2008.12.18
きょう、Radikal/ラディカル紙で見つけた「靴が世界メディアのトピックになったーー風刺漫画家たちが、ブッシュへの“靴抗議”を描いた」から。結構笑わせてもらいました。
もちろん、たくさんの方がご存知だと思います。イラクでのあの事件を……。
わたしが一番気に入ったのは、こちら。
「Benim için kucuk ama insanlık için buyuk bir adim / わたしにとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」と題された、このカリカチュア。確かに。あの行為に溜飲を下げた人は多いのではないでしょうか。彼が、情状酌量されることを願っています。
ちなみに『Penguen』は、トルコとキプロスで発行されている週間のユーモア雑誌です。
これも結構好き。『Nike 7 / ナイキのサイズ7』『We believe you'll be safe in the event of any shoe attack in the future. Some agent, however, have created wish lists / 今後はどんな靴攻撃にも安全です。幾人かのエージェントはウィッシュ・リストを作ってますけど』
『ilk ayakkabi aniti / ファースト・シューズ・メモリアル』『Mucadelemiz boyle mi basladi baba? Yok yavrum iskaladi / ぼくたちの逃走はこんなふうに始まったの、パパ? いいや息子よ、外したんだ』
銅像立てても良いと思います。個人的には。それぐらい腹に据えかねるものがあったのだと。ジャーナリストとして別の抗議方法があったはずだ……と書かれていたのも読んだけど、そんな理性的な範疇を超えた怒りが彼にはあったのだと思います。
拍手!!! Aynen oyle!!!
このほかの作品について、ご覧になりたい方はこちら。
あ、そうそう。きのうのYeni Safak / イェニ・サファクという新聞には、この“投げられた靴”がトルコ製だと報じていました。
イスタンブルのアルトゥンシェヒルで操業する靴工場 Baydan Ayakkabicilik のものらしく、オーナーの Ramazan Baydan さんは、あのシーンがテレビで放送されたあと、イラクの顧客からたくさんの電話注文をもらったとか。注文数も1日で前日の200%になったのだそうです。ちなみに、あの靴は片足が300gで、トルコでは3000円弱、イラクでも3500円ほどで売られているもので、Baydan氏は「たとえブッシュの頭に当たったとしても怪我はしなかった」と語っています。
2008-12-18
2008-12-06
bir iki uc dort bes alti yedi...
2008.12.06
トルコ人の友だちから「このあいだNHKを見ていたら、突然トルコ語の数字を歌っている歌が出て来た」と聞き、それは見逃せないっ!とインターネットをサクサクしてみました。
NHKの『みんなの歌』の10〜11月に流れたいた曲で『数え歌』といい、池田綾子さんという女性が歌っておられます。YouTubeで探して聞いてみると、とても気持ちの良い、ステキな歌でした。バックに流れているアニメーションもかわいくて素敵。最後に子どもたちの手がつながって、地球を包み、それが女の子の瞳になって終わるのもかわいかった☆
それにしても、かつてはこうした歌にトルコ語が出て来るなんてなかったのに。いろんな国の言葉があるなかで、こうしてトルコ語が歌に取り入れられているのは、すごく嬉しかったです。
ぜひ、みなさんも聞いてみてください。YouTubeで視聴するならこちら。
トルコ人の友だちから「このあいだNHKを見ていたら、突然トルコ語の数字を歌っている歌が出て来た」と聞き、それは見逃せないっ!とインターネットをサクサクしてみました。
NHKの『みんなの歌』の10〜11月に流れたいた曲で『数え歌』といい、池田綾子さんという女性が歌っておられます。YouTubeで探して聞いてみると、とても気持ちの良い、ステキな歌でした。バックに流れているアニメーションもかわいくて素敵。最後に子どもたちの手がつながって、地球を包み、それが女の子の瞳になって終わるのもかわいかった☆
