2008-05-30

勝てー、勝つんだターキー!

2008.05.30

 オーストリアとスイスで開催されるユーロ2008に参戦する16チーム23人の登録が明らかになりました。欧州の強豪については日本のメディア(スポナビなど)でも触れられていますが、やはりトルコについては記事がないので勝手にここで紹介します。

 グループAとなったトルコ(ほかスイス、チェコ、ポルトガル)の登録選手は以下のとおり。

GK:ヴォルカン・デミレル(フェネルバフチェ)
   リュシュトゥ・レチベル(ベシクタシュ)
   トルガ・ゼンギン(トラブゾンスポル)
 ※どうでもいいことですが、Zengin/ゼンギンとはお金持ちという意味です。名前の方のTolga/トルガも兵隊や消防士が被るヘルメットのことなので、この人の名前は日本語的に言うと「金持ちの兜」ですね(笑。

DF:サブリ・サルオール(ガラタサライ)
   ギョクハン・ザン(ベシクタシュ)
   エムレ・アシュク(アンカラスポル)
   セルベト・チェティン(ガラタサライ)
   ハカン・カディル・バルタ(ガラタサライ)
   ウール・ボラル(フェネルバフチェ)
   エムレ・ギュンギョル(ガラタサライ)
 ※なんだかえらくガラタサライなディフェンスです。













MF:メフメット・アウレリオ(フェネルバフチェ)
   メフメット・トパル(ガラタサライ)
   エムレ・ベリョズオール(ニューカッスル・ユナイテッド/英)
   テュメル・メティン(ラリッサ/希)
   ハミト・アルトゥントップ(バイエルン・ミュンヘン/独)
   アイハン・アクマン(ガラタサライ)
   アルダ・トゥラン(ガラタサライ)
   トゥンジャイ・シャンル(ミドルズブラ/英)
   カズム・カズム(フェネルバフチェ)
 ※ご存知の方も多いと思いますが、メフメット・アウレリオ(元名:マルコ・アウレリオ)はブラジルからの帰化選手です。おなじくカズム・カズム(英名:コリン・カズム・リチャーズ)も生まれは英国。お母さんがキプロスのトルコ人で、国籍としてトルコを選んだため現在はナショナルチームの一員です。

FW:ギョクデニズ・カラデニズ(ルビン・カザン/露)
   ニハト・カフヴェヂ(ビジャレアル/西)
   セミヒ・シェントゥルク(フェネルバフチェ)
   メヴリュト・エルディンチ(FCソショー/仏)
 ※また名前ネタで申し訳ないですが、Gokdeniz Karadeniz/ギョクデニズ・カラデニズという漫才コンビみたいな名前の彼は直訳すると「黒海空海」です(なんか偉そー)。

 でもって監督はおなじみファーティ・テリム氏。

 今回の選出で、ドイツでプレーする(ていうか、もともとドイツ生まれなんだけど)ハリル・アルトゥントップ(MF登録のハミト・アルトゥントップの双子のお兄ちゃん。シャルケ04所属選手)と、ユルドゥライ・バシュトゥルク(2002年の日韓W杯でも活躍。現シュトゥットガルト所属)が外れたのが、トルコはもとより彼らの生誕地であり現プレー中のドイツでも驚きをもって伝えられたもよう。「えっ、なんで彼らが?」というのが正直なところでしょう。さて、これが吉と出るか凶と出るか???

 選手選出って確かに難しいし、批判対象になりやすいと思う。言う方は無責任だし。それで勝ち進んだら「やっぱり名将。テリム、すごいっ」ということになるし、負けたら「どう責任をとるんだっ」てことになるわけで。いずれにしろユーロは大会格付けも高いし、世界中のフットボールファンが注目している大会ですから、ここで勝つ・負けるは大きい。2006年のW杯に出場していないだけに、ここらでトルコの名を欧州に轟かせてほしいのだけど。

 6月7日の開幕戦からいきなりクリスチアーノ・ロナウドを擁するポルトガルと対戦のトルコ。2007-2008シーズンで優勝し、チャンピオンズ・リーグでも見事優勝を勝ち取ったマンUでロナウドが消耗し、ユーロに力を残していないのを願いつつ・・・(なんと消極的な考え方)。でも、ここで勝つと俄然勢いづくはず。チェコも、スイスも、ポルトガル相手には勝ち点1(引き分け)以上が狙いだろうし。なんとしても敗戦を避け、2位までに食い込みたいと考えているはず。

 とはいえ、6月11日は因縁のスイス戦(2006W杯の雪辱が蘇る。しかも負け戦のあとの乱闘でトルコは痛ーいペナルティーを食らったし。←これを忘れているトルコ人はいないはずだ。でも、開催場所はバーゼルなのでスイスホーム。すごいブーイングを受けそうで怖い……。
 そして6月15日には、またまた手強そうなチェコ(ほとんど海外で活躍中の選手ばかり)。第一、彼らに勝つためにはチェク(チェルシー)の守るゴールをこじ開けなくてはいけないし。日本と同じでFWがちと頼りないトルコ。なんとか初戦ポルトガルに勝ち、勢いに乗ってグループを突破してほしい(切なる願い)。

2008-05-28

カンヌで、もうひとつの物語・・・

2008.05.28

 先日、カンヌ映画祭で『Uc Maymun/Three Monkeys』をコンペティション部門に出品していたNuri Bilge Ceylan/ヌリ・ビルゲ・ジェイランが見事監督賞を受賞した、と書きましたが、昨日のZaman/ザマン紙でもう一人受賞したトルコ人がいたことを知りました。しかも最高賞のパルムドールを。

 今年、第61回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したのは、ローラン・カンテ監督作『Entre les Murs/英題The Class』。フランソワ・ベガドーの自叙伝が原作の同映画は、フランスのある中学校を舞台に家庭事情や言葉の壁、素行の悪さなど、さまざまな問題を抱える生徒たちを相手に教師が奮闘するというストーリー。で、受賞したトルコ人とは?

