2008-04-30

ナ“マズダ”

2008.04.30

 4月もきょうで終わり、という日。京都では最高気温が28℃に。暑いよー。4月でこんなに暑いなんて、いったい夏になったらどうなるの? という不安が頭をもたげてくるなかトルコのYeni Safak/イェニ・シャファク紙で見つけた記事。

 別にどーでも良いことなのだけど、思わず「座布団3枚っ!」と思った記事のタイトルは・・・

『Huzur naMAZDA/平安は祈りにあり』

 Namaz/ナマズというのは、イスラム五行のうちのひとつで1日5回のお祈りのこと。つまり、心の平安、毎日の暮らしの平安は、ナマズからこそ始まるって意味だと思うんですけどー、笑っちゃいました。言葉としてはとても宗教的なんだけど、自動車のメーカー名をこうしちゃうなんて(笑。このセンスに座布団3枚!!!

 このクルマはトルコのブルサで駐車中のものらしく、手を加えられたブランド名はこんなふうになっちゃいました……ってことで。

 マツダも、まさかこんなふうになるなんて思いもしなかったでしょう。けど、面白いから許しちゃう。

2008-04-29

まわる まわる 愛は まわる

2008.04.29

 先日に引き続き、映画ネタ。
 きょうトルコの新聞をチェックしていたら、Milliyet/ミリイェット紙のHaftanin Filmleri/今週の映画の欄に『Mevlana Celaleddin-i Rumi: Askin Dansi/メヴラーナ・ジェラーレッディン・ルーミー/愛の舞踊』という作品が紹介されていました。先週末4月25日(金)からの公開。ということは、DVDが手に入るにしても半年後〜1年後。でも、見たぁぁぁぁぁ〜いのです、コレ。

 『何世紀にもわたって世界的な平和、兄弟愛、愛の思想によって世界中で広く愛され、尊敬されている、偉大な哲学を生み出したメヴラーナ・ジェラーレッディン・ルーミーを主題としたドキュメンタリー映画』とのことで、ぜひぜひこの目で見てみたいっ!

 映画のオフィシャル・サイトをチェックしてみると『その思想によって人類のめざすべき方向を示すメヴラーナの愛と平和の教えを、ドキュメンタリーのもつ影響力によって広く伝えること』が一番の目的だそうで、メヴラーナの愛とネイ(笛)、セマー(メブラーナの旋舞)が三位一体となった作品だそう。サイトではメブラーナの有名な詩も紹介されていました。

 寛大さと奉仕の心は川のようにあれ

 情けと慈悲の心は太陽のようであれ

 他者の落ち度を秘密にするなら夜のようであれ

 怒りやいらだちにおいては死人のようであれ

 つつしみ、謙虚さにおいては大地のようであれ

 寛容さは海のようであれ

 そのままの自分であるか、見たままの自分であれ

訳し方は人それぞれでしょうが、川のように、太陽のように、夜のように、死人のように、大地のように、海のように、そして“あるがままの自分であるか、見たままの自分であれ”という言葉は、とても分かりやすいと同時に深いです。簡単にできることではないけれど、心に留めておきたい言葉です。

 監督のKursat Kizbaz/キュルシャット・クズバズ氏は1981年生まれですから、まだ27歳。イスタンブル大学在学中に撮った初めてのドキュメンタリーも『Rumi - Ahlaf』というルーミーに関するもので、この作品はディスカバリー・チャンネル・ヨーロッパで放送されたほか、ヨーロッパの25の大学、さらには200に及ぶフィルム・フェスティバル、カンファレンスなどでも上映されたとか。彼はこの成功でアメリカと日本の大学から修士号のための奨学金を得たそうです(実際に日本に来て学んだのかどうかは不明)。ただ、この映画は日本でも上映されたよう。

 彼のもうひとつの作品は『Canakkale Destani 1915』という作品。名前から分かるようにオスマン帝国の最後期におけるチャナッカレの戦いを描いています。2005年のアンカラ国際映画祭においてはドキュメンタリープロフェッショナル・コンペティション部門に出品されている模様。

 そして3本目のドキュメンタリーが、この『Mevlana Celaleddin-i Rumi/Askin Dansi』というわけ。娯楽作品ではないので爆発的なヒットは望めないかもしれないけれど(今週末のトルコ・ボックス・オフィスの第1位は『Dr. Seuss' Horton Hears a Who/ホートン ふしぎな世界のダレダーレ(日本では7月12日ロードショー)』)、同監督の1作目とあわせて、この作品もぜひ拝見したいと思っています。

 ※写真は映画のオフィシャル・サイトから。監督の顔写真はkameraarkasi/カメラ・アルカス(カメラの裏側)というサイトの監督紹介のページから。

2008-04-28

Korkuyorum Anne

2008.04.28

 この週末、わがフェネルバフチェは世界で最も熱いダービーと言われる対ガラタサライに1-0で負け、同時にわがガンバは関西ダービーで対神戸戦に負け……と負け通し。唯一、阪神が9回裏から粘って粘って巨人に勝ってくれました。〜良かった♪

 さて、そんな週末に観たのがトルコ映画『Korkuyorum Anne/怖いよ、お母さん』。昨年末『トプカプ宮殿の至宝』展の関係で来日していたトルコ人の友人が置いていってくれたDVDのうちの1本です。

