2008-03-28

EU規準

2008.03.28

 EU加盟を目指しているトルコでは、さまざまなところでEU規準への適合が推進されています。わたしが通った語学学校トメルでも、試験はすべてEU規準に適合した、スピーキングを重視したものに変わっていました(でも、教科書は何年も前から同じ。新しいのは準備中……なんか本末転倒なような???)。

 さて、きのう付けのHurriyet/ヒューリエット紙の記事によると、イスタンブルの交通機関においてもEU規準適合に向けて一連の対策が講じられているのだとか。その内容はと言うと・・・
◎ミニバス、ドルムシュ、バスに対し、立ったままの乗客を乗せることに
 制限が設けられる。
◎乗車時間とシートの数により3人、5人あるいは7人まで立ったままの
 乗車が可能。
◎乗車時間が15分を越える路線を走るバスは、立ったままの乗客を
 乗せられない。

 ひょぉ〜、すごく厳しい。こんな規準があったら、いま京都市内を走っている京都市バスはほとんどアウト。ゼッタイEUになんて加盟できません(できないけど)。トルコだって朝夕の通勤時間帯には立ったままの乗客でギュウギュウのはず。それが乗せられないとなったら、公共の交通機関を使う人はさらに減り、自家用車族が増えて、ますます交通渋滞がひどくなるんじゃないでしょうか。あるいは、バス待ちで通勤時間がさらに長くなって2〜3時間になってしまうとか。朝8時に出勤する人が5時に家を出ないといけなくなったら、あまりにひどい処置と言わざるを得ません。

 もちろん、安全のためには立ったままより座った方が良いに決まっているけど、イスタンブルのような大都市でこれはあり得ないんじゃないでしょーか。最近は少なくなってきたようにも感じますが、トルコではお年寄りに席をゆずる、女性に席をゆずる、という行為も日本よりはるかに多いし、実際公共の交通機関を利用していて、立っていたために大きな事故になったという例も多くはないような気がします(それより車のスピードの出し過ぎが・・・)。

 上記のほかにも、EU規準に適合するため・・・として
◎救急車や消防車が交差点を高速に通過することを保証する、
 信号を緑に変えるシステムの実用化
◎車線のペンキにリンを含んだ材料を使用し、暗闇でも見えるようにする。
◎すべての交通機関は障害者に合わせて新しく整備される。
◎視覚障害者のために道に誘導ブロックが設置される。
◎歩道の高さを一定規準に合わせる。

 すべて実現できれば良いには違いありません。
でも、果たしてEU加盟国のなかでこれらを実現している国(地域)って、どれくらいあるのでしょうか。ロンドンやパリ、ベルリン、ローマ、アムステルダムなど、すべてこの規準を満たしているのか疑問です。 さらに言えば、近年加盟した国々の首都、ワルシャワ(ポーランド)、ブダペスト(ハンガリー)、プラハ(チェコ)、リャブリャナ(スロベニア)、ブラチスラバ(スロバキア)、タリン(エストニア)、リガ(ラトビア)、ビリニュス(リトアニア)、ニコシア(キプロス)、バレッタ(マルタ)、ブカレスト(ルーマニア)、ソフィア(ブルガリア)は?  自分の目で見たわけではないし、それぞれの国でこの規準に向けた努力は始まっているのかもしれません。加盟候補国として、トルコがそれに向けた努力を始めようというのも分からないではありません。・・・が、これをしなければ加盟できないというならEU規準そのものに疑問を感じてしまいます。

 独立独歩じゃダメなのかな、トルコは。もちろん、徐々に交通機関や設備を整備する必要はあると思いますが、それはEUのためではなく、住んでいる市民のためになるよう努力してほしいです。

 ※写真は、上記記事から。

2008-03-26

完璧であること

2008.03.26
 先日トルコの友人からメールが来ました。そこに、ある物語が書いてありました。

* * * * * * * * *
 中国のお話です。
 ある男が、毎日首に担いだ棒の両端に取り付けた水瓶で、谷から家まで水を運んでいました。2つの水瓶のうち、ひとつにはヒビがありました。もうひとつはと言うとヒビもなく完璧で、水汲みのときにはいつも男が満たした水をすべて家まできちんと届けていました。ところがヒビのある方は、家に着いた頃に水の半分を道中に失っていました。こうして2年の月日が過ぎました。

 男はふたつの水瓶を水でいっぱいにしたけれど、家に着く頃には水瓶1.5杯分の水しか残っていません。ヒビのない完璧な水瓶は自分の任務を完璧にまっとうしていたので、とても得意になっていました。一方、ヒビのある、あわれな欠陥ものの水瓶は自分を恥じていました。自分に満たされた水のわずか半分しか家に届けることができず、とても悲しんでいたのです。

 2年後のある日、自分の仕事がこなせていないと考えた水瓶は、川の土手で男にこう言いました。
「自分を恥じています。このヒビのせいで水は家に着くまでに漏れてしまいます」。
男は微笑みながら水瓶の方を振り返り、こう答えました。
「お前には見えていなかったのか? 道のおまえの側には花がいっぱいに咲き誇っている。けれど、完璧な水瓶の側には何もない。わたしは最初からお前の欠点を、ヒビがあるってことを知っていた。だから、お前の側に花の種を蒔いたんだ。この2年のあいだ、道に咲いた美しい花を集めて、家に飾っているんだよ。お前が完璧だったら、そのヒビがなかったら、わたしの家に、花の美しさ、優雅さを持ち帰ることはできなかったはずだよ」と。


 実際、わたしたちはみんなそれぞれ、ヒビのある水瓶です。わたしたちみんな、それぞれに固有の欠点を持っています。けれど、わたしたちが持っているこの欠点こそが、ヒビこそが、人生をおもしろくし、褒美を与え、彩っているのです。
 わたしたちの周りにいるすべての人を、あるがままに受け入れてください。彼らがもつ欠点でなく、心のなかにある美しさを見てください。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *

 この話、どこかで聞いた覚えがあります。それが誰からなのか、どこでなのか、まったく思い出せないのだけれど。そして、すっかり忘れてしまっていました。この物語を読むまで。そして、いまはうららかな春の陽気が、からだのなかにまでしみ込んできた気分です。この物語をメールしてくれた友人に感謝♪ そして、わたしと同じような気持ちに誰かがなってくれたらいいな・・・と思って日記に書きました。読んでくれて、ありがとう。

 ※写真はWikipedia/チューリップの項から(オレゴン州ウッドバーンのチューリップ・フェスティバルだそう)。

2008-03-24

ダンス・ダンス・ダンス

2008.03.24

 きのう3月23日(日)、伊丹のアイフォニックホールで〈アイフォニック地球音楽シリーズ132〉として開催されたTurquoise Folk Dance Ensemble/トゥルコアーズ民族舞踊アンサンブルを見に行っていきました。

 トゥルコアーズ民俗舞踊アンサンブルというのは、国立イスタンブル工科大学トルコ民俗音楽院民俗舞踊科の准教授アフメット・デミルバー氏を団長として、同音楽院から選抜された学生さんたち(卒業生をひとり含む)で編成されたもの。今回は総勢14名が来日して、素晴らしい踊りと音楽の夕べを彩ってくれました。