 監督や原作者であり、主演のベガドー(原作者自身が教師を演じている)とともにパルムドールを審査委員長ショーン・ペンから受け取ったのはBurak Ozyilmaz/ブラク・オズユルマズくん(15歳)。同映画に学生役として出演しています(写真でもホラッ、ちゃっかり監督の肩越しに写っていますよ)。移民の多いフランスの混合社会を学校を舞台に教師の目を通して描いた、というこの映画。学生役で出演しているのはフランスの学校の生徒から選んだ素人の俳優さんなのだとか。そのなかにサムソン出身の両親(記事ではフランスへの出稼ぎ労働者と書かれていました)をもつブラク・オズユルマズくんがいたわけです(役的にもトルコ系移民の子ども、という設定なのかも)。

 パリに暮らす15歳のブラクくんは受賞後「嬉しすぎて戸惑っています。ショックです。1番になれるなんてまったく思っていなかったから。とても感動的な瞬間で、みんな泣いちゃいました」とZaman/ザマン紙に語ったそう。本当は映画祭最終日に何人かの役者友達といっしょに「もうパリへ帰っちゃおう」と決めていたらしいのですが、受賞の知らせを聞いて急遽予定変更。授賞式に出席したそうです(写真:左の方で黒ぶちの眼鏡をかけているのがブラクくんです)。

 トルコの黒海地方・サムソン出身で、パリへ出稼ぎ労働者としてやってきた両親のもとで育っているブラクくんですが、なんでも毎年夏にはトルコに里帰りしているそう。まだ15歳だし、おそらくパリで生まれてパリで育っているのではないかな……?と思うのですが、おうちではトルコ語を話しているのかもしれません。
 ブラクくんのお父さんSezer Ozyilmaz/セゼル・オズユルマズさんは、メディアからの質問に「家族としてとても嬉しいです。彼のこれからのために、まずは教育を与えたいと思っています。そのあとは、まぁどうなるか見守りましょう」と答えたよう。もともと役者志望というわけではなく、あくまで生徒役として素人から選ばれたわけですから父親としては当然のコメントかな。でも、ブラクくんはこれをきっかけに役者に目覚めちゃうかもしれませんが。

 ネットでニュースを読んでいると、最近はカンヌでの大きな取り引きは縮小傾向にあるとか。買い付け額が高いというのはもちろんだけど、日本国内での洋画市場の低迷も大きな原因になっている模様です。たとえ取り引きがあったとしても劇場用ではなく、ビデオ用として。つまりロードショーとして映画館では見られず、レンタル&販売DVD用としてのみ購入されているようなのです。比較的日本に入ってきている米国映画でさえ縮小傾向だと言いますから、果たしてこの作品が見られるのかどうか現時点では不明。いろんな国で作られた、いろんな映画が見たい人にとっては哀しい現実が立ちはだかります。。。

2008-05-27

Turkce Olimpiyatlari/トルコ語オリンピック

2008.05.27

 いまトルコでは〈第6回トルコ語オリンピック〉が開かれています(5月22日開幕〜6月2日閉幕)。先日より、トルコのさまざまな新聞で目にしている〈トルコ語オリンピック〉の記事によると、今年は110の国・地域から500人を越える学生たちがトルコに集い、彼らのもつトルコ語能力を競っているとか。「110カ国が愛の言葉で出会う、競い合う」というスローガンにふさわしく、友愛に満ちたオリンピックの雰囲気が新聞記事から漂ってきます(もちろん、実際はコンテストですから真剣だろうけど)。同オリンピックは単にトルコ語でスピーチする、といった単純なものではないらしく、歌・ポエトリーリーディング・コーラス(合唱)・フォークロア(民族舞踊)・スピーチ・文法知識・母国語による作文といったカテゴリーのなかで争われています。おそらく、それぞれの部門の優勝者(組)のほか、総合優勝国なども表彰されるのでしょう。

 首都アンカラのAltinpark Kongre Merkezi/アルトゥンパルク国際会議場で週末に行われた催しでも、学生たちはアンカラはもとよりトルコ各地からやってきた人々の前で歌や詩を披露。雨のなかで開幕を待っていたトルコ人たちもいたようで高い関心がうかがえました。また、ブルサからやってきたという観客は「トルコ語が世界語になっているなんて信じられない」と言ったとか。いくら誇り高いトルコ人でも、トルコ語がグローバル・スタンダードでないことは認めざるをえません。でも、少なくともこの場所では110カ国からやってきた“外国の”学生たちがトルコ語を流暢に操り、その能力を競い合っているわけですからとにかく嬉しいはず。この日は、それぞれの国の学生が自国の文化を紹介するブースもあったようで、異なる言葉を喋り、異なる文化をもつ人々が混じり、いろんなモノ・ことを共有する素晴らしい時間を過ごしたようです。