 事故で記憶を失ったアリとその家族、彼らを取り巻く人々の日常を描いた作品で、特別大きな事件が起きるわけではありません。事件と言えば、アリの記憶喪失と本当の持ち主が誰か分からない指輪、記憶を失う前にアリが盗みをしたのでは?という疑い、くらいなもの。みながフツーに暮らしているなかで起こる小さな出来事が絡み合って、こんがらがって、ほどけなくて……。それがときにコミカルだったり、ちょっぴり苦かったり。

 DVDのジャケットが“モノクロで霧に煙ったような海をボートで漂う男性(主人公のアリ)”だったし、タイトルも「怖いよ、お母さん」だったから、てっきりシリアスなストーリーかと思いましたが、コメディーでした。爆笑を誘う、といったものではなくクスクスと笑うような感じ。おまけに100%トルコ語を理解しているわけでもないから楽しめた度50%……DVDジャケットには「Nefes nefese bir komedi/息のつけないコメディ」と書いてあったけど、そんなに笑いっぱなしでもなく残念。トルコ語がわかったら、もっと面白かったのでしょうか??? それともトルコ人とは笑いのツボがまったく違うのでしょうか???

 先週、友人のすすめで『マーサの幸せレシピ』と『善き人のためのソナタ』という佳作2本を観たあとだったから、よけいにつまらなく感じたのかなぁ。数々の賞を受賞した作品だったし、ずいぶん期待もしていたのですが。でも、もうあとひといき、という感じもしたので、監督のReha Erdemさんの今後の作品に期待!

2008-04-24

Peace at home, peace in the world!!

2008.04.24




 きのう6月23日はトルコで〈子どもの日〉だと書きました。1979年からは“Uluslararası TRT 23 Nisan Cocuk Senligi/TRT 6月23日 国際子どもの祭典”という名前で、ビッグ・イベントが行われているのですが、その模様をきのうの晩にインターネット経由で見ました(TRTの放送は、パソコンからも見られるのです)。

 TRTのサイトをチェックしたところ、ちょうど生放送が始まったばかり。トルコの子どもたちによる歌とダンス(ラップ調)で幕を開けたプログラムは、今年が記念すべき30周年だったようで、トルコ時間の20時にはタルカンのコンサートも予定されていました。世界的ポップスターの彼との共演はイベントに参加した子どもたちにとって良い思い出、もしかしたら一番のプレゼントになったかもしれません(コンサートは日本時間だと夜中の2時になるので、わたしは見ませんでしたが……汗)。

 開催場所もとても素敵でした。アンタルヤから東へ約44kmのところに残されるローマ時代の大劇場アスペンドス(※1)をそのまま利用したプログラムには、観ているこちらもワクワク。アーチの回廊や傾斜の美しい石の客席が観る者を圧倒する大劇場を舞台に、アンタルヤの輝く太陽のもと21世紀の子どもたちが歌って躍る……天気がものすごく良かったので観客はちょっと暑かったかもしれませんが、とても印象深い映像でした。

 ところで、今年参加したのはアルバニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、中国、クロアチア、エジプト、グルジア、ドイツ、ハンガリー、インド、イラク、そして日本! コソボ、キルギスタン、リトアニア、マケドニア、メキシコ、モルドヴァ、モロッコ、ナイジェリア、パレスチナ、ルーマニア、ロシア、セネガル、セルビア、スロバキア、スロベニア、スーダン、タジキスタン、タイ、キプロス、トゥルクメニスタン、ウクライナ、クリミア自治共和国、アメリカ、ベネズエラ、そしてトルコの子どもたちの全40カ国。日本は“阿波踊り”での参加でした。このショウのとき、ちょうどインターネットの接続が遅くなってあまり観られなかったのですが、演目後の拍手は結構大きかったように思います。

 個人的に気に入ったのは、グルジア。カラデニズ地方のダンスに似た感じで、男の子の脚の動きがとてもキビキビしていて素敵でした。あと、確かクロアチアだったと思うのですが、男の子が手を組んで躍るダンスで端の子が白い布を回しながら躍るのも、ハライの踊りに似ていてビックリしました。体調が良ければずっと観ていたかったのですが、きのうは昼頃から頭痛がひどく、2時間ほどでギブアップ。ほかの国のも観たかったなー。

 頭痛ながらも、観ているだけで本当に“ほんわか”とした気分になれるプログラムでした。想像してみてください。世界から集まった子どもたちが、それぞれの国の文化の一端を垣間見せてくれる。その子どもたちが言葉の問題はあるだろうけど、ともに同じ舞台で交流を深める。またトルコ人家庭にホームステイして、トルコ文化に触れる……。この年齢(8〜14歳)の子どもが、いろんな国、その文化とふれあうってすごく刺激的だと思うし、後々大きな意味を持つんじゃないかと感じます。そうした機会を与えてくれているトルコに心から感謝したイベントでした。

 プログラムの最初に司会の女性がアタチュルクのとても有名な言葉「Yurtta sullh, cihanda sullh/Peace at home, peace in the world/内に平和、外に平和」を引用しながら今年の祭典を紹介したのですが、子どもたちのおかげで本当に内も外も平和な感じのするひとときでした。もちろん、平和はそれほど簡単に実現できるものではないけれど、ここで触れ合った子どもたちは戦争になってもそう簡単に相手を憎まないのではないかと、そんな希望を抱かせてくれたのです。ありがとう、トルコ♪

  ※注)アスペンドス:アンタルヤ近郊に残るローマ時代の遺跡。セルジューク朝の時代には隊商宿として利用され、時代ごとに修復されていたため保存状態がよく、現在でもオペラやバレーの公演に利用されています(音響も抜群に良いのだとか)。夏のあいだの1ヶ月余り、ここで行なわれるアスペンドス国際オペラ・バレー・フェスティバルは特に有名で、世界各地から観客が訪れると言います。また、この近くにはアゴラ(古代ギリシャの都市国家において不可欠だったと言われる広場)や教会、世界最大級と言われる全長15kmにも及ぶローマ水道橋などがあります。