 ネイという縦笛の独奏と、メブラーナの旋回舞踊〈セマ〉で厳かに幕をあけた同公演は、次に4名の男性ダンサーによるエーゲ海沿岸地方の勇ましい踊り〈ゼイベッキ〉で一気に熱く加速。あいだに歌を挟んで、今度は4名のダヴル奏者による掛け合い演奏が始まり、迫力のある生演奏がホールじゅうに響き渡りました。その迫力は凄まじく、ここで完全にトゥルコアーズの魅力にハマってしまいました。このあと、ベリーダンス〜トルコ各地の民謡〜南東アナトリアが発祥と言われる〈ハライ〉が続きインターミッション。〈ハライ〉のところで「あれ? この人誰かに似ているなーと思っていたら、やっぱりNHKのアジア語学紀行〜旅するトルコ語でナビゲーター役だったMuge Yahsi/ミュゲ・ヤフシさんでした(ちょっと得した気分♪)。

 館内の温度がわずか10数分で5℃は上がったんじゃないか?と思えるほどの熱気で、演奏者や舞踏家たちのエネルギーが充満したひととき。しかも、さっきまでダンスに参加していた人が、次の演目では吹奏楽器を吹いていたりして、そのパワー、エネルギーに驚かされました。あれだけ躍ったあとに息も上がらず楽器が吹けるとは、なんとも恐れ入谷の鬼子母神。日頃の訓練が偲ばれます。

 後半も東アナトリアの〈バル〉という舞踊にはじまり、エルズルムの民謡、コミカルな男性版ベリーダンス?〈アーシュク・マーシュク〉、ブルガリアの香りがちょっと漂う踊り〈カルシュラマ〉、黒海地方の歌と踊り〈ホロン〉まで、こちらの目は舞台に釘付け。迫力のある楽器演奏、ダンスはもちろんですが、あいまあいまに入る民謡歌手のMurat Bingol/ムラト・ビンギョルさんがまた素晴らしく、情感に満ち満ちた歌声は心にじんわりと沁み入ってくるようでした。ふだんアラベスク的なものはほとんど聴かないのですが(聴くと、ブルーになるので)、ナマで聴くと気持ち良いものなのだなーと実感。こういう機会がもっとあれば、意外とハマってしまうかもしれません。

 さて、トゥルコアーズのみなさんは、22日土曜日に大阪音楽大学で、きのう23日にアイフォニックホールで、そして今日24日は浜松まで移動し、アクトシティ浜松で公演をこなされるとか。3日連続とはすごすぎる・・・と思いますが、若いってこういうことなのかも(でも団長のアフメットさんは、おそらく55歳は超えているのじゃ・・・)。浜松のみなさん、チケットの販売状況がどうか分かりませんが、チャンスがあるならぜひっ! きっと楽しめること請け合いですよー!

2008-03-21

お気に入りのCM その2

2008.03.22


 先日『お気に入りのCM その1』というタイトルで日記をアップしました。で、その2は何かというとコレ。
http://youtube.com/watch?v=X3UzpvBmlS4
トルコ滞在中に何度も見て「うん。うん。」と頷いたCMです。偶然にも、先日と同じTurkcellのCMなのですが、こちらはサッカートルコ代表のオフィシャル・スポンサーとしてのもの。教育プログラムCMとは違って最後にしっかり〈Turkcell Futbol Milli Takimlari Ana Sponsoru/トゥルクセル サッカー代表チームメインスポンサー〉と出てきます(途中、Turkcellと胸に書いたユニフォーム型のフラッグも出てくるし)。

 さて、どうしてこのCMがお気に入りなのか。サッカー・サポの気持ちそのまんまだからです。ちょっと笑えるけどサッカーのチーム(代表であれ、クラブチームであれ)を応援している人はみな、少なからずこのCMのような気持ちを持っているんじゃないかと思います。

 ひとりの選手の後ろにゾロゾロと居並ぶサポーターたち。キックオフの瞬間、俯瞰のカメラがとらえるのは「邪魔やろうっ」とツッコミを入れたくなるくらいに(スタンドではなく)フィールドを埋め尽くした赤いサポーターたち。選手といっしょにアップして、選手といっしょに走り、選手を持ち上げてサポートする。さらにFKに対抗する壁の後ろにさらなる壁を作り、GKとともに横っ飛びし、ともにゴールに向かって走る。そうなのです。サポーターはまさしくフィールドにいるのです。走っている選手とともに心は走っているし、守っている選手とともに心は守っている。だから、失点すればこの世の終わりか、、、くらいに凹むし、得点すればすべてを忘れて喜びに舞う。心は彼らとともにあるのです。だから真剣に一試合観戦すると、すごーく疲れたりする。それは心が走ったから。心が戦ったからだと思うのです。

 このCMはそんなサポーター心理をとても上手に表現している、と感じます。BGMとして流れるのは、キャット・スティーブンスの〈Lady D'Arbanville/邦題は白いバラ〉のメロディー。スティーブンスが当時の彼女だった女優のパティー・ダルバンヴィルにインスパイアされて書いたと言われているこの曲は、静かで、少しメランコリックな雰囲気さえたたえています。でも、歌詞はしっかり代表応援歌に代わっていますが。
 Iyice bir bakin, bir bakin sahaya, Iste bizim takim... Turkiye orada Turkiye orada, Simdi tam zamani birlikte olmanin, gercek buyuk destek 70 milyon demek, 70 milyon yurek...
 よく見て フィールドを見て そこにはわたしたちのチーム トルコはそこに トルコはそこに いま共にある ちょうどそのとき 本当の大きなサポート 7千万の 7千万の心

 つまり、代表チームの後ろにはトルコ国民7千万のサポートがついてるぞと。あんな熱い人たちが後ろについてて、いっしょに戦っていたら、ミスしたときには自分に跳び蹴りが来るんじゃないかとヒヤヒヤですが(笑)それくらいの気持ちなんですよね、サポーターって実際。

 今年は北京五輪の年。日本ではU-23の選手たちの活躍に注目が集まる一方、W杯アジア3次予選も始まっています。
 トルコでは昨年末にユーロ2008本戦への出場が決定。今年6月7日から29日にスイスとオーストリアの各地で繰り広げられる戦いに参戦します。まずはグループリーグ勝ち抜き必至ですが、対するは2006年W杯の本戦出場を賭けた試合で乱闘となった因縁の相手スイス、そしてチェコ、ポルトガル。楽な相手ではありませんが、可能性はゼロではありません。2004年に隣国ギリシャがダークホースとなって優勝しているだけに「今度はオレたちだ」と思っているトルコ人も少なくないでしょう(日韓W杯では3位まで上り詰めましたし)。だからこそ「7千万のサポーター」なんですよね。
 がんばれ!日本代表 がんばれ!トルコ代表 どっちも応援しているぞ(戦いの舞台は違うけど)。

