2008-07-26

Peynir Cenneti/チーズ天国

2008.07.26

 なんとか天国……というと、自動的に♪ナーナナナナー ナナナナーナナーナーナナナー ナナナナー♪という歌声とともにウィルソン・ピケットのでっかい口が思い浮かぶわたしですが、今回はトルコのフォークダンスがBGMになりそうなお話です(!?)。

 先日、Radikal/ラディカル紙でこの記事を見つけてから時間を見つけてはずーっと翻訳し続けていた『チーズ天国』と題された記事。無類のチーズ好きなもので、タイトルと豊富な写真に心奪われてなんとか翻訳を完了しました。

 「トルコは、津々浦々の家々で、また近代的な工場で製造されるたくさんのチーズにあふれた〈チーズ天国〉だ……」という文章で始まる記事には、33枚もの写真とともに、トルコのさまざまな地方で作られているチーズについて詳細に綴られていました。

 最初に紹介されていたのは、ARDAHAN KUFLU PEYNIRI/アルダハン・キュフリュ・ペイニーリ(東アナトリア地方アルダハンのカビチーズ)。ふつう、それぞれのお家で食べる量を作っているそうで(地産地消ってやつですね)、あまり市場には出回らないのだとか。
 つづいて、ARDAHAN IKIZDERE TULMU PEYNIRI/アルダハン・イキズデレ・トゥルム・ペイニーリ(アルダハンのイキズデレ村の皮入りチーズ)。トゥルムというのは動物のなめした皮のことで、チーズを長く保存するために昔から使われてきたそう。この地域の皮入りチーズは牛のミルクから作られるそうです(写真上のような状況下で)。
同じ皮入りチーズで有名なのがエルジンジャン(トルコ東部の街)のもの。こちらは羊のミルクから作られているそうで、水分と分離させたあと塩をまぶし、香りを醸成するために18時間空気にさらす……という作業を何度も繰り返すそうです(写真下:おじさんが手にしているのがエルジンジャンの皮入りチーズ)。

 BINGOL'UN SALAMURA PEYNIRI/ビンギョルのサラムラ・ペイニーリ(ビンギョルの塩漬けチーズ)。家族が必要なぶんだけ作っている、という塩漬けチーズは、羊のミルクを太陽の光のもとで発酵させ、凝固してくるとリネンなどの袋に入れて水分を取り除くために搾りにかけられます。小さな塊に小分けされたチーズは塩水に漬けられて食べられる状態になるのを待ちます。

 ERZURMU'UN CIVIL PEYNIRI/エルズルムのジヴィル・ペイニール(エルズルムの裂けるチーズ)。低脂肪の牛、または羊のミルクから作られるチーズで、撹拌の過程で脂肪分をとばして作られるそう。繊維状になっているところがミソ。裂けるチーズは、まずエルズルムで売られますが、イスタンブルやアンカラの市場でもお目にかかることができるそうです(低脂肪なので、ダイエット中の人に好まれているとか)。写真:垂れ下がっているチーズのカタチだけ見ても美味しそうです。

 トルコはもとより世界の食卓においても欠かせないもののひとつとなったMANYAS PEYNIRI/マンヤス・ペイニーリ(マンヤス・チーズ=白チーズのひとつで、マルマラ地方にあるバクックエシル県にある街の名前をとってマンヤス・チーズと言われている。少なくともその歴史は200年。プロテインが豊富なため、同地域ではもちろん、ビジネスや政治、芸術、スポーツの世界でも推薦する人が多いのだとか。フランスの“ロックフォール・チーズ(ブルーチーズ)”と対をなす、100%天然のチーズとして作られているマンヤス・チーズは、胃や肝臓にやさしく、歯を白くすると信じられているのだとか(写真のチーズは一体何キロなんだろう???)。

 KARS'IN GRAVYER PEYNIRI/カルスのグラヴイェル・ペイニール(カルスのグリュイエール・チーズ)。カルスで作られているこのチーズが、近年は大都市においても注目を集めているとか。特に、外国人観光客を主要顧客とするホテルからの需要が高まっているそうです。良いチーズの見分け方は、まず外側が固いこと。さくらんぼ大の孔があいていること。切ったときの断面の色が濃い黄色であること。そして口にしたとき鼻腔を焦がすほどの香りがすること、だそう。完全無添加のこのチーズ、カルスでは1キロ25〜30YTLで売られているそうですが、イスタンブルやアンカラだともっと高そう。。。


 KONYA'NIN KUFLU PEYNIRI/コンヤのキュフリュ・ペイニーリ(コンヤのカビチーズ)。無脂肪の子羊のミルクから作られているこのチーズは、ふつうカラブナル、エレーリ、ジハンベイリといった羊飼いの多い地域で作られいます。自然にカビを発生させるため、発がん性のアフラトキシンの発生を防いでいるとか。



