2008-08-22

いまのトルコが少し見えてくる本

2008.08.23

 『トルコ狂乱』から再び、トルコ本ネタです(ビミョーに古い情報でスミマセンッ)。


 今年の5月30日に藤原書店の学芸季刊誌『環(かん)』の別冊として『トルコとは何か(3200円+税)』が出ました(写真)。
 藤原書店と言えば、トルコ初のノーベル賞作家であるオルハン・パムクの著書を出している出版社。この別冊も、後半は〈オルハン・パムクの世界〉〈パムクおよびその作品と、トルコを考えるうえで必読の文芸論〉といった企画が立っていて、多少パムク・プロモーションの意図が感じられるものの、寄稿者の顔ぶれも多彩で読み応えのある一冊でした。※約1/3はパムク関連

 つい最近になって「やっぱり読んでおこう」と思って購入したのですが(最初は3200円という値段に腰が引けて手が出なかった)、冒頭の座談会(澁澤幸子[作家]+永田雄三[明治大学教授/オスマン帝国史]+三木亘[慶応義塾大学特選塾員/中東歴史生態学])をはじめ、一橋大学大学院教授・内藤正典氏の『トルコ共和国の根幹』、立教大学教授・設楽國廣氏の『イスラムとトルコ』、漫画家・横田吉昭氏の『トルコ漫画小史』、東洋大学准教授・三沢伸生氏の『日本・トルコ関係小史』などなど、本誌は既に知っている……と思っていたことを改めて見直したり、イメージや考えを修正する機会を与えてくれました。

 そんななか印象に残っている部分を少しだけ紹介します。
 まず、座談会にも登場した三木氏の寄稿から。
 「18世紀ー19世紀、決定的には19世紀に、近代ヨーロッパなる非常に暴力的なものが西北ヨーロッパから登場して、インド・ヨーロッパ語族だとか、黒と白と黄色の人種論だとかいう観念的なイデオロギーを発明して、自分たちは白で一番上等なインド・ヨーロッパ語族の大将なんだという奇妙な理論を展開した。
 19世紀以降のマイノリティなるものは、そのインド・ヨーロッパ語族なる言語理論が作り出したんだと思います。」

 インド・ヨーロッパ語族というと???だけど、つまりは帝国主義だと言い換えることができるでしょう。帝国主義を旗印として他の民族・国家を侵略する際に、マイノリティという思想を上手に利用した。クルド人の問題はまさにこれだ、と一刀両断に語ることはできませんが、多分にその要素を含んでいるだろうし、いまなおそれは続いていると感じます。


 もうひとつ気になったのは内藤先生の寄稿『トルコ共和国の根幹』です。
 「一体不可分の国民国家」「民主国家」そして「世俗国家」がトルコの基本原則だと述べたうえで、昨年の総選挙からギュル大統領選出、世俗主義政党の敗北と民族主義の高揚、軍の役割、大学生のスカーフ解禁、北イラクへの越境攻撃、そして現与党(AKP=公正発展党)への解散請求訴訟まで、直近の出来事を挙げながら現在進行形のトルコを論じていますが、一番印象深かったのはトルコ軍に関する記述でした。

 「トルコ軍というと、欧米ではトルコ民主化の障害であるかのように言われることが多い。」

 「外から見ていると、(トルコ)軍が相変わらず力をもって政治に介入しているように見える。トルコの場合、政治そのものは民主化が進んでいるから軍の干渉と映るのは当然である。だが、視点を変えてみると、軍が持っている別の側面が見えてくる。(中略)
 軍部は、“トルコ国軍が共和国憲法にのみ拘束されている”ことを明言する。もちろん、議会が派兵を決定すれば軍も従わざるを得ないのだが、それ以前に派兵が憲法上疑義があることを繰り返し主張する。だから文民統制が未成熟だと言われるのだが、結果としてトルコは2回の戦争とも派兵しなかった。トルコ軍の“武力行使を国家と国民の安全と一体性を守ること以外に認めない”という憲法上の規定に従ったからである。つまり、トルコの場合、“最強の護憲勢力が軍”だと言うことができる。」※文中の“ ”はわたしが付けました。


 1960年と1980年の2度のクーデタ、1997年には福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込んだ……など、文字面だけを追い、西欧的な視点だけで見てしまうと、トルコ軍というのがまさしく民主化の障害のように思えたりするのですが、その実体は違うように思います。
 もちろん、97年のように強権発動はもうできませんし、やれば国際世論からのトルコ軍バッシングは避けられません。それでも軍は常に警告を、世俗主義の守護者としてのメッセージを発信し続けています。こうした動きも結局はバランスの問題で、やりすぎてはダメなのだけど、トルコ軍の存在というのは、日本のそれや、諸外国のものとは一線を画すものとして見る必要があると感じました。 ※写真はトルコ軍の公式ウェブサイト(ビュユクアヌト参謀総長がすごい笑顔だ……こうして笑っていると長い顔もなかなかカワイイ♪ ちなみに彼はフェネルバフチェ・サポです)

 すでに述べたように、トルコでは世俗主義原則に反したとしてAKPに対する解散請求訴訟が起こされ、全世界の注目を集めました。国民によって選ばれた与党に対する解散請求です。New York Timesのコラムニストだったかは、これを「トルコは、イスラムの実験室である」というタイトルで論じていて、その論調は「もし解散させられるようなことがあれば民主国家ではないと言わざるを得ない」と匂わせるものでした。
 結局、7月末の憲法裁判所の判決は「違憲」でしたが、解散ではなく罰金刑が課されました(政党助成金半分カット)。

 この先、トルコがどのように変化していくのか。どんな解決策を見つけ出し、どこに着地するのか。まだまだ目が離せませんが、内藤先生の寄稿で、前よりは少しだけトルコ軍を理解できた気がするし、これからは軍部が出すメッセージ、スタンスなどにも注目しながら見守りたいと思います。