 ※写真はハカン・シュキュル(背番号9)とアルトゥントップ兄弟、わが愛しのチュンジャイ・シャンル(後ろを走っているのはハカン・シュキュル)、ニハトとエムレ。

エリフ・シャファク

2008.03.21

 エリフ・シャファク/Elif Safak……というのは、トルコ人作家(♀)の名前です。
 先日、Hurriyet/ヒューリエット紙で、彼女がイギリスの栄誉ある文学賞のひとつ“2008年オレンジ賞(小説部門)”の候補者に選ばれた、と報じていました(候補作は20作/6月4日に受賞作が発表されます)。選ばれたのは『Baba ve Pic/ババ・ヴェ・ピチ(父と私生児)』という小説で、英語版は『Bastard of Istanbul/イスタンブルの私生児』というタイトルで出版されています。記事によると、同小説は“あるアルメニア人家族とトルコ人家族の90年にわたる複雑に絡み合う関係を描いた物語”だとか。この小説は出版当時、トルコで“国家侮辱罪”に問われましたが、結果的に小説には罪となる要素はなく、証拠も認められないということで無罪放免になりました。







 最初にこの人に注目したのは、トルコのZaman紙のコラムで。現在はどうやらアメリカにお住まいのようですが、コラムニストとして記事を投稿されていて、とてもバランスが取れた視点をお持ちだなぁ〜と感じていました。これまでにトルコ語で9冊、英語で4冊、ドイツ語で2冊が出版されているようですが、残念ながら日本語に翻訳された本はありません。

 エリフ・シャファクをはじめ、トルコの現代作家には気になる人がたくさんいるのだけれど、邦訳されているものはごくわずか(ノーベル賞作家のオルハン・パムクでさえ邦訳小説は2冊。受賞後に長いエッセイとも言える『イスタンブル』と、講演を納めた『父のトランク』が出ましたが、『わたしの名は紅』以前の小説など、まったく出てきてません)。なんとかトルコ語をマスターしてトルコ語で小説が読めるようになりたいものだと思っていますが、まだまだ、遠い遠い道のりです。

 ※オレンジ賞 イギリスの最も栄誉ある文学賞のうちのひとつ。国籍に関わらず、英語で書かれ、イギリスで出版されている女性作家の作品から選出される。日本ではまだあまり馴染みがないけれど、『ホワイト・ティース』の作家ゼイディー・スミスは2005年に『On Beauty』という作品で同賞を受賞している。

 ※写真は、Elif Safak/エリフ・シャファクご本人(エリフ・シャファクのウェブサイトから http://www.elifsafak.us/default.asp)と、オレンジ賞のロゴ(去年の)

2008-03-19

お気に入りのCM その1

2008.03.19

 トルコ滞在中、耳についたCMがありました。CM中に歌われる曲がとても可愛らしいメロディーで、なんだろう、この歌は? と思っていたのです。 先日のトルコ語教室で、その謎が解けました。CMで歌われたのは替え歌で、原曲はどうやらトルコの童謡、子どもたちが唄う歌のようです。

 そのCMとはこちら。
 http://www.youtube.com/watch?v=GwiN2EgwFzU

 Kardelen Ayse Kardelen Ayse ne yapiyorsun bize soyle.
 Hayalimi yaziyorum ogretmen olmak istiyorum.
 Kardelen Ayse Kardelen Ayse ne yapiyorsun bize soyle.
 Bugun ogretmen oldum ben Sinifimda kardelenler.
 *****************************************************
 ガランサス・アイシェ ガランサス・アイシェ
 何をしているの、わたしたちに教えて
 夢を書いているの 先生になりたいの
 ガランサス・アイシェ ガランサス・アイシェ
 何をしているの わたしたちに教えて
 いま先生になったの わたしのクラスにガランサスたち







 パッと読んでも、何を唄っているのか分かりにくいかもしれません。2000年よりTurkcell/トゥルクセルという電話通信会社が経済的な事情で学び続けることのできないという女子学生たちを金銭的にサポートし、学ぶチャンスを広げる〈Kardelen projesi/ガランサス・プロジェクト〉という教育プログラムを実施しているのですが、それが成果をあげていますよ、という報告CMなのです、これは。CM中Turkcellという言葉はまったく出て来ません。フツーはこれ見よがしに出てくるもんなんですけど、その潔さも気に入りました。
 CMの後半で出演し「先生になったの〜♪」と唄っている女性は、実際に〈ガランサス・プロジェクト〉の奨学金を受けて学び、先生となった女性で、現在は奨学金を受けて学ぶ生徒たちを教えていらっしゃいます。
 ちなみに〈Kardelen/ガランサス〉というのは日本で待雪草として知られている花の名前。おそらく純白の花のピュアなイメージ、“希望”“慰め”“楽しい予告”という花言葉が、女性学生サポート基金にふさわしいということで、この名前になったのだと思います。早春に咲く花のため、ときには雪のなかで可憐な姿を見せることも。雪=過酷な状況のなかで、女の子たちが夢を咲かせるという意味もあるのかもしれません。

 ところで、もともとの歌は「Kucuk Ayse Kucuk Asker/キュチュック・アイシェ キュチュック・アスケル」といいます。
 www.youtube.com/watch?v=zqXRwFnrQAU

 Kucuk Ayse kucuk Ayse Ne yapiyorsun bize soyle
 Bebegime bakiyorum Ona ninni soyluyorum.
 Kucuk Asker kucuk asker Ne yapiyorsun bana soyle
 Tufegime takiyorum Ben kislama gidiyorum.
 *****************************************************
 小さなアイシェ 小さなアイシェ
 何をしているの わたしたちに教えて
 赤ちゃんをあやしているのよ 子守唄を歌っているの
 小さな兵隊さん 小さな兵隊さん
 何をしているの わたしに教えて
 ライフルを担いでいるよ 兵舎にいくんだよ

 ……という感じで、前半が女の子の、後半が男の子の歌になっています。女の子が「赤ちゃんをあやして、子守唄を歌う」というのは万国共通のような気がしますが、男の子が「ライフル担いで兵舎に行く」というのは、すごーくトルコな感じ。戦前は日本にも勇ましい歌があったのかもしれませんが、わたしは憲法第9条教育を受けてきたクチなので・・・。

 写真はWikipedia Englishから拝借したガランサス(俗名スノードロップ)とTurkcellの〈ガランサス・プロジェクト〉のマーク。

2008-03-18

2週間後が待ち遠しいような、そうでないような

2008.03.18

 先週金曜日に、UEFAチャンピオンズ・リーグ準々決勝の対戦相手が決定しました。わがフェネルバフチェが対戦するのは、なんとチェルシー 一番当たりたくないとことと当たってしまいました。……と言っても、バルサやマンU、リバプールなどと当たっていても、同じように「当たりたくないとこ」と書いたでしょうが。

 でも、チェルシーとは特別当たりたくなかったワケがあります。
 だって、ここにはシェフチェンコが・・・。ミラン時代に何度かフェネルバフチェとやっているのですが、DFが完璧に置き去りにされてゴールされた記憶が蘇るのです。ってか、ミランとやったときって最初からフレンドリー・マッチ的な雰囲気というか、負けて当たり前みたいな雰囲気が漂ってた気がします。もちろん、勝つぞーっ!!!って口では言ってるのだけど、選手もサポーターもどっかで「負けても仕方ないっか」と思っている節があったように思うのです。

 とはいえ、今度は準々決勝。気合いの入り方が違うかな? とは思うのですが。。。まずは4月2日のホームゲームでなんとか勝利を手にしてくれれば、多少の光明もさしてくるかも・・・ホームの利を糧にして、なんとか巨万のチェルシー軍団に勝利してほしいです。

 ちなみに、チャンピオンズ・リーグ準々決勝の日程は・・・
4月1日(火) ローマ vs マンU
        シャルケ vs バルセロナ
4月2日(水) アーセナル vs リバプール(イギリス対決!!!)
        フェネル vs チェルシー

 ※ちなみに4月5日(土)にアーセナルとリバプールはリーグ戦でも戦うので3連戦です。すごいっ!!!