 KAYSERI'NIN COMLEK PEYNIRI/カイセリのチョムレッキ・ペイニーリ(カイセリの陶壷入りチーズ)。新鮮な羊、あるいは牛のミルクを濾過した後、陶壷に詰められて作られます(TUMLU PEYNIRIと基本同じですが、詰める容器が違うよう)。チーズはまずリネンの袋などに入れられて水分を搾られ、塊を手で砕いた後塩がまぶされます(翻訳が間違っていなければ、このとき一定量のキンポウゲ科の植物も加えられるよう)。これを陶壷に詰め、壷の口を固形油などで閉じて洞窟や家の床下などで準備された湿気のある砂に埋められて熟成を待ちます。食べられるようになるのは約3ヶ月後。


 MALATYA PEYNIRI/マラトヤ・ペイニーリ(マラトヤのチーズ)。これも、どうやらTUMLU PEYNIRIの一種のようですが……写真で見るとすごく美味しそうです。


 VAN'IN OTLU PEYNIRI/ヴァンのオトゥル・ペイニーリ(ヴァンの香草入りチーズ)。ふつう、東アナドル地方で25種類の植物を使って作られる香草入りチーズは、ミネラルが豊富で消化不良に効くと言われているそう。使われる香草は、シルモ(野生のニンニク)、メンド、ヘリス、シヤボ、ミント、タイムといった植物(メンドやヘリス、シヤボがどんなものか、調べましたが分かりませんでした・汗)。春に山々で摘まれ、塩漬けにされたあとチーズに加えられるそうです。香草入りチーズは他の地域でも作られていますが、ヴァンのものが最高品質との評判が高いようです。


 CEVIZLI KASAR PEYNIRI/ジェヴィズリのカシャル・ペイニーリ(カシャル・チーズ)。トルコに旅行すれば、おそらくホテルの朝食で前述の白チーズと、このカシャル・チーズが食べられるはずです。それくらいポピュラーなカシャル・チーズですが、アンタルヤ県のジェヴィズリのカシャルはちょっと違う。自然に囲まれて育った地鶏ならぬ地牛や水牛のミルクから作られるチーズは、ふつう9キロのミルクから1キロのチーズを作るところ、15キロのミルクを使って1キロのチーズが作られるという高級品。塩の含有量も低く、ワインの甘みを味わうときに最適だそうで、チャイジュマ乳業工場では「Le Gout de Vin」というブランドでワインチーズとして売りに出しています。同社の社長によると「白チーズとモツァレラチーズを混ぜ合わせて作られた製品で、ワインにぴったり」。150グラム入りのパッケージで、3YTL程度で売られているそう。

 SAMSUN'UN CIG KESIK PEYNIRI/サムソンのチー・ケシッキ・ペイニーリ(サムソンのフレッシュ凝固チーズ???)。トウヒ(マツ科の常緑針葉樹)に囲まれた高原で、タイムなどの多彩な牧草を食べて育った羊のミルクから作られます。このチーズには県外からの特別注文があり、近年は国外からの注文も舞い込んでいる模様(←その場合は、もうお家の手作りじゃなくなるんでしょうか???)。

 TRABZON'UN TELLI PEYNIRI/トラブゾンのテルリ・ペイニーリ(トラブゾンのワイヤーチーズ/繊維チーズ)。東黒海地方の高原で育った牛から搾られたミルクが主要成分。カシャル・チーズに似た黄味がかった色で、塩分少なめの繊維状に分かれたチーズ。温めると伸びる。おそらく、前述のジヴィル・チーズに似た感じと思われます。同チーズの職人さんによると「伝統的にトラブウゾンや、同郡の村々の女性たちによって作られているが、近年は工場での生産も増えている」そう。四季を通じて作ることが可能なチーズですが、食べるのに一番適しているのは冬だそう。

 EZINE PEYNIRI/エジネ・ペイニーリ(チャナッカレ地方のエジネ・チーズ)。カズ山の北や東のエリア、エジネやバイラミッチ、アイヴァジュックの自然と湧き出る泉のなかで育てられた羊、ヤギ、牛のミルクから作られるチーズ。トルコの最も美味しい白チーズとして知られ、その名を聞くと誰もがチャナッカレを思い起こすエジネ・チーズは、特定地域で生産されたミルクを使用していることが保証されているそう(トルコ特許庁により、地域を示す特許証明書も発酵されている)。また、エジネ・ブランドには協会が存在し、その協会のエンブレム〈EPD〉のないチーズは、本物ではないとされます。ちなみに高品質のエジネ・チーズは明るい黄色で、固さは中くらい。チーズには少しだけ小さな孔があるはずで、脂肪を成分とするクリームの味がするそうです。

