2007-10-16

スタートレック?






2007.10.16 AM2:00

 再び、テレビ・ウォッチングネタです。
 これまたラマザン・バイラム中にたまたま見かけたものなのですが・・・なんと、TRT(トルコのNHKみたいな放送局)で、あの『スタートレック(オリジナルシーズン)』がっ!!! と思いきや、ん? どうも変だぞ。みんな俳優が違うぞ。
 写真1枚目がカーク船長。まぁ、キャラ的には似たような感じの俳優さんです。
 2枚目の中央右がスポック副長、一番左の青い制服のはドクター・マッコイです。右の女性は,,,ウフーラ?
 3枚目の中央、グリーンの制服の偉そうに座っているのが、なんと機関主任のスコッティです。後ろにウフーラらしき黒人女性がいますが、通信士官としての役割を果たしていたのは前出の白人女性の方でした。※写真はありませんが、ヒカリ・スールーもいました。
 4枚目、U.S.S. エンタープライズ(?)。5枚目は転送シーンです。

 わたし自身の記憶が曖昧で、これがいったいどこから出てきたスタートレック(……というか『宇宙大作戦』ですね)か分からないのですが、パイロット版だったのでしょうか? いやいや、それともやっぱり版権を売って作られた別モノ・スタトレなのでしょうか? とにかく俳優さんはすべて別の人です。加えて、転送されているのは地球人なのですが、この放送ではトルコ人という設定でした。地球に帰ったあと、知り合いたちと両頬を合わせながらキスするというトルコ式あいさつをやってましたから。
 これがいったいどこから出て来たスタトレなのか、すごーく気になるのですが、いまのところ判明する手だてがありません。ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいです。

 ちなみに、トルコではフツーのスタトレもきちんと知られています(なんて書くと、前述のスタトレが“まがいもん”みたいですが。まがいもんなのか、そうじゃないのか、いまのところ不明)。

トルコで見つけたNIPPON、再び。




2007.10.16 AM1:30

 先日より、何度もアップロードを試みてきましたが、なかなかうまくネットに接続できず、12日の日記がきょう16日になってしまいました。
 先日の「セカチュー」ネタに引き続き「トルコで見つけた日本」と題してお送りするきょうの日記です。

 30日続いたラマザンも先週木曜日11日のAksam Ezanで終了〜♪ ……というわけで、語学学校トメルも木曜からラマザン休暇に入り、土日をあわせて4連休となりました。かつてはラマザン・バイラムというと故郷に帰り、また近隣に住む親戚などを訪ね・・・というのが伝統行事でしたが(むかしの日本の正月みたい)いまどきのアンカラっ子は夏休みもついこのあいだだったというのに再びバカンスへ出かけているようで、心なしか街中の人の数が減っています。。。でも、この伝統的な親戚訪問しあいっこが減って来ているのは事実。テレビドラマでもこういった伝統が崩れていることをテーマにしたものがありました。

 かくいうわたしは、訪ねる親戚があるわけでもなし。ラマザン・バイラム中はゆっくり朝寝して(……と言っても8時くらいまでだけど)、その後せっせと宿題をし、洗濯をして、新聞を読んで、、、と、学校が休みなこと意外は特に変わったことなしに過ごしました。

 ところで、そんなラマザン・バイラム中にテレビをつけてビックリ。先日、こちらで映画版『セカチュー』を放送していた、と書きましたが、きょうは子ども向けチャンネル(アニメなどを中心に放送しているチャンネル)で戦隊ものを発見しました。登場人物が外国人なのですが、どう見ても日本の戦隊もの(ネットで調べた所、どうやらデカレンジャーのようです)。ちょうど話も終わりかけだったので、終わりのテロップで確認したところオーストラリア版でした。でも、しっかりとTOEIの文字も確認しましたから、ライセンスを売ってオーストラリアで再撮影されたんでしょうね。それがトルコで放送されていたわけです。

 そのあと、チャンネルをまわしていたら今度は大相撲がっっっ! 2007年名古屋場所でした。朝青龍も見ました。ちなみにチャンネルはEURO SPORT/ユーロ・スポーツ。こーなってくると、もう世界中のどこにいてもあんまり関係ないんじゃないのかなーという気さえしてきます。

 テレビを付ければ日本の映画やテレビシリーズ、果ては大相撲まで見られ、インターネットに接続すれば、日本と変わりなく情報が得られる。携帯電話があるから、いつでも、どこにいても、話ができる。直接会うことはできないけれど心理的な距離というのはどんどん縮まっているなーと、つくづく実感します。というか不思議。文明の進化に自分がついていってないから、いちいち驚いてしまいます。はぁ〜、こんなんじゃ10年後、20年後は完全に取り残されているかも・・・ちょっと不安です、正直なところ・汗。。。

2007-10-09

問題! この映画のタイトルは?