 ※写真は、きのう見たTRTの番組のシーンの数々。ベラルーシの女の子、タイの女の子など、本当に民族色が多様で飽きないプログラムでした。チャンスがあれば、いつかこのイベントをナマで見てみたいです。

2008-04-23

こどもの祭典

2008.04.23


 きょう4月23日はトルコで〈Ulusal Egemenlik ve Cocuk Bayrami/国民主権の日(国民議会設立記念日)および子どもの日〉です。

 その関連でトルコは近隣諸国から子どもたちを招いて〈子どもの日〉のセレモニー(※注釈1)を開催します。その前に歓迎の式典があったようで、その模様が22日付けのYeni Safak/イェニ・シャファクでリポートされていました。

 見出しは『パレスチナの子どもは、エルドアンに何を望んだか』。

 『パレスチナの子どもと少しおしゃべりした首相は、平和のメッセージを送られた(El-Aksaモスクでいっしょにお祈りしなくちゃ、と言われた模様)。首相は、パレスチナの子どもたちが平和と自由のうちに生きることを願った』
 『首相からのリクエストに応じ、アゼルバイジャンからやってきた子どもはカフカス地域に伝わるフォークダンスの一部を披露した』
 『クロアチアの子どもがハートのカタチのネックレスを首相の首にかけようとしたとき、キルギスタンの子どもから贈られた伝統的な帽子を頭にもっていった首相は、頭をくるりと返しながら「どうだい? 似合っているかい?」と聞いた』
 『タジキスタンから来た子どもからの贈りものだった帽子も、かぶりたがったエルドアンだったが、サイズが少し小さかった』
 『エルドアンは、ブルガリアの子どもに「こんにちは、おとなりさん」と声をかけた』

 わたしはエルドアン首相に対してあまり良いイメージを持っていません。政治的なトピックとして新聞に載る首相の顔も、つい胡散臭いと思って見てしまいます。でも、この記事からは、なぜか子どもたちとの出会いを楽しんでいる首相の姿が思い浮かび、子どもたち相手だと首相も変わるんだなーと感じた次第。いつも喧々囂々の議論の渦中で過ごしているだけに、子どもたちとのひとときは、首相にとっても心休まるひとときだったのかもしれません。

 子どもって、そういう力を持っていますもんね。

 (※注釈1)ところで〈子どもの日〉は、1929年(共和国建国6年後)からアタチュルクの提案によって始まったもので、1979年以来、世界の子どもたちを招いたカタチでのお祝い行事になった模様。正式には〈TRT 6月23日 国際子どもの祭典〉という名前で、トルコの国民的祝日である6月23日のある週にTRTによって行われているそうです(放送局ですから、きっとテレビ生中継もしていることでしょう)。トルコに招待されるのは世界のさまざまな国の8-14歳の子どもたちで、子どものいるボランティア家庭でもてなされのだとか(簡単に言えば、ホームステイですね)。この祭典には平均して毎年40カ国が参加しているそうで、これまでに90カ国20000人におよぶ子どもと、約5000人のグループリーダー(子どもたちの保護者)がトルコにやってきています。もちろん、彼らはいわば親善大使ですから、伝統的なフォークダンスや歌などを披露して文化交流に努めます。2000年までは首都アンカラでの開催でしたが、それ以降はイスタンブルやクシャダス、セルチュク、アンタルヤといった街でも行われています。近年はアンタルヤでの開催が望まれているそうで、今年の祭典の舞台はアンタルヤなのかもしれません(この情報はVikipedi/トルコ語版ウィキペディアから拝借しました)。

 ちなみに、別の新聞Zaman/ザマンの記事によると今年の〈子どもの日〉のセレモニーには39カ国から子どもたちがやってきているそうです。
 子どもたちが、いろんな国の異なる人種の子どもたちとそれぞれ出会うって、なんだかステキですね。わたしも仲間に入れてほしー(8-14歳からは大きく離れていますが・・・汗)。

 ※写真は、イェニ・シャファク紙とザマン紙、Wikipediaから。

2008-04-17

日本人版ロボコップ?

2008.04.17

 4月16日付けのZaman/ザマン紙から。

 『日本人は〈ロボコップスーツ〉を着る。
 日本人が超人的な力を生み出す、ある種の〈ロボコップ〉スーツの大量生産を始めている。』
 ……というリポートとともにロボコップの写真が掲載された記事。最初は「なんだ? またアキバ系の話題???」かと思いましたが、いたって真面目なニュースでした。

 『筑波大学のヨシユキ・サンカイ教授が考案した“ロボットスーツ”を生産する工場の建設が始められた。
 “ハル”と名付けられたロボットスーツ(写真下/ただし大量生産されるロボスーツがこれと同様のものかどうかは不明)は、2つめの骨格のように“身につけられる”。特に病院や老人ホームにおいてケアヘルパーや看護婦に使われると想定される外付けスーツは、重いものを持ち上げるのを簡単にする。筋肉を使うことが難しい誰でも、このロボットスーツのおかげで簡単に動くことができるようになる。