 新聞から拾っただけでもモロッコ、韓国、モンゴル、スリランカ、モルドバ、カンボジア、トゥルクメニスタン、カザキスタン、アメリカ、パキスタン、チャド、ブルキナファソ、バングラディシュ、ボスニアヘルツェゴビナ、マダガスカル、アゼルバイジャンといった国々から学生たちが参加(残念ながら“Japonya/日本”とは書かれていませんでした)。同オリンピックも既にセミ・ファイナルまで来ているようですから、今週末に向けてますます熱く盛り上がって行くのでしょう。
 もう学生ではないからトルコ語オリンピックに出るっ!……のは無理ですが、彼らぐらいトルコ語が喋れるようになったら、理解できるようになったら……と夢を見つつ読んだ新聞記事でした。

 それに……やっぱり自分たちの国の言葉を、外国の人ががんばって覚えて喋ってくれる姿って理由なく嬉しいですよね。日本に住み、日本語を上手に喋っている人を見ると、上達するまでの苦労や努力とともに、言葉まで覚えてくれたという熱意に頭が下がります。そしてものすごーく嬉しいです。コミュニケーションの手段はもちろん言葉だけではないけれど、その大切な一部であることは間違いありません。言葉遣い、言葉の起源、ことわざや慣用句ひとつとってもそれぞれの文化を色濃く映している言葉。わたしも諦めずにがんばって、もっともっといろんなことを勉強していきたいです(……と、そういう気持ちにさせてくれた“トルコ語オリンピック”でした)。

 ※写真はすべて2008.05.26付けのZaman/ザマン紙から

2008-05-26

ジェイラン、監督賞受賞!

2008.05.26

 映画ファンの方は既にご存知かもしれませんね、第61回カンヌ国際映画祭の結果を……。

 最高賞(パルムドール)が実に21年ぶりにフランス映画の『Entre les murs(The Class)』に、特別賞が『Un Conte de Noel』のカトリーヌ・ドヌーブと、『Changeling』のクリント・イーストウッドに、グランプリがイタリア映画の『Gomorra』に贈られ、男優賞はソダーバーグ監督作『チェ』のベニチオ・デル・トロ、女優賞はブラジル映画『Linha de Passe』のサンドラ・コベルローニに決定!
 そして、監督賞に輝いたのが、『Uc Maymun/三猿』を出品したトルコ人監督Nuri Bilge Ceylan/ヌリ・ビルゲ・ジェイランです
 ※カンヌ出品時に書いた日記はこちら
  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808081471&owner_id=8479773

 WOWOWのカンヌ特集ページを見ると「パリでコンペ作品のセレクションが行われた時点で、映画祭会長ジル・ジャコブにとってのパルムドールは、ジェイラン監督作だった」そうで……。結果的にパルムドールは逃しましたが、見事監督賞を受賞しております。むむむ、これは日本でも配給の可能性が高いな・・・見逃さないようにしないと。

 前回の日記では「耐え難い困難と責任から逃げることで家族は真実を無視する方を選ぶ……」と分かったような、分からなかったような説明をしておりますが、WOWOWの試写レビューによると(ちょっとネタバレ)……
 「エユップは家族への金銭的援助を条件に上司の身代わりとして交通事故の加害者となり刑務所に入る。そのあいだに妻のハジェルが上司と不倫関係に。彼らの20歳になる息子イスマイルがその現場を目撃。さらに一家には幼い頃に失ったもう一人の息子がいた。刑務所から戻ったエユップは、家族の変化に気づきながらも真実を追求することができない……」とあり、かなり興味深いです。前にも少し書きましたが、おどろおどろした雲の表情がぎくしゃくする人間関係を物語るような美しすぎる映像がかなりイケてるのでは? と期待大。前に見た『移ろいの季節』と比べても、テーマが恋愛ではなく家族における人間関係だし、わたし好みのイイ線をいっている映画では……と思っています。ちなみにWOWOWサイトでは☆5つ満点中☆4つ評価。 ※写真の中央がジェイラン監督、右隣が妻のハジェル役ハティージェ・アスラン、その隣は息子イスマイル役のアフメット・ルファット・シュンゲル、監督左どなりがおそらくエユップ役ヤヴズ・ビンギョルで、そのとなりが上司役?のエルジャン・ケサル。

 いずれにせよ、昨年の(トルコ系ドイツ人)ファーティ・アクンに引き続き、トルコ人監督のジェイランが受賞したのは嬉しいです。これをきっかけにトルコ映画がもっともっと日本で配給されるようになると良いのですが。ジェイラン監督作で日本で公開されたのは『移ろいの季節』のみ(しかもおそらく各地での映画祭のみ)。その前2002年製作の『Uzak/英題:Distant』はカンヌでグランプリ受賞&男優賞を受賞しているにも関わらず、日本では未公開のよう(トルコ国内での評価もかなり高かったはず)。1999年製作『Mayis Skintisi/英題:Clouds of May(ベルリン映画祭出品作)』、1997年製作『Kasaba/英題:The Small Town(ベルリン映画祭Caligari賞受賞作)』、1995年製作『Koza/英題:Cocoon (ショートフィルム/カンヌ映画祭出品作』もぜーんぶ、残念ながら日本では公開されていないようです。ぜひ、この受賞をきっかけに『Uc Maymun/三猿』をはじめ、これまでの佳作を一気に買い取って、せめてDVDで発売してくれたりしたら、いいんだけどな〜♪

