2009-07-30

Kütahya'ya... / キュタヒヤへ……

2009.07.30

 日曜日の朝、日本で同じトルコ語のクラスで学んでいた友だちがトルコにやってきました。昼頃に電話があり「じゃあまた、キュタヒヤで」というわけで、月曜日の授業が終わった後、長距離バスに乗ってKütahiya/キュタヒヤという街に行ってきました。

 なんでキュタヒヤ、かというと、わたしたちにトルコ語を教えてくれていたトルコ人が3月に日本の大学を修了し、帰国して住んでいるのがキュタヒヤだから。せっかくだから、みんなでキュタヒヤで会いましょう!と、わたしも火曜日の授業をお休みし、月曜日の授業が終わったあとバスに飛び乗って行って来たのです。

 アンカラからキュタヒヤへ、約4時間半のバスの旅。アンカラ市を出てしまうと広大な大地がどこまでもどこまでも広がっていて、改めて「トルコってでっかいなー」と実感。途中、牛が放牧されていたり、ひまわり畑が広がっていたり(トルコでは、ひまわりの種を好んで食べる)と、なんとも牧歌的な、アンカラとは違う時空間を走りました。2時間ほどでNasredin Hoca Yaya Siteleri / ナスレッディン・ホジャが歩いた場所というS.Aに到着。その後、さらに1時間ほどでEskişehir / エスキシェヒルのオトガルへ。バス内は結構空席があったのだけど、ここからドッと人が乗り込んできて、一路キュタヒヤへ。夜9時過ぎに到着すると、友だち2人がオトガル(oto + gar でバスターミナルの意味/でも、キュタヒヤのオトガルは“Çinigar / チニガル(タイル・ターミナル)”)に迎えにきてくれてました。
 ※写真は、バスに乗ってすぐにサービスされたアイスクリーム。このほかにも途中チャイやコーヒーのサービスが何回かありました。やっぱりトルコのバスはサービスが良い!!! しかも、わたしの乗ったKütahya AS tur という会社のバスは全車Wi-Fi コネクション付き。

 ところがっ!!! 月曜日のアンカラは雨の降りそうな雲がもくもくとでてきて、日本の夏にも似た、蒸し蒸しした暑さだったのに、キュタヒヤに到着すると、なんか寒いっ!!! 涼しい、じゃなくて寒いっ!!! バスのなかが冷房で寒いかも、と思って上着を持って来ていたから良かったけど、半袖Tシャツの上に長袖の薄手のブルゾンを羽織ってもまだ寒い。日本から来た友だちとふたり「寒い、寒いっ」を連呼していました(でも、キュタヒヤっ子はみんな、半袖やノースリーブでも全然平気で座っていたけど・汗)。

 到着した日は夜も遅いので、カフェでちょっとお茶してホテルへ。次の日、キュタヒヤ在住の友だちの車で、街を巡りました。最初に行ったのはKütahya El Sanatları Sanayi ve Ticaret A.Ş. / キュタヒヤ・ハンドクラフト・カンパニーという場所で、シルバーとセラミックで作ったアクセサリーや石、イーネオヤを使ったスカーフなどを展示したところ。場所自体は小さく、それほど展示品(というか、販売品)も充実しているわけじゃなかったけど、案内してくれたここのスタッフが「日本人が来たのは、そうだなー5年ぶりだ」と、特別に別のビル内を案内してくれることに。このビル内でいろんなものが手作業で作られていて、それを見学できることになりました。

 これはガラス玉を作っているところ。わたしたちのためにわざわざ実演してくれました。この人はガラス玉作りの先生なのだけど、ぜひ日本に行ってトンボ玉作りを見てほしいわ〜。



 こっちは手作業で作っている絨毯。縦に通した白い羊毛糸に、手作業で色糸を巻き付けて、クイッと引っ張ってちぎり、あとで長さを揃えて切る。簡単そうに見えるけど、作業自体は気の遠くなりそうな時間がかかる。これだけ手間ひまかけて作れば、そりゃ高いわね。わたしも「やってみる?」と誘われたけど、「いやいや、失敗してご迷惑になっても申し訳ないから」と丁重に断りました。

 こちらの後ろの男性が、ビル内をあちこち案内してくれた男性。とても寡黙で、けど、すごく気遣いをしてくれる、ステキな人でした。ちょっと岡さんに似ている気がした(雰囲気とか)。

 んー、長くなるので続きはまた今度。

2009-07-26

Mobaraki ailelerin konukseverliği / モバラキ家のホスピタリティー

2009.07.26

 きのうの夕方、イラン人のクラスメートのお家にお呼ばれに行ってきました。イラン人のクラスメート、というのは先週のブログ『ケチオレン滝とエステルゴン城』にも登場した彼ら。Mehri / メフリ(長姉)、Solmaz / ソルマズ(次姉)、Babak / バァベッキ(末弟)の3人はアンカラにある大学で学ぶため、わたしがいま住んでいる家の近くに姉弟3人で住んでいます。

 彼らは6月にイランからトルコにやってきて新しくアパートを借り、まさしく新生活を始めたばかり。前のクラスのとき、学校が終わると毎日家具や電化製品を買いにあちこち走り回っていたのです。ところが、問題続出。何度も何度も検討して買った新製品のテレビは、最初から不良品。新しく買ったコンロも着火プラグに不具合があり、修理サービスへ。しかも、当時彼らは家に電話がなく、こちらではADSLが主流なのでインターネットも使えない。借りたアパートも新築なのだけど、新築ゆえの問題も出て来たりして……。さらには、イランから持って来ていた携帯電話は使えなくなり……(トルコでは海外から持ち込まれた不法製品を取り締まるため、外国から持って来た電話は再度トルコで登録しなければ使えなくなります)。
 毎日、勉強とともに家で続発する問題と闘っているような感じでした。そうした問題も徐々に解決し、いまのクラスが終わると同じくクラスメートの韓国人学生2人(ヒラルとジャーレ)が帰国してしまうこともあって、わたしたちを夕食に招待してくれたのです。