 バッテリーで稼働するロボットスーツは背中と脚、腕に巻き付ける。スーツに設置されたセンサーにより筋肉の動きを認識するシステムはマイクロモーターで作動し、歩行時、座るとき、立ち上がるとき、階段を上がるとき、重いものを持ち上げるときに筋肉にかかる負荷を取り除く。
 工場では1年に500体のロボットスーツを生産する。ロボットスーツの価格は8000ドルほどになると考えられている』。

 こんなスーツが開発され、生産されるとはまったく知らなかったので調べてみると、関連サイトがザックザク。
 Tech総研/人体密着型ロボットスーツ実用化へ
 ロボットスーツの開発が経済産業大臣賞受賞
 日経ビジネスオンライン/ロボットスーツで大学発ベンチャー企業
 ITmediaNews/ロボットスーツ量産工場の建設開始
 InternetWatch/ロボットスーツ装着体験デモ

 人間て、すごいですね。こんなことを実現させちゃうのだから。
 このプロジェクトにはダイワハウスが提携し、本格始動(量産工場建設スタート)となったようですが、1体80万(ザマン紙によれば)かぁ〜。老人医療・福祉の分野での国家予算が削られている昨今、せっかくの素晴らしい研究成果を実生活のなかで活かすためにも国が買い取っていろんな施設に配備してくれたら良いのに。

 ……というわけで、ニュース逆輸入日記でした。しかし、トルコのニュースをチェックして日本のニュースを知ってるワタシって、いったい・・・汗。しかもこのニュース、めちゃくちゃ早いです。日本のネットサイトでも昨日の夕方、あるいは今日付けで掲載されているというのに、いったい誰がリポートしているんでしょうか???

 ※写真は、記事内で紹介しているリンク先から。

2008-04-14

イマジン

2008.04.14

 先日、Yeni Safak/イェニ・シャファク紙で見つけた「Japonlar Istiklal Marsi'ni boyle seslendirdi/日本人は、イスティクラル・マルシュ(トルコ国家)をこんなふうに歌った」という記事。

 なんだろう、これは? とクリックしてみると、さまざまな国旗がモノクロで登場し、最後に日本とトルコの国旗に色がついて「Japan sings Turkey」の文字が浮かび上がります。そして神棚のような映像から神社か何かの遠景となり、そこにクローズアップしていくと夏の能舞台のようなところに女性がひとり、その後ろ脇に三味線を抱えた2名の男性。三味線の伴奏で、女性がイスティクラル・マルシュ(独立行進曲)を歌い始めました。トルコ語の歌詞ではなく、ほとんどラララー♪と歌っているだけなのですが、ちょっぴりオペラチックでもあり、外国人から見た日本(東洋)のミステリアスをMAXに表現したビデオでした。最後は、映像がブラックアウトしてトルコと日本の国旗を融合させた旗(日の丸のなかにトルコの月と星)が浮かび上がり「May 10th. The day the world comes together./5月10日、世界が集う日」の文字が。

 その映像はこちら。

 な、な、なんだ? と思って調べてみると、Pangera Day/パンゲア・デイという“映像を通して世界をひとつにしようという国際的イベント”の一環で作られたものだとか。もともとJahane Noujaimというエジプト系アメリカ人映画監督が発起したもので「人々が境界、文化や考え方の違い、対立によって分断される世界においては、みなが共通して持てるものを見失うのは簡単。パンゲア・デイは映像の力を通して、人々が他者の中に自分自身を見るのをサポートすることで、そうした分断を克服しようという試み」だそうです。

 そんななか制作され、4月5日(日本時間)にYouTube上で公開されたのが、この「Imagine! Japan sings for Turkey/想像して! トルコを歌う日本」をはじめ、「Imagine! Kenya sings for India/インドを歌うケニア」「Imagine! Australia sings for Lebanon/レバノンを歌うオーストラリア」「Imagine! France sings for USA/アメリカを歌うフランス」の4つの映像。
 なぜ日本がトルコ国歌を? ……と思いますが、二国間の歴史的な友情(エルトゥールル号遭難事件)に基づいてのことだとか。

 YouTubeのコメント欄にはさまざまな国の人たちから多種多様のコメントが寄せられていますが、嬉しかったのはトルコ人からの「ぼくたちトルコ人は、このビデオに返答すべきだと思う」といった類のコメント。「日本が歌ってくれたから、僕たちも日本の国家を歌おう」という気持ちが嬉しかった。そのほかトルコ人以外の人たちのコメントも概ねパンゲアの趣旨に沿ったものが多く(なかにはお馬鹿ちゃんもいるのだけど)、とても清々しい気持ちになりました。


 なお、パンゲア・デイは来月5月10日18:00-22:00(GMT)の4時間にわたって開催されます。ネット上でも見られるようなので、興味がある方はぜひ、こちらをチェック!
 パンゲア・デイ オフィシャルウェブサイト

 ※写真はパンゲア・デイのウェブサイト。

2008-04-10

スタンフォードに散る

2008.04.10


 昨日忙しくてネットをチェックできなかったのが残念。わがフェネルバフチェがスタンフォード・ブリッジで散った姿を、トルコのメディアがどう書いたのか。逃してしまったー。

 1日遅れとなったため既に結果をご存知の方も多いと思いますが、4月8日の夜(日本時間9日早朝)にスタンフォード・ブリッジで行われたUEFAチャンピオンズ・リーグ準々決勝第2戦チェルシー vs フェネルバフチェは2-0(2試合合計3-2)で敗れてしまいました。最初はイングランドの波に飲まれたフェネルも終盤には反撃に出たようですし、87分のランパードのゴールを阻止できていれば(……というか、その前のエシアンからボールを奪うなり、カットできていれば)・・・と思わなくもないですが、これがいまのフェネルの実力。充分にヨーロッパにその名前を轟かせたことと思います。