4月8日(火) リバプール vs アーセナル
        チェルシー vs フェネル
4月9日(水) マンU vs ローマ
        バルサ vs シャルケ

 ここを勝ち抜いてベスト4までいったら本当にすごいんですけどねー。しかもチェルシーを破ったとなると、すごいダークホース。たぶんカルチョ的にも大穴となるでしょう。ここはフェネルに賭けて大金を狙ってみましょう(笑。しかし、たとえ勝ち抜いても準決勝の対戦相手はアーセナル vs リバプールの勝者。ここに来てイングランド勢に取り囲まれております(イングランド勢は当たりたくなかったのにぃ〜)。

 個人的要望を含んだ勝ち抜け予想は・・・

バルサ(残り11試合で首位レアルと7ポイント差)

マンU(ただいまリーグ首位)

アーセナル(がんばれセスク/リーグ2位)

フェネル(ただいまリーグ3位! でも勝ち点差は首位ガラタと1ポイント、2位ベシクタシュとは同点)

……ですが、実際はどうなるでしょうか。泣いても笑っても2週間後には第1戦キックオフ。リーグ戦を戦いながら、チャンピオンズ・リーグもというこの過密日程のなか、うまく調整できれば勝ち目がないわけじゃないと思うのですが・・・。夢、叶えて欲しいなー。

2008-03-14

トルコに暮らす日本人

2008.03.14

 きのう、イスタンブルにお住まいの女性から突然電話がありました。
 トゥルルルル、トゥルルルル、と鳴るケータイを見ると「通知不可能」の文字。誰だろう? と思ってとりあえず出てみると、以前知り合った女性から。聞くと間違いでかけられたようなのですが、せっかくだし・・・と、束の間おしゃべりを楽しみました。

 ところで、この女性。日本では新宿書房から『犬と三日月 イスタンブルの7年』という本も出版されており、最近はコンヤ県文化観光局出版部から依頼を受けて、メヴラーナについての日本語訳本も出されています。イスタンブルに渡ったのは52歳のとき。その後の顛末は前述の本に描かれているのですが、還暦を超えられたいまもすごくパワフルで、とても素敵な方です。

 さて、この方。なんとトルコのテレビドラマに出演中だそうですっ!!! そのドラマとは、Kanal 1/カナル・ビルで月曜日の9時45分から放送している『Askim Askim/アシュクム・アシュクム』。これには、もともと高野あゆ美さんという日本人女性が「マキコ」という名前のコック役で出演中なのですが、その母親として出演されたのだとか。すごいっ! なんでもマキコが劇中で結婚し、その知らせを聞いた父母が突然日本からやってきた……という設定だったそうで。残念ながらわたしは見逃したのですが、freeetv.comではKanal 1が見られるので、次回の出演放送3月24日、つまり日本時間で25日の早朝4時15分に起きれば、彼女の女優ぶりを見ることができます。

 とりあえず、どんなドラマかと言うと・・・
 http://youtube.com/watch?v=A6XQ1n-WaUs
 ↑ これの5分30秒あたりから、マキコサーンが登場しています。

 そのマキコサーンを演じる高野あゆ美さんは、1997年に初めてトルコに行き、1998年には『Herşey Çok Güzel Olacak』という映画に出演。現在は、舞台をはじめ映画、テレビドラマ、さらには司会、広告などでも活躍されているようです。ご本人のブログもあり*http://ayumitakano.com/

 以前、語学学校トメルで机を並べていたフランス人の友達から「トルコに日本人の女優さんがいるよ〜」と聞いていたのですが、それが高野さんでした。『Turkiye'de yasamak/トルコで生きる』という名の、トルコに暮らす外国人の生きざまを紹介する番組ではホストを務めていらっしゃるそうです。もしトルコに行かれたら、チャンネルをKanal 1に合わせてみてください。もしかしたら、彼女に出会えるかもしれません。

 写真はKanal 1『Askim Askim』のページと、昨年10月のTurkish Daily Newsの画面(前述『トルコで生きる』のホストを務める高野さんが紹介されています)。

2008-03-13

人気の名前

2008.03.13

 トルコのVatan Gazetesi/ヴァタン紙で見つけました。
 記事によると、去年トルコで生まれた赤ちゃんたちに付けられた人気の名前は、男の子の場合「Yusuf/ユスフ」、女の子の場合は「Zeynep/ゼイネップ」だったそうです。









 2007年に生まれた赤ちゃん、人気名前ランキング
【男の子篇】
1. Yusuf/ユスフ
2. Arda/アルダ
3. Mehmet/メフメット
4. Mustafa/ムスタファ
5. Ahmet/アフメット
6. Emirhan/エミルハン
7. Enes/エネス
8. Furkan/フルカン
9. Muhammed/ムハンメッド
10. Ali/アリ
〈解説〉
 1位の「Yusuf/ユスフ」は、キャット・スティーブンスの改名後の名前でもあります。キリスト教で言うヨセフですね。2番手の「Arda/アルダ」を辞書で調べると「サインとして立てられる棒」と出てくるから“道標”とか“塚/マイルストーン”といった意味なのかもしれませんが、トールキンの『指輪物語』の舞台となった世界の名前も「アルダー王国の意」なので、そのへんも影響しているのかも??? ちなみに、2006年の一番人気は「Arda/アルダ」だったそうです。
 名前で「〜ハン」「〜カン」とついているのは、たぶん昔の王様の名前ですね。「メフメット」「ムスタファ」「アフメット」はオスマン帝国の君主の名前。「ムハンメッド」と「アリ」はそれぞれイスラムの聖者。残る「エネス」は調べたけれど分かりませんでした。