 イランのホスピタリティーというのも、トルコと良い勝負。わたしは、これまで彼らの家に2度行ったことがあるのですが、どちらも近くまで行くため、ちょっと通りから挨拶しとこうと思って寄ると必ず家に招き入れてくれました。きのうは、最初から準備したお呼ばれだけあって、最初から最後までおもてなし尽くし。まず、タブリーズ(彼らの故郷。イラン人ですが、アゼリー語を話すテュルク系イラン人です)から持って来たという、ヌガーのようなお菓子と飲み物をサービス。その後、桃やアンズ、スイカを出してくれました。そのあいだ、イラン人3人、韓国人2人、日本人2人でそれぞれの国の話に花が咲きました(イランで『チャングムの誓い』を見ていたという姉妹は、そこから韓国料理の話になったり、日本料理の話になったり)。

 長姉のメフリが言いました。「素敵よね〜♪ こうして違う国からやってきた人たちが、異国で出会って、それぞれの共通語である外国語(トルコ語)で、それぞれの国を知るって」。本当に、本当に、同感です。みんなトルコ語が母語ではないけれど、それぞれ頑張ってトルコ語を習得し、そのなかで知り合い、仲良くなったわけで。話せば話すほど、じぶんと似た価値観をもっているなと感じるイラン人姉弟が、わたしは大好きなのです。末っ子のバァベッキは、末っ子らしい甘えん坊さが見え隠れして、これがまたカワイイ。もちろん、もう大人の男性だから、カワイイなんて言うと失礼なのだけど。

 さて、夕食の食卓に並んだのは、すべて彼らが前の晩から準備してくれたというイラン料理。焼き茄子の身の部分だけを取ってヨーグルトで和えた料理はトルコにもあるのだけど、彼らが使うのはまた別の種類のヨーグルトらしく、微妙な酸っぱさが漂う一品。でも、この酸っぱさがクセになりそうな、ちょとクセがあるけど、だからこそハマると大好きになる、という味でした。
 鶏肉を使ったピラフは、再度フライパンを使って丸いケーキのような状態に焼き上げたライス・ケーキに。上に干しぶどうのもっと小さくて酸っぱい感じの冬葡萄、カラカラに炒めた人参などがデコレートされていて、これがまた絶品。食卓にいた全員が「おいしい」「マシッソヨ」を連呼してました。
 もう一品はファスリエ(豆)を使ったキッシュのような料理。このあたりでもう既にお腹いっぱいだったけど、しっかり頂きました♪ もちろんデザートも用意してくれていて、ぜーんぶ彼らの手作り(と言ってもバァベッキは作ってないけど。買い物の荷物持ち係)。

 その後、お皿洗いを手伝ってササッと片付けたあとは、わたしが日本から持って来ていた“もち粉”を使って、きな粉もちを作り、みんなに食べてもらいました。ここトルコでは、いわゆるフツーの砂糖がなく(チャイなどに入れるグラニュー糖はあるけど、料理に使うような砂糖がない。料理に砂糖を使わないから)、代用品としておもちの上にはちみつをかけ、そのうえにきな粉をまぶして食べてもらいました。イラン人の姉弟にとっては“初体験”の食べ物で、気に入ったかどうか分からないけど、韓国人のヒラルとジャーレは「韓国にもこんなのあるよー」と喜んで食べてくれました。

 こうしてまたたく間に時間は過ぎ(ヒラルとジャーレは寮の門限が11時だから、と10時半くらいに退散)、夜中1時半頃までウダウダしてしまいました(最後はなぜか「男とは」「女とは」という話題だった)。

 Mehri, Solmaz ve Babak, size herkese teşekkür ediyorum. Dün beraber geçirdiğimiz mükemmel vakit sonsuza kadar unutamam. Ne kadar eğlendim, biliyor musunuz? Ne kadar yüreğimi ısıttığınızı biliyor musunuz? Sizinle buluşabildiğim için şükrediyorum. Çok şükür. Tekrar söyleyim, TEŞEKKÜRLER!!

Düğün / 結婚式

2009.08.26

 木曜日の夜(赤ちゃんが産まれた日の夜)、ジーハンのお父さん、お母さんと3人で結婚式に参列してきました。
 初孫が産まれた日に結婚式? とも思いましたが、実際エミネと赤ちゃんは病院でお泊まり。家族とは言え、病院には泊まれないし、面会時間も昼の1時半〜3時に限られているので結婚式に行かなくとも家で座っているだけだしってことで。

 結婚式は、Gazi Orduevi / ガージ・オルドゥエヴィという、将校クラブのようなところで行なわれました。トルコ軍の敷地内にあるクラブで8月30日の戦勝記念日には、毎年ここでセレプションが行なわれているとか。式場は4年前に誕生したそうです。軍敷地内ということもあり、敷地に入るところでトルコ軍兵士による厳重チェック。車のトランクも調べてました(携帯電話も電波が届かないようになっていた。式途中で病院のエミネに何度か電話を試みたけど、繋がらなくて。そのとき初めて電波も届かないようになっていることに気づいた)。

 結婚式は、どちらかというと今風のトルコの結婚式。
 式開始は8時だったのだけど、三々五々集まって来た参列客は、既にテーブルに用意されたサラダとメゼを、それぞれ好きなように食べ始め、「さぁ、いまから結婚式の始まりです」といった感じはまったくなし。司会者とかもいないし。
 時計を見ていないので、何時かはハッキリしないけど、おそらく8時過ぎに新郎新婦が登場。まずは、みんなの前でダンスを披露し、同時に式場に設置されたスクリーンには彼らのフォトグラフィーが映し出されていました。

