2008-08-28

Lego ile yapilan Turkiye'nin Dunya Mirasi Nedir?

2008.08.28


 いま、大阪の堂島・リバーフォーラム(ABC朝日放送のすぐ横)という場所で『PEICE OF PEACE 「レゴ」で作った世界遺産展 PART2』という催しをやっています。特に興味があったわけではないのですが、見に行った知り合いに「トルコもあったよ」と言われて、それはこの目で見て、写真を撮ってこなくっちゃ……と足を伸ばしたわけです(なーんて、実はいまのバイト先から徒歩3分の超近場だったってだけなんですけど)。

 場内には世界20カ国26件のレゴブロックで作られた世界遺産が並んでいました。たとえば・・・

◎ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター大寺院および聖マーガレット協会(英国)










◎クレムリンと赤の広場(ロシア)












◎カトマンズの谷・スワヤンプナート寺院(ネパール)










◎ガウディのサグラダ・ファミリア(スペイン)










◎奈良・法隆寺(日本)











◎安芸の宮島・厳島神社(日本)











 ……と前置きが長くなってしまいましたが、やっぱり一番気になったのはトルコ。さて、何がレゴブロックで作られていたと思いますか?(別に意外じゃなく、フツーに考えれば分かります)。









 答えは・・・はいっ、正解。 ブルーモスクとも呼ばれるスルタン・アフメット・ジャーミーでしたー。
 使われたレゴピースは全部で11000個、制作日数19日というなかなかの大作。面白かったのは、このジャーミーを上空からの視点で見られたこと、そしてかつてミナレットに上ってエザーンを唱えたであろう人物に近い視点を得られたことです。

 この催し、大阪では8月31日で終了となりますが、公式サイトによるとその後も全国を巡回するそうなので、近くに来たときに見に行ってみては? 入場料は大人300円、小学生100円、小学生未満は無料でした。

 ※写真撮影は、バイト先の大・大・大先輩(ここではKeithと書いておきます)がしてくれました

2008-08-22

いまのトルコが少し見えてくる本

2008.08.23

 『トルコ狂乱』から再び、トルコ本ネタです(ビミョーに古い情報でスミマセンッ)。


 今年の5月30日に藤原書店の学芸季刊誌『環(かん)』の別冊として『トルコとは何か(3200円+税)』が出ました(写真)。
 藤原書店と言えば、トルコ初のノーベル賞作家であるオルハン・パムクの著書を出している出版社。この別冊も、後半は〈オルハン・パムクの世界〉〈パムクおよびその作品と、トルコを考えるうえで必読の文芸論〉といった企画が立っていて、多少パムク・プロモーションの意図が感じられるものの、寄稿者の顔ぶれも多彩で読み応えのある一冊でした。※約1/3はパムク関連

 つい最近になって「やっぱり読んでおこう」と思って購入したのですが(最初は3200円という値段に腰が引けて手が出なかった)、冒頭の座談会(澁澤幸子[作家]+永田雄三[明治大学教授/オスマン帝国史]+三木亘[慶応義塾大学特選塾員/中東歴史生態学])をはじめ、一橋大学大学院教授・内藤正典氏の『トルコ共和国の根幹』、立教大学教授・設楽國廣氏の『イスラムとトルコ』、漫画家・横田吉昭氏の『トルコ漫画小史』、東洋大学准教授・三沢伸生氏の『日本・トルコ関係小史』などなど、本誌は既に知っている……と思っていたことを改めて見直したり、イメージや考えを修正する機会を与えてくれました。

 そんななか印象に残っている部分を少しだけ紹介します。
 まず、座談会にも登場した三木氏の寄稿から。
 「18世紀ー19世紀、決定的には19世紀に、近代ヨーロッパなる非常に暴力的なものが西北ヨーロッパから登場して、インド・ヨーロッパ語族だとか、黒と白と黄色の人種論だとかいう観念的なイデオロギーを発明して、自分たちは白で一番上等なインド・ヨーロッパ語族の大将なんだという奇妙な理論を展開した。
 19世紀以降のマイノリティなるものは、そのインド・ヨーロッパ語族なる言語理論が作り出したんだと思います。」

 インド・ヨーロッパ語族というと???だけど、つまりは帝国主義だと言い換えることができるでしょう。帝国主義を旗印として他の民族・国家を侵略する際に、マイノリティという思想を上手に利用した。クルド人の問題はまさにこれだ、と一刀両断に語ることはできませんが、多分にその要素を含んでいるだろうし、いまなおそれは続いていると感じます。