【女の子篇】
1. Zeynep/ゼイネップ
2. Elif/エリフ
3. Irem/イレム
4. Yagmur/ヤームル
5. Merve/メルヴェ
6. Sila/スラ
7. Medine/メディネ
8. Busra/ビュスラ
9. Fatma/ファトマ
10. Zehra/ゼフラ
〈解説〉
 1位の「Zeynep/ゼイネップ」の意味が分かりません。でも、よく聞く名前だな、という印象があります。「Elif/エリフ」はアラビア語で言う「Alif/アリフ」でアラビア・アルファベットで最初に来る名前なのだとか。日本語的に言うなら「はじめ」って感じ? 「Irem/イレム」は辞書でみると「河岸、小川、清流、渓谷」のほか「穀物を育てる雨」という意味もあるから「めぐみ」ってニュアンスでしょうか。続く「Yagmur/ヤームル」も直訳すると「雨」なので、意味的には「Irem/イレム」に近いのかもしれません。 ※あとで聞いたら「Irem」には天国という意味があるのだそう。
 「Merve/メルヴェ」はメッカにある山の名前、「Medina/メディナ」はサウジアラビアにある街の名前と同じで、メッカに次ぐイスラムの聖地、「Busra/ビュスラ」は「良い知らせ、歓喜」のほか新約聖書にも出てくる名前であり、「Fatma/ファトマ」はムハンマドの娘の名……と、このへんはイスラムの伝統的な名前と言えるのでしょう。
 「Sila/スラ」には「祖国、故郷」という意味があるので、日本語的に言うなら「里美」とかに近い? 「Zehra/ゼフラ」は「月のように輝くもの」「キラキラとして純粋で曇りのないもの」だから「純子」でしょうか。

 ところで、1980-1990年のあいだで最も人気があったのは、男の子で「メフメット」「ムスタファ」「ムラット」「アフメット」「アリ」、女の子では「ファトマ」「アイシェ」「エミネ」「ハティジェ」「ゼイネップ」だったそうですから、人気の名前も微妙に変わっているんですね。
 ……にしても、「エリフ」とか「イレム」なんて、知らなかったら男の子の名前だと思っちゃうなー。もちろん、男の子にも女の子にも使える名前っていうのがトルコにもあるんだけど。このふたつは、どーなんだろう???

 写真は、同じくヴァタン紙上で行われた「Sirin miyim/かわいいかしら?」企画、読者投稿写真より。

ジェムレ

2008.03.13
(2008.03.11の日記から)

 最初にその言葉を目にしたのは、3月4日。 Gazete Vatan/ガゼテ紙のあるコラムでした。

 「今年最初の“ジェムレ”が、空気に落ちた。」
 「最初の“ジェムレ”は空気に落ちた。2番目は水に、3番目は大地に落ちる。」

 なんだ、それは?
 すぐに辞書で調べたけれど「2月〜3月における温かさの要因」とか「空気、水、大地に連続して落ちる太陽エネルギーの種類」……とか、いまいち要領を得ない。なんとなーく、日本でいう二十四節気(立春→雨水→啓蟄)みたいなもんかなー??? と、そこで調べるのをやめてしまいました。

 3月9日の日曜日、久々に会った友だちが先日NHKで放送していた『世界ふれあい街歩きーサフランボル〜トルコ〜篇』の録画DVDを持ってきてくれたのですが、その場にいたトルコ語の先生に「ジェムレって何ですか?」と熱心に尋ねています。聞くと、番組のなかで“ジェムレ”が出てきた・・・と言うのです。

 なんという偶然!!!
 まったく同じ言葉に、全然別のところで出会っていたなんて!

 家に帰って早速DVDを観てみると、確かにサフランボルのおじさんたちが「最初のジェムレは空気に、2番目は水に、3番目は大地に落ちるんだ」と話しています。なかには「ジェムレを見たことがある」というおじさんも! でも「青くて、丸くて、水のなかにいるんだ」とか「ミミズみたいだよ」とか、意見がバラバラ。番組でも「三寒四温のようなものかな???」と、分かったような、分からないようなまま終わってしまいました。

 そ・こ・で……Wikipediaを調べてみると「ジェムレとは、春の始まりにおいて7日ごとに、まずは空気、そのあと水、そして大地で発生すると思われる温かさ/熱の増加」と書いてあります。んー、やっぱり要領を得ない。でも「空気に落ちる最初のジェムレは2月19〜20日頃、水に落ちる2番目は2月26〜27日頃、大地に落ちる3番目は3月5〜6日頃」と書いてありましたから「立春/2月4日頃」「雨水/2月19日頃」「啓蟄/3月6日頃」の無理矢理な当てはめも、あながち間違いではないのかも。

 「立春」以降に吹く初めての南風は、春一番。つまり、風=空気。
 「雨水」は、空から降るのが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃。つまり水。
 「啓蟄」は、冬眠していた虫たちが穴から出てくる。要するに土。

 国は違っても、季節の感じ方には似たようなところがあるんですね。なんだかすごーく嬉しくなっちゃいました。
 ちなみに、この『世界ふれあい街歩きーサフランボル篇』の再放送があるのかどうかは分かりませんが(すでにハイビジョン、BS、地上波と3回放送済み)、ハイビジョン放送時には2回後で「ブルサ篇」も放送していたようなので、近々テレビでブルサの街歩きが楽しめるかもしれません。

 NHK番組ホームページはこちら。
http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/detail/arukikata/070403.html













 写真は、世界遺産にも指定されているサフランボル旧市街。サフランボルとは、香料のサフランがbol(トルコ語でいっぱい、たくさんという意味)、つまり「サフランいっぱい」という意味だそうです。

2008-03-05

快挙!

2008.03.05


 昨日、スペインのセビリアを舞台に行われた欧州チャンピオンズリーグ決勝トーナメントの第2戦セヴィージャ vs フェネルバフチェ。



 2月20日にフェネルバフチェ・ホーム(カドゥキョイ)で行われた試合は3-2でフェネルの勝ち。
 『さぁー行くぜっ、ベスト8』と、たぶんフェネルファンだけでなく見守ったでろう第2戦。敵地セビリアでのアウェーゲームに臨んだフェネルは開始早々5分、9分とセヴィージャに2点先制されてしまいます。1点目はゴールほぼ正面のフリーキック。でも30mはあろうかというミドルシュートォォォ! 2点目は流れのなかからですが、1点目とほぼ同じ位置あたりからのミドルッ! あんな弾道が飛んできたら、GKは怖いだろうな。。。

 が、フェネルは20分にデイヴィッド・デ・ソーザが得点(アレックスのコーナーキックをアウレリオがすらして、待ち構えていたデイヴィッドがゴォォォール!!!)。
 その後、再びセヴィージャに点を許したものの(これはうまいっ! フリーキックを胸でコントロールしてそのままゴールへ蹴り込んでいます)、79分(後半34分)にまたもデイヴィッドが得点!!! アレックスが40メートルのフリーキックを蹴り、ゴールすぐそばでワンバウンドしたボールをデイヴィッドがうまく合わせました。これはGKに防がれるも、バウンドしたボールを再び蹴り込んで3-2。
 結局、第2戦としては破れたものの2戦の合計得点は5-5のドローで、延長PK戦にもつれ込みました。

 敵地セビリアでのPK戦。思い切りアウェーのなかでヒーローとなったのはGKのヴォルカンでした。なんと3人を止めて勝利に貢献。ふだん凡ミスが多かったりするヴォルカンですが、ここにきてチャンピオンズ・リーグ準々決勝の立役者となりました。