 その後、新郎新婦は一度席に着くのですが、招待客はそれぞれ食事を続けて……。そのあいだライブで音楽と歌が続いていました。少しすると新郎新婦がすべてのテーブルを廻り、招待役に挨拶。このとき、女性の招待客は身につけていた金のブレスレットを新婦の腕に付けてあげたり、用意して来た金のメダルをウェディングドレスの胸のところに付けたり……。これが、いわゆるお祝い(ご祝儀)みたいなもんです。食事付きの結婚式であるにも関わらず(食事なしの、簡単な立食の軽食と飲み物だけとかの場合もある)、日本のように受付でご祝儀を渡す、なんてことはありません。金のブレスレット自体、結構高価なものなので、これがその代わりと言えるでしょうか。

 折しも、トルコでは閉じられた空間での喫煙が禁止されたため、式場内はもちろん禁煙。しかーし、男性も女性も喫煙率の高いトルコ。みんな食事の途中で抜け出しては外でタバコ休憩をとっていました(新婦のお母さんも何度か出て来てた)。

 その後、ダンス音楽がはじまり、何人かはフロアに出てダンス。わたしはもちろんダンスなんてできないのだけど、ジーハンのお父さんが「これも経験」とばかりにフロアに誘ってくれ、少しだけお父さんのリードでダンスしました。その後、トルコの結婚式でよく見られる“みんなでダンス”状態が始まりましたが、それほど大勢の人がこれに参加している、ということもなく、30人ほどが30分ほど踊っていただけ。招待客自体は150人から200人近くいたと思うのだけど。
 このあいだも、ずーっと各テーブルには食事がサーブされていました。

 そうこうしているうちに式終了の合図のように会場が明るくなり、招待客は新郎新婦やそのご両親に挨拶をして帰って行きました。また、式のなかではプロのカメラマンがあちこちで写真を撮っていたのだけど、これはあとで入り口付近で売られていました(よく団体ツアー旅行なんかで行なわれる、カメラマンが撮った写真を30分〜1時間ほどのあいだに大きめの写真にして、フレームに入れて売るという手法)。てっきり新郎新婦の思い出用と思い込んでいたので、ちょっとビックリしました。

 ひとくちにトルコの結婚式、と言ってもいろいろあるんだなぁーと実感。こちらのは現代的というか、欧米的なのかもしれません(といって、欧米の結婚式なんて映画でしか見たことないけど)。わたしは、てっきりみんなが踊りだして、すごいことになるんじゃないかと思っていたのだけど。でも、またひとつ良い経験をさせてもらいました。

2009-07-24

産まれたて(生後9時間)

2009.07.24

 きょう、授業が終わってから早速エミネと赤ちゃんの様子を見に病院に行ってきました。生後9時間。産まれたての男の子の名前はオメル・カーンくんです。オメルはジーハンのお父さん(以前にここに登場した男前)からもらった名前。カーンは中央アジアにおける君主の名前(ハンとか、ハカンも同じ意味です)。
 体重2735g。ちっちゃいけど、とても動きの素早い(寝ているときに突如足とか手を動かす)、濃い黒髪がステキな男の子です(おチンチンも見ちゃったもんね〜♪)。

 今朝産まれたばかりなので、エミネとカーンくんと、エミネのお母さんは病院でお泊まり。明日、家に帰って来る予定です。


 ところで、赤ちゃんが産まれたばかりというのに、ジーハンのお父さんとお母さん、わたしの3人は夜8時からの結婚式に参列してきました。この話はまたあとで。

2009-07-23

Dünyaya hoşgeldin!! / ようこそ、世界へ。

2009.07.23

 うちのエミネが、ジーハンが、大業を成し遂げましたっ!
 さっき、6時45分くらいにジーハンから電話があって「産まれたっ」と。

 きのうは本当にたいへんだったのです。見ているだけでこっちまで辛くなってくるほどエミネが苦しんでいて。
 学校から帰ってきたときには既に陣痛が始まっていたのですが、3時頃に陣痛が去ったらしく、エミネとエミネのお母さん(出産に備えて来ていた)は「ちょっと出かけて来る」……と外出。買い物までして帰って来たのですが、その後も30分間隔くらいで陣痛が襲って来て。でも、その頃はまだ陣痛の合間に笑って話ができるくらい、だったのです。夕方6時過ぎにジーハンが帰って来て、すぐに二人は病院に行きました。ジーハンのお父さんとお母さんも興奮状態で(彼らにとっての初孫)、二人が病院に行って30分もたたないうちに電話があり、エミネと赤ちゃんの荷物をもって彼らの家へ行きました。さらに、ジーハンから電話があり「病院に来て」というので、3人でそそくさと出かけたのですが……。

 病院に行ってみるとエミネもジーハンも、エミネのお母さんも病院の庭で座っている。どうやら、まだ早い……と言われたらしく、家で待機することに。このときはまだ笑い話だったのです。エミネも「ジーハン、何やってんの!」みたいに笑っていたのです。
 でも、家に帰ってからもエミネの陣痛はひどくなるばかり。夜10時くらいに再び病院に行きましたが、やっぱり帰宅。そのあとが本当に可哀想でした。痛みを共有してエミネが少し楽になるなら、わたしも少しくらいは肩代わりしてあげたいほど苦しんだのです。ひどい痛みは夕方くらいからずっと続いていたので、夜中12時くらいには「もう耐えられない」「力が残っていない」「死んじゃう」とずっと言っていました。途中、何度も吐いたりして、本当に本当にひどい状態だったのです。そのあいだ、ジーハンはずっとエミネに付き添っていまいた。

 わたしも2時過ぎくらいまでは何となく起きていたのですが、結局寝てしまいました。きっと、そのあともエミネは寝たいのに寝られない。横になることもできない。ずーっと家のなかを痛みを抱えて歩き回っていたのです。
 朝5時半に起きると、家には誰もいませんでした。何時に病院に行ったのか分からないけど、おそらく3時か4時頃なんだと思います。
 そして、さっき。ジーハンからの電話があったのでした。