 もう負けちゃったし、しかも翌々日ともなればトルコ・メディアへの露出も少なくて当たり前なのかもしれませんが、第1戦後あれだけ煽りに煽っていたメディアがパタリと沈黙してしまうのがトルコらしい・笑。きょう見つけた記事は・・・

 Hurriyet/ヒューリエット:フェネルバフチェはチェルシーをパニックに陥れた、と題してヨーロッパにおけるメディアの記事を紹介。
 Milliyet/ミリイェット:ジーコのフェネルバフチェは、ルチェスクのガラタサライを越えた(ルチェスクは2000-01にUEFAカップで優勝したときのガラタの監督)。
 同じくミリイェットで「勘定をデイヴィッドにつけた〜スペインのメディアは勘定をデイヴィッドにつけた」と題し、第1戦でのデイヴィッドのオウンゴールがなければ……という“タラ・レバ論”を展開。
 Bugun/ブギュン:フェネルは金庫をいっぱいにした、と題して準々決勝まで進み、ヨーロッパに力を見せつけたフェネルが経済的にも成功を収めたと報じています。
 Radikal/ラディカル:ジーコのフェネルバフチェは歴史を刻み、別れを告げた(チャンピオンズ・リーグの舞台に)。記事では、勝率や獲得ポイントの平均値においてもジーコがルチェスク(ガラタの元監督:前述参照)を越えたと書いています。
 Sabah/サバフ:毎年少しずつ前へ。いつもここにいなければならない。……としてフェネルの社長アズィズ・ユルドゥルムの談話を掲載。
 Turkiye/トゥルキイェ:フェネルは歴史を刻んだ〜フェネルバフチェの社長アズィズ・ユルドゥルムは、試合後に選手をひとりひとりねぎらったあと「来年はあのカップをイスタンブルへ持ち帰ろう」と語った、とエピソードを紹介。
 YeniSafak/イェニ・シャファク:ジーコの間違い、としてケジュマンの代わりにフォワードにセミヒを使ったのが間違いであり、ケジュマンがスターティングメンバーであれば結果は違ったものになった……とまたまた“タラ・レバ論展開”。
 Zaman/ザマン:ヨーロッパはフェネルを賞賛している、と題してヨーロッパにおける評価(メディアでの取り上げられ方)を紹介。

 全体として賞賛ムードが漂うトルコ・メディア。「ジーコのフェネルがルチェスクのガラタを越えた」と書いている新聞社はフェネリストなのでしょう、きっと(笑。
 実際、よくここまで来たと思います。でも、大切なのはこれで終わらないこと。国内リーグをしっかり最後まで戦って再びチャンピオンズ・リーグへの切符を手に入れ、もう一度この舞台に立ってもらわなければ。そうして少しずつ、少しずつでいいから階段をのぼって欲しいです。 そして、クラブチームとしてだけでなく、トルコ代表チームの方もユーロ2008で注目されるよう、まずは本戦グループリーグを勝ち抜けーっ!

 ※写真はトルコメディア各社から。3枚目はスタンフォード・ブリッジに来ていたとみられる元フェネルバフチェのTuncay Sanli/トゥンジャイ・シャンル(現プレミアリーグ/ミドルズブラ所属MF)。

2008-04-07

ヒロシマ

2008.04.07

 いつものようにトルコ語の新聞ウェブサイトをチェックしていたら、Milliyet/ミリイェット紙のトップページに『地獄のようなヒロシマ、隠れていた写真』と題された記事を発見。すぐにクリックしてみると、31枚もの写真でヒロシマの原爆記録が綴られていました。
 http://www.milliyet.com.tr/content/galeri/yeni/goster.asp?prm=0,226866&id=1&galeriid=2710&ver=76

 写真記事の日付が2008年1月28日なので最初に記事になったのは2ヶ月以上前のようですが、ページビューを見るとなんと494983。50万人近い人が見ていることになります。
 『これまでにあなたが見たことのない写真で知る、地獄のようなヒロシマ』のタイトルとともに紹介されているのは




 爆発直後のヒロシマの街

 骨だけとなった人々を弔う人

 エノラ・ゲイから撮られたキノコ雲

 人の影だけが残る銀行前の階段

 8時15分で止まった時計

 ケロイド状になった少女の背中

 焼けた三輪車

 熱波でボロボロになった学生服

 原爆白内障に冒された人の目

……といった写真の数々。出典は明らかではありませんが、おそらく原爆記念館にあった写真なのではないでしょうか。

 こうした写真は見るのがツラいため、つい目を背けがちです。自ら好んで痛々しい写真、わずか60数年前に起こった事実を見なくても、済んでしまったことにしてしまえる話です。でも、改めて見てみると憲法第9条や、非核三原則の大切さを感じます。日本国憲法自体がアメリカの押しつけ憲法だとか、いまの時代にはそぐわないとか、軍隊を持たない法治国家はないとか、いろいろ意見はあるでしょうが、ヒロシマやナガサキで起こったことが再び繰り返されても良い、という人はいないでしょう。しかし、戦争とはこういうものなのだと思います。人を狂わせてしまうものなのだと思います。
 アメリカでは10年ほどまえにスミソニアンで“エノラ・ゲイ”を展示するにあたりヒロシマやナガサキの記録を紹介する展示が企画されましたが強い反対にあって実現しませんでした。現在“エノラ・ゲイ”は、スミソニアン航空宇宙博物館別館のスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターに展示されていますが、原爆被害などについては残念ながら説明されていないそうです。

 わたしは、この写真を見てくれた50万人のトルコ人(ほかの国の人もいるかもしれないけど)に感謝しています。2ヶ月あまりで50万人ということは、単純計算で1日に7000人以上の人が見てくれたということです。戦争の記憶の風化が叫ばれる近年にあって、トルコではそれだけの数の人がヒロシマやナガサキ、原爆の記録に関心をもってくれた。それってスゴいことだと思うのです。

 わたしたちは歴史から学ばなければならない。
 当事者である日本人として考えさせられた記事であり、写真であり、またページビューでした。

2008-04-05

トルコでもパン価格上昇!?