それにしても、かつてはこうした歌にトルコ語が出て来るなんてなかったのに。いろんな国の言葉があるなかで、こうしてトルコ語が歌に取り入れられているのは、すごく嬉しかったです。
ぜひ、みなさんも聞いてみてください。YouTubeで視聴するならこちら。
2008-12-01
Piyano ile konusan adam, Fazil Say
2008.12.01
きのう11月30日(日)、びわ湖ホールで開催された〈ファズル・サイ ピアノリサイタル〉に行ってきました。
びわ湖ホールは、その名のとおり、びわ湖岸に建つ複合ホール。リサイタルの行なわれた大ホール横のホワイエの壁面は全面ガラス張りで、見事なびわ湖の眺めが一望できました。ちょうど左手、比叡山のあたりはキレイに色づいた山肌が広がり、ふだん山に囲まれた閉塞的な眺めしか目にしていないわたしは、思わぬ開放感を味わうことができて大満足でした。
さて、ファズル・サイのリサイタルはというと……。
日本に来て風邪を引かれたのか、体調的には万全という感じではありませんでした。時折、鼻もグズグズしていたようだし。
それでも、いったん演奏が始まれば別世界。ふだんクラシックにはあまり縁のない暮らしをしていますが、彼の演奏は目をつぶって聞いていると、いろんな映像が次々に現れて来て、まるで映画をみているような不思議な気分を味わいました。
リサイタルは、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』から始まったのですが、演奏中ずっと「ザーザーと雨が降ってきて、止んで、雨の雫をたっぷりと含んだ野草から、ポロンポロンと雫が飛んで……」とか、「びゅーびゅーと風が吹いて大木がざわざわと梢をふるわせ、そのあいだから小鳥たちが飛び立ち、森の動物たちがあちこちを走りまわり……」そうかと思えば「風がおさまって太陽の光が雲の合間から差し込んで草原を照らし、飛び立っていった小鳥たちが梢に戻って来てピピピッとさえずりあう」そんな映像が次から次へと目の前を通り過ぎていきました。
『展覧会の絵』がどういう経緯で作られた曲なのか知りませんが、とにかくファズル・サイの演奏を聴いているわたしの目の前には、本当に映画のような映像が次々と浮かんできました。
20分あまりの演奏が終わると、一時休憩。なんだかドッと疲れてしまいました。それぐらい目まぐるしく、いろんな映像が迫って来たのです。
休憩後は、彼の作曲である『ブラック・アース』から始まりました。このときはなぜか海の中の映像が次々に浮かんできて、まるで魚になった気分。深くもぐって暗い暗い深海を大きな魚になって泳いでいると、目の前に深海魚らしき、でもよく見えない何かがいる。だんだん海上に近づいて来ると、太陽の光がキラキラと反射するなかを、色とりどりの小魚が織物のように動いている。ザパーッと海上に顔をだし、ひととき空を眺め、海原に身を任せたあと、再びザブンッと海のなかへ……そういう映像が、演奏中ずーっと浮かんでは消えていきました。
その後は『パガニーニ・ジャズ』『トルコ行進曲:ジャズ風』(この2曲は、すごく気に入りました。聴いていてウキウキしてくるというか、踊りだしたくなるというか、席に静かに座っている気分ではありませんでした)、さらに『3つのバラード』と続いたあと、最後はガーシュインの『サマータイム・ファンタジー』『ラプソディー・イン・ブルー』。
ファズル・サイは終止、ピアノと会話するように演奏していました。目をつぶって聴いていると、どこからかハミングのような音が聞こえて来て、誰だ? と思ったら彼本人がそう口ずさんでいたり。あれは、ピアノに話しかけていたのかしら?
最後、鳴り止まぬ拍手に応えてファズル・サイは『ウスキュダル』を演奏。これは良かった。嬉しかったです。最近はトルコを去るようなことも口にしていたファズル・サイですが、最後に有名なトルコ民謡を演奏してくれたのだから。
ところで、わたしだけかもしれませんが、ファズル・サイのリサイタルはすごくエネルギーの要るものでした。うまく表現できないのですが、彼は演奏しながらものすごいエネルギーを発しています。で、そのエネルギーが自分にもビンビンと響いてくるのですが、それで終わらない。彼が発したエネルギーは聴いているわたしに届いたあと、また彼に帰っていくような気がするのです。のんびり演奏を聴くという感じではなく、その世界にグググーッと引っ張られていくような感じ。終わった後は、本当にドッと疲れてしまいました。
クラシックのコンサートって、こういうものなのかしら???