2008-05-22

Demir Ipek Yolu / 鉄のシルクロード

2008.05.22

 シルクロードと言えば、アジアとヨーロッパを結んだ交易の道。読んで字のごとく“絹の道”という名前の語感も耳に心地よく、シルクロードと聞いただけで夢やロマンがかきたてられます。

 きょうは『アジアとヨーロッパを結ぶ、“鉄”のシルクロード』という記事を、トルコのZaman/ザマン紙で見つけました。“絹”の道なのに“鉄”とは、これ如何に??? 記事では「アジアとヨーロッパをつなぐ鉄道幹線が、トルコを通るという案において重要な一歩が踏み出された」と書かれていました。

 現在、世界鉄道連合評議会というところでシルクロードならぬアイアンロード(鉄道)の建設が話し合われているのだとか。中国(おそらく上海)からスタートし、バングラディシュ、インド、パキスタン、イランへ。そこからは3つのルートが検討中らしく、(1)イラン内陸から直接トルコへ抜け、トルコを横断するようなカタチでイスタンブルへ (2)イラク、シリアを通ってトルコ中央部をななめ西へ縦断するような経路でイスタンブルへ (3)イラン内陸からアゼルバイジャンを抜け、ロシアへ という3案があるようです。
 ※赤の点線で書かれている(1)(2)案はトルコのオファー、緑の点線で書かれている(3)案はロシアとイランのオファー経路

 鉄道と言えば、オリエンタル急行、シベリア特急、このあいだ映画で見たダージリン急行、新しいところではドーバー海峡を横断するユーロスターとか、中国の西寧からチベット自治区ラサを結ぶ青蔵鉄道(青海チベット鉄道)とか……これまた旅心をそそります。上空をビュンと飛んじゃう飛行機は便利だし早いし、遠くに行くには一番快適な乗り物なのかもしれないけど、多少時間はかかろうが鉄道の旅って何故かしらロマンチック。長い列車の旅のなかでは出会いもいろいろあるだろうし(そう言えば映画『恋人たちのディスタンス』の出会いも電車でした)。

 いまのところトルコとロシア、イランのあいだに論争があるようです。そりゃあそうでしょう。アジアで生産されたものを運ぶ輸送手段としての鉄道。そこにはビジネスが絡んできますから、各国とも「わが国を通って欲しい」という思惑があるわけです(けどなー、ロシアとイランが手を組んでるあたり、なんか別の思惑もありそうな……)。そんななか、トルコではボアジチ海峡トンネルが建設中(左写真)であり、ちょっとしたアドバンテージになっている模様。

 この鉄道は貨物列車利用がメインなのかもしれないけど、いざ通ってしまえば交通手段としても利用できるでしょう。そうなったらぜひ乗ってみたい。上海からインドを通ってトルコまで。ずいぶんと長い旅になりそうですが、その旅の道中にはいろんなことが待ち受けてそうで、想像するだけでも楽しいです。

 ※写真は、ともにZaman/ザマン紙に掲載されていたものを使用

2008-05-21

Zidane izdihami / ジダン・パニック

2008.05.21


 きょうはRadikal/ラディカル紙で見つけた記事(5月20日付け)から。

 同紙によると昨日、元サッカーフランス代表キャプテン、ジネディーヌ・ジダンがトルコのBabaeski/ババエスキ郡にあるYenikoy/イェニキョイという街に現れたそう。イスタンブル県の西隣、黒海に面する/Kirklareli/クルクラーレリ県の内陸にあるババエスキ郡、そこにある人口737人の小さな村がイェニキョイです。 ※左の写真はWikipediaから拝借


 なぜ、そんな小さな村にジダンが? ……というのも当然の疑問。

 記事によると、イェニキョイに新しくKoy Saglikli Sut Uretim Tesisi/村の健康生乳製造工場ができたのですが、そのオープニング・セレモニーを主催したのはフランスに本社のあるダノン社。おそらくフランスつながりで、ダノン社がジダンをセレモニーに招待したのでしょう。

 セレモニーにやってきたジダンはまず、メフディ・エケル農業村事業大臣、クルクラーレリ県選出のヒュセイン・アヴニコシュ議員とともにオープニングセレモニーで工場始動のテープカット。同セレモニーには前述の大臣や議員のほかにも地元の有力者、村人などたくさんの人が参加したようですが、メディアをはじめ参列した人々の眼差しは世界的に有名なフランス人、ジダンに注がれるばかり。工場見学で歩いたときも、みな大臣なんてそっちのけで、ジダンのまわりに集まり、いっしょに写真を撮りたいという人の混雑で一時パニックにもなったそうです。