 もうひとつ気になったのは内藤先生の寄稿『トルコ共和国の根幹』です。
 「一体不可分の国民国家」「民主国家」そして「世俗国家」がトルコの基本原則だと述べたうえで、昨年の総選挙からギュル大統領選出、世俗主義政党の敗北と民族主義の高揚、軍の役割、大学生のスカーフ解禁、北イラクへの越境攻撃、そして現与党(AKP=公正発展党)への解散請求訴訟まで、直近の出来事を挙げながら現在進行形のトルコを論じていますが、一番印象深かったのはトルコ軍に関する記述でした。

 「トルコ軍というと、欧米ではトルコ民主化の障害であるかのように言われることが多い。」

 「外から見ていると、(トルコ)軍が相変わらず力をもって政治に介入しているように見える。トルコの場合、政治そのものは民主化が進んでいるから軍の干渉と映るのは当然である。だが、視点を変えてみると、軍が持っている別の側面が見えてくる。(中略)
 軍部は、“トルコ国軍が共和国憲法にのみ拘束されている”ことを明言する。もちろん、議会が派兵を決定すれば軍も従わざるを得ないのだが、それ以前に派兵が憲法上疑義があることを繰り返し主張する。だから文民統制が未成熟だと言われるのだが、結果としてトルコは2回の戦争とも派兵しなかった。トルコ軍の“武力行使を国家と国民の安全と一体性を守ること以外に認めない”という憲法上の規定に従ったからである。つまり、トルコの場合、“最強の護憲勢力が軍”だと言うことができる。」※文中の“ ”はわたしが付けました。


 1960年と1980年の2度のクーデタ、1997年には福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込んだ……など、文字面だけを追い、西欧的な視点だけで見てしまうと、トルコ軍というのがまさしく民主化の障害のように思えたりするのですが、その実体は違うように思います。
 もちろん、97年のように強権発動はもうできませんし、やれば国際世論からのトルコ軍バッシングは避けられません。それでも軍は常に警告を、世俗主義の守護者としてのメッセージを発信し続けています。こうした動きも結局はバランスの問題で、やりすぎてはダメなのだけど、トルコ軍の存在というのは、日本のそれや、諸外国のものとは一線を画すものとして見る必要があると感じました。 ※写真はトルコ軍の公式ウェブサイト(ビュユクアヌト参謀総長がすごい笑顔だ……こうして笑っていると長い顔もなかなかカワイイ♪ ちなみに彼はフェネルバフチェ・サポです)

 すでに述べたように、トルコでは世俗主義原則に反したとしてAKPに対する解散請求訴訟が起こされ、全世界の注目を集めました。国民によって選ばれた与党に対する解散請求です。New York Timesのコラムニストだったかは、これを「トルコは、イスラムの実験室である」というタイトルで論じていて、その論調は「もし解散させられるようなことがあれば民主国家ではないと言わざるを得ない」と匂わせるものでした。
 結局、7月末の憲法裁判所の判決は「違憲」でしたが、解散ではなく罰金刑が課されました(政党助成金半分カット)。

 この先、トルコがどのように変化していくのか。どんな解決策を見つけ出し、どこに着地するのか。まだまだ目が離せませんが、内藤先生の寄稿で、前よりは少しだけトルコ軍を理解できた気がするし、これからは軍部が出すメッセージ、スタンスなどにも注目しながら見守りたいと思います。

Yuksekova/ユクセッコヴァ

2008.08.22

 いまトルコで話題になってるひとりの若者がいます。それがハッカリ県出身の19歳、Irfan Toreci/イルファン・トゥレジくん。「ハッカリの羊飼いが、ハジェテペ大学の医学部に合格した!!!」と、あちこちのメディアで取り沙汰されています。

これがイルファンくん(なかなかの男前、というか優しそうな男の子です)→




 何がそんなにすごいのか。まずハッカリ県というのは、トルコの最南東部にある県で、イラクやイランと国境を接しているところです(地図参照)。15年前のベルリン映画祭で審査委員特別賞を受賞した『ハッカリの季節』という映画がありますが、その舞台となった場所で、3000メートル級の山々がそびえ、その渓谷に村々が点在していて、冬には雪に埋もれて外の世界とは完全に隔絶されてしまったりします。

 そんなハッカリ県ユクセッコヴァ郡の村で生まれ育ち、羊飼いをしていた青年が、ハジェテペ大学の医学部に合格。ハジェテペ大学というのは首都アンカラにある国立大学で、トルコでも指折りの知らない人がいない超有名大学です。しかもその医学部に合格したということで、たいへん話題になりました。

 田舎の青年が首都アンカラの有名大学に合格したくらいで……と思うかもしれませんが、彼の暮らしているハッカリ県というのは、PKKのテロ組織とトルコ軍が局地戦を戦っている場所でもあり、彼が住む村の山の向こうにはテロ組織が潜んでいるやもしれぬ……そんな場所なのです。また、彼は小さい頃に感電して右腕を失っており(村に医者がいれば、腕を失うことはなかった……と本人は語っています)、それもこのサクセスストーリーを揺るぎないものにしているようです。