2007.10.09 PM8:00

 きょうはネット接続の状態が良いので、もひとつおまけに書いちゃいます。

 左に5枚の写真をのせました。
 きのうの晩、NTVで放送されていた映画です。「えっ、うっそーっ!」と思って、思わずカメラに収めました。何の映画か、分かりますか? 分かりますよねー、きっと。(答えは下に↓)


































 ↓
 ↓
 ↓
 はい!大正解っ。
 ご回答通り、答えは『セカチュー』とも言われた映画『世界の中心で愛を叫ぶ(……ですよね?)』でした。

 放送は日本語音声、トルコ語字幕でした。
 一番上の写真の字幕は「Yarim yuzyil boyunca ayni insani hayal ettigimi dusunemiyorum. /半世紀ものあいだ同じ人のことを想いつづけるなんて、わたしには/ボクには、考えられないわ/考えられないよ」。
 その次は、みなさんご存知の長澤まさみちゃん。
 さらに、かつて交換しあったカセットテープ(!)を、ウォークマン(!)で聞く現在のサク(大沢みきお氏)。
 そして、カメラ屋のオヤジ役・山崎勉氏。前述の「半世紀ものあいだ同じ人のことを想いつづけるなんて」というのは、このオヤジのことです。でもって、このあと主人公のふたり(サクと亜紀)は墓場に忍び込み、お骨を盗むわけです、カメラ屋のオヤジが想い続けた人とともにいられるように。
 最後は、映画の舞台となった四国(香川県か愛媛県)の街の(?)風景。これを見て、トルコの人は何を感じるんだろうなー。日本っていうと、みーんな同じように「TOKYO」って言ってるんだけど、こんなとこもあるって分かったかな?

 さて、Wikipediaによると映画そのものの評価はそれほどでもないようですが、本作が遺作となった名カメラマン篠田昇の美しい撮影、種田陽平の美術、行定勲監督の演出などは、高く評価されているとか。
 んー、でもねー、80年代前半に中高生だった人間からすると、この映画ってなんかツボをついてるんですよねー。カセットテープに吹き込んだヴォイス・メッセージを交換するとか、それを“ウォークマン”で聞くとか、、、ね。うひゃーっ恥ずかしーって思いとともに、懐かしいというか、こんなことやってたよなーという思い出が交錯してね。。。 同時に、雪が降るなか(降ってたよね?)、ウォークマンで音楽(?)を聞くサルの姿が浮かんでくるのですよー。衝撃的だったな、あのソニーのコマーシャルは。でもって、映画のなかの登場人物同様、ウォークマンを手に入れたくて仕方なかったわけですよ、当時。結局手に入れたのは、発売されてから何年もあとの、何世代目かのウォークマンだったけれど。

 以下、トルコ語ではこう訳されていたのだ……という個人的覚え書き。
Ama oldugunde her sey biter. でも、死んだらおしまいだよね。
Olunce ask da olur mu? 死んだら、愛も死ぬのかな?
Ne isin var burada? 何やってんだ、こんなとこで?
Zeki ve her konuda iyi. 頭良くってさー、なんでもできたもんな。
insanlarin birlikteyken birbirinin kusurlarini gorebilir. 人って、いっしょにいる時はお互いの欠点を見ちゃうんだよね。

 以上、個人的覚え書きなので、トルコ語的に合ってるとか、合ってないとか、、、は自信ありません。あしからず。

 んー、でもトルコでこのDVDが出てるなら、買って帰りたいなー。トルコ語の勉強のためにも。

 そうそう、再びWikipedia情報で忝いですが、小説『世界の中心で愛を叫ぶ』は、英語を筆頭にフランス語、ドイツ語、中国語、韓国語に翻訳され、出版されているようです。映画がトルコ語字幕で出てるってことは、まもなくトルコ語翻訳も出るのかもーっ! これまた手に入れたいっ!!

テレビで見た!Kandil Gecesi/カンディル・ゲジェシ







2007.10.09 PM7:30

 きのう寝る前、なんとなくテレビを付けたらTRT 1ではイスタンブルにあるスルタンアフメット・ジャーミー(通称ブルーモスク)の、別のチャンネルではここアンカラにあるコジャテペ・ジャーミーのKandil Gecesi/カンディル・ゲジェシの様子を生中継(!)で放送していました。

 しばらく見ていると、イマムらしき人のお話があり、そのあと数人の男性による歌、再びイマムらしき人のお話……という感じでセレモニーは続き、ときおりモスクを訪れた人たちの姿、モスクの幻想的な夜の外観などを挟みながら放送されていました。スルタンアフメットのイマムは伝統的な衣装に身を包んでいましたが、コジャテペのイマムはスーツ姿でした(帽子はかぶっていたけど)。興味深かったのは、スルタンアフメット・ジャーミーでまったく女性の姿が見られなかったこと。もちろん、ジャーミーの後方に女性たちが座る場所は設けられているはずですが、放送のなかでは見かけませんでした。一方、コジャテペ・ジャーミーは……というと、こちらは2階〜4階(か5階まで)が女性専用席となっているのですが、女性も数多く見られました。果たして、スルタンアフメット・ジャーミーに女性は来ていたのか、来ていなかったのか。ふだんNamaz/ナマズ(礼拝)で訪れる際も、基本的には男性しか行ってなかった気がするので女性はいなかったのかもしれません。

 ところで、これを見ながらわたしは大晦日の「ゆく年 来る年」を思い出していました。紅白歌合戦を見終わったあと、コタツに入ってのーんびりと日本各地のお寺の除夜の鐘を聞く、、、そして新年を迎える。なんだかあの感覚に似たものをテレビを見ながら覚えたのです。
 イマムの朗読やモスクで謳われる歌は、除夜の鐘とともに唱えられるお経に重なり、それをナマで見よう、聞こうという人もいれば、テレビの放送を通してそれを見よう、聞こうという人もいる。モスクに集まる人々を見ると、どうしても宗教的に考えてしまいがちだけど、感覚的にはもしかして新年を迎えるために除夜の鐘を聴き、神社にお参りする感覚に近いんじゃないかと思ったりして。もちろん、日本の新年よりはずっと宗教寄りだとは思うけれど、なんというか「これをやらないと、◎◎した気にならない」という感覚もたぶんにあるんじゃないかと。ふと、そんなふうに思ったのです。