 後半につづく。

2008-07-23

宗教という壁

2008.07.23

 じぶんでも答えのでないことについて書くのはどうか、とも思うのだけれど、やっぱり気になったので取り上げました。きょうはRadikal/ラディカル紙で見つけた記事から。

 Almanya'da Musluman korkusunun simgesi/ドイツにおけるムスリム恐怖の象徴

 そう題された記事の内容は……というと。
 「ドイツでは、いま現在180を超えるモスクの建設が計画されている。特に、金曜礼拝のときにモスクはいっぱいになり、ベルリンにあるウェディング地区のモスクでは場所の見つけられない信者が通りに溢れる。モスクは、ただ礼拝のためだけでなく、ムスリムにとっては文化的共有が行なわれる場所であり、また社会的な活動が活発なところもある。特にラマザン(断食月)にはトルコ人だけでなくドイツ人に対しても食べ物がふるまわれる(イフタル・ソフラスと呼ばれるもの)モスクもある。

 一方で、ドイツにおいてモスクの数が増えていることは、右派だけでなく左派の政治家たちをも動揺させている。政治家たちは、ムスリム自身のライフスタイルで生きる社会が、モスクによってより簡単に実現されると考え、またそれを恐れている。

 ドイツのケルン市エーレンフェルト地区に、トルコ・イスラム連合(という団体)が建築したいと考えている現代的な中心的モスクが、いまこの恐怖の象徴となった。建築されるのは原子力発電所やミサイル基地ではない。しかしドイツ人を中心に波及した恐怖はこれらに等しい。年老いたドイツ人女性は『ミナレット(尖塔)がミサイルを思い出させる』と語った(同モスクは高さ50メートルを超えるふたつのミナレットを備える)。このモスクは、ケルンで暮らし、特に金曜礼拝において場所を見つけられないという問題を抱えるドイツのトルコ人にとって大きな意味を持っている。

 ケルン市のフリッツ・シュラマ市長は「モスクは、イスラムを裏通りから中心部へと連れ出し、おそらくは狂信的なムスリムたちの影響から救いだす」と語った。
 ドイツ人の大部分はケルンのモスクを、過激派イスラムと、ケルンで暮らすおおよそトルコ人からなる12000人のムスリムとの統合否定のシンボルとして見ている。

 ドイツのムスリム化の第一歩と見られる巨大なケルンのモスク建設を阻止するため、プロ・ケルンという名の過激右派の団体が設立され、ケルンの市議会選挙において5席を獲得。また、プロ・ケルンは、4月17日にトルコ・イスラム連合に対し、モスク建設を中心させるためのデモを敢行。デモにはドイツ人だけでなく、オーストリアやベルギーの過激右派政党の代表たちも参加した。過激右派は、ドイツにおけるモスクの増加により、ムスリムが急進的かつトラブルの種になると主張している。

 トルコ・イスラム連合のサディ・アルスラン会長によると、この恐怖は不必要なものであり、危険なものではないと語っている。
 ドイツ社会からの反対により、モスクのサイズは縮小された。しかし、ミナレットの高さ、長さについては譲歩されなかった。いずれにせよ、ケルンのモスクに関する議論は長期化する見通しだ」

 以上が記事の要約。

 どうなんでしょう? わたしはいま京都に住んでいますが、この街にたとえばカソリックがすごく増えたとして、巨大なカソリック教会ががんがん増えたら……(ちなみに街には教会もたくさんありますが、それほど目立ちません。教会の鐘は聞こえてくるけど。あと京都御所の東側、寺町通り沿いにも教会があります)。いや、別に増えても構わないけど、清水寺の前あたり、産寧坂の途中にどどーんと教会が建ったら、やっぱりイイ気分ではないような気がする。それは景観的な違和感……ってことなんだけど。
※写真は京都・柳馬場通夷川下ルにある京都ハリストス正教会、上京区下立売通烏丸西入ルにある聖アグネス教会(←ふたつとも、むしろ京都に馴染んでいる感がある)

 反対に時代の流れ、歴史の流れとして、変わっていくことはすごく自然なことのようにも思えます。わたしたちが当たり前と思って見ているものだって、実はどんどん変わっている。歴史あるヨーロッパの街だって100年前と同じかと言えば全然違うわけで。もし、景観を守るっていう意味で異文化的なものを拒むのだとしたら、ここ100年のあいだに建てられた近代的なビルなんかはいいのか、ってことになる。世界遺産に登録されているような歴史地区にマクドナルドやスターバックスが乱立するのはいいのか? 歴史的に意味のある遺跡の上にホテルを建ててもいいのか? 京都だって実際どんだけマンションが乱立していることか。町家、町家と言われるけれど、実際町家はマンションの谷間にひっそりと建っている。