 「エミネはどう? 赤ちゃんは?」と聞きましたが、産まれたことだけを聞いただけで、ジーハンもまだ赤ちゃんとエミネに会っていない様子。でも、産まれました。スゴい。人間てすごい。
 わたしには甥っ子や姪っ子がいるけれど、実はこうした陣痛状態の人のそばに何時間もいたことはありません。友だちの出産でも、産まれてから会いに行っているので、陣痛がどれほどのものかを肌でヒシヒシと感じたのは今回が初めてでした。友だちの出産を経て、その話を聞いて、母親ってすごい。母親って世界で一番クリエイティブな存在だと思っていはいたけれど、今回産みの苦しみを体中で受け止めながら、何時間も苦しみながら、新しい命をこの世界に送り出したエミネは、本当にすごい。ジーハンもエラい。おそらく、出産というのは、母親が持っているすべての力を出し切る作業なのだと思います。新しい命を生み出すというのは、母親の命を削るような行為なのだと思います。

 きっとエミネはぐったりと病院のベッドで横たわっているでしょう。でも、心には、体の内側には、赤ん坊を生み出したすき間をすべて埋め尽くす何かに満たされていると思います。その何かは“幸せ”という言葉以上の、もっともっとスゴくて、神秘的で、人智の及ばないようなもののような気がします。改めて、母親という存在の強靭さ、忍耐力、そして自分の血と肉と力を惜しみなく分け与える包容力に感服です。

2009-07-19

Keçiören Şelale ve Estergon Kalesi / ケチオレン滝とエステルゴン城

2009.07.20

 きょうは、クラスメートとして仲良くなったイラン人の姉弟(長姉のMehriはただいまアンカラ大学の医学部で、理学療法士を専門として勉強中、次姉のSolmazは9月からHacetepe大学で歯科医学科に入学、弟のBabakも9月から同大学で同じ歯科医学科に入学、これから5年間アンカラで腰を据えて修学します)、クラスメートの日本人女性とわたしの5人で、アンカラのKeçiören / ケチオレン地区にあるKeçiören Şelale ve Estergon Kalesi / ケチオレン滝とエステルゴン城に行ってきました。

 Babakが「ずーっと家にいるとうんざりする。いっしょにどこかに行こう」と言い出し、わが家のエミネとジーハンに「どこがいいかな? ブラブラするには……?」と聞いて薦められたのが、ここケチオレンでした。
 ここにある滝も、エステルゴン城も作り物なのだけど、眺めはサイコー。ちょっと暑かったけれど、ブラブラするにはいいところでした。近くには緑いっぱいの長い長い遊歩道もあり、さらに上空にはロープウェーが。乗ってみたかったけれど、乗り場が分からなかった(帰りのバスで乗り場発見。でも時すでに遅し……)。

 アンカラにこんなところがあるなんて、まーったく知りませんでした。近くにはショッピングセンターのミグロスもあるし、買い物のできる場所なんかもあって、車を持っているアンカラ人なら、休日の散歩とお買い物を兼ねてこの辺りに来てもいいなーという感じの場所。2年前の水が出なかったときのアンカラで、ここに来て滝が流れ落ちていたら、きっと随分アンビバレントな気持ちになっただろうけど、幸い今年は雨の降る日なんかもあって断水の心配はなし。素直な気持ちで滝の眺めを楽しみました。

 こちらはエステルゴン城の脇にある滝のある公園で結婚写真を撮影中のカップル。トルコでは結婚写真をかなり作り込んで撮影します。ポーズもいろいろあって、このカップルもカメラマンの指示に従っていろいろポーズを決めていました(わたしの知り合いのひとりは、お姫様だっこポーズでも写真を撮っていた)。かなりこっぱずかしいけど、一生に一度と思えば、こーいうのも悪くないかも!?

 さて、イラン人姉弟たちは、面白いことにここで晩ご飯の買い物を始めました。帰りはまだバスに乗ってクズライまで戻り、そこから20分くらい歩くのに。食べ物だけならまだしも、1リットルコーラ4本セットとか、手洗い石けんお徳用2.5リットルとか……。大丈夫か?と思っていると、姉たち曰く「大丈夫、Babakがいるから」とのこと。Babakは「いつも、そうなんだ……いつも……」と、ちょっとイジけてたけど、そのやり取りがなんとも可愛らしい。本当に仲の良い兄弟で、いっしょにいると、こっちまで幸せな気分になる、そんな3人なのです。※写真は、マーケットでの買い物を終え、外に出た時の夕焼け。オレンジの空にモスクのミナレットが映えています。

 ここの滝は作り物としては世界最大級らしい。時間も8時くらいになってきて、ライトアップが始まったところです(8時だけど、この明るさ)。これが夜になると、暗闇に浮かぶ壮大で幻想的な滝に大変身!!するのです(下の写真)。
 本当は、これが見たかったんだけど、日曜日だし、みんな明日は学校があるし、イラン人兄弟は帰ってから自炊してご飯作らないといけないし(晩ご飯に鮭を買っていた)。……というわけで、このライトアップは見られませんでしたが。

 おまけ。これは昨日の晩ご飯。うちのジーハンが作ったRus Salatası / ロシアサラダ(中央:ミニきゅうりが突っ立っているやつ)に、お料理上手なエミネ作の子牛のレバー揚げ、ブルグルピラフ、ポテトフライ。ポテトフライはジーハンの好物のため、よく出て来る(けど、わたしはあまり食べない)。ブルグルピラフは味付けが抜群でめちゃおいしかったけど、ジーハンは食べなかった(好きじゃないのだとか)。トルコ人の日常の食生活も、いろいろ観察しているとなかなか面白いです。

2009-07-18

月曜日に市場へ出かけ〜♪

2009.07.18

 またたく間に1週間が過ぎていきました。トルコ語では「一瞬のうちに」「瞬く間に」を“kaşla göz arasında / 眉毛と目の間に”と言ったり、“göz açıp kapayıncaya kadar / 目を開いて閉じてする間に(まばたきする間に)”と言ったりします。前者は「気づかない短い間に」「たいへん早く」といった意味で本当に短い時間を言い、後者は「光陰矢の如し」のニュアンスに近い感じです。

 ルーティン・ワークのように学校に行き、帰ってきて復習し(あるいは友だちを訪ねたり、トルコ人家族を訪ねたり)を繰り返していると本当に「気づいたらもう金曜日」になっていて、時間の経つのが早いこと早いこと。歳なんでしょーか???