 さて、そんなパニックのなかでもジダンはジダン。イェニキョイの子どもたちとグランドへ繰り出し、最初は子どもたちとおしゃべりしながらリフティングをしてみたり、記念写真を撮ったり……。そのうち、革靴のままボールを蹴るのが難しいと感じたジダンは、マネージャーに持って来させたサッカーシューズにチェーンジッ! グランドにタイルを使ってゴールを作り、村の小さなサッカー選手たちとひとときプレーを楽しんだそうです。もちろん、グランドのまわりは彼を見ようと集まった老若男女で大混雑。行く先々で“ジダン・パニック”が起こったとか(そりゃそーでしょうね)。

 その後、厳重なセキュリティーに守られつつミニバスに乗ったジダンは、ババエスキ郡の東隣、リュレブルガズ郡にある小学校を訪問。子どもたちといしょに絵を描いたり、おしゃべりを楽しんだそうです。そうしたなかダノン社の社員が「ジダン」と名前の入ったフェネルバフチェのユニフォームもプレゼントしたそう(アレ? ダノンってフェネルバフチェのスポンサーだったっけ???)。
 また、子どもたちに囲まれるなか、新聞記者からトルコ代表チームや、トルコのスポーツについて聞かれたジダンは「トルコは自分たち(の強さ)を証明したチームだ。ヨーロッパでも彼らの力を見せつけたガラタサライやフェネルバフチェといったチームがある。ぼくは信じていますよ、トルコが栄光をつかむって。欧州チャンピオンズリーグでも、トルコには大きなチャンスがあると思っています」と超リップサービス。こんなことを言われて、ジダンを嫌いになれるトルコ人はいないでしょー(笑。

 こうして行く先々で“ジダン・パニック”を巻き起こしながらも、さわやかに去って行ったジダン。きっと彼といっしょにプレーした子どもたちは相当嬉しかっただろうなー。ドイツW杯のときはまだ小さくてそれほど記憶に残っていないとしても、彼がサッカー史上最も偉大な選手のひとりだってことは知っているだろうし(少なくとも親父さんやお兄ちゃんたちから聞いているでしょう)。実際インタビューしてみると「僕たちも将来、彼みたいなスター選手になりたいなぁ」と答えたようですし。トルコからジダンのような選手が生まれることを、わたしも切に願っています。

 追記:さらにRadikal/ラディカル紙をチェックしていたら『Zidane abi sahsi oynama pas ver! / ジダン・アービ、ひとりでやらないでパス出して!』という記事を発見! “ジダン・アービ”というのは、ジダン兄さんって感じでしょうか。とにかく世界のジダン相手に、同じチームになった子どもたちは「パスを出せ、出せ」と言っていたそうです。きっと大人になったら孫に語るんでしょうね、「わしは、あのジダンといっしょにプレーしたんだぞ」って(笑。

2008-05-20

Pamuk nihayet geldi

2008.05.20

 昨日、京都精華大学にて行われたオルハン・パムク氏の講演会に行ってきました。本当は行く予定ではなかったのですが、前日に京都漫画ミュージアムで開催されるはずだった講演会にパムク氏が現れず(ドタキャン)、こんな機会はもうないかもしれない……と思って足を伸ばしたわけです。

 講演会前半は『父のトランク』という、ノーベル文学賞受賞後に記念出版されたパムクの講演&対談本からの抜粋で、彼の文学観を紹介するような内容。最初の一段落をパムクがトルコ語で読み上げ、それを日土協会の翻訳者の方が日本語で読み上げたと思ったら、あとはパムクが翻訳者に「読んで」と促すような仕草をし、延々翻訳者の朗読が続きました。そのあいだ、パムクは手持ち無沙汰というか、つまらなさそうな様子で机に座っていて「そんなにつまらないなら自分でトルコ語で読めばいいのに」という感じ。『父のトランク』の抜粋は、来場者にプリントで手渡されていたため、別に日本語で読み上げなくとも後でも読めたのです(だからこそ、パムク自身の声、言葉で語ってほしかった・泣)。

 講演会後半は質疑応答で、準備された質問を英語でパムクに聞く……というもの。パムク自身、このときはジョークなども交えながら英語で嬉々として答えていましたが、トルコ語が聞きたいと思っていたわたしはガッカリでした。せっかくトルコ語の翻訳者もいるのに、どうしてトルコ語で喋らなかったのだろう??? もちろん、日本人やトルコ人以外の方も数名はいらしゃったと思うので英語がすべてをカバーできる言葉だったのかもしれませんが。

 おもしろいな、と思ったのは彼が英語では小説を書かないという点。流暢に喋っておられたし、現在はコロンビア大学で教鞭を取っているのに英語では書かない(書けない?)。「英語で書くと何かが失われる、とても微妙だけど、大切な何かが失われる」といったニュアンスのことを話されていました。ということは、自身の本の英訳などもまったくチェックしてないってことなんでしょうか?(←絶対してそうだなー、と睨んでいるのですが)

 以前、メブラーナの言葉のアンソロジーを英語で読んで、そのあとトルコ語版を読んでみたら、あまりの意訳にぶっ飛びました(まぁ、本来はペルシャ語で書かれているのだけど……)。そんな経験もあったので、もうちょっと詳しく聞いてみようと会場での質疑応答に勇気を出して手をあげてみようか、と思ったところ、パムクは自ら「これぐらいでいいんじゃない? 終わり」といった調子で講演会の終了を仕切り、とっとと部屋を後にしたのでした。

 パムク氏は、講演会での喋りから見る限り、思っていたほど気難しい感じではありませんでした。気分屋なのかもしれませんが、後半のジョークを交えながらの話には親しみさえ覚えたくらいです。ただ、もう少し自身の言葉で語ってほしかった。半分以上、配布された日本語のプリントの読み上げではパムク氏がその場にいる意味がない。でも、帰り道で思わぬ出会いがあり、それだけで行った価値はあったかな。講演会がなければ彼女とも会えなかっただろうし、これについてはパムクに感謝しないといけないかな???