Yuksekova/ユクセッコヴァ

2008.08.22

 いまトルコで話題になってるひとりの若者がいます。それがハッカリ県出身の19歳、Irfan Toreci/イルファン・トゥレジくん。「ハッカリの羊飼いが、ハジェテペ大学の医学部に合格した!!!」と、あちこちのメディアで取り沙汰されています。

これがイルファンくん(なかなかの男前、というか優しそうな男の子です)→




 何がそんなにすごいのか。まずハッカリ県というのは、トルコの最南東部にある県で、イラクやイランと国境を接しているところです(地図参照)。15年前のベルリン映画祭で審査委員特別賞を受賞した『ハッカリの季節』という映画がありますが、その舞台となった場所で、3000メートル級の山々がそびえ、その渓谷に村々が点在していて、冬には雪に埋もれて外の世界とは完全に隔絶されてしまったりします。

 そんなハッカリ県ユクセッコヴァ郡の村で生まれ育ち、羊飼いをしていた青年が、ハジェテペ大学の医学部に合格。ハジェテペ大学というのは首都アンカラにある国立大学で、トルコでも指折りの知らない人がいない超有名大学です。しかもその医学部に合格したということで、たいへん話題になりました。

 田舎の青年が首都アンカラの有名大学に合格したくらいで……と思うかもしれませんが、彼の暮らしているハッカリ県というのは、PKKのテロ組織とトルコ軍が局地戦を戦っている場所でもあり、彼が住む村の山の向こうにはテロ組織が潜んでいるやもしれぬ……そんな場所なのです。また、彼は小さい頃に感電して右腕を失っており(村に医者がいれば、腕を失うことはなかった……と本人は語っています)、それもこのサクセスストーリーを揺るぎないものにしているようです。

 羊飼い、羊飼い、とメディアではことさら強調されていますが、本人によると「羊飼いをするのは当然です。(住んでいる地域では)みながこれをしなければならない。これこそが生活の糧」であり、職業として羊飼いを選んだのではなく、そこに生まれ育った人間なら当然の責務としてその仕事をする、と説明しています。※写真の羊飼いは、このイルファンくんです。おそらくメディアの要望もあってこの写真を撮られたようですが、本人は「うちの村では羊飼いの服を着ている人がたくさんいるから、自分もこの出で立ちで写真に撮られて満足」だったようです。


      
 さて、わたしもこのニュースを読んで驚嘆したのですが、気になったのはYuksekovaというところ。田舎、田舎と言われるけど、果たしてどんなところなんだろう……と思って探したら、この自治体のホームページにフォトギャラリーがあり、その一部を見ることができました。

 それがこちらの写真(→)。
市街地はそれなりに“街”になっていますが、まわりは見渡す限り山だと思います(Google Earthで見るとよく分かる)。こんなにキレイな場所のすぐ近くで対テロの戦闘が行なわれているなんて、にわかには信じ難いですが、悲しいかな事実なんですよね。

 でも、緑が本当にキレイ。水も澄んでいるようです(山の雪解け水かな?)。アンカラあたりだと飛行機から見ても乾いた大地って感じで緑がほとんど見当たらない、というかポツポツと木が生えている禿げ山っぽい感じなのですが、このあたりは本当に自然が美しいですねー。ヤバッ、行きたくなってきた。友だちを誘っても誰もいっしょに行ってくれなさそうだけど・泣。

2008-08-21

メテ先生 講演会/Mete Hocanin konferansi

2008.08.21

 ブログ更新からすっかり遠ざかってしまっています。ブログに取り上げる材料探しの時間もなく、夏だけが過ぎていきます。

 きょう、先日のブログでも取り上げた京都府国際センターでの“トルコ理解講座”ー講演会「ヨーロッパとアジアの狭間で」の報告です。……と言っても、当日はもっぱら裏方に徹してお茶とお菓子の準備に追われていたため、講演会そのものを聞くことはほとんどできませんでした(残念)。なので、この講演会を取り上げた産經新聞の記事を紹介してお茶を濁しておこうかと……(^ ^;;

 その記事がこちら。産經新聞8月18日(月)朝刊の京阪奈・京市内版(24ページ)に掲載されました。
 記事にもありますが、定員50名のところ申込者数が70名あり、実際の来場者も60人以上と大盛況。講演の方は聞いていないので何ともコメントできないのですが、ヴァクラヴァ(トルコのお菓子)とチャイ(トルコの紅茶)を喜んでくださった方も多く、まぁまぁ良かったかな……と思っています。

 メテ先生は講演の後の質疑応答の際に「トルコと日本は良い関係にあるけれど、この関係を継続・発展させていくためには個人間の交流をもっと促進するべきだ」といった主旨のことを言われたました。現在、トルコと日本をダイレクトでつなぐ飛行機=トルコ航空は毎日就航(7月6日〜9月8日の2ヶ月のみ)していますが、通常夏期は週6便。おそらく冬期は週4便に減るんじゃなかったかなー(うろ覚え)。一時は関空離着陸便がゼロになったこともあったし、単純に飛行機の便数だけでは計れないけれど、まずはこの路線が一年を通して毎日運行されるようになってほしいな、と思います。旅行者だけでなく、学生や研究者、ビジネスマンが互いに行き来し、それが継続すれば路線充実も約束されるんだろうけど。

 あ、そうそう。後で聞いたのですが、講演会でメテ先生は「自分も妻も黒髪なのに、金髪のクルクルカールの子どもが生まれた。それくらいトルコは民族が混じっている」と言って、トルコ人の混血性を紹介されたそうです。
 トルコには少数のエスニックもたくさんいるけれど、その民族がまったく他民族と交わらなかった……ってことは考えられないし、民族固有の言葉や文化を守るのとは別に、トルコで民族を主張するって難しい気がしました(良くないという意味ではなく、民族を主張できるほど純血ではないという意味で)。東西の十字路であったということは、それだけ人も往来したってことだし、そのなかで混ざりあって来たはずだから。