 ドイツという国が、第二次世界大戦を経て国家再生のために移民を奨励した時代があり、その結果としていま現在のドイツがある。そう考えればモスクが建つのも時代の自然な流れなのでは? と思います。ケルンに建設予定のモスクが世界遺産にも登録されているケルン大聖堂のすぐ近くに、まるで対抗するように建つ、というなら問題かなとは思いますが(でもケルン大聖堂の高さは157メートル。50メートルのミナレットなんて小さい、小さいっ)。ミナレットも50メートルっていうけど、どれくらい目立つものなのか。京都タワーは100メートルだけど、河原町辺りからじゃまったく見えない。それに、モスクが必要なほど移民が増えているってことが、戦後ドイツの現実でもあるのだし。

 今年はブラジル移民100周年だけど、ブラジルには日本の仏教がどれくらい浸透しているのかな(新興宗教も多いらしいけど)。ドイツでのモスク建設反対の記事を読んで、ブラジルにおける宗教はどうなのだろうと、ちょっと気になりました。

2008-07-22

学生選抜試験の心のチャンピオン

2008.07.22

 きょうはRadikal/ラディカル紙の7月20日付けのニュースから、ちょっと嬉しくなったお話を。

 見出しは『学生選抜試験における心のチャンピオン』。
 父親が病気になったため家族全員の暮らしを背負って働きつつ、初等および中等教育を学校外で修了した若者が、24歳で初めて受験したOSS(学生選抜試験=かつての共通一次のようなもの)で(全トルコ受験学生中)866番になった。

 Ali Tasar/アリ・タシャルは、メルシン県クムクユ市で2部屋の賃貸住宅に暮らす8人の子持ちのタシャル家の最年長の子ども。まず彼の人生を変えたのは、彼の父が胃潰瘍に冒されたときだった。父が数日働いては数ヶ月床に臥さなければならなくなると、初等教育の第7学年になろうかというアリと、3人の兄弟たちは学校に行けなくなった。家族全員の食い扶持を稼がなければならなくなったアリは、最初の仕事で3人の兄弟を再び学校にやった。このとき、彼自身は学校へ通う同級生を目にしては泣いていた。

 彼の人生を変える2番目のときは、友だちが「Acik Ogretim/オープンスクールでなら、学校に行かなくても学べるよ」と言ったときだった。
 「昼間はぶどう園や養蜂場で働き、夜は勉強に励みました。一度も留年することなく高校までの勉強を終えました。予備校には一度も行ったことがありません。でも、今年OSSに向けて準備しているとき、先生がアダナにある予備校に行くよう薦めてくれました。アダナにあるこの予備校は、わたしに無料授業を保証してくれたんです」

 すべての努力が実り、アリは今年、24歳で初めて受験したOSSのEsik Agirlık 2 (国語と数学の試験らしい)で343.812点を獲得。メルシン県で(OSSを受験した学生のなかで)21番目になり、トルコ全土でも866番になった。アリはいま、望む県の誰もが知っている伝統ある大学のひとつへ行ける。しかし、彼は大学選びでも兄弟のことを考えなくてはならない。

 アリの兄弟のひとり、トプラックは去年ウスパルタ・アナドル高校に合格した。22歳のディレッキはオープンスクールで初等教育を修了した。アイスンは今年アリとともにOSSを受験した。「ずっとアンカラ大学の法学部で学びたいと思っていました」と語るアリは、妹とといっしょに学べる大学を選ぶことになる(別の街で暮らすと高くつくので、兄弟いっしょの街で住める大学を選ぶということ)。


 あきらめないってスゴいですね。もちろん家族の協力もあったと思うけれど、大学に行きたいという気持ちをあきらめずに勉強を続けたからこそ、24歳にして大学生になれる機会が掴めたんだと思います。

 思うに、こういう話って日本でもたくさんあるんじゃないかと思います(事情や状況は多少違ったとしても)。ニュースにならないだけで。やれ「中学生がバスジャック」だの「娘が父親を刺殺」だの、妙なニュースばかり何度も何度も繰り返し報道する代わりに、こういう〈がんばっている若者〉の姿を伝えてほしい。きっと勇気づけられたり、自分もがんばろうって気になる人だっていると思うし。フツーの人が、フツーにがんばっている姿って、一番心に響くんじゃないかなーと思います。

 ※写真はいずれもRadikal/ラディカル紙の記事から。

2008-07-17

Unutulmaz tadi

2008.07.17

 きょうは久々にトルコの思い出話を書こうと思います。

 トルコ料理はうまいっ!と思っているわたしですが、なかでも一番おいしかったと思い出すのはカドキョイにあるCiya Sofrasi/チヤ・ソフラスの料理です。あれは2年半前の冬だったでしょうか。雪は降っていなかったけれど、すごく寒かったように記憶しています。そんなとき胃袋に突き刺さったのが、Sarimsak Asi/サルムサック・アシュという料理。

