフェに入りました。
 やっぱりGOPだけあってメニューを見ると値段が違う。水でさえ2TLもしました。わたしはチキンのチーズ焼(15TLくらい)を頼み、知り合いもチキンのドラムスティック揚げのようなもの(18TLくらいか)を注文。ふだん5〜8TLくらいの食事しかしていないので「やっぱり高いですねー、GOPは」と言いつつも、実際料理が運ばれて来ると結構なボリュームで夜ご飯を食べなくても良いくらいお腹いっぱいでした。


 もうひとつ。うちの赤ちゃんKaanくんが生まれて1ヶ月が経ちました(誕生日は7月22日)。2700gくらいで誕生したKaanくんも、毎日たっぷり母乳を飲んで1ヶ月で4500gまで成長。本当にみるみるうちに大きくなっています。

2009-08-21

Ramazan / ラマザン

2009.08.21

 ついに、ラマザンが始まりました。
 わたしは寝ていて全然気づかなかったけど、ジーハンは朝4時くらいに起きて朝食を取り、一度寝てから再び7時頃に起きて出勤していきました。これから1ヶ月、日の出から日の入りまでは断食するジーハン。タバコも吸う人なので大変です。エミネはただいま授乳中なので断食はなし。もちろん、わたしもモスリムではないので関係ありませんが。
 でも、1日だけ。9月15日のカンディルの日だけはやる!と約束しました。さて、どうなることやら???

2009-08-18

近づく別れ / Yaklaşan ayrılma

2009.08.18

 きょうは授業のあと、久々にエチオピア人の友だちを訪ねてきました。2年前、ここに来たときのクラスメート。以来、ずっと交流が続いています。今回、こちらに来るにあたっても「わたしはもうアンカラ人だから、困ったときは何でも相談してね」と頼もしいことを言ってくれた友だちです。

 実際、多いときは週1回、少なくても2週間に1回は会いに行っていたのだけれど、その習慣もあと3週間ほどで終わり。彼女の旦那さんはエチオピア大使館で働いているのですが、バルセロナにある大学での修士課程で奨学金を獲得し、9月からスペインに行ってしまうのです。スペインでの修学期間は9ヶ月。彼女自体はいっしょにスペインに行くより、故郷エチオピアで仕事をしながら待つ、と言うので「だったら、子どもを作ったら? ちょうど旦那さんが帰って来た頃に生まれるし」と冗談めかして言うと、「それも考えてるのよねー・笑」とまんざらでもない様子。んー、彼女に子どもが生まれたら、わたしもエチオピアまで行こうかしら。。。

若返り / gençleşmek

2007.08.18

 毎日、少しずつで良いから……と言った舌の先が乾かぬうちから、書くのを忘れそうでした。ついつい、赤ちゃんに方にいっちゃうんです。だって、かわいいもの。どれだけ泣こうが、わめこうが、赤ちゃんはかわいい。母親であるエミネのことを思うと、いまは静かに寝てあげて〜と思わないこともないけど。

 きのう、久々に髪の毛を染めました。赤ちゃんがいるから、染髪塗料の匂いが良くないかなーと思って控えていたのだけど、家に帰ると誰もいなかったので、その合間をぬって。チラホラ見え隠れしていた白髪がなくなって気分一新。若返った気分です♪
 いつか、この白髪も苦もなく受け入れられる日がくるのでしょうか???

2009-08-17

Ne oldu? Hiçbir şey.../ 何があった? なーんにも。

2009.08.17

 1週間ぶりの更新です。
 何があったんだ? と気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、なーんにもありませんでした。月曜日は先生の都合で授業がなかったのですが、その後の4日間はみっちりと復習が始まり、毎日いっぱいいっぱいの授業。にもかかわらず、キプロス疲れと、作文を書かなくちゃ……というので、時間がとれず、更新できずに日々過ぎて行きました。
 週末は、赤ちゃんに会いにエミネのお母さんとイスタンブルに住む姪っ子たちがやってきて……またまた更新できず。
 毎日、少しずつで良いから、頭や心に残ったことを書こうと思います、きょうから。