 正月に寺や神社に参る。彼岸に墓参りする。お盆に墓参りする。精霊流しする。こういうのって宗教も関係しているけど、たぶんに習慣化したもので、やらないとどっか気持ち悪いとか、すっきりしない……ってところもあると思うんです。モスリムっていうとえらく敬虔に考えがちだけど、きのうジャーミーに来ていた人たちのなかにも習慣として、あるいは「やっぱジャーミーに来ないとKandil Gecesi/カンディル・ゲジェシを迎えた気にならない」って人が結構いたんじゃないかなーと、鼻づまりのボンヤリした頭で考えたのでした。
 それに、Kandil Gecesi/カンディル・ゲジェシは「預言者ムハンマドによって最初にコーランが詠まれた夜」とされていますから、感覚的にも新年に近いんじゃないかなーと。んー、どうなんだろう? 思い込みすぎかな?

 ※写真は上からスルタンアフメット・ジャーミーの中の様子(左手にイマムが座っています)。コジャテペ・ジャーミーのイマム朗読。同じくコジャテペで男性が半円になって歌っているところ。コジャテペ・ジャーミーを訪れた女性たち・その1(キレイな人だからか、アップで何度も映っていた)、その2(この女性たちを見て、イマムのお話も頬杖ついて聞くのねーと思っちゃいました。だって、日本ならお寺の住職のお話、頬杖ついて聞かないものー。それに、どうみても世間話をしているように見えるぞ)。最後はコジャテペ・ジャーミーの中の様子。奥に窓のようなものが見えますが、コジャテペではここや、その上のテラス状の場所が女性専用席になっています。

2007-10-08

初・風邪 orz...


2007.10.08 PM9:15

 トルコに来てから一度も体調を崩していなかったのに、ここに来て、思い切り風邪を引いてしまいました。

 異国で病気……はツライのが分かっているので充分注意してきたつもりだったのに・・・。先々週の週末、1度ヤバいな、というときがあったのですが、そのときは持ち直したのです。それが、先週金曜日、ちょっと吐き気がしたりして、何だこれは? と思っていたら次の日から頭が重ーくなって、今朝起きたら完全に鼻がグズグズになっていました。

 聞くところによると、アンカラではどうやら風邪が流行っている様子。それも鼻に来る風邪だとかで、すっかり流行に乗ってしまったよう。きょうは学校の帰りにビタミンCのタブレットを買い、2錠飲んでから一度寝たのですが、いかんせん鼻がつまっているので頭もボーッとしてどうしようもありません。とはいえ、こんなところでダウンしている場合でもないので、きょうも早く寝てなんとか撃退したいところ(願。

 きょうはKandil Gecesi(カンディル・ゲジェシ)だったので、Kocatepe Camii/コジャテペ・ジャーミーにでも出かけてみようか……と思っていたのですが断念。※Kandilについては以前に日記でも触れていますが(http://freebirdinturkey.blogspot.com/2007/08/kandil-cagri.html)、聖なる5夜と言われるなかでも一番重要なのがきょう(そんな日に風邪を引いてしまうとは、不覚)。

 そして、ラマザン(断食)もあと3日で終了〜♪ 街ではラマザンのお買い物、と称して新しい服を買ったり、おもてなしの食べ物を買ったり、という姿が目につきます。近所のスーパーでもチョコレートの箱やボックスがどどどーんと並びだして、ラマザン・バイラム(シェケル・バイラム)な雰囲気が漂ってきました。

 んー、ラマザンの休暇を寝て過ごすことにならないよう、早く直さなければっ! また元気になって日記を書きたいと思います。

 ※写真は、きょうEzcane/エズジャーネ(薬屋さん)で買って来たC Vitamin(トルコでは“ジェー・ビタミン”という)。

2007-10-06

暮らしのアイデア商品?





















2007.10.06 PM7:00
↑ 本当はこの日付でアップする予定だったのですが、突如インターネット接続が切れてしまい、いま(10月7日AM11:40)までまったく繋がりませんでした(泣。従って、ブログの内容は昨日の夜の時点のものです。

 きょう2007年10月6日付、Milliyet紙のインターネット版で見つけた〈暮らしのアイデア商品?〉をご紹介しましょう。
トップページの中段、なにやら怪しげな写真とともに書いてあったのは・・・
Hayati boyle kolaylastirin!
Gundelik yasamda surekli kullandigimiz esyalar, kucuk bir dokunusla hayat kurtaran mucizelere donusebilir...

毎日をこんなふうに簡単に!
日々の暮らしのなかでよく使っているものに、ちょっと手を加えると暮らしを助ける奇跡に早変わりっ!!

 あとは文章の紹介は一切なく、アイデア商品のフォトギャラリーに(写真の順番でコメントを書いています……が、いかんせんインターネットの接続が悪いため、写真は折を見て徐々にアップします・・・というわけで、現地時間7日夕方4時半頃にすべてアップし終わりました。1日仕事だな、こりゃ)。

 まず出て来たのがテニスボール。これを2つに割って金具を取り付けて騒音防止用の耳当てに……って、なんか無理がないかい? テニスボールってそんなに安かったっけ? イヤーウィスパー使った方が簡単なような……。でも消音性能は高そうです。ぴったり耳にくっつけることができれば、の話ですが。


 お次は水仕事用のゴム手袋。指の所を切って、さきっちょに穴をあけ、液体状の調味料(トルコならレモン果汁か?)の瓶に取り付けると……あーらお見事っ。1度に適量が出せるように。これで思った以上にドバッと出るのを防げます!?!?!?