 今週は特に写真を撮ったりもしなかったので、お世話になっているトルコ人の暮らしぶりについて、ちょっと書いてみようと思います。
 ここの旦那さんのジーハンは、トルコ軍の防衛電子システムなどを担う民間会社として1975年に設立されたマルチエレクトロニクス企業にお務めです。トルコでもかなり優秀な人たちが行く会社で、会社としても高いレベルにあるよう(前は、会社内に保育園とかもあって、幼い子どもを預けながら働くこともできたそうですが、残念ながら閉鎖されたそう)。
 始業は8時半、終業は5時半。朝のうちに30分ほどの休憩がありポアチャとチャイが朝食として出されるのだとか。昼食も会社内で出される食事のよう(たぶん、お金を払っていないか、払っていたとしても安いと思う。日本の社員食堂のイメージ?)。

 会社自体はMacunköy / マージュンキョイというメトロに乗っても行ける場所にあるのだけど、ジーハンは会社のサービス(送迎バス)を利用しているので、朝7時15分頃に家を出て、家のそばからサービスに乗って会社に行きます。サービスはこうやって社員をあちこちで拾いながら行くのでたぶん20分〜30分で会社に到着(自家用車で行けば15分くらいで着くと思う)。帰りも同じくサービスを利用し、だいたい6時15分前後に帰宅します。

 ジーハンが帰宅すると、まず晩ご飯。わが家か、お母さんの家でみんないっしょに食べることもあります。食べ終わってのんびりすれば7時半〜8時くらいでしょうか。そこからジーハンは奥さんといっしょに市場に出かけたり(野菜や果物を買うため)、夜の散歩に出かけたり、あるいはお母さんの住んでいるアパートの庭でチャイを飲んだりします。この余裕というか、のんびり感が日本にはないなーと思うところ。もちろん、家でダラダラすることもあるけれど、そんなのは月曜から金曜のうち1日くらい。ほとんど毎日何かしらしに出かけていきます。

 考えてみると、うちの父親はこういう感じで働いていました。田舎の郵便局勤め。勤務地も家から栗まで15分以内。朝8時くらいに出かけて夜5時半とかには家に帰ってきていたし、そのあとちょっと畑に出てひと仕事したあと、6時半くらいに晩ご飯だったように記憶しています。でも“わたし”は、そもそも仕事から帰ってくるのが遅かったし、家に着いてからまた外出なんて考えられなかった。まぁ、ジーハンとエミネは外に出て行くのが好きなタイプ、というのもあるけど、ふたりの暮らしのテンポが、なんだかイイ感じで羨ましいです。

 ※写真は、空から撮ったアンカラ(ジーハンにもらった)。

2009-07-13

Dünkü akşam yemeği / きのうの晩ご飯

2009.07.13

 土曜日、不覚にもクラクラしてしまったので、日曜日はどこにも行かず、家でゆっくりしていよう……というプランでした。

 んがっ、きのうはエミネのお母さんとお姉さん、お姉さんの子供がやってきて……(までは良かったのですが)、このお姉さんが自ら看護婦の夜勤明けにも関わらず「ソファが汚いわ、掃除してあげる」と言い出して、大掃除が始まってしまいました。エミネはお腹が大きいのでソファの掃除なんてできるわけないし、お姉さんらしい思いやりで言われたことなのですが、同じ家にいて、みんなが掃除しているのに、わたしだけ部屋にこもっているわけにもいかず……。

 結局、寝転べるサイズの大きなソファ2つと、1人掛けのソファ2つを洗剤を含ませた布でゴシゴシしてから、そのあと水拭き(写真のソファ、分かりますか?)。これが結構大変で。しかもエミネのお姉さんが猛烈にがんばるので、わたしも頑張らないわけにはいかず……。一夜明けて、ちょっと腕が痛いです……泣。

 お母さん、お姉さん、お姉さんの子供は、まるで掃除をしにきたように午後3時くらいに帰られ、その前に軽くみんなで食事をしたので、わたしはベッドで横になって休んでいました(エミネは出かけた)。
 と、夕方5時半くらいにエミネから電話があり、旦那のお母さんが住んでいる同じマンションの人が夕ご飯に招待してくれた、とのこと。わたしはさっき食べたばかりだし疲れているし、「きょうは行かない」と返事しました。……が、7時頃に再び電話。招待してくれた人本人から「なんで、来ないんだ。すぐに来い。いますぐ来い」と電話が入り、もう断りきれない。で、お呼ばれに参加することに。

 招待してくれた人たちとは既に顔見知りで、本当によくしてくださるし、奥さんの料理も絶品。結局、3時ぐらいに食べたのに、晩もスープ、サラダ、ドルマ(なすび、ズッキーニ、ピーマン、ぶどうの葉にご飯を詰めたもの)をたらふく頂きました。でも、トルコはこれで終わらない。そのあとチャイが運ばれ、さらにデザートとしてカザンディビという手作りお菓子とトゥルンバ。もうお腹いっぱいで食べれない、食べれない、と言っているのに、さらにスイカ。本当に、誇張なしで破裂しそうでした。

 ……なのに、いまはもうお腹が減ってきている。どーいうこと? まだ12時間経ってないのに・汗。

2009-07-12

Gözüm Karardı / め、目眩が……

2009.07.12

 きのう土曜日は、クラスメートの日本人が住む場所を探しているということで、わたしが以前住んでいたアパート(Tunalı Hilmi Caddesi / ツナル・ヒルミ大通り沿いのリッチなアパート)を紹介し、持ち主の方も了解してくださって、めでたく住む場所が決まりました。現在、外壁修理工事中なので音とか、工事の兄ちゃんたちが突如窓の外にヌッと出てくるのでは……? と心配がないわけではないのだけれど、彼女も納得して借りたので、とりあえずホッとひと安心です。