2008-05-16

Uc Maymun/三猿

2008.05.16

 先日5月14日に第61回カンヌ国際映画祭が開幕しました。オープニングの『ブラインドネス』という映画には木村佳乃さんと伊勢谷友介さんも出演していたため、メディアでも大きく取り上げられていましたね。

 さて、そんなカンヌの気になるコンペティション部門に、以前このブログでも取り上げたNuri Bilge Ceyran/ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『Uc Maymun/Three Monkeys/直訳すると、三猿』という作品が出品されています。
 ※以前のブログはこちら
 監督本人のウェブサイトでの紹介によると「ちょっとした落ち度が大きな嘘に発展し、バラバラになった家族が真実を隠しながらともに暮らそうと格闘する。耐え難い困難と責任から逃げることで家族は真実を無視する方を選ぶ。何も見ず、聞かず、話さないことで。“三猿”を演じることは、果たして真実をなかったことにするのか?」



 なかなか気になる内容だと思いませんか? シネマ・トゥデイのカンヌ特集ページには「登場人物に対して観客が感情移入するのを拒むことで、逆に効果をあげるなど独自の手法が魅力」と書かれています(あぁ〜、だから『移ろいの季節』でわたしは主人公の男性に共感できなかったのか……??)。
 個人的には、やはり映像が気になります。監督のウェブサイトには映画の写真ギャラリーがあるのですが、空の表情が異常に美しい。演じている役者以上に空が何かを物語っているような、そんな気のするひとコマが切り取られています。この人は、やっぱり映像(絵)の使い方がうまいのかもしれません。 というか、視点がカメラマンなのか?

 さて、1995年のカンヌ初登場以来、もはやカンヌの常連と言っても過言ではないジェイラン監督。本作でトルコ映画史上における同映画祭への出品記録を塗り替えたと話題になっているそうですが、結果はいかに?
 ざっと見ただけでも・・・
さきほど紹介したフェルナンド・メイレレス監督の『ブラインドネス』
クリント・イーストウッド監督の『チェンジリング』
スティーブン・ソダーバーグ監督の『チェ』(ゲバラ伝記映画)
チャーリー・カウフマン監督の『シネクドキ、ニューヨーク』
フィリップ・ガレル監督の『ラ・フロンティエール・デ・ロープ』
ジャ・ジャンクー監督の『24シティー』(オフィス北野出資作品)
アトム・エゴヤン監督の『アドレイション』
ヴィム・ヴェンダース監督の『パレルモ・シューティング』
ダニエラ・トマス&ウォルター・サレス監督の『リンハ・デ・パッセ』
アリー・フォルマン監督の『ワルツ・ウィズ・バシル』(アニメ作品)
……などなど、錚々たるメンバーが顔を揃えています。

 このほかにもフィリピン人の監督さんによる『マイ・マジック』『サービス』、アルゼンチン人監督の『レオネラ』、イタリアから出品の『ゴモラ』、ベルギーのダルデンヌ兄弟監督作『ル・シランス・デ・ローナ』などが控えていて、なんだか混戦模様。個人的には『シネクドキ、ニューヨーク』『24シティー』『ワルツ・ウィズ・バシル』あたりが気になります(ジェイラン監督作は言わずもがな)。

 ところで、トルコでも「三猿」ってあるんでしょうか? 実は一番気になったのは、このタイトルで……。仏教的なもんだと思ってましたが、わたし。あぁ、でも英語で「See no evil, hear no evil, speak no evil」って言いますもんね。あれって同じ意味だったはず。……と思って調べてみたら、ほぇ〜、そーなんやと妙に納得。※Wikipedia(勉強になりますぅ〜♪) きっとトルコにも似たようなものがあるのでしょう。ちなみにトルコ語では「Uc maymunu oynamak(三猿を演じること)」と言うようです。

 この映画、日本でも買い手がついて公開されることを望みます。そのときのタイトルはズバリッ!『見ざる・言わざる・聞かざる』でしょう(……って、誰も見なさそうだな、これじゃあ・汗)。

 ※写真はすべてジェイラン監督のウェブサイトから(←こちらがサイトのトップページ)。このサイト、ジェイラン氏の映画監督の仕事、フォトグラファーとしての仕事の両方が見られるようになっています。興味があったら''Photography''の文字をクリック! いいですよぉ〜。これを見ても彼の映像感覚、構図感覚などが映画製作に反映されているなぁ〜と分かります。

2008-05-15

Mutlu(幸せ)さんは幸せじゃなかった

2008.05.15

 2日前のニュースなのですが『米航空会社、満席を理由に乗客をトイレで過ごさせる』という速報があったのをご存知でしょうか? Yahoo! ニュースのトピックスに出てたんで、目にされた方もいたんじゃないかと・・・。