 去年もこのブログAttila Durakという写真家の話として「トルコはモザイクではない。つまり、モザイクのようにそれぞれの民族や文化の間に溝が存在しない。むしろマーブルのように混ざりあっている。」という言葉を紹介したのだけど、“血”という意味では本当にそうだと思う。それはマーブルのように混じりあって、もはや分けることはできないし、それこそがトルコ人だと思う。だから、伝統・文化の継承とは別のところで、エスニックをことさら主張するってことが、なんとなく虚しい気もするのです。だって、いま現在のトルコがそうした混じりあいのなかで重層的な魅力を生み出しているのだから。


 あー、メテ先生の話から相当ずれてしまった。すみません。
 ちなみに、Attila Durakの力作写真集(写真:実際に見て手にすると、すごいボリュームです。でかいし重い)は、Amazon.comでも買えます(リンクはトルコ語版ですが、英語版もあります)。

2008-08-11

Su Cilgin Turkler/トルコ狂乱

2008.08.11

 2週間以上のご無沙汰でした。
 この本を読んでいるあいだ、ずっとパソコンから離れていたのと、8月から再び〈書く〉仕事を始めてしまって、ちょっと書くことから遠ざかってしまいました。 相変わらず暑いですが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?

 さて、トルコで空前の大ベストセラーとなった『Su Cilgin Turkler』という本が日本語に翻訳され、『トルコ狂乱』というタイトルで7月23日に発行されました。数ヶ月前に日本語で出るらしい……という話は聞いていたのですが、出版社がどこか分からず頭の片隅にはあるけれど行動できない、という状況。偶然7月26日に来日したトルコ人の友人と晩ご飯を食べているときに「日本でも出版されたらしいね。新聞で読んだよ」と言われ、「えーっ!!! じゃあ、すぐ買いに行くっ!!!」と本屋に走り、約1週間で読み切りました。

 この本、副題が「オスマン帝国の崩壊とアタチュルクの戦争」となっているのですが、時期的にはイギリスのサポートを得てギリシャがアナトリアに攻め入り、後退したトルコが最後の戦いを仕掛ける、サカリヤ会戦前〜サカリヤ会戦〜イズミル奪還までを描いています。
が、純粋な歴史書ではなく、“小説”です。司馬遼太郎的な手法で書かれた本と言うと分かりやすいでしょうか。実際、読んでいる途中で何度も『坂の上の雲』を読んでいたときに似た感じを覚えました。

 司馬遼太郎の小説手法、また“司馬史観”と言われる歴史の見方には賛否両論ありますが、歴史に興味を持つ、歴史上の人物を知るきっかけとして、小説のカタチで歴史を記す、という方法にはある程度の効果があると思います(もちろん、その“小説”世界がすべてと思ってしまうと少々問題アリなのですが)。『トルコ狂乱』の著者トゥルグット・オザクマン氏は、最近のトルコの若者が自国の歴史を知らない(共和国建国の過程を知らない)ことを憂慮して筆を執った、といった類いのこともおっしゃっていて、入り口としては入りやすい入り口を作られたな、と思います。※写真がトゥルグット・オザクマン氏:どこかの本屋でのサイン会らしい(Vikipediaより)

 わたし自身、これまでトルコ建国についての(主にアタチュルクの)本を何冊か読んできましたが、いままでで一番「アタチュルクのトルコ」ではなく、「フツーのトルコ人のトルコ」が見えた本だったように思います。『トルコ狂乱』を読んで感じたのは、「現在のトルコを作ったのはアタチュルク個人ではなく、アナトリアに住んでいたフツーのトルコ人が、初めて“トルコ人”としての自覚を持って独立解放戦線に臨み、共和国建国の礎になったのだ」ということでした。アタチュルクは建国の父と言われますが、その母となったのは、間違いなくこの国民だったのだ、と思わされました。

 第一次大戦中に起こったアルメニア人の問題など「未解決」の問題が断定的にトルコ側からの視点で論じられるという部分もありましたが、現在のトルコがいかにして生まれたのか、“生みの苦しみ”がいかなるものであったかを知るには良い1冊ではないかと思います。また、この頃のトルコは帝国主義の何たるかを知るにも分かりやすいためオススメです。
 訳者あとがきによると、本著書はトルコで正規版が60万部、そして海賊版が300万部売れたという驚異の大ベストセラーだったそう(海賊版が正規版の5倍売れているあたり、トルコだなぁと、ちょっと可笑しかった。でも合計で360万部です)。3990円と高いのがちょっと痛かったけど、改めてトルコ共和国を生い立ちを学び直せた気がしています。 ※写真は大阪・堂島アバンザにあるジュンク堂書店に並んでいるところ。本屋によって〈小説〉コーナーに置いてあるところもあれば、〈人文科学〉系コーナー(専門書)に置いてあるところもあったりして、ややこしい。


 本当は前回の「チーズ天国」のつづきを書く予定にしていたのですが……(またいつか機会があれば書きます)。

2008-07-26

Peynir Cenneti/チーズ天国

2008.07.26

 なんとか天国……というと、自動的に♪ナーナナナナー ナナナナーナナーナーナナナー ナナナナー♪という歌声とともにウィルソン・ピケットのでっかい口が思い浮かぶわたしですが、今回はトルコのフォークダンスがBGMになりそうなお話です(!?)。

 先日、Radikal/ラディカル紙でこの記事を見つけてから時間を見つけてはずーっと翻訳し続けていた『チーズ天国』と題された記事。無類のチーズ好きなもので、タイトルと豊富な写真に心奪われてなんとか翻訳を完了しました。

 「トルコは、津々浦々の家々で、また近代的な工場で製造されるたくさんのチーズにあふれた〈チーズ天国〉だ……」という文章で始まる記事には、33枚もの写真とともに、トルコのさまざまな地方で作られているチーズについて詳細に綴られていました。