 いまのところ、マンチェスターUがリヨンを破り、バルセロナがセルティックを破り、アーセナルがミランを破って準々決勝に駒を進めています。
 これまで欧州の舞台ではガラタサライが1999-2000のUEFAカップで優勝したのが最高。さぁ、今度はフェネルが優勝!……とまでは言いませんが、せめてあと1つ勝ってベスト4に入ってほしいです(切なる願い)。

 と・こ・ろ・で、、、トルコではお医者さんであり、かつてはサッカーの第一級審判(ユーロやチャンピオンズリーグといった国際試合の決勝リーグでも笛を吹いたトルコ人審判のなかでも重要人物)をつとめ、現在はコメンテーターをなさっているAhmet Cakar/アフメット・チャカルさんが、つい口を滑らせてしまったようで。。。いま注目が集まっています。

 そのひと言とは・・・

 フェネルが準々決勝に進んだら、ビキニを着るよ。
 (万にひとつの可能性もない・・・という感じですね、これは)

 フェネルが準々決勝に進む可能性はすごく低いということを説明したあと、ジョークで言っちゃったんですが、いまとなってはアフメットさんがこの約束を守るのか、守らないのか、すごーく注目されています。

 口は災いのもと・・・ですね、トルコでも。

2008-03-04

アル・マヤ♪

2008.03.04

 東京外国語大学の中東イスラーム研究教育プロジェクトにより運営されている『日本語で読む中東メディア』で見つけたニュース。

 トルコ南東部にあるアダナのジェイハン郡で、元クルド労働者党党首だったアブドゥッラー・オジャランが逮捕された2月15日の夜、約100人の子どもたちが“親オジャラン”のスローガンを掲げてデモ行進し、警備にあたっていた警官は石を投げたのだとか。でも、一部の警官隊は子どもたちにケーキとジュースを配って懐柔。さらに、ジェイハン県警の警備担当者たちは、子どもたちを地元の映画館で上映中の『アル・マヤ/みつばちマーヤ』という子ども向け映画に招待したそうです。

 気になったのは『アル・マヤ/みつばちマーヤ』という映画。この聞き覚えのあるタイトル、もしや……と思って調べてみましたが、残念ながらゼッタイにあの“みつばちマーヤ”だという裏付けは得られませんでした。今回はじめて知ったのですが、原作はドイツのワルデマル・ボンゼルス(1912年発表の児童文学)。ドイツ語で調べてみたら、こんなYouTube映像が出てきました。

 http://www.youtube.com/watch?v=H4T0KYPwLGs
ドイツでもこのアニメなら、きっとヨーロッパ各地で放映されたのも日本製だと思います(勝手な推測ですが)。
 ちなみにこちらが日本版オープニング(映像は同じですが、歌が違います)
 http://www.youtube.com/watch?v=PjejcyH1D7Q
※歌っているのは水前寺清子です。

 同じみつばちものとしては『みなしごハッチ』の方が印象に残っていて(すごく泣いた覚えが・・・)マーヤはあまり……なのですが、YouTubeでオープニングを見てみると“露で顔をあらう”シーンとか、“花粉のなかに飛び込んでいる”シーンとかは覚えています。果たしてトルコの子どもたちが見たのはこれなのか??? でもアニメは映画じゃないしなー。ドイツで作られた別の作品なのかな〜? すごく気になります。

 写真はトルコで『Ari Maya Bebek/みつばちマーヤ坊』という名前で販売されている人形、左上の写真は同じくトルコで販売されている『Ari Maya/みつばちマーヤ』の絵本。

未来を見通す目

2008.03.04
(2008.03.03の日記から)

 2005年11月15日(水)のVatan Gazetesi/バタン新聞のコラム。
 Zulfu Livaneli/ズゥルフ・リヴァネッリが書いた記事です。
 http://w10.gazetevatan.com/root.vatan?exec=yazardetay&Newsid=64464&Categoryid=4&wid=5

















 タイトルは『トルコで体制が変わる日』

 周りで妙な、みんなの理解し難い風が吹いている。EU、シャムデインリの事件、ヴァン、キプロス、強盗、トゥルバン、与党と国家公務員間の緊張、一番のケマリスト的要素をもつ軍隊批判……どうなのだろう、これらすべては大きな変化の、大きな混乱をもたらす予兆なのだろうか? もし、こうした変化が起こるとして、それはいつ? どんなふうに起こるのか?

 親愛なる読者諸氏、皆と同じく、わたしもこうしたことを自分に問いかけ続けた。そして残念ながら、これらの事件が13年前に予測したカタチで現実になったのを目にしている。トルコが団結したひとつの国家から急速に遠ざかり、イスラム主義者と共和国主義者、クルド民族の3つに分断している。無能な指導者たち、強欲な政治家たち、そして(悪い方へ)変わってしまった権力者たちが、トルコをこの状態に導いてきた。

 さて、あなたは今後何が起こりえると考えるだろうか。わたしにはターニング・ポイントが2007年の6月になると言うことができる。

 もし、そのときまでに通常の外的進展が起こらなければ、AKPは2007年にチャンカヤ(大統領職)に彼らの望む人物を送り込む。国家公務員とトルコを手中とする策略において、最後の仕上げはこのようにして成し遂げられる。
 何を考えようが、セゼルの代わりにチャンカヤ(大統領職)にAKP党員が就くとき、YOK(高等教育機関)もまた変わり、憲法裁判所も同様に改変される。
 国会組織に対して行われる指名にも異議が唱えられる。
 与党で構成される国会からの命令で通過する法律はただちに承認される。
 そして、トルコはAKPの望むシステムが何であれ、そのシステムに移行される。
 学校においても、新しい世代がこのシステムによって教育され、ラジオやテレビの放送はこのシステムによって管理される。そしてもちろん、イスタンブルの娼婦と古い左派(社会主義者)、つまりリベラルなコラムニストたちはすべて、この進歩に喝采を送る(→反対のことを言って揶揄っていると思われる「この進歩に眉をひそめる」という意味?)。

 国際社会は、トルコにおける世俗共和国の終焉を望んでいる。わたしたちに課せられた役割は、中東における〈西洋の利益を守るイスラム国家〉であることだ。この役割を演じ始める日付は、2007年の6月である。

 このコラムで、きょうまで「(西洋社会との)特権的パートナーシップ」から「(イスラム主義者、共和国主義者、クルド民族の)3極化するトルコ」まで、(学者でも何でもない)わたしでも理解し得たすべて、学んできたすべての真実を、読者諸氏にも気付いて欲しいと考えている。

 すべてが思った通りになった。
 いま、このコラムで予測したことが間違いであることを心から望んでいる。
 けれど、残念ながら、見えている村に案内人はいらないのだ(→『見えている村に案内人は不要』はトルコのことわざ。ここでは「起こると分かっていることに説明はいらない」という意味)。


 この2年前のコラムを読むと、ご本人の言葉通り予想は的中しているように見えます。彼に、どうしてこの未来が予測できたのか分からないけれど、予兆はすでに2年前から(もしかしたらもっと前から)あったのかもしれません。
 「国際社会は、トルコにおける世俗共和国の終焉を望んでいる。わたしたち(トルコ)に課せられた役割は、中東における〈西洋の利益を守るイスラム国家〉であることだ」という一文がとても不気味です。