2009-08-09

Gazimağusa'ya gittim / ガーズィマウサに行ってきました

2009.08.10

 きのう8月9日午後2時アンカラ発の飛行機に乗って、北キプロス共和国東部の港町・ガーズィマウサ(ファマグスタ)に行ってきました。とは言え、滞在賞味21時間程度の超短期滞在ですが。

 ご存知のとおり、ビザなしでトルコニ滞在できるのは90日間。わたしも東京まで出かけて行ってビザ申請するのが面倒くさく、ビザなしで来ているので、90日以内に必ず一度出国しなければなりません。行き先としてドイツやブルガリア、果てはウズベキスタン、グルジアといろいろ考えたけれど、ウズベキスタンとグルジアはビザが必要だし、ドイツとブルガリアはチケットが高い。……というわけで、2年前同様、行き先を北キプロスに定めました。

 が、飛行機のチケットはとったけど、ガーズィマウサのホテルが見つからない。……と言っていたら、ジーハンのお母さんのところで何度もホームステイ経験のあるパレスティナ人のタメルが「兄ちゃんが住んでいるから、そこで一晩泊まりな。部屋もふたつあるから大丈夫」と滞在先を紹介してくれました。というわけで、前回のキプロス滞在中には足を伸ばせなかったガーズィマウサに到着!
 もちろん、滞在時間が21時間余りですから、見たいモノを全部見られたわけじゃないけれど、一応、城塞都市の名残を残す旧市街にも足を運んだし、海にも行ったから、21時間滞在にしては良かったかなーと。

 城塞の入り口。

 城壁内に残る遺跡。

  そして、ガーズィマウサと言えばここ、ラーラ・ムスタファ・パシャ・ジャーミー(旧ニコラオス大聖堂)。

 夕暮れ時の海。タメルのいとこのオメルが連れて行ってくれた。夜8時なっても生暖かい海の水。さすが地中海です。そうそう、
 オメルのお父さんは朝日新聞のパレスティナ特派員だそうで、やたら日本のことを知っていました。


 きのうの2時発の飛行機だったのに、きょうの2時半ぐらいにはアンカラ到着。でも、これであと90日は確実にトルコに滞在できます♪

2009-08-07

試験結果報告/Sınav sonucu haberi

2009.08.07

 めちゃくちゃ緊張した……というか、心臓がキューッッとしてきてドキドキして、わたしゃ更年期障害か? みたいな状態になって受けた試験が終わり、さっき学校に行って結果を見てきました。

 木曜日の2種類のスピーキングテストは、それほど緊張しなかったのだけど、きょうは朝から胸騒ぎというか、胸のあたりがざわざわする感じで、学校への道のりもなんとか自分を落ち着けようとOtis Redding のTry a little tenderness や、Otis Clay の I can take you heaven tongiht 、果てはQueen のBohemian Rhapsody と、めちゃくちゃな選曲で音楽に耳を傾けてはみたものの、やっぱり胸のざわざわはおさまらず、そのまま試験突入。読解テストは最初の問題が結構うまくいったので「これはイケるか?」と思ったけど、甘かった。あとで「なんじゃこりゃ?」みたいな問題が出て来て撃沈。気分が沈んだまま作文の試験に。これがまた完全に舞い上がってて全然言葉が浮かんで来ない。何か書かなければ……と焦れば焦るほど時間だけが過ぎて行く〜・大汗。なんとか時間内で書けるだけは書いたけど、自分的には半分も書けなかった感じで、どっと疲れてしまった。そのあとテラスで15分ほど休憩して聴解試験。でも、作文がうまく書けなかったという絶望的な気分を引きずりながらだったため、これまたうまく聞き取れない(そういうふうに感じた)。すべてがマイナスの方向に行っているようで、気分は絶不調。いっしょに試験を受けたクラスメートたちも一様に「・・・」という状態だったので、別にわたしだけが苦労したわけではなさそうだけど。