 最初に紹介されていたのは、ARDAHAN KUFLU PEYNIRI/アルダハン・キュフリュ・ペイニーリ(東アナトリア地方アルダハンのカビチーズ)。ふつう、それぞれのお家で食べる量を作っているそうで(地産地消ってやつですね)、あまり市場には出回らないのだとか。
 つづいて、ARDAHAN IKIZDERE TULMU PEYNIRI/アルダハン・イキズデレ・トゥルム・ペイニーリ(アルダハンのイキズデレ村の皮入りチーズ)。トゥルムというのは動物のなめした皮のことで、チーズを長く保存するために昔から使われてきたそう。この地域の皮入りチーズは牛のミルクから作られるそうです(写真上のような状況下で)。
同じ皮入りチーズで有名なのがエルジンジャン(トルコ東部の街)のもの。こちらは羊のミルクから作られているそうで、水分と分離させたあと塩をまぶし、香りを醸成するために18時間空気にさらす……という作業を何度も繰り返すそうです(写真下:おじさんが手にしているのがエルジンジャンの皮入りチーズ)。

 BINGOL'UN SALAMURA PEYNIRI/ビンギョルのサラムラ・ペイニーリ(ビンギョルの塩漬けチーズ)。家族が必要なぶんだけ作っている、という塩漬けチーズは、羊のミルクを太陽の光のもとで発酵させ、凝固してくるとリネンなどの袋に入れて水分を取り除くために搾りにかけられます。小さな塊に小分けされたチーズは塩水に漬けられて食べられる状態になるのを待ちます。

 ERZURMU'UN CIVIL PEYNIRI/エルズルムのジヴィル・ペイニール(エルズルムの裂けるチーズ)。低脂肪の牛、または羊のミルクから作られるチーズで、撹拌の過程で脂肪分をとばして作られるそう。繊維状になっているところがミソ。裂けるチーズは、まずエルズルムで売られますが、イスタンブルやアンカラの市場でもお目にかかることができるそうです(低脂肪なので、ダイエット中の人に好まれているとか)。写真:垂れ下がっているチーズのカタチだけ見ても美味しそうです。

 トルコはもとより世界の食卓においても欠かせないもののひとつとなったMANYAS PEYNIRI/マンヤス・ペイニーリ(マンヤス・チーズ=白チーズのひとつで、マルマラ地方にあるバクックエシル県にある街の名前をとってマンヤス・チーズと言われている。少なくともその歴史は200年。プロテインが豊富なため、同地域ではもちろん、ビジネスや政治、芸術、スポーツの世界でも推薦する人が多いのだとか。フランスの“ロックフォール・チーズ(ブルーチーズ)”と対をなす、100%天然のチーズとして作られているマンヤス・チーズは、胃や肝臓にやさしく、歯を白くすると信じられているのだとか(写真のチーズは一体何キロなんだろう???)。

 KARS'IN GRAVYER PEYNIRI/カルスのグラヴイェル・ペイニール(カルスのグリュイエール・チーズ)。カルスで作られているこのチーズが、近年は大都市においても注目を集めているとか。特に、外国人観光客を主要顧客とするホテルからの需要が高まっているそうです。良いチーズの見分け方は、まず外側が固いこと。さくらんぼ大の孔があいていること。切ったときの断面の色が濃い黄色であること。そして口にしたとき鼻腔を焦がすほどの香りがすること、だそう。完全無添加のこのチーズ、カルスでは1キロ25〜30YTLで売られているそうですが、イスタンブルやアンカラだともっと高そう。。。


 KONYA'NIN KUFLU PEYNIRI/コンヤのキュフリュ・ペイニーリ(コンヤのカビチーズ)。無脂肪の子羊のミルクから作られているこのチーズは、ふつうカラブナル、エレーリ、ジハンベイリといった羊飼いの多い地域で作られいます。自然にカビを発生させるため、発がん性のアフラトキシンの発生を防いでいるとか。



 KAYSERI'NIN COMLEK PEYNIRI/カイセリのチョムレッキ・ペイニーリ(カイセリの陶壷入りチーズ)。新鮮な羊、あるいは牛のミルクを濾過した後、陶壷に詰められて作られます(TUMLU PEYNIRIと基本同じですが、詰める容器が違うよう)。チーズはまずリネンの袋などに入れられて水分を搾られ、塊を手で砕いた後塩がまぶされます(翻訳が間違っていなければ、このとき一定量のキンポウゲ科の植物も加えられるよう)。これを陶壷に詰め、壷の口を固形油などで閉じて洞窟や家の床下などで準備された湿気のある砂に埋められて熟成を待ちます。食べられるようになるのは約3ヶ月後。


 MALATYA PEYNIRI/マラトヤ・ペイニーリ(マラトヤのチーズ)。これも、どうやらTUMLU PEYNIRIの一種のようですが……写真で見るとすごく美味しそうです。


 VAN'IN OTLU PEYNIRI/ヴァンのオトゥル・ペイニーリ(ヴァンの香草入りチーズ)。ふつう、東アナドル地方で25種類の植物を使って作られる香草入りチーズは、ミネラルが豊富で消化不良に効くと言われているそう。使われる香草は、シルモ(野生のニンニク)、メンド、ヘリス、シヤボ、ミント、タイムといった植物(メンドやヘリス、シヤボがどんなものか、調べましたが分かりませんでした・汗)。春に山々で摘まれ、塩漬けにされたあとチーズに加えられるそうです。香草入りチーズは他の地域でも作られていますが、ヴァンのものが最高品質との評判が高いようです。


 CEVIZLI KASAR PEYNIRI/ジェヴィズリのカシャル・ペイニーリ(カシャル・チーズ)。トルコに旅行すれば、おそらくホテルの朝食で前述の白チーズと、このカシャル・チーズが食べられるはずです。それくらいポピュラーなカシャル・チーズですが、アンタルヤ県のジェヴィズリのカシャルはちょっと違う。自然に囲まれて育った地鶏ならぬ地牛や水牛のミルクから作られるチーズは、ふつう9キロのミルクから1キロのチーズを作るところ、15キロのミルクを使って1キロのチーズが作られるという高級品。塩の含有量も低く、ワインの甘みを味わうときに最適だそうで、チャイジュマ乳業工場では「Le Gout de Vin」というブランドでワインチーズとして売りに出しています。同社の社長によると「白チーズとモツァレラチーズを混ぜ合わせて作られた製品で、ワインにぴったり」。150グラム入りのパッケージで、3YTL程度で売られているそう。