2008.04.06

 日本国内で消費される小麦の約9割が輸入品。「国内の需要と価格の安定を図ることに加え、国内農家を保護する目的もあって、政府が全量を輸入し製粉業者に売り渡している(以上、毎日新聞より抜粋」そうですが、昨年4月の1.3%、10月の10%値上げに引き続き、今年4月には30%値上げされ、国内消費に影を落としています。
 このほかにも値上げされた食料品は多く、スーパーに行くと乳製品が高くなったなぁ……と実感します。

 そんなことをニュースで眺めながら「トルコは食料自給率100%の国だから、こんなこと起こらないんだろうなぁ」と思っていました。ところが、きょう付けのバタン/VATAN紙に『高級街区に住むものたちにとってパンが1YTLになった』『パンに値上げをもたらした主な理由』と題した記事を見つけてビックリ!!! どーいうこと?
 記事によると「旱魃の影響により国際市場における小麦の収穫不足が深刻となり、小麦の価格が3倍近くに跳ね上がった」のが原因のひとつ。「トルコ国内における小麦生産量も14%減少」したようです。加えて、「価格高騰により現在貯蔵されている小麦自体が小出しにされている」模様。つまり「価格の高騰を期待して商品を待機させている」状態なのです。
 こうしたことを受けて「1日に1800万個のパンが消費されているイスタンブルでは、パンが40%値上げされた」と伝えています。別の記事を見ると、イスタンブルでパンが一番高くなったのはレヴェントやベシクタシュなどの高級街区で、300gのパンが1YTLに。一方でエセンレルでは同じ300gのパンが70クルシュで売られているようです。

 どーして? どーして? トルコでも旱魃の影響はあっただろうけど前述のとおり小麦生産量自体は14%減で、そこまで深刻ではないのでは? やはり価格高騰を期待して売り控えしているのが大きな原因なのでは? そもそも食料自給率100%なんでしょう? ん? もしかして・・・

 と、 さっそくWikipediaを調べてみると「広大な耕地面積をもつうえ、戦略物資である食料の確保は国家の独立維持に不可欠との観点から、トルコは建国以来一部の嗜好品をのぞいて食料の完全自給を行なってきた」とあるのですが、その後に続くのは「急激な人口増加と、一部農地の荒廃により食料の輸入額が輸出額を上回る輸入超過の状態に陥った」の文言。輸入額が輸出額を上回っているだけで、昨年の農林水産省「食料需給表」、FAOSTAT「Food Balance Sheets」を見ると、トルコの“穀物”自給率は95%と日本なんかに比べるとまだまだ高い水準を維持しているのですけど。
 ※ちなみに穀物自給率ナンバーワンはオーストラリアで333%、次いでアルゼンチンの249%、ガイアナ228%、ウルグアイ205%、フランス173%。日本は27%で、175の国・地域中125番目、OECD加盟国30国中26番目。

 トルコの〈“食料”自給率100%〉は、もはや誤った認識になってしまったのかもしれません。トルコ人にとってパンは日本人のお米と同じ。そんな基本的な食べ物が(レストランやロカンタではサービスでどんと置かれているようなものが)値上がりするというのは、結構深刻なのでは? と心配します。記事ではイスタンブルについてしか取り上げられていなかったけれど、この値上がりがほかの大都市にまで波及するとしたら大きな問題になるのではないでしょうか。

2008-04-03

ホーム勝利

2008.04.03
 昨日4月2日夜8時45分(現地時間)に、ホームのシュキュル・サラチオール・スタドゥでキックオフ。UEFAチャンピオンズリーグ2007-2008の準々決勝第1戦、フェネルバフチェ vs チェルシーの戦いが幕を開けました。

 残念ながら現在はライブ中継の見られる環境にいないため、さきほどネットでチェックしてゴールシーンを確認いたしました。
 http://www.1000goals.com/fenerbahce-vs-chelsea-highlights-champions-league-08-quarter-finals

 結果は……
13分 デイヴィッドのオウンゴールにより フェネル0-1チェルシー
64分 カズムの見事な抜けだしから    フェネル1-1チェルシー
80分 デイヴィッドの目の覚めるミドルで フェネル2-1チェルシー

 結果、2-1で第1戦をフェネルがものにしました。
 ホームゲームの勝利ですから、まだ素直には喜べません。かつてチャンピオンズリーグでバルサがアウェイ戦(相手が思い出せないのですが、イングランドのチームであったことは確か。4点入れられたような記憶があります)でコテンパンになった姿が頭をよぎり、どうしてもまだ手放しで大喜び・・・とはいかないのです。