 羊飼い、羊飼い、とメディアではことさら強調されていますが、本人によると「羊飼いをするのは当然です。(住んでいる地域では)みながこれをしなければならない。これこそが生活の糧」であり、職業として羊飼いを選んだのではなく、そこに生まれ育った人間なら当然の責務としてその仕事をする、と説明しています。※写真の羊飼いは、このイルファンくんです。おそらくメディアの要望もあってこの写真を撮られたようですが、本人は「うちの村では羊飼いの服を着ている人がたくさんいるから、自分もこの出で立ちで写真に撮られて満足」だったようです。


      
 さて、わたしもこのニュースを読んで驚嘆したのですが、気になったのはYuksekovaというところ。田舎、田舎と言われるけど、果たしてどんなところなんだろう……と思って探したら、この自治体のホームページにフォトギャラリーがあり、その一部を見ることができました。

 それがこちらの写真(→)。
市街地はそれなりに“街”になっていますが、まわりは見渡す限り山だと思います(Google Earthで見るとよく分かる)。こんなにキレイな場所のすぐ近くで対テロの戦闘が行なわれているなんて、にわかには信じ難いですが、悲しいかな事実なんですよね。

 でも、緑が本当にキレイ。水も澄んでいるようです(山の雪解け水かな?)。アンカラあたりだと飛行機から見ても乾いた大地って感じで緑がほとんど見当たらない、というかポツポツと木が生えている禿げ山っぽい感じなのですが、このあたりは本当に自然が美しいですねー。ヤバッ、行きたくなってきた。友だちを誘っても誰もいっしょに行ってくれなさそうだけど・泣。

2008-08-21

メテ先生 講演会/Mete Hocanin konferansi

2008.08.21

 ブログ更新からすっかり遠ざかってしまっています。ブログに取り上げる材料探しの時間もなく、夏だけが過ぎていきます。

 きょう、先日のブログでも取り上げた京都府国際センターでの“トルコ理解講座”ー講演会「ヨーロッパとアジアの狭間で」の報告です。……と言っても、当日はもっぱら裏方に徹してお茶とお菓子の準備に追われていたため、講演会そのものを聞くことはほとんどできませんでした(残念)。なので、この講演会を取り上げた産經新聞の記事を紹介してお茶を濁しておこうかと……(^ ^;;

 その記事がこちら。産經新聞8月18日(月)朝刊の京阪奈・京市内版(24ページ)に掲載されました。
 記事にもありますが、定員50名のところ申込者数が70名あり、実際の来場者も60人以上と大盛況。講演の方は聞いていないので何ともコメントできないのですが、ヴァクラヴァ(トルコのお菓子)とチャイ(トルコの紅茶)を喜んでくださった方も多く、まぁまぁ良かったかな……と思っています。

 メテ先生は講演の後の質疑応答の際に「トルコと日本は良い関係にあるけれど、この関係を継続・発展させていくためには個人間の交流をもっと促進するべきだ」といった主旨のことを言われたました。現在、トルコと日本をダイレクトでつなぐ飛行機=トルコ航空は毎日就航(7月6日〜9月8日の2ヶ月のみ)していますが、通常夏期は週6便。おそらく冬期は週4便に減るんじゃなかったかなー(うろ覚え)。一時は関空離着陸便がゼロになったこともあったし、単純に飛行機の便数だけでは計れないけれど、まずはこの路線が一年を通して毎日運行されるようになってほしいな、と思います。旅行者だけでなく、学生や研究者、ビジネスマンが互いに行き来し、それが継続すれば路線充実も約束されるんだろうけど。

 あ、そうそう。後で聞いたのですが、講演会でメテ先生は「自分も妻も黒髪なのに、金髪のクルクルカールの子どもが生まれた。それくらいトルコは民族が混じっている」と言って、トルコ人の混血性を紹介されたそうです。
 トルコには少数のエスニックもたくさんいるけれど、その民族がまったく他民族と交わらなかった……ってことは考えられないし、民族固有の言葉や文化を守るのとは別に、トルコで民族を主張するって難しい気がしました(良くないという意味ではなく、民族を主張できるほど純血ではないという意味で)。東西の十字路であったということは、それだけ人も往来したってことだし、そのなかで混ざりあって来たはずだから。