 SAMSUN'UN CIG KESIK PEYNIRI/サムソンのチー・ケシッキ・ペイニーリ(サムソンのフレッシュ凝固チーズ???)。トウヒ(マツ科の常緑針葉樹)に囲まれた高原で、タイムなどの多彩な牧草を食べて育った羊のミルクから作られます。このチーズには県外からの特別注文があり、近年は国外からの注文も舞い込んでいる模様(←その場合は、もうお家の手作りじゃなくなるんでしょうか???)。

 TRABZON'UN TELLI PEYNIRI/トラブゾンのテルリ・ペイニーリ(トラブゾンのワイヤーチーズ/繊維チーズ)。東黒海地方の高原で育った牛から搾られたミルクが主要成分。カシャル・チーズに似た黄味がかった色で、塩分少なめの繊維状に分かれたチーズ。温めると伸びる。おそらく、前述のジヴィル・チーズに似た感じと思われます。同チーズの職人さんによると「伝統的にトラブウゾンや、同郡の村々の女性たちによって作られているが、近年は工場での生産も増えている」そう。四季を通じて作ることが可能なチーズですが、食べるのに一番適しているのは冬だそう。

 EZINE PEYNIRI/エジネ・ペイニーリ(チャナッカレ地方のエジネ・チーズ)。カズ山の北や東のエリア、エジネやバイラミッチ、アイヴァジュックの自然と湧き出る泉のなかで育てられた羊、ヤギ、牛のミルクから作られるチーズ。トルコの最も美味しい白チーズとして知られ、その名を聞くと誰もがチャナッカレを思い起こすエジネ・チーズは、特定地域で生産されたミルクを使用していることが保証されているそう(トルコ特許庁により、地域を示す特許証明書も発酵されている)。また、エジネ・ブランドには協会が存在し、その協会のエンブレム〈EPD〉のないチーズは、本物ではないとされます。ちなみに高品質のエジネ・チーズは明るい黄色で、固さは中くらい。チーズには少しだけ小さな孔があるはずで、脂肪を成分とするクリームの味がするそうです。

 後半につづく。

2008-07-23

宗教という壁

2008.07.23

 じぶんでも答えのでないことについて書くのはどうか、とも思うのだけれど、やっぱり気になったので取り上げました。きょうはRadikal/ラディカル紙で見つけた記事から。

 Almanya'da Musluman korkusunun simgesi/ドイツにおけるムスリム恐怖の象徴

 そう題された記事の内容は……というと。
 「ドイツでは、いま現在180を超えるモスクの建設が計画されている。特に、金曜礼拝のときにモスクはいっぱいになり、ベルリンにあるウェディング地区のモスクでは場所の見つけられない信者が通りに溢れる。モスクは、ただ礼拝のためだけでなく、ムスリムにとっては文化的共有が行なわれる場所であり、また社会的な活動が活発なところもある。特にラマザン(断食月)にはトルコ人だけでなくドイツ人に対しても食べ物がふるまわれる(イフタル・ソフラスと呼ばれるもの)モスクもある。

 一方で、ドイツにおいてモスクの数が増えていることは、右派だけでなく左派の政治家たちをも動揺させている。政治家たちは、ムスリム自身のライフスタイルで生きる社会が、モスクによってより簡単に実現されると考え、またそれを恐れている。

 ドイツのケルン市エーレンフェルト地区に、トルコ・イスラム連合(という団体)が建築したいと考えている現代的な中心的モスクが、いまこの恐怖の象徴となった。建築されるのは原子力発電所やミサイル基地ではない。しかしドイツ人を中心に波及した恐怖はこれらに等しい。年老いたドイツ人女性は『ミナレット(尖塔)がミサイルを思い出させる』と語った(同モスクは高さ50メートルを超えるふたつのミナレットを備える)。このモスクは、ケルンで暮らし、特に金曜礼拝において場所を見つけられないという問題を抱えるドイツのトルコ人にとって大きな意味を持っている。

 ケルン市のフリッツ・シュラマ市長は「モスクは、イスラムを裏通りから中心部へと連れ出し、おそらくは狂信的なムスリムたちの影響から救いだす」と語った。
 ドイツ人の大部分はケルンのモスクを、過激派イスラムと、ケルンで暮らすおおよそトルコ人からなる12000人のムスリムとの統合否定のシンボルとして見ている。

 ドイツのムスリム化の第一歩と見られる巨大なケルンのモスク建設を阻止するため、プロ・ケルンという名の過激右派の団体が設立され、ケルンの市議会選挙において5席を獲得。また、プロ・ケルンは、4月17日にトルコ・イスラム連合に対し、モスク建設を中心させるためのデモを敢行。デモにはドイツ人だけでなく、オーストリアやベルギーの過激右派政党の代表たちも参加した。過激右派は、ドイツにおけるモスクの増加により、ムスリムが急進的かつトラブルの種になると主張している。

 トルコ・イスラム連合のサディ・アルスラン会長によると、この恐怖は不必要なものであり、危険なものではないと語っている。
 ドイツ社会からの反対により、モスクのサイズは縮小された。しかし、ミナレットの高さ、長さについては譲歩されなかった。いずれにせよ、ケルンのモスクに関する議論は長期化する見通しだ」

 以上が記事の要約。

 どうなんでしょう? わたしはいま京都に住んでいますが、この街にたとえばカソリックがすごく増えたとして、巨大なカソリック教会ががんがん増えたら……(ちなみに街には教会もたくさんありますが、それほど目立ちません。教会の鐘は聞こえてくるけど。あと京都御所の東側、寺町通り沿いにも教会があります)。いや、別に増えても構わないけど、清水寺の前あたり、産寧坂の途中にどどーんと教会が建ったら、やっぱりイイ気分ではないような気がする。それは景観的な違和感……ってことなんだけど。
※写真は京都・柳馬場通夷川下ルにある京都ハリストス正教会、上京区下立売通烏丸西入ルにある聖アグネス教会(←ふたつとも、むしろ京都に馴染んでいる感がある)