 が、きょうのゴールシーンを見る限り、もしかして、もしかして、フェネルにもまだ望みはあるのではないか?と感じました。
 そもそもチェルシーの1点はオウンゴール。左サイドから放たれた相手の低い弾道のクロスを、たぶん弾き出すつもりだったはずだけど、ボールの速度とか角度とかが悪かったのでしょう。デイヴィッドの足に当たったボールは無惨にもフェネルのネットに突き刺さったのです。
 ところが、やはりホームゲームです。スタジアムを埋め尽くしたサポーターがこのままで許してくれるわけはありません。あの地響きのようなコールがフェネル・イレブンの力になったのでしょう。後半に入ってまずカズムが見事な抜け出しを見せ、DFを置き去りにしてゴールを決めます。このときアシストしたのが誰なのかハッキリしないのですが、ボールの出し手と受け手であるカズムの息がパーフェクトに合った瞬間でした。相手DFふたりの間を縫うように抜けてボールを受けたカズムは、そのまま独走状態でゴーーーーーーール!!! 素晴らしかったです。
 さらに、オウンゴールで大ひんしゅくを買ったであろうデイヴィッドが起死回生の見事なミドルを放ちます。ボールを受けて、チョンとほんの少しだけ前に出したデイヴィッド。まさか彼の次の一手がシュートであろうとは、きっと誰も思っていなかったでしょう。彼の足からほんの少しだけ弧を描いたボールはゴールの左上隅をめがけて飛び、チェクの差し出した手をあざ笑うかのように、ほんの少しだけ離れたところを通り抜けてネットに突き刺さったのです!!! 目の覚めるような、胸のすくような、素晴らしいゴールでした。あー、この試合をライブで見たかった。

 さきほども書いたようにまだ手放しでは喜べません。チェルシー・ホームにはきっとイングランドの怪物が潜んでいます。ホームとはまったく違う敵地で果たしてフェネルの運命は? 不安です。ハッキリ言ってものすごい心配です。それでも夢を見せてくれた第1戦でした。夢をつないだゴールでした。

 次戦は1週間後の4月8日(火)。いまはもう何も言いません。じっと黙って次戦を待ちます。
 Yasa Fenerbahce!! きっと、きっと、サッカーの神様はいまキミたちのそばにいる。そう信じています。

1000th anniversary

2008.04.03












 4月1日付けYeni Safak/イェニ・シャファク紙から。

 「ユネスコが2007年を世界メヴラーナ年としたのに続き、2008年をテュルク語、その歴史・文化、地理学の観点から非常に重要な出典となるDivanu Lugati't-Turk(1074年刊)の著者、Kasgarli Mahmud/カシュガルル・マフムッド(英語的には、おそらくカシュガリ・マフムード)年と公布した」

 はじめて知りました、カシュガルル・マフムッド。

 この記事をきっかけにいろいろ調べてみると、前述で彼が書いたと言われているDivanu Lugati't-Turkというのはテュルク語としての最初の包括的な辞書であり、その本には叙事詩、田園詩、教訓詩、叙情詩、哀歌などすべての主要なジャンルを象徴する典型的な四行連句のテュルク語の古い詩の見本、テュルク語の民族が住む地域を示した最初の地図を含んでいます。ゆえに“テュルク語、歴史・文化、地理学の観点から非常に重要な出典”であるわけです。

 カシュガルル・マフムッドさんが生まれたのは1008年、カシュガル(現在の新彊ウイグル自治区)。テュルク語の方言学者、辞書編纂者として活躍し、英語版Wikipediaには「著名なウイグル人学者として記憶されています」と書いてありますから、厳密に言うとトルコ人ではありません(彼の生きた時代はそもそもオスマン帝国でさえ生まれていない時代だし、何々人というカテゴリー自体あまり意味をなしませんが)。ユーラシア大陸に広く分布するテュルク系民族の言語学者だったわけで、そのテュルク諸語を母語とする民族の代表的な国こそ、トルコなわけです。

 そこでトルコはユネスコに申請したのです。去年に引き続き「2008年をカシュガルル年に!」と。ちなみに、ユネスコが提携している2008-2009のアニバーサリー、実は全部で67件あります(気になったのは、アルメニアのウィリアム・サローヤン生誕100周年。大好きなんです〜♪ サローヤン)。まぁ、テュルク諸語を母語とする国のリーダー的存在でもあるトルコですから「ここはわたしたちがっ!」とカシュガルルをトルコ国内はもとより、世界に向けて紹介するために立ち上がったのでしょう。
 ※ユネスコの2008-2009アニバーサリー・リスト
  http://portal.unesco.org/en/ev.php-URL_ID=41546&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html

 昨年のメブラーナのように“躍る修行僧”という目玉がないぶん一般的にアピールするのは難しいかもしれませんが、学術的な面からのアプローチはいろいろあるでしょうし、文化観光省をはじめイスタンブル市、トルコ国内の各大学、組織によっても準備が始められているといいますから、ぜひテュルク諸語系の国や地域との交流も含めて、より大きな活動に広げて欲しいなぁと望んでいます。

 わたしも、ひとつの記事をきっかけにちょっと調べて勉強になりました。カシュガルル・マフムッド。名前だけは頭の片隅に残しておこうっと。本が刊行された1074年と言えば日本は承保元年、白河天皇が在位した平安時代の末期です。その時代にテュルク語の研究のため中央アジアからアナドルを端から端まで、15年もかけてテュルク語系民族が住む地域、街、野営地、山や砂漠を歩き回ったというだけでも、ものすごい熱意。また、時間のあるときにトルコ語版Vikipediaで、少しずつ彼の功績を読み解きたいと思っています。

 ※カシュガルル・マフマッドの生没年について/トルコ語版Vikipediaでは1008ー1105となっており、英語版では1005−1102、ほかの言語版での別の年になっていたり、書いていなかったりしてハッキリしません。英語版では本の発行年も1072年になっています。ただ、2008年が生誕1000周年と認められたのだから、ユネスコ的にも生年は1008年なのでしょう。

