2009-02-21

Türkler, KAKI biliyorlar mı?

2009.02.21

Bir kaç gün önce Türk olan bir arkadaşımdan email geldi ceptelefonumuna ''mesajıma baktın mı?'' diye.
Ne dediğini anlamadım ve hemen mesajını kontrol ettim. Şurada aşağıdaki bir web sayfasının adresi yazılmış.
http://www.kaki.com.tr/
Hemen tıklayınca KAKINOTANE ortaya çıktı.
Allah allah!!! Bu ne ya...? Evet, bunun ne olduğunu biliyorum ama Türkiye'de de var olduğunu hiiiiiiiiiiiiiiiiç bilmedim. Türkler, gerçekten bunu mu biliyorlar? Ya da hala bilmiyorlar mı?

KAKINOTANE (Türkiye'de ''KAKİ'' ad ile satılıyormuş), Japonya'da çok ünlü olan bir tür aperatiftir... yani ''aperatif'' diyebilir miyim acaba...??? (Kuru aperatiftir doğrusu...) Genellikle içki içerken veya hafif yemek olarak yiyiyoruz. Ve Japonya'da ''KAKINOTANE'' ve yerfıstığı karışık olan ''KAKIPIĞ'' de sevilirdir.

Türkler, bunu nasıl yiyiyorlar? Bundan önce gerçekten biliyorlar mı??? Ya da sadece Türkiye'nin bir kısımda mı biliniyor? ''KAKI'' satan SEVER İÇ VE DIŞ TİCARET GIDA SAN. LTD. ŞTİ., İzmir'de. İzmirli biliyor mu bunu???

Şimdiye kadar ben Türkiye'de bunu hiç bir defa görmedim. Ama gelecek defa giderken mutlaka arayacağım.

Eğer bunu bilen Türk olsa, bana öğredin lütfen. Nerede arayabildiğini bana söyleyin. Şimdiden teşekkür ediyorum.

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 数日前、トルコ人の友だちから、わたしの携帯にメールがきました。「メール見た?」と。
何を言っているのか分からなくて、すぐにメールをチェック。メールには下のアドレスが書かれていました。
 http://www.kaki.com.tr/

クリックすると、現れたのは“柿の種”。
うっそーっっっ!!! ビックリ、ビックリ。もちろん、それが何なのか分かりましたが、トルコにもあるとはまったく知りませんでした。トルコの人たちは、本当にそれを知っているのでしょうか??? それとも知らないのでしょうか?

 “柿の種”(トルコでは“KAKI”という名前で売られているよう)は、日本ではとても有名なスナックです。トルコ語で“aperatif”と言うみたいですが、アペリティフと言えるのか???(まぁ、乾きものアペリティフではあるけれど)ふつうはお酒を飲むとき、あるいはお菓子として食べる。それと日本では“柿の種”とピーナッツをミックスした“柿ピー”も好まれています。

 トルコの人たちはこれをどんなふうに食べているのでしょうか? それ以前に本当にこれを知っているのでしょうか? それともトルコの一部の地域だけで知られているのでしょうか? “KAKI”を売っているSEVER İÇ VE DIŞ TİCARET GIDA SAN. LTD. ŞTİ.という会社はイズミールにあります。イズミールの人たちは知っているのでしょうか???

 いままでトルコでこれを見たことはありません。でも次に行ったらゼッタイ探します!!!

 もし、これをご存知のトルコ人の方がいたら、わたしに教えていただけないでしょうか? どこで買えるか教えてください。お願いします。教えてくださったら感謝します。

2009-02-09

Peçete versene / ティッシュくれー

2009.02.09

 きのう、友だちの誘いで伏見稲荷にある竹林での竹バーベキューに行ってまいりました(土曜から風邪まっしぐら……だったのですが・汗)

 竹バーベキューとは? 別に竹を焼いて食べるわけではなく(当たり前ですね)、竹をふたつに裂いて、節のところで上手に切って器にし、残った竹でお箸を作って……というもの。竹で火をおこし、竹の即製食器をつくり、そして野外で調理して食べる、というなかなか豪快なバーベキューでした。
 竹の器もほのかに竹の匂いがして、お料理がおいしかったのはもちろんだけど、空を見ながら、サイコーにうまいっひとときを過ごしました。