 反対に時代の流れ、歴史の流れとして、変わっていくことはすごく自然なことのようにも思えます。わたしたちが当たり前と思って見ているものだって、実はどんどん変わっている。歴史あるヨーロッパの街だって100年前と同じかと言えば全然違うわけで。もし、景観を守るっていう意味で異文化的なものを拒むのだとしたら、ここ100年のあいだに建てられた近代的なビルなんかはいいのか、ってことになる。世界遺産に登録されているような歴史地区にマクドナルドやスターバックスが乱立するのはいいのか? 歴史的に意味のある遺跡の上にホテルを建ててもいいのか? 京都だって実際どんだけマンションが乱立していることか。町家、町家と言われるけれど、実際町家はマンションの谷間にひっそりと建っている。

 ドイツという国が、第二次世界大戦を経て国家再生のために移民を奨励した時代があり、その結果としていま現在のドイツがある。そう考えればモスクが建つのも時代の自然な流れなのでは? と思います。ケルンに建設予定のモスクが世界遺産にも登録されているケルン大聖堂のすぐ近くに、まるで対抗するように建つ、というなら問題かなとは思いますが(でもケルン大聖堂の高さは157メートル。50メートルのミナレットなんて小さい、小さいっ)。ミナレットも50メートルっていうけど、どれくらい目立つものなのか。京都タワーは100メートルだけど、河原町辺りからじゃまったく見えない。それに、モスクが必要なほど移民が増えているってことが、戦後ドイツの現実でもあるのだし。

 今年はブラジル移民100周年だけど、ブラジルには日本の仏教がどれくらい浸透しているのかな(新興宗教も多いらしいけど)。ドイツでのモスク建設反対の記事を読んで、ブラジルにおける宗教はどうなのだろうと、ちょっと気になりました。

2008-07-22

学生選抜試験の心のチャンピオン

2008.07.22

 きょうはRadikal/ラディカル紙の7月20日付けのニュースから、ちょっと嬉しくなったお話を。

 見出しは『学生選抜試験における心のチャンピオン』。
 父親が病気になったため家族全員の暮らしを背負って働きつつ、初等および中等教育を学校外で修了した若者が、24歳で初めて受験したOSS(学生選抜試験=かつての共通一次のようなもの)で(全トルコ受験学生中)866番になった。

 Ali Tasar/アリ・タシャルは、メルシン県クムクユ市で2部屋の賃貸住宅に暮らす8人の子持ちのタシャル家の最年長の子ども。まず彼の人生を変えたのは、彼の父が胃潰瘍に冒されたときだった。父が数日働いては数ヶ月床に臥さなければならなくなると、初等教育の第7学年になろうかというアリと、3人の兄弟たちは学校に行けなくなった。家族全員の食い扶持を稼がなければならなくなったアリは、最初の仕事で3人の兄弟を再び学校にやった。このとき、彼自身は学校へ通う同級生を目にしては泣いていた。

 彼の人生を変える2番目のときは、友だちが「Acik Ogretim/オープンスクールでなら、学校に行かなくても学べるよ」と言ったときだった。
 「昼間はぶどう園や養蜂場で働き、夜は勉強に励みました。一度も留年することなく高校までの勉強を終えました。予備校には一度も行ったことがありません。でも、今年OSSに向けて準備しているとき、先生がアダナにある予備校に行くよう薦めてくれました。アダナにあるこの予備校は、わたしに無料授業を保証してくれたんです」

 すべての努力が実り、アリは今年、24歳で初めて受験したOSSのEsik Agirlık 2 (国語と数学の試験らしい)で343.812点を獲得。メルシン県で(OSSを受験した学生のなかで)21番目になり、トルコ全土でも866番になった。アリはいま、望む県の誰もが知っている伝統ある大学のひとつへ行ける。しかし、彼は大学選びでも兄弟のことを考えなくてはならない。

 アリの兄弟のひとり、トプラックは去年ウスパルタ・アナドル高校に合格した。22歳のディレッキはオープンスクールで初等教育を修了した。アイスンは今年アリとともにOSSを受験した。「ずっとアンカラ大学の法学部で学びたいと思っていました」と語るアリは、妹とといっしょに学べる大学を選ぶことになる(別の街で暮らすと高くつくので、兄弟いっしょの街で住める大学を選ぶということ)。


 あきらめないってスゴいですね。もちろん家族の協力もあったと思うけれど、大学に行きたいという気持ちをあきらめずに勉強を続けたからこそ、24歳にして大学生になれる機会が掴めたんだと思います。

 思うに、こういう話って日本でもたくさんあるんじゃないかと思います(事情や状況は多少違ったとしても)。ニュースにならないだけで。やれ「中学生がバスジャック」だの「娘が父親を刺殺」だの、妙なニュースばかり何度も何度も繰り返し報道する代わりに、こういう〈がんばっている若者〉の姿を伝えてほしい。きっと勇気づけられたり、自分もがんばろうって気になる人だっていると思うし。フツーの人が、フツーにがんばっている姿って、一番心に響くんじゃないかなーと思います。

 ※写真はいずれもRadikal/ラディカル紙の記事から。

2008-07-17

Unutulmaz tadi

2008.07.17

 きょうは久々にトルコの思い出話を書こうと思います。

 トルコ料理はうまいっ!と思っているわたしですが、なかでも一番おいしかったと思い出すのはカドキョイにあるCiya Sofrasi/チヤ・ソフラスの料理です。あれは2年半前の冬だったでしょうか。雪は降っていなかったけれど、すごく寒かったように記憶しています。そんなとき胃袋に突き刺さったのが、Sarimsak Asi/サルムサック・アシュという料理。

 サルムサックとはニンニクのことですが、この料理のニンニクはネギのようなカタチをしていて、わたしの知っているニンニクではありませんでした。ニンニクの芽とも違ったし、種類が違うのでしょうか。子羊の肉も使われているのですが、しっかりと「俺様はニンニクだっ」と主張している香りと味のおかげか肉のクセはまったく感じません。それどころか、じっくりと煮込まれた肉はとろけるよう。そこにネギのようなニンニクがたっぷりと絡んで、えも言われぬ美味しさを紡ぎだしていました。