 その後、別の友だちとクズライで待ち合わせしていたので、彼女も誘ってご飯でも食べましょう、と昼2時頃にテクテクとクズライまで歩き、友だちと会ってカフェに入りました。そこで1時間半ほど座っていたのですが、途中からすごく暑くなってきて……。暑いね、暑いねとは言っていて、汗も相当かいているとは自覚していたのだけど。突如、なんか気持ち悪いぞ、とトイレに行こうと席を立ったら、世界がまわる〜頭がまわる〜、なんとか階段のとこまで行って、手すりを持ちながら登ったのだけど、2階まで登ったときには目の前が暗くなってきて……。半分くらい感じで、そこにトイレがあるのは分かるけど、どっちが女性トイレかの判断が付かない。。。すると、近くにいた年配の男性が、ちょっとこっちに来て座りなさい、とソファに座らせてくれた。その後、冷たい水も持ってきてくれて、やっと我に返りました。

 あーヤバかった。久々の目眩。外出するときは必ず水をもって出るし、注意して飲んでいるつもりだったけど、足りなかったみたい。その後、なんとなくフワフワした感じで家に帰り、寝転がってひと休み。それで随分回復したのだけど、その後なんか怖くてガブガブ水を飲んでしまい、夜はトイレに行ってばかりでした・汗。
 この件を、エミネに話したら、血圧が急激に落ちてたんじゃないの? そういうときは薬屋さんに飛び込んで血圧を測ってもらいなさい。血圧が落ちてるなら落ちてるなりの対処法があるから、と言われました。えっ? 薬屋で血圧? そんなの知らないもーん。

 その後、ジーハンのお母さんの家で晩ご飯。きのうは魚のフライ(たぶん、Mezgit / キスのフライ)でした。

2009-07-11

暑いっ!/ Çok sıcak!!

2009.07.11

 暑いですね〜。どうやら日本も本格的に猛暑への第一歩を踏み出したようで……、みなさん大丈夫ですか?

  こちらトルコでもやってきてから一番の暑さになりました。今週は日ごとに暑さが増すようで、結構グッタリです(笑。アンカラは日本と違って湿気が少なく、そのぶん過ごしやすいとも言えるのですが(イスタンブルやイズミル、アンタルヤなど、沿岸地区は日本と同様湿度が高い)、一方で体から水分の抜けるのが早い気がします。体じゅうから蒸発していってる。気のせいかもしれないけど、そう感じます。そういうわけで水を飲む量が少なかったりすると、確実に頭痛に襲われます。

 きのうも家に帰ってきてから軽く頭痛を感じていたのですが、夕方になって頭痛全開。いつもなら夕方になると涼しくなるのに、きのうはなかなか温度が下がらず、カラ焼き状態でした。11時くらいに寝たけど、2時くらいまで暑くて暑くて、寝返りを繰り返すことしきり。3時ぐらいに、ようやく「あ、ちょっと寒い」と窓を閉めました。きのうは風がなかったぶん、余計に暑く感じたのかもしれません。

 そんな夏の日の食欲をそそってくれるのが、この料理。なんという名前なのか聞くの忘れたけど、超うまいっ! なすび、ズッキーニ、ピーマンを油で素揚げして、すったニンニクをたっぷり加えたヨーグルトと和えるだけ。……と超簡単なのだけど、超うまいっ! ただ、これを日本で作っても同じにならないのはヨーグルトが違うから。こっちのはもっと濃くて塩が利いているため、これだけで充分なのだけど、日本で売られているヨーグルトで作る場合はちょっと搾って水分を減らし、さらに塩を加えると近い状態になるかも。ヨーグルトの酸味とニンニクのなんとも言えない香りと味が食欲をそそります。

 ※ヨーグルトがどれぐらい違うか……というと、こっちのは豆腐くらいに固まっています。これを混ぜてクリーム状にするのだけど、日本のは最初からクリーム状。ちょっと薄いんです。日本に住んでいる友だちは目の細かいガーゼに包んで水分を落として使っていました。


 こっちは先日クズライで入手した海賊版DVD。海賊版はトルコ語でKorsan(そのまま“海賊”って意味です)。それを堂々とここに載せるのもどうかと思うけど……。トルコではある有名な作家がこう言っていたそうです。「自分が書いた本を本屋で見つけたけど、めちゃ高かった。おもわず海賊版を買っちゃったよ……。」← これはトルコにおける書籍の高さを皮肉った冗談だけど、本当にトルコでは本やDVD、CDの値段が、収入に比してすごく高い。フツーのトルコ人にとって正規版なんて高くて手が出ません(ペーパーバックだと900円〜1500円くらい、DVDも1200円前後です)。一方で、海賊版は大阪で言えば心斎橋みたいなところで、フツーにお店を出して売られている。1つ180円くらいで。そりゃ、海賊版に走りますゼ。

2009-07-09

上級1クラス、修了!