 ちなみに、このコラムを書いたZulfu Livaneli/ズゥルフ・リヴァネッリは、トルコの人気フォーク・ミュージシャン(歌手、作曲家)であり、小説家、新聞のコラムニスト、映画監督としても活躍する人。2005年にはCHP(共和国人民党)から出馬・当選し国会議員となるも、その後CHPと決裂。離脱後は無所属として任期を終了しました(現在は政治家ではありません)。友人に聞いたら、ジョーン・バエズみたいな位置づけの人だとか。

 ※翻訳には誤りの多々あるかもしれません。ご指摘いただければありがたいです。

あんまり書きたくないけれど……

2008.03.04
(2008.03.01の日記から)


 一応、記録として。。。
 Yahoo! Newsでも配信されていますが、トルコ軍のイラク北部越境作戦が終結しました。

 クルド人による自治を求めて武装闘争を続けるクルド労働者党(PKK)との交戦激化により昨年10月にトルコ国会で越境作戦が承認され、12月には越境開始。今年2月21日に地上3000人規模の大規模越境を開始したトルコ軍でしたが、きのう29日には「軍事作戦の目的を達成した」とし、「トルコ軍を自国基地へ帰還させた」と発表がありました。

 わたしは“殺しあい”には反対しています。

 武力による解決ではない、政治的、平和的解決を望んでいます。
 たぶん、今後も小規模な越境攻撃は続くでしょうし、これで終わりではないのでしょうが、それでも“殺しあい反対”の立場からは、このニュースを歓迎しています。

 が、納得できないものも残りました。

 昨年、国会で越境作戦が議論されているときにも、新聞などに記事を書いている知識人たちは諸手を上げて賛成という空気ではありませんでした。PKKによるテロを根絶しなければならない、国民を、トルコを守らなければならないという熱気のなかにも、冷静に「越境が果たしてトルコにとって有効なのか?」という疑問は常に存在し続けていました。
 それでも越境した。そして、今月21日には大規模な地上侵攻を開始した。そして、9日後に作戦終了。トルコ軍によるとこのあいだに「PKKメンバー230人を殺害、トルコ軍側には24名の死者が出た」そうです。

 果たして、トルコ(軍)は、どんな目的を達成したのでしょう?

 PKKとの戦いがこれで終わったわけではありません。
 では、PKK掃射が目的ではなかったということでしょうか?
 他に、どんな目的があったのでしょうか?

 先日、〈国民を兵役から離反させる〉罪に抵触したかどうか、取り調べ中だと書いたビュレント・エルソイは「他の誰かの陰謀によって利用されるような戦争」という言い方をしました。

 この中途半端な作戦の真の目的はいったい何だったのでしょう?

 一部には『アメリカなどの圧力に配慮か?』
 という見方もあるようですが、わたしには、すべてはじめからシナリオ通りだったように思えてなりません。近年発生したPKKによるテロやトルコ軍攻撃も、本当にPKKの仕業だったのか? とさえ思てきます。世論を煽るため、味方につけるためだったのでは? と穿いさえします。そして、この越境承認から越境、大規模越境と作戦が進んだ期間に、大学でのトゥルバンが自由化されたのです。ここには、本当に何の関係もないのでしょうか。

 わたしたち小市民は、自分の力だけではどうにもできない大きな流れ、うねりのなかで生きています。それでも、これが違う目的による越境作戦だったとしたら、あまりに不条理だと思います。

 写真はYahoo! News(時事通信配信)より。
 トルコのハッカリ県に帰還するトルコ兵たち

白い天国パムッカレ

2008.03.04
(2008.02.29の日記から)



 トルコに興味がある人なら、きっと誰もが知っているパムッカレ。“白い天国”とも称される〈パムッカレ〉とは、もともと〈綿の宮殿〉という意味なんだとか。
 わたしも実際にこの目で見て、この手で触れてきましたが、石灰棚の壮大な景色は360℃に解放した眺めとともに心に残っています。青空がスコーンとぬけるほどに天気も良かったのだけれど、いかんせん真冬(2月)。かじかんだ手に、パムッカレの温泉はじわ〜っと沁みました。

 その美しさ、自然の驚異の見事さで、世界中から観光客を惹きつけて止まないパムッカレですが、実は20世紀の観光ラッシュに対応するため数多くのホテルが建設され、このときに白く輝く石灰棚、その一番上にある古代都市遺跡ヒエラロポリスが大きなダメージを受けたと言われています。1988年にはユネスコの世界遺産にも登録され、その保護下に入ったのでダメージの一部は回復した、とも言わていたのですが・・・

 きょう新聞をチェックしていたら、こんな記事が。

 『世界文化遺産パムッカレでスキャンダル』

 えー? 何々? とワイドショー根性丸出しで読んでみると、クレオパトラも泳いだ!と言われる古代プール周辺にある建築物取り壊しに際し、不注意に掘削が行われた結果、こともあろうにその古代プールに泥水が流れ込んでしまったのだとか。デニズリ知事は「工事のせいで水が濁るのは自然なこと」と意に関していないようですが、こうした文化遺産や自然生物の保護協会から派遣された人は「恥ずべき行為」として批判。「考古学価値のある場所で、巨大な掘削機械などを用いて掘るのは間違いだ」と痛烈に語っています。

 もちろん、この工事もパムッカレの観光資源としての価値を高めるために行われたものだとは思いますが、それで歴史文化遺産にダメージを与えてしまっては元も子もないわけで・・・。せっかくの自然芸術、大事に、大事に守っていってほしいです(切なる願い ; >人<)。壮大な自然と長い長い時間が生んだ、人間には決して作れないものなのだから。

 写真はWikipediaから。
 石灰棚の上から下まで、靴を脱いで裸足でおりる……というツアーだったのに、そのとき参加していたわたしを含むスペイン人2人と韓国人2人は、すっかり空腹で「早くご飯が食べたいっ!」とウォーキングを拒否。あのとき、食い意地張らずにみんなを説得していれば良かったぁ〜と少し後悔しています。

新しい顔は誰に?

2008.03.04
(2008.02.28の日記から)

 Hurriyet/ヒューリエット紙と、Yeni Safak/イェニ・サファク紙で見つけたトルコニュース(たぶん、ほかのメディアでも取り上げたはずですが)。

 きょうのお題は『新しい顔は誰に?』

 トルコを旅行したことがある人なら、きっと気付いたではずトルコの紙幣。現在使われているYTL(Yeni Turk Lirasi/新しいトルコリラ)でも、1・5・10・20・50・100……とすべてのお札に建国の父アタチュルクの肖像画がプリントされています(確か、硬貨もすべて???だった気が……)。

 なんで全部アタチュルク? と、さまざまな人物の紙幣を見て育ってきたわたしからすれば不思議だったのですが、確かに“王様大好き”の国タイも紙幣の人物画はすべて現国王。ちょっと調べたらブータンやブルネイなど、国王の存在する国では全通貨が同一人物って珍しくないようです(マレーシアはラーマン首相という歴史上の重要人物で統一)。