 そんなわけで9時40分に始まった試験は1時前に終了。わずか3時間余りの試験なのに、全エネルギーを使い果たしました、誇張抜きで。帰りも、いつもいっしょの友だちとふたりお互いをなぐさめあいつつ、重い足取りで家路へ。

 家に帰ってからも気分は最低で、エミネやジーハンは「大丈夫、大丈夫」「うちにきた学生で落ちた子はいないから」と言ってくれるのだけど、わたしが落第第1号かもしれないわけで、心から笑えない。

 で、行ってきました、再び学校へ、試験結果を見に。
 さて、ここまで読んでくれたみなさんは、どう思いますか? 合格ですか? 不合格ですか?

 これはキュタヒヤの博物館で撮った写真。トルコはこんなものがあちこちから出てくるんだから、考古学者にしたら、めっちゃ面白いでしょーねー。

 と、じらすのはやめて、結果は“合格”です。
 100点満点中85点。前の中級4のときは90点以上だったから、ちょっと落ちたけど、とにかく合格には変わりないっ!!! これまで応援していただいたみなさん全員に感謝します(ここでダメだったら、応援してもらったみんなの手前恥ずかしいし)。読解はあまりよくできなかったけど、聴解は25点中24点。作文は25点中20点。スピーキングも15点満点のが14点、10点満点のが9点。読解だけ完全に失敗しました。この失敗がなければ90点に届いたのに。。。

 と、贅沢なことを言うのはやめて、いまはただただ上級3に進めることを感謝します。落第だったらこの週末は陰鬱だったはずだし、おそらく相当落ち込んだはずだもの。こんなおバカなわたしを応援し、エールで送り出してくれた日本の友だちのみんなに、本当に本当に感謝します。先のことは何にも見えてないけど、なんとか「いまできること」という一番近いハードルは乗り越えることができました。ありがとうございましたっ!!!

 そして、同じクラスで学んでいるみんなと先生にもありがとうを言いたい。
 Aynı sınıfta okuyanlara da teşekkür etmek istiyorum. Hep beraber Yüksek 3 sınıfta okuyabiliriz, çok sükür!!
 Ve en sevdiğimiz Hadi hocaya da teşekkür ediyorum. Siz olmasaydı, mutlaka geçemezdim. Sizin sayenizde buraya kadar gelebildim. Yüksek 3 sınıfta tekrar sizden ders almama çok sevinirim!!

2009-08-04

もうすぐ試験です

2009.08.04

 キュタヒヤ1日旅行の続きを書く……と言っておきながら、あれから1週間近く経ってしまいました(というわけで、続きはキャンセル)。やっぱり1日授業を休むと、皺寄せがきますね。キュタヒヤに行けたのは良かったけれど(友だちにも会えたし♪)。

 火曜日にキュタヒヤに行き、水曜日、木曜日、金曜日は日々勉強と、赤ちゃんを見に訪れるお客さんたちの対応に追われていたわたし。対応といっても別に何をするわけでもなく、チャイを用意したり、ちょっとお話したりってくらいなのだけど。そうそう、金曜日には今週末に国外脱出するための飛行機のチケットを買いに行きました。本当はブルガリヤの首都ソフィアに友だちがいるので、そこに行きたかったのだけどアンカラからの直行便はなく、しかも1500TLと言われて断念。結局2年前と同様、キプロスに行くことにしました(350TL)。というわけで、今週末は国外脱出です。

 が、その前に上級2クラスの修了試験があります。木曜日にKarşılıklı konuşma(2人での会話)と、Sözlü anlatım(お題をもらって、それについての自分の考えを述べる)というふたつの会話力試験があり、金曜日が読解と聴解、作文です。授業はこれまでお気楽〜♪ でやってきたけど、試験となるとやっぱり緊張する。上級2では、最初がんばって作文を書いていたけど、だんだん授業がおもしろくなくなってきて、作文も書かなくなってしまったため、いま付け焼き刃で作文を書いています。昨日ひとつ、きょうひとつ。時間があればもうひとつ翻訳をしようと思っているところ。いまさら……ですが、一応試験に備えています。

 次、ここに書くのはおそらく試験結果になるかと。。。お楽しみに!