 こちらは勝手に名付けて、その名もスポンジペダル。なかなかグッド・アイデア? 自転車のペダルに台所用のスポンジを取り付けるとハダシで乗っても痛くなーいっ!(笑。まぁ、夏限定商品ですが。それに、日本にゃーこんな草原はないぞ。アスファルトの上や、固〜い土の運動場の上じゃ、ハダシはやっぱり暑いし、痛いんじゃないか? という疑問がないわけではありませんが、ハダシで自転車って気持ち良さそうです。

 漏斗のようなものの先を少しだけ斜めにして壁に取り付ければフックに(つーか、買った方が早いような……100円ショップに行けば3つくらいセットで売ってそうな気がするのですが)。


 プラスチック製の柄の刷毛を使って、ドアストッパーに。これはなかなか?という気がしないでもないですが、やっぱり柄を曲げる手間とか、見た目とかを考えると、100円ショップで買って来よう!と教えてあげたい。


 水中眼鏡の眼鏡の部分のプラスチックだけを使って……電車の中での居眠り用スタンド。←そこまでしなくても・・・汗。ふつーにハンカチとか使っちゃいけないでしょーか???


 個人的に気に入っているアイデア商品はコレ! キレイなデザインのアルミ製空き缶(ここではカールスバーグを使っていますね)を利用して、キャンドルカバーに。空き缶のカットの仕方、横面だけでなく、上面とかにも穴をあけたりするとプラネタリウムみたいでキレイなんじゃないでしょうか。ただし、空き缶の背丈を短くしすぎず、ろうそくは丈の低いものを使わないとヤバそうですが。でも、キレイだと思います、これ。誕生日とか、クリスマスの使い捨てデコレーションにいかが?


 使い残った切手を使ってネール・ペインティング代わりに!! キレイなデザインのものを使えば結構イケるかも!?


 腕浮き輪(だと思う)を使ってランプシェードに……って、危ないじゃんコレッ! ゼッタイ燃える、というか溶けると思う。火事のもとだと思うのですが、新聞社がこんなの載っけちゃって良いのでしょうか? 真似する人がいて、火事になったらどーするんでしょう?


 洗濯バサミのバネ部分だけを利用してお箸に取り付ければ、お箸使いが苦手な外国の方でもホラッ、簡単にお箸が使えますよー……って、これ相当無理があるような(汗。これで写真のような麺(ラーメンの麺のように見えるけど、スープがない。なんだコレは?)は食べられないんじゃないのかなー。無理せず、フォークで良いのじゃないでしょうか? それとも持ち方矯正箸、プレゼントしましょうか?


 泡立て器を、いつでもどこからでも取り出しやすいコットンボックスに……って。もう、、、だから無理があるってーっ!!!


 そして最後はなんだかよく分からない代物3連発っ!!!
 トランプを使っているのですが何なんでしょう? 天井の低い所に〈頭上注意〉の代わりに貼るんでしょうか? それともマンションとかの階段部分に〈現在何階〉か分かるように貼るんでしょうか?

 それからレゴらしきものを使っていますが、まったく何を意味しているのかわたしには分かりません。

 最後のヘルメットに蠅タタキ状のものを取り付けた代物もいったい何のアイデアなんだか・・・orz どなたか「これはアレですよ」と指摘できる方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいです。

 というわけで、Millyet/ミリエット紙で見つけた「暮らしを簡単にしてくれる“小さくてかわいい”奇跡たち」の紹介でした。まぁ、土曜日ですから、新聞も息抜き記事というか、みんなで笑える記事を載せているのかもしれません(確証なし)。

2007-10-05

礼拝を始めた泥棒さん



2007.10.05 AM0:45

 きょうは、インターネットで見つけたちょっとコミカルなニュースを紹介しませう。

 Hirsiz, polisi gorunce namaz kilmaya basladi.
 フルスズ ポリス ギョルンジェ ナマズ クィルマヤ バシュラドゥ
 泥棒、警官を見て礼拝を始めた

 最初、このヘッドラインを読んだときは、プッと吹き出しました。……というか、かわいい泥棒だな、と思ったんです。つまり、泥棒に入っているところを警官に目撃されて、あぁこれまでか・・・と思った泥棒がアッラーに祈ったのかな? と思って。困ったときに神様に頼る姿が、なんだかカワイイじゃないですか。

 ところが、ちゃんと記事を読んでみると、、、
 泥棒は警官がやってくるとまず『わたしは、この家の主人だ』とのたまった模様。その後、警官をうまく騙せると考えて礼拝を始めたのだとか。結局は嘘がバレてつかまっちゃったんですけどね。

 すぐにバレる嘘をついちゃう泥棒さん、なんだか憎めない気はします。

 かくいうわたしも大阪に住んでいるとき2度、空き巣に入られた経験があります。2回ともベランダの窓ガラスを割られ、鍵を開けられて。めちゃくちゃ怖かったし、腹もたったけど、2回目の空き巣さんは後でつかまったと警察から連絡があり「この空き巣をきちんと刑務所に入れてください」という裁判官への嘆願書みたいなものに署名させられました。文書はすべて警察が用意していて、わたしは内容を聞かされ「これで、いいですね? じゃ、サインを」みたいな感じだったのですが。

 でも、よーく話を聞くと、この空き巣さんは59歳。前科があるため、今回はお目こぼしもなし。きちんと刑務所でお務めしてきなさい、ということだったのですが、聞くと刑期は5年。てことは、空き巣さんは64歳で出所してくるわけです。その当時も住む家の決まっていないような、浮浪者みたいな暮らしをしていたらしいい空き巣さん。59歳で仕事に就くのも難しいだろうし、結果空き巣として生計を立てていたようなのですが、刑期を務めたあとは64歳。さらに仕事を見つけるのも難しいじゃないですか。で、思ったんですよね。刑務所に入る意味があるのかなー?って。むしろ社会復帰できる道をつけてあげる方が、空き巣さんにとっては更正の可能性があるんじゃないの?と。
 もちろん、悪いことをしています。しかも何度も。お務めするのも、この人に課せられた義務でしょう。でも、刑務所から出て来て、また住む場所もはっきりせず、仕事も見つからないじゃ、結局同じところに戻っちゃうんじゃないのかな?