 去年もこのブログAttila Durakという写真家の話として「トルコはモザイクではない。つまり、モザイクのようにそれぞれの民族や文化の間に溝が存在しない。むしろマーブルのように混ざりあっている。」という言葉を紹介したのだけど、“血”という意味では本当にそうだと思う。それはマーブルのように混じりあって、もはや分けることはできないし、それこそがトルコ人だと思う。だから、伝統・文化の継承とは別のところで、エスニックをことさら主張するってことが、なんとなく虚しい気もするのです。だって、いま現在のトルコがそうした混じりあいのなかで重層的な魅力を生み出しているのだから。


 あー、メテ先生の話から相当ずれてしまった。すみません。
 ちなみに、Attila Durakの力作写真集(写真:実際に見て手にすると、すごいボリュームです。でかいし重い)は、Amazon.comでも買えます(リンクはトルコ語版ですが、英語版もあります)。

2008-08-11

Su Cilgin Turkler/トルコ狂乱

2008.08.11

 2週間以上のご無沙汰でした。
 この本を読んでいるあいだ、ずっとパソコンから離れていたのと、8月から再び〈書く〉仕事を始めてしまって、ちょっと書くことから遠ざかってしまいました。 相変わらず暑いですが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?

 さて、トルコで空前の大ベストセラーとなった『Su Cilgin Turkler』という本が日本語に翻訳され、『トルコ狂乱』というタイトルで7月23日に発行されました。数ヶ月前に日本語で出るらしい……という話は聞いていたのですが、出版社がどこか分からず頭の片隅にはあるけれど行動できない、という状況。偶然7月26日に来日したトルコ人の友人と晩ご飯を食べているときに「日本でも出版されたらしいね。新聞で読んだよ」と言われ、「えーっ!!! じゃあ、すぐ買いに行くっ!!!」と本屋に走り、約1週間で読み切りました。

 この本、副題が「オスマン帝国の崩壊とアタチュルクの戦争」となっているのですが、時期的にはイギリスのサポートを得てギリシャがアナトリアに攻め入り、後退したトルコが最後の戦いを仕掛ける、サカリヤ会戦前〜サカリヤ会戦〜イズミル奪還までを描いています。
が、純粋な歴史書ではなく、“小説”です。司馬遼太郎的な手法で書かれた本と言うと分かりやすいでしょうか。実際、読んでいる途中で何度も『坂の上の雲』を読んでいたときに似た感じを覚えました。

 司馬遼太郎の小説手法、また“司馬史観”と言われる歴史の見方には賛否両論ありますが、歴史に興味を持つ、歴史上の人物を知るきっかけとして、小説のカタチで歴史を記す、という方法にはある程度の効果があると思います(もちろん、その“小説”世界がすべてと思ってしまうと少々問題アリなのですが)。『トルコ狂乱』の著者トゥルグット・オザクマン氏は、最近のトルコの若者が自国の歴史を知らない(共和国建国の過程を知らない)ことを憂慮して筆を執った、といった類いのこともおっしゃっていて、入り口としては入りやすい入り口を作られたな、と思います。※写真がトゥルグット・オザクマン氏:どこかの本屋でのサイン会らしい(Vikipediaより)

 わたし自身、これまでトルコ建国についての(主にアタチュルクの)本を何冊か読んできましたが、いままでで一番「アタチュルクのトルコ」ではなく、「フツーのトルコ人のトルコ」が見えた本だったように思います。『トルコ狂乱』を読んで感じたのは、「現在のトルコを作ったのはアタチュルク個人ではなく、アナトリアに住んでいたフツーのトルコ人が、初めて“トルコ人”としての自覚を持って独立解放戦線に臨み、共和国建国の礎になったのだ」ということでした。アタチュルクは建国の父と言われますが、その母となったのは、間違いなくこの国民だったのだ、と思わされました。

 第一次大戦中に起こったアルメニア人の問題など「未解決」の問題が断定的にトルコ側からの視点で論じられるという部分もありましたが、現在のトルコがいかにして生まれたのか、“生みの苦しみ”がいかなるものであったかを知るには良い1冊ではないかと思います。また、この頃のトルコは帝国主義の何たるかを知るにも分かりやすいためオススメです。
 訳者あとがきによると、本著書はトルコで正規版が60万部、そして海賊版が300万部売れたという驚異の大ベストセラーだったそう(海賊版が正規版の5倍売れているあたり、トルコだなぁと、ちょっと可笑しかった。でも合計で360万部です)。3990円と高いのがちょっと痛かったけど、改めてトルコ共和国を生い立ちを学び直せた気がしています。 ※写真は大阪・堂島アバンザにあるジュンク堂書店に並んでいるところ。本屋によって〈小説〉コーナーに置いてあるところもあれば、〈人文科学〉系コーナー(専門書)に置いてあるところもあったりして、ややこしい。


 本当は前回の「チーズ天国」のつづきを書く予定にしていたのですが……(またいつか機会があれば書きます)。