 一応写真だけ。これはキュタヒヤ城趾。

 キュタヒヤ城趾から望むキュタヒヤの街。

 キュタヒヤのバスターミナル近くにあるÇiniciler Çarşısı / 製陶市場で。1階がお店だったのですが、2階では5人の女性がこうして絵付け作業をしていました。

2009-07-30

Kütahya'ya... / キュタヒヤへ……

2009.07.30

 日曜日の朝、日本で同じトルコ語のクラスで学んでいた友だちがトルコにやってきました。昼頃に電話があり「じゃあまた、キュタヒヤで」というわけで、月曜日の授業が終わった後、長距離バスに乗ってKütahiya/キュタヒヤという街に行ってきました。

 なんでキュタヒヤ、かというと、わたしたちにトルコ語を教えてくれていたトルコ人が3月に日本の大学を修了し、帰国して住んでいるのがキュタヒヤだから。せっかくだから、みんなでキュタヒヤで会いましょう!と、わたしも火曜日の授業をお休みし、月曜日の授業が終わったあとバスに飛び乗って行って来たのです。

 アンカラからキュタヒヤへ、約4時間半のバスの旅。アンカラ市を出てしまうと広大な大地がどこまでもどこまでも広がっていて、改めて「トルコってでっかいなー」と実感。途中、牛が放牧されていたり、ひまわり畑が広がっていたり(トルコでは、ひまわりの種を好んで食べる)と、なんとも牧歌的な、アンカラとは違う時空間を走りました。2時間ほどでNasredin Hoca Yaya Siteleri / ナスレッディン・ホジャが歩いた場所というS.Aに到着。その後、さらに1時間ほどでEskişehir / エスキシェヒルのオトガルへ。バス内は結構空席があったのだけど、ここからドッと人が乗り込んできて、一路キュタヒヤへ。夜9時過ぎに到着すると、友だち2人がオトガル(oto + gar でバスターミナルの意味/でも、キュタヒヤのオトガルは“Çinigar / チニガル(タイル・ターミナル)”)に迎えにきてくれてました。
 ※写真は、バスに乗ってすぐにサービスされたアイスクリーム。このほかにも途中チャイやコーヒーのサービスが何回かありました。やっぱりトルコのバスはサービスが良い!!! しかも、わたしの乗ったKütahya AS tur という会社のバスは全車Wi-Fi コネクション付き。

 ところがっ!!! 月曜日のアンカラは雨の降りそうな雲がもくもくとでてきて、日本の夏にも似た、蒸し蒸しした暑さだったのに、キュタヒヤに到着すると、なんか寒いっ!!! 涼しい、じゃなくて寒いっ!!! バスのなかが冷房で寒いかも、と思って上着を持って来ていたから良かったけど、半袖Tシャツの上に長袖の薄手のブルゾンを羽織ってもまだ寒い。日本から来た友だちとふたり「寒い、寒いっ」を連呼していました(でも、キュタヒヤっ子はみんな、半袖やノースリーブでも全然平気で座っていたけど・汗)。

 到着した日は夜も遅いので、カフェでちょっとお茶してホテルへ。次の日、キュタヒヤ在住の友だちの車で、街を巡りました。最初に行ったのはKütahya El Sanatları Sanayi ve Ticaret A.Ş. / キュタヒヤ・ハンドクラフト・カンパニーという場所で、シルバーとセラミックで作ったアクセサリーや石、イーネオヤを使ったスカーフなどを展示したところ。場所自体は小さく、それほど展示品(というか、販売品)も充実しているわけじゃなかったけど、案内してくれたここのスタッフが「日本人が来たのは、そうだなー5年ぶりだ」と、特別に別のビル内を案内してくれることに。このビル内でいろんなものが手作業で作られていて、それを見学できることになりました。