 さて・・・現在の通貨はYTL(新しいトルコリラ)と言っているように2005年1月1日から新しく発行されたもの。100万TLを1YTLとするデノミネーションが行われ、現在のカタチになったわけです。
 が、来年2008年1月1日から、新しいの“Y”を取った新しいTL(トルコリラ)の時代が幕を開けます(“新しい”を取ったのに、新しいトルコリラとはややこしいな……)。

 両紙ではこう書かれていました。
 「紙幣のサイズから色、デザイン、偽造防止のための方法まですべて変更される。それほど要望のない1YTL紙幣が市場から姿を消すとき、200TLの新紙幣が登場する」と。
 そ・こ・で、注目されるのはアタチュルク以外の人物画が採用されるかどうか。記事によると「来年初めから通貨として流通するTLにおいては、トルコの歴史上重要な位置を占める人物の絵柄が採用される」と明らかにされているのですが、「この人物が誰であるか?」はまだ決定されていないのだとか(今秋発表予定)。

 現在のところ、有力候補とされているのが「トルコ語、トルコ文学における最も偉大な詩人のひとりであり、数学者、思想家、さらには音楽や芸術に関しても重要な人物であるユヌス・エムレ」。さらに「エルズルムを敵(当時のロシア)の占領から守り、重要な戦果をあげた女性、ネネ・ハトゥン」も候補者のひとり。

 果たして、来年から流通する新通貨にアタチュルク以外の人物が登場するのか、それともアタチュルクのままなのか。トゥルバン論議や世俗主義の危機が叫ばれる昨今だけに、この新通貨のデザインについても波紋を呼びそうな気配が漂っています・・・。

 ユヌス・エムレ=1238(?)〜1320(?) トルコで初めて口語のトルコ語で詩を書いたとして知られる詩人(当時はアラビア語やペルシャ語を用いるのが普通)。スーフィー神秘主義者でもありました。彼の書く詩は、神の愛や人間の運命に関係したものが多く、トルコだけでなく欧米でも高く評価されています(写真はイスタンブルにあるユヌス像)






 ネネ・ハトゥン=1857〜1955(享年98歳っ!) 1877〜78年にかけて勃発したロシア・トルコ戦争において多大な貢献をした勇敢なヒロイン。エルズルムに侵攻してきたロシア軍に対抗したのはトルコ軍だけでなく、街の一般女性のボランティアによる反撃だったそうで、そのなかでも最も英雄的であり、勇敢さのシンボルとして称えられたのがこの女性。彼女は、トルコで“母のなかの母”として知られています(写真は彼女が戦ったエルズルム県アズィズィイェの要塞跡に建てられた記念碑)。

 ※写真はともにWikipediaから

喋っても罪?

2008.03.04
(2008.02.27の日記から)







 本当は、トルコについてもっと楽しいことを書きたいのだけれど。。。
 今月23日に始まったトルコ軍の大規模な北イラク越境攻撃。目をそむけてはいけないのかもしれないけれど、終わりのない戦いのように見えて、なるべくニュースなども読まないようにしていました。

 そんななか昨日見つけたのが

 『取り調べ、開始』

 ……というニュース。
 『ポップスター・アラトゥルカ』という“アメリカン・アイドル”的なコンテスト番組で審査員を務めるトルコでは超有名歌手ビュレント・エルソイ。そのエルソイの番組内における発言が〈Halki askerlikten sogutma/国民を兵役から遠ざけた、離反させた〉という罪に抵触したかどうか、現在取り調べ中だと言うのです。

 そもそも、わたしからすれば〈国民を兵役から離反させる〉罪って何? という感じなのですが、この件で起訴されて罪が確定すると、エルソイは9ヶ月〜3年の懲役刑に服さなければならなくなります。

 問題となっている発言が、どの部分に当たるのか分かりませんが、予想するに「自分にもし子どもがいたら、戦地などに送らない」「わたしは母親ではないし、今後なることもない(エルソイは男性からの性転換者)けど、誰かの陰謀のための戦争に、自分の子どもを使われたくない」、さらに「みんな『戦死者は死なず、故郷は分かれず』って言うけど、(戦地に)赴く子どもたち、血の涙、泣き叫び、葬式……みな使い古された言い草よ。わたしは、あなた方とは同じ考えじゃないの(スローガンで何と言おうと、戦死者は死んでしまうという意味)」といったあたりではないかと。。。

 これはエルソイと、エブル・ギュンデシという女性のトーク中の話で、一方エブル女史は「わたしも兵隊の母となるなるよう運命づけられてる。わたしにも息子が一人いるし、栄誉あるカタチで彼を兵隊に送るわ(これに対しエルソイは「そして彼の死を手にすることになるのよ」と返しています」とか、「これは国のため、この共和国のため、この社会のため、わたしには女性として何が必要であれ、必要なことができるわ。息子だって勇敢にやり遂げるわよ」と正反対のことを言っています。

 ただ、注意して読んでみると、エルソイは〈誰かの陰謀のための戦争に〉と言っているのです。つ・ま・り、自分自身が正しい戦いだと感じられるなら、また違った意見になるのかもしれません。

 エルソイの発言は賛否さまざまな波紋を拡げているようですが、新聞のコラムニストのなかには彼を支持する記事を書いた人もいるようです。
 またNBC TVはこの件に関して討論番組を放送したようで、そのときのエルソイ支持のコメントを掲載していました。
 そもそも「〈国民を兵役から離反させた〉という法律の条項318条自体、改変するべきだ」「こんな法案、民主主義国家には相応しくない」「民主主義国家において人は兵隊に行かない、良心的拒否の権利がある」「いまの時代、こんなことがあっていいものか? 僕だって戦争には反対だ」「誰にも、言いたいことを喋る自由がある、この国で。〈国民を兵役から離反させた〉とも思わない。わたしだって、政治的な解決を支持している」「これはまさしく思想の自由、表現の自由に関わる問題」……などなど。

 第二次世界大戦以降、平和憲法を擁してきた日本と、オスマン帝国〜共和国誕生まで戦いによって国を守ってきた(取り戻してきた)トルコとでは〈戦うこと〉の捉え方が全然違います。ただ、エルソイが言いたかったのは「戦争によって国を守るな」ということではなく、「この戦いの後ろに潜んでいる、本当の目的はなんなのか?」ってことだったのだと思います。

 そんななか、キツい一撃だった一般読者のコメント。
 「ビュレント・エルソイの言葉は、内容としては事実です。わたしたちは誰かの陰謀によって息子たちを失っています。誰が息子の死を望むでしょうか。けれど、誰にも『わたしの子どもは行かせないわ』と言う権利はありません。あなたが行かせないのなら、わたしも行かせないのなら、いったい誰がこの国を守るのですか」

 10年後、20年後、トルコを守るためという思いで臨んだこの戦いが、別の目的だったと明らかになったら(そんな保証はないけど)、命を落とした青年たち、その母親たちは、その家族たちは、いったいどうなるのでしょうか。こんな作戦を実行する前に、まず「あなたの息子たちはどこで何をしているの」と聞いてみたいです、エルドアン首相に。

 写真は巷の話題独占中!ビュレント・エルソイ(レコジャケです)。