 家のなかぐちゃぐちゃにされてるし、土足で歩き回ってるし(靴ぐらい脱げよっ!)相当腹立たしい事件ではあったのですが(だいたい、ほとんど何も取らずに、というか取れるものがないからだけど、単にぐちゃぐちゃにしただけ)、なんとなーく、空き巣さんのその後が気にはなったのでした。

 この記事の泥棒さんも、どうなったんだろう? 奇しくも年齢が同じ59歳。泥棒に入っているところを現行犯でつかまってるから、結局何も盗ってないわけだし。んー犯罪を許してはいけないと思うけど、この人のためにも、そして再び犯罪に手を染めないためにも、刑務所以外の方法が別にあるような気がします。

 ※写真は、お茶目な?泥棒さんの事件があったTekirdag/テキルダーという街の写真。Belediye(市)のウェブサイトから拝借しました。

2007-10-04

意味を求めるのは無意味?


2007.10.04 AM7:15

 きのう書きたかったのは、実はこっちのニュースでした。朝のニュースでチラッと見たため、新聞を買って詳細を確認しようと思ったのです。……が、新聞の一面にその記事はない。3面の真ん中あたりに12cm四方くらいの大きさで載っていました。

 イズミルで2つの爆弾が爆発し、29歳のAtilla Eraslanさんが死亡、9人が負傷したというニュースです。
 ひとつめの爆弾は朝7時50分にマーケットの近くにあるカフェ(チャイ・バフチェシ)の隅で爆発。掃除夫のMustafa Ozsefikさん(42歳)が通りに設置してあるゴミ箱を空にしようとしたとき、爆弾が爆発し、Ozsefikさんは左足と右手を骨折。その場所を通り過ぎようとしていた別の男性(41歳)も負傷したようです。
 さらに、ふたつめの爆弾は11時25分に、1つめが爆発した場所から100mほど離れた場所で起こった模様。そこはある絨毯屋さんの前で盗まれたバイクに仕掛けられた爆弾が爆発。絨毯屋で働いていたAtilla Eraslanさんが亡くなり、7人が負傷しています。Atillaさんは1人っ子で現在結婚の準備をしているところだったとか。

 この記事が出た時点ではまだ声明も何も出ていなかったし、誰の仕業かは分かっていません。が、いずれにしても何のために? という思いが拭えません。1つめの爆弾が爆発した近くにはバスの停留所があり、学校に行く子どもたちがバスを待っていた、とテレビでは報道されていました。トルコでは朝早くから(アンカラでは6時頃には)掃除夫の方々が歩道のゴミをキレイにしてくれます。そんな人を標的にして、いったい何を主張したいのでしょうか。一般市民を死に追いやること、傷つけることに何の意味があるのでしょうか。テロなんだから意味など求められない、という人もいますが、何かしらのプロテスト行動なら、そこに意味があってしかるべきだと思うのです。でも、ここには“意味”は見当たらない。どうしてこんなことが起こるのか、何のために起こしているのか、説明できる人がいるならきちんと説明してほしい、じゃなきゃモヤモヤはモヤモヤのまま、そして2〜3日もすれば(わたし自身も含めて)すっかり忘れてしまうのだろうな、と思うと何ともやりきれないのです。

2007-10-03

ファーティ・アクン続報


2007.10.03 PM8:00

 きのうの日記に、映画監督ファーティ・アクンが「トルコで兵役には就かない。必要とあらば、トルコ国籍/市民権を捨てる」と言った、という新聞記事について書きました。このコメントについてHurriyet/ヒューリエット紙の読者アンケートで結構辛辣な結果が出ていましたが、今朝、同紙のインターネット版をチェックすると、早速「ファーティ・アクン 訂正する」という記事を見つけました。記事の日付を見ると、2 Ekim 2007 となってましたから、もともとの記事、アンケート結果が出たのと同じ日にアクン監督のコメントも出ていたことになります。

 その内容は、、、要約すると「わたしの表現不足により誤解があったようです。わたしは、トルコでだけでなく、世界中のどこでも、いかなる理由があろうと、この手に武器をもつことに抵抗(反対)しているのです。わたしのただひとつの武器は、カメラとペンです。自分自身をより良く表現することができる映画監督してシナリオを書き、映画を撮っています。わたしは武器(あるいは暴力)に対してどれほど抵抗(反対)しているかを強調するために誇張した表現を使ったのであり、トルコ国籍/市民権を捨てるといった意図では決してありません。わたしはひとりのヒューマニストであり、そしてトルコをとても愛しています」

 なかなか役者ねー、アクン監督も。トルコ国民がどう反応するかを読んだコメントだなと思います(「わたしはトルコをとても愛しています」と言い切ってますからね)。訂正している時期も早いし。
 でもね「この手に武器を持つことに抵抗する」ってことは、やっぱり「トルコで兵役には就かない」ってことなのよね。「トルコでだけでなく、世界中のどこにいようと、いかなる理由があろうと」と、場所を世界に広げることで焦点をぼんやりとさせているけど、トルコで兵役に就かない=国籍離脱ってことになるんじゃないかなー。トルコで兵役免除はないから。オリンピックで金メダルを取ろうが、ワールドカップで3位になろうが、たとえウィンブルドンで優勝したって、やっぱり兵役には就かないといけない。

 ひとりのヒューマニストとして武器や戦争という名の暴力に抵抗する、という主義は認めてもらえるかもしれないけど、それでも兵役は免除にならない。それを逃れる方法はひとつ。トルコ国籍ではなく、ドイツ国籍を選ぶこと。さて、アクン監督はどうなさるのでしょう?