2009.07.09

 6月15日(月)から始まった上級1のクラスも、明日1日で修了となりました。わたしが離れていた2年のあいだに語学学校TÖMERのシステムは変わり、いまは初級・中級・上級とも1のクラス修了後に試験はありません。2修了時と4修了時の2回になったので(前はすべての修了時、合計4回試験があった)超お気楽な状態です。

 きょうも先生が来られたときに「Sorunuz var mı? / 何か分からないことはありますか?」と聞かれましたが、一昨日も昨日も、文法が終了していてお気楽授業だったので、特に質問もなく……。まぁ、もちろん後で問題が噴出するに決まっているのですが。

 ところで、上級1のクラスでは合計5人の先生が来られました。
 1人目は、Elif Hoca / エリフ先生。初日に来られた先生で、わたしたちの担当教員が出張でギリシャに行っていたため、臨時として。クラスが始まるときは、基本生徒同士も知り合いでない場合があるので、自己紹介とかで終了。
 2人目が、きょうの授業の先生でもあったHadi Hoca / ハーディ先生。半年ほど前に腎臓結石の手術をされたらしく、以来健康状態が優れないらしい。でも、授業ではそんなそぶりを見せられないのですが……。
 3人目は、Emine Hoca / エミネ先生。Hadi Hoca が1週間(5日間)毎日続けて来られないので、週に2日はエミネ先生が担当に。珍しくわたしよりも年上の先生ですが、見た目は若い。12キロのダイエットに成功されたそうで、ますます美しさに磨きがかかってました。
 4人目は、Berna Hoca / ベルナ先生。今週月曜日、本当はHadi Hoca の授業だったのだけど、個人的な事情で来れなくなったらしく、ピンチヒッターで登場。この先生もなかなか美人でした。ただ、授業では既に文法が終わっていたため、ほとんど雑談で終了。
 5人目は、Arzu Hoca / アルズ先生。きのう、Emine Hoca が体調不良で休まれたため、再びピンチヒッター。授業はむかし上級1でやった試験問題を中心にOkuma / 読解と、Dinleme / 聴解をやったのですが……。読解は25/25点で満点だったけど、聴解が19/25点とふるわず……。やっぱり聞き取りに問題ありか。

 以上が20日間の先生たち。本来なら1人の先生に学ぶ方が良いに決まってるのに、これだけ先生が変わるとクラスのみんなも立腹気味。わたしは、TÖMERは(というか、トルコは)こんなものだ、と思ってるので(また、別の角度から見れば、良い部分であるかもしれないし)多少うんざり程度だったけど。

 クラスのみんなが怒っていたのは、実はみんなHadi Hocaが大好きだったから。できればHadi Hocaの授業を受けたかったからなのよね〜。TÖMER ツナル校では2人いる男性教師のうちのひとりで、わたし自身男の先生は初めてだったけど、本当に説明力に長けた先生というか、常に「分からないところは?」と聞いてくれるし、学びやすかった。必要ならば初級のときの文法を持ち出してきて、本当に丁寧に丁寧に、みんなが落ちこぼれないようすくいあげるようにして教えてくれる。たぶん、この先生から学んだことはそう簡単には忘れないだろうな……という感じの教え方なのです。
 先生自身は、ご自身の健康状態が優れないのに加え、お姉さんがガンで手術を受けられ、その後の放射線治療なんかもあって、精神的にものすごくツライ時期だったのだと思うけど、そういう話も淡々とされるだけで、授業中はエネルギッシュそのものでした。

 Hadi Hoca の授業も明日1日で終わり。その後、Hadi Hoca は夏の休暇に入られるため、上級2では残念ながら学ぶことができないけれど、先生に教えてもらったノートは大切に何度も見返して使いたいと思っています。
 ※写真はまったく無関係。いまアンカラでは夏のフェスティバル中で、おそらくそのおかげで夜になると花火が上がります。写真ではしょぼいですが、実際はもっとキレイ♪(家のベランダから花火鑑賞。贅沢だ)

2009-07-06

Güneşi Gördüm / わたしは太陽を見た

2009.07.06

 前の日記にも書いたとおり、すごく疲れを感じた今週末はどこにも出かけず、金曜日の昼過ぎから日曜日の夕方まで、ずっと家に閉じこもっていました。金曜日にできなかった復習を土曜日にやり、少し予習も。そして、日曜日の昼、大家さんたちといっしょに今年3月に公開されたというMahsun Kırmızıgül / マフスン・クルムズギュル監督作『Gürnşi Gördüm / I saw the Sun』という映画を見ました。

 前に、エチオピア人の友だちからも「いいよ〜、一回見てみな」と推薦されていた本作は、PKKとトルコ軍の衝突が続くトルコ南東の国境付近に暮らす人々を描いています。村に暮らす若者のなかにはPKKに身を投じるものもあれば、トルコ軍兵士として任務を全うするものもいる。ある日、夜中にドアを叩くものがいて出てみると、PKKに身を投じた一家の長男。父親、母親は久しぶりの再会を喜ぶけれど、弟は複雑。そして兄にこう言います。「ある日、戦いでボクたちが相対したら何が起こるんだ?」兄は弟に「お互いに殺しあえば、俺はテロリストとして、お前たちは国に命を捧げた兵士になる」と言う。緊張の走るシーンでした。

 まさしくその晩、PKKとトルコ軍の衝突があり……。これを機に村は潰されることとなり、村人たちは強制的に移住を迫られます。ある家族と親戚のいるノルウェーへ。別のふたつの家族はイスタンブルへ。イスタンブルへと引っ越した家族のひとつは盲目のおじいちゃんと父、母、障害のある娘を含む5人の娘と待望の生まれたばかりの息子の9人。イスタンブルという大都会での暮らしは順調に滑り出したように見えたけど、母親が入院したことで事件が起きてしまいます。何でもキレイにしてしまう魔法の箱、洗濯機が大惨事を引き起こしてしまうのです。

 もうひとつの家族は兄と弟のふたり。弟は村に住んでいる頃からトランスジェンダーの傾向があったのだけど、これがイスタンブルという大都市で花開く。兄は弟のこうした性癖をよく思っていず、常に“男らしくあること”を求めるのだけど、イスタンブルで初めて、自分と同じ種類の人たちと出会った弟は、自分を解放する道を歩んでいく……。

 クルド人問題、ということもできますが、わたしは“争いに巻き込まれた村人たち”の物語として映画を鑑賞しました。何世代にも渡って住み続けてきた村を追われる、故郷を奪われる、という感覚。わたしは自分から故郷を離れたけれど、それでも生まれ育った村がなくなったら根っこがなくなったように感じるだろうな、と思います。
 互いの理由が何であれ、殺しあううことは負の連鎖に他ならない。それになす術もなく巻き込まれる村人たちにできることなど何もない。抗いようがない。何も多くを望んでいるわけではないのに。ただ、昔ながらの暮らしを、昔から暮らしてきた場所で営みたいだけなのに。※写真は監督のマフスン・クルムズギュル氏

 映画を見終わったと、あまりにも気持ちが重く沈んでしまい、またボーッとしてしまいましたが……、

 夜はジーハン(大家さん)のお母さんのアパートの庭で、仲良し住人が集まってラフマジュン・パーティー。ディヤルバクル出身という女性が自家製ラフマジュンのネタと、サラダを作り、これをお店に持っていって焼いてもらったのですが、これが絶品! ふだんの2倍は食べてしまいました〜♪

2009-07-03

Bu hafta... / 今週...