 これはガラス玉を作っているところ。わたしたちのためにわざわざ実演してくれました。この人はガラス玉作りの先生なのだけど、ぜひ日本に行ってトンボ玉作りを見てほしいわ〜。



 こっちは手作業で作っている絨毯。縦に通した白い羊毛糸に、手作業で色糸を巻き付けて、クイッと引っ張ってちぎり、あとで長さを揃えて切る。簡単そうに見えるけど、作業自体は気の遠くなりそうな時間がかかる。これだけ手間ひまかけて作れば、そりゃ高いわね。わたしも「やってみる?」と誘われたけど、「いやいや、失敗してご迷惑になっても申し訳ないから」と丁重に断りました。

 こちらの後ろの男性が、ビル内をあちこち案内してくれた男性。とても寡黙で、けど、すごく気遣いをしてくれる、ステキな人でした。ちょっと岡さんに似ている気がした(雰囲気とか)。

 んー、長くなるので続きはまた今度。

2009-07-26

Mobaraki ailelerin konukseverliği / モバラキ家のホスピタリティー

2009.07.26

 きのうの夕方、イラン人のクラスメートのお家にお呼ばれに行ってきました。イラン人のクラスメート、というのは先週のブログ『ケチオレン滝とエステルゴン城』にも登場した彼ら。Mehri / メフリ(長姉)、Solmaz / ソルマズ(次姉)、Babak / バァベッキ(末弟)の3人はアンカラにある大学で学ぶため、わたしがいま住んでいる家の近くに姉弟3人で住んでいます。

 彼らは6月にイランからトルコにやってきて新しくアパートを借り、まさしく新生活を始めたばかり。前のクラスのとき、学校が終わると毎日家具や電化製品を買いにあちこち走り回っていたのです。ところが、問題続出。何度も何度も検討して買った新製品のテレビは、最初から不良品。新しく買ったコンロも着火プラグに不具合があり、修理サービスへ。しかも、当時彼らは家に電話がなく、こちらではADSLが主流なのでインターネットも使えない。借りたアパートも新築なのだけど、新築ゆえの問題も出て来たりして……。さらには、イランから持って来ていた携帯電話は使えなくなり……(トルコでは海外から持ち込まれた不法製品を取り締まるため、外国から持って来た電話は再度トルコで登録しなければ使えなくなります)。
 毎日、勉強とともに家で続発する問題と闘っているような感じでした。そうした問題も徐々に解決し、いまのクラスが終わると同じくクラスメートの韓国人学生2人(ヒラルとジャーレ)が帰国してしまうこともあって、わたしたちを夕食に招待してくれたのです。

 イランのホスピタリティーというのも、トルコと良い勝負。わたしは、これまで彼らの家に2度行ったことがあるのですが、どちらも近くまで行くため、ちょっと通りから挨拶しとこうと思って寄ると必ず家に招き入れてくれました。きのうは、最初から準備したお呼ばれだけあって、最初から最後までおもてなし尽くし。まず、タブリーズ(彼らの故郷。イラン人ですが、アゼリー語を話すテュルク系イラン人です)から持って来たという、ヌガーのようなお菓子と飲み物をサービス。その後、桃やアンズ、スイカを出してくれました。そのあいだ、イラン人3人、韓国人2人、日本人2人でそれぞれの国の話に花が咲きました(イランで『チャングムの誓い』を見ていたという姉妹は、そこから韓国料理の話になったり、日本料理の話になったり)。

 長姉のメフリが言いました。「素敵よね〜♪ こうして違う国からやってきた人たちが、異国で出会って、それぞれの共通語である外国語(トルコ語)で、それぞれの国を知るって」。本当に、本当に、同感です。みんなトルコ語が母語ではないけれど、それぞれ頑張ってトルコ語を習得し、そのなかで知り合い、仲良くなったわけで。話せば話すほど、じぶんと似た価値観をもっているなと感じるイラン人姉弟が、わたしは大好きなのです。末っ子のバァベッキは、末っ子らしい甘えん坊さが見え隠れして、これがまたカワイイ。もちろん、もう大人の男性だから、カワイイなんて言うと失礼なのだけど。