 ところで・・・トルコでは男子たるもの兵役に就くのが当たり前(義務だからだけど)となっていますが、もし、日本と同じように希望する者だけが、いわゆる職業軍人として働くという制度になったら、いったいどれくらいのトルコ人が志願するのでしょうね?

2007-10-02

きょうの新聞 ファーティ・アクンの言葉に大反響




2007.10.02 PM7:40

 最近、読める読めないは別としてなるべく新聞を買って読むように努力しています(先日の試験でやたら長いテキストが出たため、読む訓練をしないといけないかな?という気にもなって……)。

 きょう買ったHurriyet/ヒューリエット紙で気になったのは、2面に掲載されていたファーティ・アクン(『太陽に恋して』『愛より強く』の映画監督。今年のカンヌ映画祭で、最新作『ジ・エッジ・オブ・ヘイブン』が脚本賞を受賞しました。なお、本作は現在オスカーにもノミネートされています)の記事。わたしレベルのトルコ語理解力で翻訳したので間違っているところがあるかもしれませんが、要約するとだいたいこんな感じです。

 トルコで軍隊へは行かない  必要となれば国籍/市民権を捨てる
 『The edge of heaven』の監督ファーティ・アクンが、トルコで兵役にはつかないこと、必要とあればトルコ国籍/市民権から抜けるつもりだと語った。
 ある雑誌のインタビューに答えたアクンは、主義として兵役には就きたくないと語った。
 「映画をどのように定義するか?」との問いにアクンはこう答えた。「ひとつの世界の映画です。ドイツに端を発する世界の映画です。誰かがボクに無理矢理決めさせない限り。これは誰でもあり得ます。第三帝国(ナチの時代を意味している)の外側とその後に続く世界で、新しい第四帝国もあり得ます。あるいはトルコも(そうなることを)望めます。わたしはもうトルコで兵役に就かなくてはいけません。しかし望んではいません。その気持ちがないのです。どうしてもというならトルコ国籍から抜けます。この手に武器を持つくらいなら(わたしの一部を)放棄する方を選びます。もちろん、これはわたしが誰であるかが関係ないという意味ではありません。わたしがイスタンブルっ子であることに変わりはありません。

 これを読んで初めて、アクン監督がトルコ国籍/市民権(原文ではVatandaslik/バタンダシュルック)を持っていたことに気づきました。ご両親がトルコ人であることは知っていましたが確か生まれも育ちもドイツで、トルコの国籍/市民権をもたないトルコ系ドイツ人だと思っていたのです。
 この言葉のすべての意味は映画を見ていないので分かりません。第三帝国、第四帝国という言葉があり、トルコもそうなることを望める……ということは、国粋主義(外国人排斥・同性愛嫌悪・共産党敵対)の国になり得る可能性を秘めているということなんでしょうか? これはトルコに限らず、どこの国にも言えることだと思いますけど。

 さて、しかしながら、このなかで最も話題となっているのが「トルコで兵役には就かない」という彼の言葉です。フツーに考えて、好き好んで兵役に行く人はいないんじゃないのか?というのが、わたしの正直な感想です。トルコではあまり公に語られませんが(建前として、兵役はトルコ男子の絶対的義務ですから)、全面戦争でないにしてもPKKの問題で現在でもトルコとイラク国境あたりではドンパチがありますし、そうでなくても兵隊としての訓練を受けるというのは決して楽しい体験ではないように思います。だからこそ、チャンスがあれば兵役期間を短くしようと国外へ出る人も多いのでしょう(もちろん、それだけが理由じゃないでしょうが、それだけを理由に国外に出る人も実際にいます)。

 アクン監督の「武器を手にするくらいなら」という言葉も、日本国憲法第九条信奉者のわたしとしては至極当然に聞こえます。しかも彼はドイツで生まれ、ドイツで育った人です。ドイツは良心的兵役拒否も認められていますし、兵役に就く代わりに社会奉仕をすることができます。そういった社会のなかで暮らしてきて「義務だから兵役に就かないといけない」という理論は受け入れ難いでしょう。

 と・こ・ろ・が、夕方インターネット版のHurriyet/ヒューリエットを見たら、このアクン監督の「トルコで兵役に行かない」という言葉に対するアンケートが行われており、その結果が載っていました。
 ◎アクンは有名な映画監督だし、兵役義務についてこんなふうに考えるのも至極当然……31.0%
 ◎アクン監督も(ノーベル賞受賞前の)オルハン・パムクと同じで、オスカー受賞を意識し、トルコを批判することで自分を売り込んでいる……63.8%
 ◎この言葉はたいして重要じゃない。重要なのはパムクやアクンが世界で成功を手にすることだ……5.2%