 ※写真はカシュガルル・マフムッド、彼の書いた地図、テュルク語系民族の分布とテュルク諸語を母語とする人の数(すべてWikipediaより拝借)

2008-04-01

ジョークの日

2008.04.01

 きょうは、言わずと知れた4月1日、エイプリル・フールです。
 Wikipediaを調べたところ「人をからかうような、害のない嘘をついてもよい、という風習のこと」とありますが、イスラム教ではこの習慣が著しくコーランの教えに反していることから強く禁止されている、と書いてありました。

 ……が、見つけてしまったのです。トルコの新聞Yeni Safak/イェニ・シャファク紙の『深刻にならないでくださいね』と題された記事を。

 「朝、家を出るとき、きょうが世界ジョークの日として迎えられていることを忘れないでください。さもないと、すぐにジョーク好きの友人たちの餌食になってしまいますよ」

 ……と始まる記事は、エイプリル・フールの起源と思われる古代ローマのサトゥルナリアや、ヒッタイト人が行っていたと言われる冗談のお祭り、1564年にフランスで行われた暦調整を紹介するだけで、特にトルコにおけるエイプリル・フールの物語が語られているわけではありません。果たしてトルコでも誰かをからかったり、騙したりする4月1日のジョークがあるのでしょうか?
 エイプリル・フールを、dunya saka gunu = 世界ジョークの日、sakanin evrensel gunu = 国際ジョークの日、と書いているあたり、言い方も統一されているわけではないようだし、認知度ってどうなんでしょう???

 ところで、エイプリル・フールの起源ははっきりしませんが、一説によると1956年のフランスで新年を1月1日からとする暦改正が行われたことに端を発するとか。それまでは4月1日から新年が始まっていたため、この新暦に反対した人が4月1日に“嘘の新年”を祝うばか騒ぎをしたからだとか、新暦に変わったことを知らず4月1日に新年を祝った人たちを世間知らずとしてからかったからだとか……いろいろあるようです。

 ちなみに、前述の新聞記事で「世界でも有名な4月1日のジョーク」として紹介され、Wikipediaでも取り上げられていた嘘のひとつはコレ。
 イギリスBBCが1957年当時、ニュース番組〈パノラマ〉でついた嘘。「暖冬の影響で木々にスパゲッティの実がなり始めました」と放送するや否や、テレビ局には電話の雨嵐。視聴者からの質問は「どうやったらスパゲッティの木を育てることができるのか?」で、それに応えたBBC側も追い打ちをかけるように「一箱のトマトソース・スパゲティを蒔いてください。そして収穫できるよう祈ってください」と伝えたとか。
 トルコでテレビ局がこんなことをやらかしたら、非難囂々なんでしょうか? それとも笑って許してもらえるんでしょうか?

 ※Yeni Safak/イェニ・シャファク紙の記事
  http://yenisafak.com.tr/aktuel/?t=01.04.2008&c=5&i=108782(写真は、その記事から)

イスラミック・ホリデー

2008.04.01









 考えてみれば、あって当たり前なのに、いままで思いつきもしませんでした。こんなホテルがあったなんて。
 きのう3月31日付けのRadikal/ラディカル紙によると、トルコにはTessetur Otelleri/テセットゥル・ホテル(直訳すると“覆われたホテル”とか“ヴェールをしたホテル”になりますが、いわゆるイスラムの慣習に則ったホテル)がアンタルヤに8軒、トルコ全土で合計20軒あるのだそうです(合計部屋数は10000を越えるとか)。

 記事が伝えるのは、こうしたホテルがいまトルコ以外のムスリムたちのあいだで人気だということ。エンダ・ツアーというところがモスクアやウクライナで観光フェアにブースを出し、〈イスラミック・ホリデー〉と銘打ってプレゼンテーションしたところ、ひとり当たりの1泊の料金が少なくとも120USドルとうい高額にも関わらず、タターリスタンをはじめ、ウクライナやクリミア半島に住むタタール人、カフカス地方、そのほかチュルク系民族の国々からのニーズが高く、大きな関心を集めているのだとか。

 さて、そのテセットゥル・ホテルとはいったいどんなホテルなのか。それぞれのホテルに多少の違いはあるのかもしれませんが・・・
 ◎アルコール飲料のサービスなし
 ◎男性と女性は別々のプールに入る
  ※女性のプールは男性の目から完全に遮断され、中に入るには
   厳しいチェックを受けることになっている
 ◎泊まり客が礼拝を行えるメスジット(小さなモスク)完備
こうしたテセットゥル・ホテルを紹介するインターネットサイトには「酔っ払いの叫び声を聞くことはありません。ディスコはありません。うるさい騒ぎもありません。家族のみなさんが心地良く休めます」といった一文が添えられているそうです。

 しかし、“少なくとも”1泊120USドルとは。。。酔っ払いの叫び声がしないのも、うるさくないのも良いけれど、夏の休暇で2週間、家族4人で滞在したら一体いくらになるんでしょーか。わたしには到底手の届かない〈イスラミック・ホリデー〉です。※想像ですが、1泊ひとり120USドルは、おそらく外国人向けのプラン料金と思われます。

 ※ラディカル紙の記事
  http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=251651
 ※写真は、インターネットで見つけたテセットゥル・ホテルを紹介するウェブサイトと、テセットゥル・ホテルのひとつCaprice Thermal Palace