 さて、夕食の食卓に並んだのは、すべて彼らが前の晩から準備してくれたというイラン料理。焼き茄子の身の部分だけを取ってヨーグルトで和えた料理はトルコにもあるのだけど、彼らが使うのはまた別の種類のヨーグルトらしく、微妙な酸っぱさが漂う一品。でも、この酸っぱさがクセになりそうな、ちょとクセがあるけど、だからこそハマると大好きになる、という味でした。
 鶏肉を使ったピラフは、再度フライパンを使って丸いケーキのような状態に焼き上げたライス・ケーキに。上に干しぶどうのもっと小さくて酸っぱい感じの冬葡萄、カラカラに炒めた人参などがデコレートされていて、これがまた絶品。食卓にいた全員が「おいしい」「マシッソヨ」を連呼してました。
 もう一品はファスリエ(豆)を使ったキッシュのような料理。このあたりでもう既にお腹いっぱいだったけど、しっかり頂きました♪ もちろんデザートも用意してくれていて、ぜーんぶ彼らの手作り(と言ってもバァベッキは作ってないけど。買い物の荷物持ち係)。

 その後、お皿洗いを手伝ってササッと片付けたあとは、わたしが日本から持って来ていた“もち粉”を使って、きな粉もちを作り、みんなに食べてもらいました。ここトルコでは、いわゆるフツーの砂糖がなく(チャイなどに入れるグラニュー糖はあるけど、料理に使うような砂糖がない。料理に砂糖を使わないから)、代用品としておもちの上にはちみつをかけ、そのうえにきな粉をまぶして食べてもらいました。イラン人の姉弟にとっては“初体験”の食べ物で、気に入ったかどうか分からないけど、韓国人のヒラルとジャーレは「韓国にもこんなのあるよー」と喜んで食べてくれました。

 こうしてまたたく間に時間は過ぎ(ヒラルとジャーレは寮の門限が11時だから、と10時半くらいに退散)、夜中1時半頃までウダウダしてしまいました(最後はなぜか「男とは」「女とは」という話題だった)。

 Mehri, Solmaz ve Babak, size herkese teşekkür ediyorum. Dün beraber geçirdiğimiz mükemmel vakit sonsuza kadar unutamam. Ne kadar eğlendim, biliyor musunuz? Ne kadar yüreğimi ısıttığınızı biliyor musunuz? Sizinle buluşabildiğim için şükrediyorum. Çok şükür. Tekrar söyleyim, TEŞEKKÜRLER!!

Düğün / 結婚式

2009.08.26

 木曜日の夜(赤ちゃんが産まれた日の夜)、ジーハンのお父さん、お母さんと3人で結婚式に参列してきました。
 初孫が産まれた日に結婚式? とも思いましたが、実際エミネと赤ちゃんは病院でお泊まり。家族とは言え、病院には泊まれないし、面会時間も昼の1時半〜3時に限られているので結婚式に行かなくとも家で座っているだけだしってことで。

 結婚式は、Gazi Orduevi / ガージ・オルドゥエヴィという、将校クラブのようなところで行なわれました。トルコ軍の敷地内にあるクラブで8月30日の戦勝記念日には、毎年ここでセレプションが行なわれているとか。式場は4年前に誕生したそうです。軍敷地内ということもあり、敷地に入るところでトルコ軍兵士による厳重チェック。車のトランクも調べてました(携帯電話も電波が届かないようになっていた。式途中で病院のエミネに何度か電話を試みたけど、繋がらなくて。そのとき初めて電波も届かないようになっていることに気づいた)。