 あまりの美味しさに感動し、ギャルソンのおじさんに「レシピを教えてもらえませんか?」とお願いしたけれど「それは秘密」とつれない返事。取りつく島も無く教えてもらえませんでした。ほかにも2〜3品食べたはずだけど、サルムサック・アシュの印象が強烈すぎて何を食べたのかまったく覚えていません。その数日前にもウスキュダルにある結構有名なレストランに連れて行ってもらったのに〈お腹がいっぱいになりすぎて、翌日何も食べられなかった〉ってことしか覚えていません。他の料理を記憶から消し去ってしまうサムルサック・アシュの存在感は、これからも変わることはないでしょう。

 Ciya Sofrasi/チヤ・ソフラスは、カドキョイの船着場からそれほど遠くないGuneslibahce Sokakにあるので、イスタンブルに行かれたら、ぜひ一度は足を運んでみてください。すぐそばにケバブやピデを気軽に買えるスタンドもありますが、こっちを食べちゃうとレストランの料理が胃袋に収まらなくなります・汗。

 ちなみに、Ciya Sofrasi/チヤ・ソフラスのオーナーは、1960年ガーズィアンテップ生まれ。イスタンブルに店を開いたのは1987年(最初はケバブやピデ、ラフマジュンを売るスタンドから)。それほど古いお店ではありませんが、アンテップと言えば美味いトルコ料理の代名詞。期待を裏切らない美味しさに出会えること保証付きです。
 お店の詳しい所在地はこちら。お店のウェブサイトでもおいしそうな料理がたくさん見られます。

2008-07-16

Istanbul, Avrupa'da en iyi 3. sehri oldu

2008.07.16

 Radikal/ラディカル紙、7月15日付けの記事によると、アメリカの有名な旅行雑誌『トラベル&レジャー』誌のアンケートで今年、イスタンブルは〈欧州で最も良い街〉の第3位に選ばれたそうです。

 同誌が毎年読者アンケートをもとに選出しているWorld's Best Award。世界で最も良いホテル、航空会社、クルーズ、街、諸島ともに、各地域における〈最優秀〉も選ばれる同賞の2008年度版が発表されました。

 これによると、イスタンブルは〈欧州で最も良い街〉第3位。世界的に人気の高いパリやプラハ、ベニス、バルセロナ、ウィーンを抜いて第3位です(ちなみに1位はフィレンツェ、2位はローマと、どちらもイタリアの都市)。
 また、〈世界で最も良い街〉においてもイスタンブルは100点満点中84.61点を獲得して第9位。気になる1位は……バンコクだそうです。2位はブエノスアイレス、3位はケープタウン。続いてシドニー、フィレンツェ、ペルー、ローマ、ニューヨーク、サンフランシスコなどが選ばれています。

 同誌では前述のカテゴリー(ホテルなど)での選出も行なっていますが、イスタンブルのスルタンアフメットにあるフォーシーズンズ・ホテルは〈欧州で最も良いホテル〉の第7位(ちなみに1位はフランスにあるDomaine des Hauts de Loireでした)。さらにさらに、昨年はEurope's Best 50にもランクインしていなかったチュラーン宮殿ホテル(Ciragan Palas Kempinski)が第14位にランクイン! 〈世界で最も良いホテル〉としても第67位になりました! このほかスイスホテル・ザ・ボスフォラスも〈欧州で最も良いホテル〉の第26位に入っています。

 チュラーン宮殿ホテルなんて憧れのまた憧れで、足を踏み入れたこともないけど死ぬまでに1度は行ってみたいなー(フォーシーズンズは中に入ったことがあるし、中庭でカプチーノも飲んだから満足。支払いは自分でしなかったので知らない・・・汗)。
 いまチュラーンのウェブサイトを調べてみたら一番安い部屋で472ユーロ(食事・税別)。つまり、素泊まりで78,265円です(本日レート換算)。タッッッッッッッッッカーーーーーーイッ!!! 反対に一番高いグランド・スルタン・スイートは5,803,525円。想像を超えすぎて、よく分かりませーん。確かにスルタンな値段だわっ。 アラブの石油王とかならポンッと支払えるのかしら???

 トルコ好きとしてはちょっと嬉しいニュースだったので日記に書いてみました(最近の新聞はエルゲネコンとか、アメリカ領事館襲撃とか、AKPの解党訴訟とか……楽しくないニュースばかりで面白くなかったのです・泣)。

2008-07-12

トルコ理解講座のお知らせ

2008.07.12

 きょうは〈トルコ理解講座〉のお知らせです。

 来る8月10日(日)15:00より、京都府国際センター会議室(京都駅ビル9F)にて〈トルコ理解講座〉が開催されます。講演者は、トルコにおける日本語および日本文化研究の第一人者として知られるメテ先生です。







 詳しくはこちら→http://www.kpic.or.jp/npo/turk/index1.html

 Ahmet Mete Tuncoku/アフメット・メテ・トゥンジョク
 1946年 トルコ・デニズリ生まれ。
 1969年 アンカラ大学 政治学部 国際関係学科 卒業
 日本の京都大学法学部にて修士号(1973年)、博士号(1978年)を取得
 1990年よりトルコの中東工科大学教授
 1992年ー1993年 チャナッカレ・オンセキズ・マルトゥ大学の創設に関わり、初代総長となる。
 現在は、中東工科大学 教授

 メテ先生を直接には存じあげませんが、わたしのトルコ語の先生の先生であり、また友だちたちにとっても先生であるため、名前だけはよく知っていて、知らない人という印象がありません。
 そんなメテ先生についてのエピソードをひとつ。トルコ人の友だちから聞いた話です。2001年9月11日の事件をご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、事件の真相がまだハッキリせず、誰もが「一体何が起こっているのだ」と情報が混乱しているとき、トルコでは「日本人によるテロ」というデマが流れたのだそうです。その際、日本語と日本文化研究の第一人者であるメテ先生にもメディアからのインタビューがあったのですが、メテ先生はきっぱりと「日本人ではない。日本人はこんなことはしない」とおっしゃったそうです。まだ、情報が錯綜している段階で、なぜ「日本人によるテロ」というデマが流れたのかは分かりませんが(オサマ・ビン・ラディンがビデオのなかで日本のカミカゼ特攻隊について触れ、日本人なら理解してくれるだろうと語っていましたから、あのへんからデマが流れたのかもしれませんね)、そんなときもメテ先生は断固とした態度で、その情報がデマであると言われたそうです。