 サルムサックとはニンニクのことですが、この料理のニンニクはネギのようなカタチをしていて、わたしの知っているニンニクではありませんでした。ニンニクの芽とも違ったし、種類が違うのでしょうか。子羊の肉も使われているのですが、しっかりと「俺様はニンニクだっ」と主張している香りと味のおかげか肉のクセはまったく感じません。それどころか、じっくりと煮込まれた肉はとろけるよう。そこにネギのようなニンニクがたっぷりと絡んで、えも言われぬ美味しさを紡ぎだしていました。

 あまりの美味しさに感動し、ギャルソンのおじさんに「レシピを教えてもらえませんか?」とお願いしたけれど「それは秘密」とつれない返事。取りつく島も無く教えてもらえませんでした。ほかにも2〜3品食べたはずだけど、サルムサック・アシュの印象が強烈すぎて何を食べたのかまったく覚えていません。その数日前にもウスキュダルにある結構有名なレストランに連れて行ってもらったのに〈お腹がいっぱいになりすぎて、翌日何も食べられなかった〉ってことしか覚えていません。他の料理を記憶から消し去ってしまうサムルサック・アシュの存在感は、これからも変わることはないでしょう。

 Ciya Sofrasi/チヤ・ソフラスは、カドキョイの船着場からそれほど遠くないGuneslibahce Sokakにあるので、イスタンブルに行かれたら、ぜひ一度は足を運んでみてください。すぐそばにケバブやピデを気軽に買えるスタンドもありますが、こっちを食べちゃうとレストランの料理が胃袋に収まらなくなります・汗。

 ちなみに、Ciya Sofrasi/チヤ・ソフラスのオーナーは、1960年ガーズィアンテップ生まれ。イスタンブルに店を開いたのは1987年(最初はケバブやピデ、ラフマジュンを売るスタンドから)。それほど古いお店ではありませんが、アンテップと言えば美味いトルコ料理の代名詞。期待を裏切らない美味しさに出会えること保証付きです。
 お店の詳しい所在地はこちら。お店のウェブサイトでもおいしそうな料理がたくさん見られます。

2008-07-16

Istanbul, Avrupa'da en iyi 3. sehri oldu

2008.07.16

 Radikal/ラディカル紙、7月15日付けの記事によると、アメリカの有名な旅行雑誌『トラベル&レジャー』誌のアンケートで今年、イスタンブルは〈欧州で最も良い街〉の第3位に選ばれたそうです。

 同誌が毎年読者アンケートをもとに選出しているWorld's Best Award。世界で最も良いホテル、航空会社、クルーズ、街、諸島ともに、各地域における〈最優秀〉も選ばれる同賞の2008年度版が発表されました。

 これによると、イスタンブルは〈欧州で最も良い街〉第3位。世界的に人気の高いパリやプラハ、ベニス、バルセロナ、ウィーンを抜いて第3位です(ちなみに1位はフィレンツェ、2位はローマと、どちらもイタリアの都市)。
 また、〈世界で最も良い街〉においてもイスタンブルは100点満点中84.61点を獲得して第9位。気になる1位は……バンコクだそうです。2位はブエノスアイレス、3位はケープタウン。続いてシドニー、フィレンツェ、ペルー、ローマ、ニューヨーク、サンフランシスコなどが選ばれています。

 同誌では前述のカテゴリー(ホテルなど)での選出も行なっていますが、イスタンブルのスルタンアフメットにあるフォーシーズンズ・ホテルは〈欧州で最も良いホテル〉の第7位(ちなみに1位はフランスにあるDomaine des Hauts de Loireでした)。さらにさらに、昨年はEurope's Best 50にもランクインしていなかったチュラーン宮殿ホテル(Ciragan Palas Kempinski)が第14位にランクイン! 〈世界で最も良いホテル〉としても第67位になりました! このほかスイスホテル・ザ・ボスフォラスも〈欧州で最も良いホテル〉の第26位に入っています。

 チュラーン宮殿ホテルなんて憧れのまた憧れで、足を踏み入れたこともないけど死ぬまでに1度は行ってみたいなー(フォーシーズンズは中に入ったことがあるし、中庭でカプチーノも飲んだから満足。支払いは自分でしなかったので知らない・・・汗)。
 いまチュラーンのウェブサイトを調べてみたら一番安い部屋で472ユーロ(食事・税別)。つまり、素泊まりで78,265円です(本日レート換算)。タッッッッッッッッッカーーーーーーイッ!!! 反対に一番高いグランド・スルタン・スイートは5,803,525円。想像を超えすぎて、よく分かりませーん。確かにスルタンな値段だわっ。 アラブの石油王とかならポンッと支払えるのかしら???