 結婚式は、どちらかというと今風のトルコの結婚式。
 式開始は8時だったのだけど、三々五々集まって来た参列客は、既にテーブルに用意されたサラダとメゼを、それぞれ好きなように食べ始め、「さぁ、いまから結婚式の始まりです」といった感じはまったくなし。司会者とかもいないし。
 時計を見ていないので、何時かはハッキリしないけど、おそらく8時過ぎに新郎新婦が登場。まずは、みんなの前でダンスを披露し、同時に式場に設置されたスクリーンには彼らのフォトグラフィーが映し出されていました。

 その後、新郎新婦は一度席に着くのですが、招待客はそれぞれ食事を続けて……。そのあいだライブで音楽と歌が続いていました。少しすると新郎新婦がすべてのテーブルを廻り、招待役に挨拶。このとき、女性の招待客は身につけていた金のブレスレットを新婦の腕に付けてあげたり、用意して来た金のメダルをウェディングドレスの胸のところに付けたり……。これが、いわゆるお祝い(ご祝儀)みたいなもんです。食事付きの結婚式であるにも関わらず(食事なしの、簡単な立食の軽食と飲み物だけとかの場合もある)、日本のように受付でご祝儀を渡す、なんてことはありません。金のブレスレット自体、結構高価なものなので、これがその代わりと言えるでしょうか。

 折しも、トルコでは閉じられた空間での喫煙が禁止されたため、式場内はもちろん禁煙。しかーし、男性も女性も喫煙率の高いトルコ。みんな食事の途中で抜け出しては外でタバコ休憩をとっていました(新婦のお母さんも何度か出て来てた)。

 その後、ダンス音楽がはじまり、何人かはフロアに出てダンス。わたしはもちろんダンスなんてできないのだけど、ジーハンのお父さんが「これも経験」とばかりにフロアに誘ってくれ、少しだけお父さんのリードでダンスしました。その後、トルコの結婚式でよく見られる“みんなでダンス”状態が始まりましたが、それほど大勢の人がこれに参加している、ということもなく、30人ほどが30分ほど踊っていただけ。招待客自体は150人から200人近くいたと思うのだけど。
 このあいだも、ずーっと各テーブルには食事がサーブされていました。

 そうこうしているうちに式終了の合図のように会場が明るくなり、招待客は新郎新婦やそのご両親に挨拶をして帰って行きました。また、式のなかではプロのカメラマンがあちこちで写真を撮っていたのだけど、これはあとで入り口付近で売られていました(よく団体ツアー旅行なんかで行なわれる、カメラマンが撮った写真を30分〜1時間ほどのあいだに大きめの写真にして、フレームに入れて売るという手法)。てっきり新郎新婦の思い出用と思い込んでいたので、ちょっとビックリしました。

 ひとくちにトルコの結婚式、と言ってもいろいろあるんだなぁーと実感。こちらのは現代的というか、欧米的なのかもしれません(といって、欧米の結婚式なんて映画でしか見たことないけど)。わたしは、てっきりみんなが踊りだして、すごいことになるんじゃないかと思っていたのだけど。でも、またひとつ良い経験をさせてもらいました。

2009-07-24

産まれたて(生後9時間)

2009.07.24

 きょう、授業が終わってから早速エミネと赤ちゃんの様子を見に病院に行ってきました。生後9時間。産まれたての男の子の名前はオメル・カーンくんです。オメルはジーハンのお父さん(以前にここに登場した男前)からもらった名前。カーンは中央アジアにおける君主の名前(ハンとか、ハカンも同じ意味です)。
 体重2735g。ちっちゃいけど、とても動きの素早い(寝ているときに突如足とか手を動かす)、濃い黒髪がステキな男の子です(おチンチンも見ちゃったもんね〜♪)。