2009.07.03

 前の日記に書いた通り、先週末は小旅行に出かけていたため今週は週はじめからグッタリでした・汗。こーいうとき、もう体は若くないな、と実感します(ため息)。

 月曜日は授業のあと、そそくさと家に帰って1時間ほど昼寝。それでもまだ全回復という感じでもなく、とはいえ宿題やら何やら……で、寝たのは結局12時をまわってから。火曜日は授業のあとお土産をもって友だちの家に。でも、この日は友だちの友だちが、PapazınBağı / パパズンバーという、小さな森のような場所にある喫茶に連れて行ってくれました。PapazınBağıというのは、かつて牧師さんが住んでいた広い敷地を国(あるいは市)が買い取って、保存してある場所。かつては全敷地が往時のままに保存されていたらしいのですが、近年縮小されたようです。それでも住宅地のなかに突如現れた森、という感じで木々が生い茂っているため、昼間でもとっても涼しい。なかでお茶や食事も楽しめるようになっていて、わたしたちはSemaver / セマーヴェル(サモワール:ピクニックのときに用いられるチャイ沸かし容器)を1つ頼みました(写真)。

 こうして、のんびりした午後を過ごしたのだけれど、学校のあと、遊びにでかけてしまうと、その日の復習を始めるのが夜の9時とか、10時になってしまうため、寝る時間も自然と遅くなる(だいたい2時とかになってしまう・汗)。水曜日も東京外国語大学から交換留学でやってきてトメルでトルコ語を勉強していたお友達が留学期間を終えて帰国してしまうため、昼間からクズライのサカルヤ近辺へ(飲屋街です。夜、ここに来ると親父たちが酒杯を傾けております)。7人中5人がビールを注文して、昼間からお酒を飲んじゃいました(写真:ビールは写っていないけど)。この日もまったく復習ができていなかったため、夜遅くまで勉強……。そろそろ疲れてきたな、という感じでしたが、きのう木曜日は学校の近くのバーでマイケル・ジャクソン追悼イベントがある、というので夜8時から外出。トルコで初めて、バーというか、クラブに行ってきました。追悼イベントというから、もっといろいろあるのかと思ったけど、マイケルのPVと音楽が流れ、踊るだけでした。ま、楽しかったけど。でも、家に帰ったら夜中1時半。きょうは朝からコーヒーがぶ飲みで、なんとか授業を終えました。

 ↑こうして見ると、なんか遊びまわっているように思えるかもしれませんが、ちゃんと勉強もしているんです。あまりに眠くて寝たいときは寝るけど、代わりに朝5時とかに起きて宿題の作文を書いたりしています。おかげで疲れもピークに!! きょうは夕方から「結婚式に行こう」と誘われているのだけど、たぶん行けません。残念だけど。

 というわけで、帰ってきて昼寝しました。まだ、体が重たい。きょうは結婚式は諦めて、家でゆっくりすることにします。ではでは、日本のみなさん、おやすみなさい(そろそろ、みんな寝る時間かな? いま夕方5時。日本は11時です)。

2009-07-01

Küçük tatil - ikinci gün, Safranbolu / 小旅行-2日目、サフランボル

2009.07.01

 前回の日記の続き。黒海沿岸の小さな港町・アマスラから、サフランボルへ。ホテルで朝食を食べ(これが、またものすごくおいしかった♪)9時にはホテルを出発しました(でも、バスがホテルの小さな駐車場からバックで大きな道に出るまで30分かかった。だから実際は9時半出発・汗)。道中、ずっと寝ていたので、どんなところを通ってサフランボルへ行ったのか、まったく不明ですが11時頃には到着。2時まで自由時間があったので、早速古都探索に出かけました。

 いっしょに歩いた友だちは以前もサフランボルに来たことがあり、彼女の案内で街巡り。彼女いわく「前よりキレイになっている」。サフランボル市街が世界遺産に指定されたのは1994年。彼女が来たのは2004年。わずか5年のあいだに何が起こったのか? 街は盆地のような状態で、西に城壁跡、東に丘があって、それぞれから街が一望できます。坂道は写真で見るよりもっとキツいけど、せっかくだから……と両方に登ってきました。

 城壁跡からの街の眺め。

 街の東にある丘からの眺め。ここに登るまでの坂道がツライッ!

 でもって、これが坂道。後ろ姿は、いっしょに巡った友だち。

 街中の現代版鍛冶屋(?)さん。ほかのお店は既に土産物屋に化していた感じがしたけど、ここだけはおじさんが(と言ってもまだ若い?)黙々と何かの刃を研いでいました。堅実に営業中……な感じのおじさんが好感度大♪

 完全なる土産物屋街の一角。でも、ここではバーナーでガラスを熱してガラス細工実演中。このあたりで、日本語を喋る青年につかまった。歩いていると、後ろから「アフメーーーット!! トゥトッ!!(アフメット、捕まえろっ!)」という声が聞こえて、アフメット青年が登場。捕まりました・汗(その後、ひとまわりしたあと再び捕まった)。

 小さな町ですが、わたしたちが行ったのは''Bağlar''というところだけ。Kıranköy、Çarşıという場所もあるはずなのだけど、歩いていける距離ではなく断念しました。

 以上、週末の小旅行でした。