 トルコ好きとしてはちょっと嬉しいニュースだったので日記に書いてみました(最近の新聞はエルゲネコンとか、アメリカ領事館襲撃とか、AKPの解党訴訟とか……楽しくないニュースばかりで面白くなかったのです・泣)。

2008-07-12

トルコ理解講座のお知らせ

2008.07.12

 きょうは〈トルコ理解講座〉のお知らせです。

 来る8月10日(日)15:00より、京都府国際センター会議室(京都駅ビル9F)にて〈トルコ理解講座〉が開催されます。講演者は、トルコにおける日本語および日本文化研究の第一人者として知られるメテ先生です。







 詳しくはこちら→http://www.kpic.or.jp/npo/turk/index1.html

 Ahmet Mete Tuncoku/アフメット・メテ・トゥンジョク
 1946年 トルコ・デニズリ生まれ。
 1969年 アンカラ大学 政治学部 国際関係学科 卒業
 日本の京都大学法学部にて修士号(1973年)、博士号(1978年)を取得
 1990年よりトルコの中東工科大学教授
 1992年ー1993年 チャナッカレ・オンセキズ・マルトゥ大学の創設に関わり、初代総長となる。
 現在は、中東工科大学 教授

 メテ先生を直接には存じあげませんが、わたしのトルコ語の先生の先生であり、また友だちたちにとっても先生であるため、名前だけはよく知っていて、知らない人という印象がありません。
 そんなメテ先生についてのエピソードをひとつ。トルコ人の友だちから聞いた話です。2001年9月11日の事件をご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、事件の真相がまだハッキリせず、誰もが「一体何が起こっているのだ」と情報が混乱しているとき、トルコでは「日本人によるテロ」というデマが流れたのだそうです。その際、日本語と日本文化研究の第一人者であるメテ先生にもメディアからのインタビューがあったのですが、メテ先生はきっぱりと「日本人ではない。日本人はこんなことはしない」とおっしゃったそうです。まだ、情報が錯綜している段階で、なぜ「日本人によるテロ」というデマが流れたのかは分かりませんが(オサマ・ビン・ラディンがビデオのなかで日本のカミカゼ特攻隊について触れ、日本人なら理解してくれるだろうと語っていましたから、あのへんからデマが流れたのかもしれませんね)、そんなときもメテ先生は断固とした態度で、その情報がデマであると言われたそうです。

 もちろん、国際関係の研究者で、日本語や日本文化にも通じ、また政治学なども専攻されていた方ですから、冷静に考えて日本人テロリストがアメリカの貿易センターに特攻をしかける……なんて考えにくいとは思うのですが、それでもこの話を聞いて、すごく頼もしいと感じました。

 いまトルコに住んでいる友だちも日本のことが大好きで、言語・文化にも通じていますが、やはり何年も住んでいるうちに日本の欠点だって見えただろうし、イヤな人間にも会ったはずです。でも、世界中で報道された秋葉原の事件が起こったとき、トルコでも話題になってネット・コミュニティーで日本や日本人を悪く言う人が出て来たとき、「1人の日本人の行為で日本全体を語ってはならない」「日本はあなたが言うような国ではない」と諭してくれたそうです。

 そんなふうに日本を愛してくれるトルコ人がいることを、わたしはとても嬉しく、そして頼もしく感じます。

 ちょっと話がズレてしまいましたが、メテ先生の講演が聴けるってすごいことだと思いますので、トルコに興味がある皆さん、ぜひ参加してみてください!

2008-07-10

Turku/トルコ民謡が物語るもの

2008.07.10

 きょうはRadikal/ラディカル紙で見つけた記事。この夏、もしボドルムやマルマリス、フェティエなど、トルコのムーラ県にあるリゾート地に行く……という方は、ちょっと足を伸ばしてみませんか? バスで行けるのかどうかは不明ですが(汗。レンタカーだと結構簡単に行けそうなところのお話です。 (写真はGoogle Mapで検索したCaybuku村と、そこにある喫茶所)

 年間4万人が訪れる〈ベレン喫茶〉

 トルコ南西部、エーゲ海地方のムーラ県にあるCaybuku/チャイビュキュ(昔はゲベネスと呼ばれていた)という小さな村に有名なトルコ民謡「Ormanci/森の番人」に登場する〈ベレン喫茶〉があります。ムーラ県によって修復され、2005年4月6日に新しくオープンしたこのお店では昔のようにボードゲームのチェッカーが楽しまれ、定期的に民謡「森の番人」が奏でられ、年間平均4万人の観光客が訪れる観光スポットになっているそうです。