 もちろん、国際関係の研究者で、日本語や日本文化にも通じ、また政治学なども専攻されていた方ですから、冷静に考えて日本人テロリストがアメリカの貿易センターに特攻をしかける……なんて考えにくいとは思うのですが、それでもこの話を聞いて、すごく頼もしいと感じました。

 いまトルコに住んでいる友だちも日本のことが大好きで、言語・文化にも通じていますが、やはり何年も住んでいるうちに日本の欠点だって見えただろうし、イヤな人間にも会ったはずです。でも、世界中で報道された秋葉原の事件が起こったとき、トルコでも話題になってネット・コミュニティーで日本や日本人を悪く言う人が出て来たとき、「1人の日本人の行為で日本全体を語ってはならない」「日本はあなたが言うような国ではない」と諭してくれたそうです。

 そんなふうに日本を愛してくれるトルコ人がいることを、わたしはとても嬉しく、そして頼もしく感じます。

 ちょっと話がズレてしまいましたが、メテ先生の講演が聴けるってすごいことだと思いますので、トルコに興味がある皆さん、ぜひ参加してみてください!

2008-07-10

Turku/トルコ民謡が物語るもの

2008.07.10

 きょうはRadikal/ラディカル紙で見つけた記事。この夏、もしボドルムやマルマリス、フェティエなど、トルコのムーラ県にあるリゾート地に行く……という方は、ちょっと足を伸ばしてみませんか? バスで行けるのかどうかは不明ですが(汗。レンタカーだと結構簡単に行けそうなところのお話です。 (写真はGoogle Mapで検索したCaybuku村と、そこにある喫茶所)

 年間4万人が訪れる〈ベレン喫茶〉

 トルコ南西部、エーゲ海地方のムーラ県にあるCaybuku/チャイビュキュ(昔はゲベネスと呼ばれていた)という小さな村に有名なトルコ民謡「Ormanci/森の番人」に登場する〈ベレン喫茶〉があります。ムーラ県によって修復され、2005年4月6日に新しくオープンしたこのお店では昔のようにボードゲームのチェッカーが楽しまれ、定期的に民謡「森の番人」が奏でられ、年間平均4万人の観光客が訪れる観光スポットになっているそうです。

 民謡で歌われる事件は、とても単純な言い争いから起こりました。
 地主の息子であったムスタファ・シャフブダックと、村長のテヴフィク・ジェザイルは親友でした。毎晩、村の喫茶所でチェッカーに興じるふたりの姿はいつも喫茶所にいる者たちに目撃されていたそうです。
 1946年の7月のある日、事件は起こります。ムスタファとデヴフィクは、いつものように村の喫茶所で頭を付き合わせ、くだんのボードゲームに興じていました。ゲームも中盤にさしかかった頃、「黄色いメメット」というあだ名で知られる森の番人メフメット・インが酔っぱらって突然店に入ってきました。
 ちょうどその前日、近隣の農村で火事があり、森の番人はその報告書を郡の役所にもっていくため村長のところの門番に留守を頼みたいと言いました。村長は、門番が別の街に行く予定があるからダメだと答え、言い争いが始まりました。
 最初、森の番人がチェッカー板にげんこつを振り下ろしました。いっしょにいたムスタファはこのふるまいに我慢できず森の番人を殴ります。言い争いが大きくになるにつれて森の番人は短剣を取り出してムスタファの腕を斬りつけました。これに対してムスタファは森の番人を脅そうと銃を取り出して発砲しました。ところが銃弾は親友である村長のテヴフィクに当たってしまいます。彼はすぐに病院に運ばれましたが手遅れでした。彼は手を振ってムスタファを呼び、「わたしは死ぬ。キミを許すよ」と言って事切れました。 ※写真左が森の番人のメフメット、中央が亡くなったテヴフィク、右がムスタファ(事件当時24歳)※写真はかつての〈ベレン喫茶〉の面影

 親友を失ったムスタファは気落ちし、争うのを諦めて4年の刑に服しました。また、森の番人のメフメットは「もうこの地にいられない」と転勤を願い、カヴァクルデレの森林局へと移ったが、退職後再びムーラへと移り住み、90年代の初めに亡くなった。ムスタファも刑務所を出たあと、辛い思い出がいっぱいの場所では暮らせないとムーラへ移り住んだ(2005年3月28日にイズミル・エーゲ病院にて83歳で逝去)。そして伴侶を失ったテヴフィクの妻はその哀しみに耐えられず数年後に正気を失ってしまった。

 そんな村の悲しい物語をムスタファの母方の親戚であった粉屋のピシリ・タヒル親方(↑写真)が民謡にして歌った。

 「Ormanci/森の番人」というトルコ民謡の舞台となった〈ベレン喫茶〉は村を見下ろす丘の上にある。喫茶所のあらゆる場所に、この民謡の内容を紹介する文章が貼られている。この喫茶所で民謡を歌う者のリストにはKemal Aydin/ケマル・アイドゥンの名前も見られる。(以上、Radikal/ラディカル紙より抜粋)


 最近、NHKの『シルクロード ローマへの道 第11巻 騎馬・隊商の道』という本を読んで、Ask/アーシュクと呼ばれるトルコの吟遊詩人に興味をもっていたので、この〈ベレン喫茶〉にも行ってみたくなりました。地のトルコ民謡を聴いてみたいっ!!! ムーラというと、まだ行ったことのないわたしのイメージは映画『Dondurmam gaymak』の世界なのですが、あののんびりした時間と〈ベレン喫茶〉の空気感が重なって、日常とは違う時間を過ごせそうな気がするのです。