 今朝産まれたばかりなので、エミネとカーンくんと、エミネのお母さんは病院でお泊まり。明日、家に帰って来る予定です。


 ところで、赤ちゃんが産まれたばかりというのに、ジーハンのお父さんとお母さん、わたしの3人は夜8時からの結婚式に参列してきました。この話はまたあとで。

2009-07-23

Dünyaya hoşgeldin!! / ようこそ、世界へ。

2009.07.23

 うちのエミネが、ジーハンが、大業を成し遂げましたっ!
 さっき、6時45分くらいにジーハンから電話があって「産まれたっ」と。

 きのうは本当にたいへんだったのです。見ているだけでこっちまで辛くなってくるほどエミネが苦しんでいて。
 学校から帰ってきたときには既に陣痛が始まっていたのですが、3時頃に陣痛が去ったらしく、エミネとエミネのお母さん(出産に備えて来ていた)は「ちょっと出かけて来る」……と外出。買い物までして帰って来たのですが、その後も30分間隔くらいで陣痛が襲って来て。でも、その頃はまだ陣痛の合間に笑って話ができるくらい、だったのです。夕方6時過ぎにジーハンが帰って来て、すぐに二人は病院に行きました。ジーハンのお父さんとお母さんも興奮状態で(彼らにとっての初孫)、二人が病院に行って30分もたたないうちに電話があり、エミネと赤ちゃんの荷物をもって彼らの家へ行きました。さらに、ジーハンから電話があり「病院に来て」というので、3人でそそくさと出かけたのですが……。

 病院に行ってみるとエミネもジーハンも、エミネのお母さんも病院の庭で座っている。どうやら、まだ早い……と言われたらしく、家で待機することに。このときはまだ笑い話だったのです。エミネも「ジーハン、何やってんの!」みたいに笑っていたのです。
 でも、家に帰ってからもエミネの陣痛はひどくなるばかり。夜10時くらいに再び病院に行きましたが、やっぱり帰宅。そのあとが本当に可哀想でした。痛みを共有してエミネが少し楽になるなら、わたしも少しくらいは肩代わりしてあげたいほど苦しんだのです。ひどい痛みは夕方くらいからずっと続いていたので、夜中12時くらいには「もう耐えられない」「力が残っていない」「死んじゃう」とずっと言っていました。途中、何度も吐いたりして、本当に本当にひどい状態だったのです。そのあいだ、ジーハンはずっとエミネに付き添っていまいた。

 わたしも2時過ぎくらいまでは何となく起きていたのですが、結局寝てしまいました。きっと、そのあともエミネは寝たいのに寝られない。横になることもできない。ずーっと家のなかを痛みを抱えて歩き回っていたのです。
 朝5時半に起きると、家には誰もいませんでした。何時に病院に行ったのか分からないけど、おそらく3時か4時頃なんだと思います。
 そして、さっき。ジーハンからの電話があったのでした。

 「エミネはどう? 赤ちゃんは?」と聞きましたが、産まれたことだけを聞いただけで、ジーハンもまだ赤ちゃんとエミネに会っていない様子。でも、産まれました。スゴい。人間てすごい。
 わたしには甥っ子や姪っ子がいるけれど、実はこうした陣痛状態の人のそばに何時間もいたことはありません。友だちの出産でも、産まれてから会いに行っているので、陣痛がどれほどのものかを肌でヒシヒシと感じたのは今回が初めてでした。友だちの出産を経て、その話を聞いて、母親ってすごい。母親って世界で一番クリエイティブな存在だと思っていはいたけれど、今回産みの苦しみを体中で受け止めながら、何時間も苦しみながら、新しい命をこの世界に送り出したエミネは、本当にすごい。ジーハンもエラい。おそらく、出産というのは、母親が持っているすべての力を出し切る作業なのだと思います。新しい命を生み出すというのは、母親の命を削るような行為なのだと思います。

 きっとエミネはぐったりと病院のベッドで横たわっているでしょう。でも、心には、体の内側には、赤ん坊を生み出したすき間をすべて埋め尽くす何かに満たされていると思います。その何かは“幸せ”という言葉以上の、もっともっとスゴくて、神秘的で、人智の及ばないようなもののような気がします。改めて、母親という存在の強靭さ、忍耐力、そして自分の血と肉と力を惜しみなく分け与える包容力に感服です。