 まぁ、そもそも3つの答えしか用意されていないアンケートですから、ちょっと誘導質問の匂いがしないでもないです。アクン監督個人の主義・思想として「武器を手に持つくらいなら……」ってアリだと思うのですが、それが「ノーベル賞やオスカーのために自分を売り込んでいるだけ」ととられてしまうと・・・ツライくないですか? なんというか反応するポイントが違うなー、と感じたアンケートでした(トルコにおける軍隊って、ゼッタイなんですねー。あって当たり前だし、みなが賛同するのが当たり前。もちろん、個々に意見はあるだろうけど、公に軍隊や兵役を批判したり、有無を議論するって難しそうな気がする・汗)。

 ※写真は本日のHurriyet/ヒューリエットの記事と、インターネット版のアンケート結果。
  あと関係ないですが、新聞に載っていた一コマ漫画。手前のおじちゃんが使ってるパソコンがリンゴマークだったので撮っときました。トルコでMacintoshの市民権はまだまだなのに。きっとこの作者がMac愛用者なのでしょう・笑。
 ※上記翻訳で間違っているところがあったら、本当にごめんなさい。間違いに気づかれた方はぜひご指摘ください。

2007-09-30

初体験!Boza/ボザ


2007.09.30 PM11:20

 きょうで9月も終わり〜♪ 先週木曜と金曜に試験も終わり、明日から新しいクラスが始まります(……の予定。クラスは5人集まらないと開講されないので、5人以上集まることを祈るばかりです)。

 さて、金曜日の試験後、イスタンブルから来られたマコトさんと会ってきました。マコトさんとの出会いは、3年前? 初めてトルコに行こうか、、、という頃にホームページ「めるはば通信」を知り、結構頻繁に拝読させていただいていました。その後、Mixiで再開。ずいぶん長いあいだMy mixiにはならず、メッセージだけ交換したりしていたのですが、その後My mixiに。そして、このたび初対面!となったわけです。そのとき教えてもらったのが「Boza/ボザ」という名前の飲み物(写真)。本来は冬の飲み物らしく、期間限定で販売されるらしいのですが、アンカラ・クズライのカランフィル・ソカーウ(カーネーション通り)に「365日Boza」という看板を出している店がありますよ〜ということで連れて行ってもらいました。

 Bozaは調べてみるとキビ、水、砂糖から作られる冬の飲み物で、最も古いトルコの飲み物として知られているもののひとつとか。本来は9月15日〜5月15日までに販売されているようです。
 また、トルコではキビを原料として作られていますが、別の国ではコーンや麦、粟などから作られたりもしているよう。オスマン帝国時代は炭水化物(いまで言えばプロテインって感じ?)とビタミンが豊富なため、兵士たちに供給された飲み物だったようです。

 で、お味は?というと、なんと言えば良いのでしょう? ひと口飲んで(というか食べて)、「ん? この味、なんだか知っているような? 何かに似ているような?」と思いました。でも、思いつかない。上にシナモンがかかっているからニッキ水に近いのかなー?と思ったりもしましたが、写真のところまで飲んで思い出しました。濁酒(どぶろく)に似ているんです。Boza自体はアルコール飲料ではありません。でも発酵加減とか、微妙に炭酸が感じられるところとか、とても濁酒に似ています。まぁ、すごーく砂糖が入っているので、めちゃくちゃ甘いんですけどね。しかも、ドロリとしている。スプーンが付いて来て、すくって食べる、という感じの飲み物です。ドロリ感で言えばヨーグルトぐらい。しかもめちゃくちゃ甘いので「ごくごく飲む」感じじゃありません。飲み物、なんですけどねー。

 好き嫌いが別れる味かとは思いますが、アンカラに来られたら、あるいはイスタンブルでも(上記の期間なら、どこかで飲めるはず)ぜひ一度トライしてみてください。わたしはシナモンをたっぷりかけるのがオススメだと思います。

2007-09-29

試験報告

2007.09.29 AM1:10

 取り急ぎ、ご報告を。本日、中級3の試験が終わりました。Okuma(読解)はテキストがすごーく長くて、1問目のテキストを読んでいるうちにどんどん時間が過ぎ、後半の問題は読み飛ばして答えたような状態。Dinleme(聞き取り)も3つあるテープのうち1つがほとんど聞き取れず撃沈。Kompozisyon(作文)も時間切れで最後まで書ききれず尻切れトンボ。。。
 今回はマジで追試を(ヘタをすれば落第)を覚悟しました。試験後、昼から友人と会っていたのですが、心のどこかに“試験結果”がひっかかって。。。夕方7時頃、試験結果を学校に見に行ってきました(ドキドキしたぁ〜)。

 結果 ◎読解は16/25、◎聞き取りも16/25、◎対面会話は13/15、◎意味説明(単独スピーキング)が8/10、◎作文が18/25、合計71点で合格することができました。決して良い点数ではないけれど、とりあえずパスしたのがわたしにとって一番のご褒美。これでこの週末も心置きなく休めます。あー、しかし、今回は難しかった〜。クラス6人中2人が用事で試験を欠席したため(彼らは月曜日に試験を受ける)受験したのは4人。うち、エチオピア人の友だちとわたしが合格、残りの2人は作文で追試を受けることになりました。でも、追試を受ける2人とも他の4科目はわたしより高得点。ただ作文がダメだっただけです。彼らも追試では合格するでしょうから、また来週から新しいクラスでがんばりますっ! ではでは〜♪ まずはご報告まで。

2007-09-27

Dil Bayrami/言語75周年祭




2007.09.27 PM8:50

 きのうときょうの2日間、アンカラ、イズミル、マニサ、アイドゥン・ショケ、クシャダスの5都市で75回目の”Dil Bayrami/ディル・バイラム(言語周年祭)”が行われたようです。