 民謡で歌われる事件は、とても単純な言い争いから起こりました。
 地主の息子であったムスタファ・シャフブダックと、村長のテヴフィク・ジェザイルは親友でした。毎晩、村の喫茶所でチェッカーに興じるふたりの姿はいつも喫茶所にいる者たちに目撃されていたそうです。
 1946年の7月のある日、事件は起こります。ムスタファとデヴフィクは、いつものように村の喫茶所で頭を付き合わせ、くだんのボードゲームに興じていました。ゲームも中盤にさしかかった頃、「黄色いメメット」というあだ名で知られる森の番人メフメット・インが酔っぱらって突然店に入ってきました。
 ちょうどその前日、近隣の農村で火事があり、森の番人はその報告書を郡の役所にもっていくため村長のところの門番に留守を頼みたいと言いました。村長は、門番が別の街に行く予定があるからダメだと答え、言い争いが始まりました。
 最初、森の番人がチェッカー板にげんこつを振り下ろしました。いっしょにいたムスタファはこのふるまいに我慢できず森の番人を殴ります。言い争いが大きくになるにつれて森の番人は短剣を取り出してムスタファの腕を斬りつけました。これに対してムスタファは森の番人を脅そうと銃を取り出して発砲しました。ところが銃弾は親友である村長のテヴフィクに当たってしまいます。彼はすぐに病院に運ばれましたが手遅れでした。彼は手を振ってムスタファを呼び、「わたしは死ぬ。キミを許すよ」と言って事切れました。 ※写真左が森の番人のメフメット、中央が亡くなったテヴフィク、右がムスタファ(事件当時24歳)※写真はかつての〈ベレン喫茶〉の面影

 親友を失ったムスタファは気落ちし、争うのを諦めて4年の刑に服しました。また、森の番人のメフメットは「もうこの地にいられない」と転勤を願い、カヴァクルデレの森林局へと移ったが、退職後再びムーラへと移り住み、90年代の初めに亡くなった。ムスタファも刑務所を出たあと、辛い思い出がいっぱいの場所では暮らせないとムーラへ移り住んだ(2005年3月28日にイズミル・エーゲ病院にて83歳で逝去)。そして伴侶を失ったテヴフィクの妻はその哀しみに耐えられず数年後に正気を失ってしまった。

 そんな村の悲しい物語をムスタファの母方の親戚であった粉屋のピシリ・タヒル親方(↑写真)が民謡にして歌った。

 「Ormanci/森の番人」というトルコ民謡の舞台となった〈ベレン喫茶〉は村を見下ろす丘の上にある。喫茶所のあらゆる場所に、この民謡の内容を紹介する文章が貼られている。この喫茶所で民謡を歌う者のリストにはKemal Aydin/ケマル・アイドゥンの名前も見られる。(以上、Radikal/ラディカル紙より抜粋)


 最近、NHKの『シルクロード ローマへの道 第11巻 騎馬・隊商の道』という本を読んで、Ask/アーシュクと呼ばれるトルコの吟遊詩人に興味をもっていたので、この〈ベレン喫茶〉にも行ってみたくなりました。地のトルコ民謡を聴いてみたいっ!!! ムーラというと、まだ行ったことのないわたしのイメージは映画『Dondurmam gaymak』の世界なのですが、あののんびりした時間と〈ベレン喫茶〉の空気感が重なって、日常とは違う時間を過ごせそうな気がするのです。

2008-07-07

Baspehlivan, Recep Kara oldu

2008.07.07

 先日日記に書いたKirkpinar Gunesleri/クルクプナル・オイルレスリングの勝者が決定いたしましたー!

 きのう付けのHurriyet/ヒューリエット紙によると「第647回エディルネ伝統クルクプナル・オイルレスリングにおいて、ライバルのEkrem Yavuz/エクレム・ヤヴゥズを破ったRecep Kara/レジェップ・カラがBaspehlivan/バシュペフリバン(優勝者・写真)になった」とか。

 「クルクプナルにおいて、バシュペフリバンを決める戦いは夕方6時15分に始まった。(中略)ふつう35分で決着が着かなかったため、10分の延長戦に入った。延長戦でレジェップ・カラはライバルのエクレム・ヤヴゥズから3ポイントを奪い、試合の勝者となった。」


 ちなみに、レジェップ・カラさんが出場したバシュペフリバンのカテゴリーには55人が参戦。そのほかもカテゴリーも合わせると全部で1822人のペフリバンたちが参加したそうです。

写真は、Turkiye Gures Federasyon/トルコレスリング協会から。

2008-07-05

Kirkpinar / クルクプナル

2008.07.05

 暑いですねー。そんななか、トルコのエディルネ(トルコ最西端、東トラキア地方の国境地帯に広がるエディルネ県の県都)では、伝統のクルクプナル・ヤール・ギュネシレリ(オイルレスリング)大会が開催中です(6月30日〜明日7月5日まで)。