 その次の日(昨日)のHurriyet/ヒューリエット紙で、同じニュースを読んだのですが、なんとトイレで過ごさせられた乗客というのはGokhan Mutlu/ギョクハン・ムトゥルというトルコ人でした。マンハッタンで暮らしていて、スプラッシュ・スタジオという写真スタジオの製作マネージャーで、奥さんはアメリカ人の女優さんのようなので、国籍的にトルコ人かどうか分からないけど。

 記事のタイトルは“Worstclass Yolculuk/ワーストクラスの空の旅”(どーでも良いが、英語とトルコ語が混じってる。なんで?)。
 内容は日本で報じられたのとほぼ同じ。サンディエゴから飛行機に乗ろうとした男性が、満席だと告げられる。チケットがあるにも関わらず。そこで客室乗務員が男性に席を譲り離陸するのだけど、途中彼の座った席は乗務員専用の席で乗客が座ることはできないと言われる。そこで残りのフライト(3時間程度)を、トイレで過ごすことになった、というもの。

 Hurriyet/ヒューリエット紙ではさらに皮肉っぽく書かれていて、乗務員用の席に座るのは禁止だとパイロットから告げられたギョクハン氏は「じゃあ、飛んでいるあいだ立っていろってこと?」と聞くと、パイロットは「いいえ、残りの時間はトイレで過ごしていただきます。飛行機に乗れただけでも感謝すべきですよ」と応えたそう。さらに、朝5時にN.Y.のJFK空港に到着し、飛行機から降りるときにギョクハン氏はパイロットから「何も問題ありませんか?」と聞かれたとか(問題あるに決まってるじゃん、そんなの)。しかも飛行機は途中乱気流に巻き込まれたようです(そのときは乗務員用の席に戻れた模様)。

 現在、ギョクハン氏はこの航空会社ジェットブルーを相手取って200万ドル(約2億円)の賠償金支払いを求める裁判を起こしています。Yahoo! America のVIDEOニュースを見たら、そのギョクハン氏の弁護士もZafer Akin/ザフェル・アクンという、どうみてもトルコ人としか思えない名前の持ち主でした(国籍としてはアメリカ人なのかもしれないけど)。

 この裁判、勝って欲しいなー。オーバーブッキングなんて、どう考えたって航空会社が悪いし、一度乗せちゃったのはその航空会社。「乗れただけでも感謝しろ」的なパイロットの発言も問題外。いくら格安航空で売っているからと言ってカラ売りしたのは当の航空会社であって客に問題はないはずだし、それ以上に対応が悪すぎ。200万ドルは難しいかもしれないけど、弁護士もZafer/ザフェル(勝利、という意味)って名前だし、ぜひとも訴訟に勝って、苗字のとおりMutlu Gokhan/ムトゥル・ギョクハン(幸せなギョクハン)になっていただきたい。

 ※写真は、Yahoo! Video からのスナップショットです

2008-05-13

不動産王、オスマン帝国式庭園をつくる

2008.05.13

 〈オスマン帝国の庭〉って、どんななんだろう?
 それってトプカプ宮殿とかで見る感じの庭なのかしら?

 突然、そんな疑問が浮かんだのは5月9日付けのZaman/ザマン紙で『オスマン帝国の庭、アメリカでオープン』という記事を読んだから。 アメリカ・ミズーリ州にある植物園〈ミズーリ・ボタニカル・ガーデン〉に“ベイクウェル・オスマン帝国式ガーデン”という庭があるのですが、今月16日にその庭がリニューアル・オープンするのだそうです。

 さっそく同植物園のウェブサイトを検索してみるとありました、Bakewell Ottoman Gardenという名前の庭が……(ついでにJapanese Gardenも発見っ!)。 同ウェブサイトによると、ここにある4分の1エーカーの壁(塀?)に囲まれた庭は、オスマン帝国時代の庭づくりの伝統が残る数少ない庭のひとつだとか。緑にあふれ、咲き誇る花やハーブの香り、水の流れるさわやかな音が訪れる人の感覚を刺激し、またいろんな種類の噴水やトルコで作られた置物などが正統派のオスマン帝国式庭園を物語る……とあります。
 また、同庭園のリニューアルを報じたザマン紙にも「伝統的なオスマン庭園の建築的特徴を有するベイクウェル・オスマン帝国式ガーデンにある泉、東屋、そして噴水のそばには約9000種類の花、植物、木々が植えられている」と書かれていました。

 んー、なかなか興味をそそる紹介文です。
 あとアメリカの植物園にオスマン帝国式の庭があるってことにもビックリしました。西欧社会ではとかく認められにくいトルコなのに……。だからなのか、この庭のオープニング・セレモニーには在シカゴのトルコ総領事も参列する予定だとか。さらに、Prof. Dr. Nurhan Atasoy/ヌルハン・アタソイ教授の「トルコの庭園文化が西欧に及ぼした影響」と題した講演会もある模様。なかなか気合いが入っています。