 数日前の日記でTurk Dil Kurumu/トゥルク・ディル・クルム(トルコ言語協会)について触れましたが、このバイラムはその設立75周年を祝うもの。今朝のニュースでは昨日イスタンブルのドルマバフチェ宮殿で行われた式典(アブドゥッラー・ギュル大統領も参加)の様子が紹介されていました(ここでは「人々のコミュニケーションツールとしてのトルコ語」「芸術言語におけるトルコ語」といったプログラムが金曜まで続くそう)。
 その後、TRTの放送内で現言語協会会長(?)へのインタビューも行われ、現在の言語状況や問題点、これからの課題といったことが話さていました・・・が、わたしのトルコ語能力では細かいところまで分からず、とても残念でした。

 でも、考えてみると“トルコ語75周年”って、なんだか随分新しい気もしますね。もちろん、トルコ語は75年前に突然起こった言語ではなく、共和国設立後に“整理された”言語。75年前の1932年にアタチュルクの提唱によって設立されたトルコ言語協会は、トルコ語やテュルク諸語の研究、規範文法の策定ほか、外来語の固有語彙への置き換えなども行っていて、だからこそコンピュータが「Bilgisayar/ビルギサヤル(ちなみにBilgiはトルコ語で“知識”“情報”という意味」になっているわけです。
 とはいえ、外来語の反乱を防ぐのはトルコでも至難の業。今朝のニュースでも街角にあふれる“英語”“フランス語”などの看板を映し、いかに外来語が日常のなかに反乱しているかが語られていました(たぶん、トルコ語に悪影響を及ぼしていると言ってたんじゃないかなー)。

 言葉って、使い方ひとつで印象が随分変わるもの。自分の考えや思っていることを正確に言葉に置き換えられなければ、相手に伝えることはできません。間違って使うことによって、あるいは間違って解釈することによって、コミュニケーションに支障をきたす場合もあるでしょう。
 とはいえ、自分が美しい日本語を使えているか? と自問すると「ぐぅ」の音もでないのがホントのところです。一方で、正しく美しい日本語を使っても感覚的にぴったり来ない場合もあります。「気が置けない友だち」なんて言葉も、本来の「気を使うことなく気楽につきあえる」という意味ではなく、そのうち間違った解釈(油断できない)が正解になるんじゃないかなーとも思ったりします。
 そこで問題!「流れに棹さす」「確信犯」「役不足」の本来の意味を知っていますか? ちなみに、わたしは全滅でした・泣。

 写真は“75. Dil Bayrami”のプログラム・ポスター(アンカラ大学のサイトで見つけました)。それと全然関係ないですが、今朝6時過ぎの西の空。満月1つ手前の白いお月さまがぽっかりと浮かんでいました。10分後には東からお日さまも上って来てダブル鑑賞(トクした気分♪)。もう1枚はアパート7階から南方向を眺めたもの。カメラの角度は水平より上に向けているのに坂道が目線より上に伸びているの、分かります? 左手タワーの右側、光っているのは車のヘッドライトです。この角度、車じゃなきゃ上れませんよ、ホント。ムーヴィング・ウォークをプレゼントしてあげたい。。。

2007-09-26

イフタル・ソフラス




2007.09.26 PM8:30

 現在ラマザン中のトルコ。Oruc tutan insanlar/オルチ・トゥタン・インサンラール(断食をしている人たち)にとって、Aksam Ezan/アクシャム・エザーン(夕方のエザーン:現在7時前後)は待ちに待った食事の(一部の人にとってはタバコの)時間を告げるものです。その食事、特別に iftar/イフタル、あるいはiftar sofrasi/イフタル・ソフラスと呼ばれています(わたしが愛用しているインターネット上のseslisozluk/セスリ・ソズリュックによると、iftar/イフタルとは「ラマザン中の晩ご飯」あるいは「ラマザン中の日没時間」)。

 さて、このiftar/イフタルは広告でも頻繁に登場します。夜明け前の食事から日没後の食事まで15時間余り何も食べないわけですから、iftarと呼ばれる食事はたいてい豪華。そのためテレビCMなどでも、iftarの……といった食べ物の宣伝がバンバン流れます。なかでも面白いのがヨーグルトのCM。それほど豪華でもないと思うのですが、iftarに……と確かダノンのヨーグルトを広告していました。お母さんが4個パックのヨーグルトをパチンと割ると、ぼんやりしていた子どもやおばあさんが音に反応……最後はみんな笑顔でヨーグルトを食べるという結末。あと、ラマザン中の食事は不規則ですから(しかも夜たくさん食べることになる)お腹にやさしいヨーグルトを……的なのもありました(笑。このへんは微笑ましいですね。テレビのニュースでもラマザン関連の話が毎日必ず出てきます。

 あ、そうそうテレビと言えば、今朝テレビを見ていると、なにやら日本のものらしきアニメが……。カードを使うと怪獣みたいなのが出て来てたからポケモンかなー? 実際見たことがないのでハッキリしません。でも、絵の感じが日本製では?と思わせます。台詞はもちろんトルコ語。日本アニメをトルコ語で見るって、なんだか不思議な感じ...でした。
 ※写真が、日本製らしきアニメの画面。あとは、その後に放送された別のアニメ番組(こっちは、どうみても日本製ではないですよね、絵が)。
 ※最後の写真は、iftar/イフタルに……とCMで流れていたアイスクリームに影響されて買ったアイス。シェアする人のいない1人暮らしなので、1週間くらいかけてゆっくり食べようと思っています・汗。