 きょう、インターネットで新聞をチェックしていたら、Yeni Safak/イェニ・シャファク紙にこんな記事が。
 「世界的に有名な検索サイトGoogleでは、第647回伝統オイルレスリング大会にあわせてトップページに特別なロゴを準備した」

 Googleをご利用のみなさんは、ご存知ですよね? トップページのロゴの部分がその国の祝祭日やイベントに合わせてデザインされていること。

 「6月23日に、特別ロゴ・コンテストを実施したグーグルは、トルコの特別な日や大切なイベントに向けて関心を寄せている。エディルネ市の副市長ナムク・ケマル・ドゥレネケンは、トップページをオイルレスリングのモチーフでデザインしたグーグルのエスプリを『素晴らしい!』と評した。ドゥレネケンは『グーグルが、オイルレスリングのデザインを用いたのは素晴らしいことだ。オイルレスリングの告知促進において、このデザインのために働いてくれたすべての人に感謝します』と話した」

 ……と話題になっているのが、上の写真のデザイン(きょう、トルコ語のGoogleサイトをチェックしましたが、もうフツーに戻ってました。残念)。

 オスマン帝国時代から続く伝統ある競技、オイルレスリング。それが何故Kirkpinal/クルクプナルと言われているかは、JP-TRサイトに書かれているので興味のある方はぜひっ! いずれにしろ、クルクプナルのチャンピオンになるってことは、トルコでとっても栄誉なこと。今年は、誰がチャンピオンになるのでしょう?

 ※写真はYeni Safak/イェニ・シャファク紙の記事よりGoogleのトップページ・ロゴ、もうひとつはKirkpinar.comというサイトから、ペリヴァンと呼ばれるオイルレスリングの競技者たち。

2008-07-03

坊さんが驚いた

2008.07.03

 1週間、休んでしまいました。EURO2008に盛り上がりすぎて脱力してしまったみたいです。

 さて、実は7月1日からプー太郎になりました。これまでもアルバイトの身ではあったのですが、いろいろと考えるところもあってプーに。この歳で、こんないい加減な生活をしていて良いのか? と思ったりもするのですが、一応春から学校にも行っているのでプーのあいだは勉強に打ち込みたいと思います。

 さて、そんなわけで時間はあり、昨日念願のImam Bayirdi/イマム・バユルドゥというナス料理に挑戦しました(イマムとはイスラムの坊さん、バユルドゥは“驚いてぶっ倒れた”という意味。つまり、美味すぎて「坊さんもぶっ倒れた」という名前の料理です)。ナスの季節だし、冷たく冷やして食べる料理なのでいいかな〜♪と思って。手間がかかる(汗、難しそう(泣……というイメージでしたが、作ってみると思ったほどではありませんでした(手間は手間でしたが。油も飛ぶし……)。

 まず、丸々と太ったナス(6個)のヘタを取って縞模様になるよう縦に皮をむき、後で具を入れるための切り込みを入れる。これを油できつね色になるまで揚げ、冷ましておく。※わたしは油を少なめにして、ナスを何度も転がしながら揚げました。

 タマネギ(2個)とニンニク(4片)を薄くスライス、トマト(皮むき・2個)を細かく切り、シシトウも小口切りにしておく。たっぷりのオリーブオイルでまずタマネギを炒め、しんなりしてきたら残りの野菜を全部加えて塩で味付け、冷ましておく。

 ある程度冷めたら、揚げておいたナスの切り込みを手で開き(ナスがふたつに切れてしまわないよう注意)、痛めた野菜を詰める。オリーブオイル1/6カップ、はちみつ大さじ1、塩少々、水2カップを入れた鍋にナスを並べて中火で煮る。

 以上、出来上がったら冷蔵庫で冷やすだけ。オリーブオイルをたっぷり使った冷たいナス料理は夏におすすめです。ちなみに、このレシピは高橋由佳利さんの『トルコで私も考えた 21世紀編』の単行本に掲載されていたもの。高橋先生のレシピでは砂糖大さじ1となっていましたが、うちには砂糖がなかったのでハチミツで代用しました。また、調味料らしきものが塩とハチミツ(砂糖)のみなので、本当に大丈夫なのか? と少し心配でしたが全然OKでした。本日のお昼ご飯に食べましたが、我ながら美味かったです。

 なお、高橋由佳利さんの『トルコで私も考えた』シリーズは、この21世紀編をもってひとまず終了してしまいました(もっと続けてほしかった・泣)。今後、この漫画が復活するか否かはまさしく神のみぞ知る。残念ではありますが、トルコの魅力をいっぱいに詰め込んだこの本が、たくさんの人の心に「トルコってステキな国だな〜♪」という夢を運んでくれたと思うと嬉しくなります。みなさんも機会があったら、ぜひ手に取ってみてください。この21世紀編には、トルコ料理レシピも多いのでオススメですよー!