 ところで、なぜ“ベイクウェル”という名前がついているのかと言うと……(ややこしいので間違っているかもしれませんが)、オスマン帝国第30代スルタン・マフムト2世の母親であるナクシディル・スルタンの父方の親戚筋にあたるエドワード・L・ベイクウェル氏がアメリカにオスマン帝国式の庭園を作れという遺言を残したことに由来しているようです。エドワードさんの子孫のテッド・ベイクウェルとアンダーソン・ベイクウェル兄弟が何年も働きかけ、その遺言をミズーリ植物園に実現させたのだとか。
 どうしてスルタンの妻の父方の親戚筋がベイクウェル家なんだ? という疑問もあるかもしれませんが、ナクシディル・スルタンはもともとハレムに仕えていた奴隷身分の女官でフランス人だったと言われています(近年の研究ではコーカサス出身という新説もあり/Wikipediaより)。

 あ、エドワード・L・ベイクウェルで検索したら、ヒットしちゃいました。こちらはセントルイスで指折りの不動産会社のようです。その名もそのまんまエドワード・L・ベイクウェル, Inc。セントルイスでは不動産イコール、ベイクウェルってぐらいすごい会社みたいです。だから在シカゴ総領事も来るんですね、きっと。

2008-05-08

カラギョズを上演するキョフテ屋さん

2008.05.08

 Karagoz/カラギョズといえば、トルコの伝統的影絵劇。ちょっとおマヌケで失敗ばかりしている“カラギョズ”と、それとは対照的に詩や文学に精通している教養人“ハジヴァト”の2人を中心に繰り広げられる風刺劇は、オスマン帝国時代から人々に愛された大衆娯楽でした。残念ながら近年は衰退の一途をたどり、ラマザン時期に上演される季節もののようになってきましたが(でも、UNESCOにも認定されている無形文化財なんですよ!)。

 そんなカラギョズを愛し、カラギョズ芸術を失うことのないように……と何年ものあいだアナドル(アナトリア)でがんばってきたのが、Kemal Atan Gur/ケマル・アタン・ギュルという男性です(←写真)。黒海地方のまんなか、トカット県の県都トカット(地図参照)でキョフテ屋さんを営むギュルさんは、おじいさんが開いたキョフテ屋さんの地下に〈Munir Ozkul Oda Tiyatrosu/ミュニル・オズクル小劇場〉という名前の36席ある劇場を作り、週に2日、手伝いのUfuk Ertekin/ウフク・エルテキンさんといっしょにカラギョズ・ショーをやっているそうです。

 ギュルさんは1984年以来ずっと自分で劇場を作りたいと考えていました。とはいえ、劇場のような大勢の人を抱える仕事はもちろん、トカットのような田舎で大都市にいるような役者を見つけるのは簡単ではありません。そこで1995年にカラギョズを上演しようと決意したそうです。もともと子ども時代からカラギョズには並々ならぬ興味があり、カラギョズの重要な基礎は習得していたそうで、その後イスタンブルへ行ってカラギョズ芸術の熟練者たち、殊にUnver Oral/ウンヴェル・オラル氏(カラギョズ芸術における大御所)から重要なポイントを学んだのだとか。
 トカットに戻るとおじいさんから受け継いだ100年以上続くキョフテ屋の名前を“ハジヴァト”に変え、地下に36人収容の気取らない小劇場を開きました。最初は観客を集めるのに苦労した劇場でしたが、次第に有名になり、いまではいつも満員だそうです。

 そんなギュルさんの夢は国にカラギョズ協会を設立してもらうこと。「カラギョズは死ぬ、あるいはもう死んだ」といわれる昨今ですが、ギュルさんはこう言います。「この国にはわたしたちがいます。わたしたちがいる限りカラギョズは死にません」。
 「アナドルに芸術はない」という人たちに、また「芸術はイスタンブルから生み出される」と考える人たちに向かって、ギュルさんはいま開催中のUluslararasi Istanbul Kukla Festival/国際イスタンブル人形劇フェスティバルでカラギョズを上演しています。これが終わったらまたトカットに帰って、自身の小さな劇場で地元の人を相手にカラギョズを上演するのでしょう。

 わたしはまだ実際にカラギョズを見たことがありません。カラギョズの故郷ブルサにはカラギョズ劇場(夏期のみ上演)があり、いつか行ってみたいと考えていましたが、ギュルさんの経営するキョフテ屋さんの地下にある劇場でも、カラギョズを見せてもらいたいなぁ〜と思うようになりました。こうして草の根でトルコの伝統を守っているのだもの、応援したいぢゃないですか。いつかギュルさんの夢が叶って、カラギョズ・インステュテュートもできるといいなぁ〜♪

 なお、この日記のネタもとは 昨日5月7日付けのZAMAN/ザマン紙 です。

 この写真は、影絵劇カラギョズとハジヴァトからインスピレーションを受けて作られた2005年製作のトルコ映画『Hacivat Karagoz Neden Olduruldu/ハジヴァト、カラギョズは何故殺されたのか』のポスター。人形劇の登場人物ですが、カラギョズとハジヴァトはオスマン帝国時代にブルサでモスクを建設するところの労働者(実在の人物)だったとも言われています。2人のジョークがあまりに面白かったため、まわりのみんなが仕事をせずに聞き入ってモスク建設が遅れたため、スルタンが怒って2人を処刑してしまったのだとか。この映画が、それを描いているのかいないのかは、見ていないので分かりませんが、ちょっと見てみたい気持ちになってきました。