明日は大阪のいずみホールで、関西方面での最後のコンサートがあります。その後は東京で〈ファズル・サイ・フェスティバル〉が控えています。チャンスのある方は、ぜひぜひ、彼のコンサートに足を運んでみてください。個人的には思っていた以上に良かったです。
※写真は、きのうのコンサートちらし、きのう買ったDVD(「鬼才!天才!ファジル・サイ!」)とCD(「スーパー・デュオ! 」ファズル・サイ&パトリシア・コパチンスカヤ) なかなか奔放な感じのするサインです。
きのう11月30日(日)、びわ湖ホールで開催された〈ファズル・サイ ピアノリサイタル〉に行ってきました。
びわ湖ホールは、その名のとおり、びわ湖岸に建つ複合ホール。リサイタルの行なわれた大ホール横のホワイエの壁面は全面ガラス張りで、見事なびわ湖の眺めが一望できました。ちょうど左手、比叡山のあたりはキレイに色づいた山肌が広がり、ふだん山に囲まれた閉塞的な眺めしか目にしていないわたしは、思わぬ開放感を味わうことができて大満足でした。
さて、ファズル・サイのリサイタルはというと……。
日本に来て風邪を引かれたのか、体調的には万全という感じではありませんでした。時折、鼻もグズグズしていたようだし。
それでも、いったん演奏が始まれば別世界。ふだんクラシックにはあまり縁のない暮らしをしていますが、彼の演奏は目をつぶって聞いていると、いろんな映像が次々に現れて来て、まるで映画をみているような不思議な気分を味わいました。
リサイタルは、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』から始まったのですが、演奏中ずっと「ザーザーと雨が降ってきて、止んで、雨の雫をたっぷりと含んだ野草から、ポロンポロンと雫が飛んで……」とか、「びゅーびゅーと風が吹いて大木がざわざわと梢をふるわせ、そのあいだから小鳥たちが飛び立ち、森の動物たちがあちこちを走りまわり……」そうかと思えば「風がおさまって太陽の光が雲の合間から差し込んで草原を照らし、飛び立っていった小鳥たちが梢に戻って来てピピピッとさえずりあう」そんな映像が次から次へと目の前を通り過ぎていきました。
『展覧会の絵』がどういう経緯で作られた曲なのか知りませんが、とにかくファズル・サイの演奏を聴いているわたしの目の前には、本当に映画のような映像が次々と浮かんできました。
20分あまりの演奏が終わると、一時休憩。なんだかドッと疲れてしまいました。それぐらい目まぐるしく、いろんな映像が迫って来たのです。
休憩後は、彼の作曲である『ブラック・アース』から始まりました。このときはなぜか海の中の映像が次々に浮かんできて、まるで魚になった気分。深くもぐって暗い暗い深海を大きな魚になって泳いでいると、目の前に深海魚らしき、でもよく見えない何かがいる。だんだん海上に近づいて来ると、太陽の光がキラキラと反射するなかを、色とりどりの小魚が織物のように動いている。ザパーッと海上に顔をだし、ひととき空を眺め、海原に身を任せたあと、再びザブンッと海のなかへ……そういう映像が、演奏中ずーっと浮かんでは消えていきました。
その後は『パガニーニ・ジャズ』『トルコ行進曲:ジャズ風』(この2曲は、すごく気に入りました。聴いていてウキウキしてくるというか、踊りだしたくなるというか、席に静かに座っている気分ではありませんでした)、さらに『3つのバラード』と続いたあと、最後はガーシュインの『サマータイム・ファンタジー』『ラプソディー・イン・ブルー』。
ファズル・サイは終止、ピアノと会話するように演奏していました。目をつぶって聴いていると、どこからかハミングのような音が聞こえて来て、誰だ? と思ったら彼本人がそう口ずさんでいたり。あれは、ピアノに話しかけていたのかしら?
最後、鳴り止まぬ拍手に応えてファズル・サイは『ウスキュダル』を演奏。これは良かった。嬉しかったです。最近はトルコを去るようなことも口にしていたファズル・サイですが、最後に有名なトルコ民謡を演奏してくれたのだから。
ところで、わたしだけかもしれませんが、ファズル・サイのリサイタルはすごくエネルギーの要るものでした。うまく表現できないのですが、彼は演奏しながらものすごいエネルギーを発しています。で、そのエネルギーが自分にもビンビンと響いてくるのですが、それで終わらない。彼が発したエネルギーは聴いているわたしに届いたあと、また彼に帰っていくような気がするのです。のんびり演奏を聴くという感じではなく、その世界にグググーッと引っ張られていくような感じ。終わった後は、本当にドッと疲れてしまいました。
クラシックのコンサートって、こういうものなのかしら???
明日は大阪のいずみホールで、関西方面での最後のコンサートがあります。その後は東京で〈ファズル・サイ・フェスティバル〉が控えています。チャンスのある方は、ぜひぜひ、彼のコンサートに足を運んでみてください。個人的には思っていた以上に良かったです。
※写真は、きのうのコンサートちらし、きのう買ったDVD(「鬼才!天才!ファジル・サイ!」)とCD(「スーパー・デュオ! 」ファズル・サイ&パトリシア・コパチンスカヤ) なかなか奔放な感じのするサインです。
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