 ところで、そのときに「トルコ語で“ありがとう”って何て言うんでしたっけ?」という話が何回か出てきました。「えーと、ふたつあって“テシェッキュルレール(テシェッキュレでリム)”か“サーオルン”か、どちからなんですけど……」と応えると、だいたい“テッシェキュルレール”の方は敬遠されるというか、「あ、そっちは長い。覚えるの無理」みたいな反応(思い返してみれば、わたしもトルコ語を始めたころは、何ちゅー長い“ありがとう”なんやと思った記憶が……)。

 そのあと、また別の子が「ありがとうって何やったっけー?」と聞いていたところ、トルコの血を引いた阿波男のMくんが「ティッシュくれー」と覚えたらエエねん、とひと言。

 ん? ン? ん? ティッシュくれ?
 確かに〜。ティッシュくれー、と何となく外国語っぽく発音すると、いけるかも。そうか、そういうふうに教えれば良いんだ。

 すごいなー、さすがトルコの血を引く阿波男、うまいっ!!!


 みなさんも、もしトルコ語の「ありがとう(テシェッキュルレル)」が覚えにくい、と思ったら「ティッシュくれー」で覚えてみてください。日本語的にあまり「テ」をはっきり発音せずむしろ弱めに、「くれー」のところを心持ち「クレー(ル)」と言うと、まず大丈夫なんじゃないかと。

 いや、もしかしたらフツーに「ティッシュくれー」と言っても、通じるかも。んー、通じそうな気がして来たな。今度行ったときに試してみようかな。

ぜひ、みなさんも、トルコに行かれるときは使ってみてください(くれぐれも日本語に堪能な人には言わないように、きっと分かるから)。

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'Teşekkürler'i ezberlemek için Japoncada 'Tissue kure!' diyebiliriz. Bunu arkadaşımdan öğrendim. Evet, 'Tissue kure' olarak ezberlersek hiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiç unutmaz ki... Japonlar için 'Teşekkürler' ya da 'Teşekkür ederim' biraz uzun. ezberlemek için zor. Bu yüzden 'Tissue kure / Peçete versene' olarak öğrenirsek hemen aklımızda kalır.

2009-02-05

Taşakoğır ne demek??? / タシャコールって何?

2009.02.05

    Geçen hafta sonu bir kaç arkadaşlarımla gezdim.
    Arkadaşlarımın birisi Türk, birisi Japon ama Türkiye'de büyümüş şimdi Japonya'da üniversiteye gidiyor ve Japon olan ise iyi Türkçe konuşuyor. 
    Biz bazen Japonca bazen de Türkçe konuştuk.
    Nereden çıktığını unuttum ama neyse, bir Afganistan filmi (İngilizce başlığı : The Kite Runner) hakkında konuşmaya başladık. Afganistan'da konuşulan dilin, Türkçe'ye benzediğini söylemek istedim ve şöyle dedim;
    ''Bu film içinde 'teşekkürler' yerine 'Taşakoğır' diyorlar.''
    Herkes biraz susup sonra aniden kahkaha attı. Anlayamadım, niye kahkaha attılar? Sonra bir arkadaşım bana anlattı. Türkçede 'Taşak' derse erkeğin şeyi... aşağıdaki top gibi... diye utana utana açıkladı. Ne kadar ayıp!! Ama bilmiyordum. Yani normalde böyle bir kelimeyi kullanmıyorum bu yüzden... ama ayıp...
    Biraz sonra aniden birşey aklıma geldi ve şöyle dedim.
    ''Demek Afganistan'da 'Taşakoğır', Türkçede 'Taşak oğlu' mu????''.
    Hemen bir arkadaşım cevap verdi, ''Evet, biz herkes taşakoğluyuz.''

    Ne dersiniz? Sadece aptal olduğumuzu mu düşünüyorsunuz? Ama böyle konuşursak hiç unutmayacağız bir kelimenin anlamı... değil mi?
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 先週末、数人の友だちといっしょに遊びました。
 友だちのうちのひとりはトルコ人で、もう一人は日本人だけどトルコで育った人で日本の大学に行っています。そしてとても上手にトルコ語を話す日本人。
 みんなでときどき日本語、ときどきトルコ語を話していました。
 どうしてそんな話になったのか忘れたけれど、あるアフガニスタン映画(英題:The Kite Runner/邦題:君のためなら千回でも)について話し始めました。アフガニスタンの言葉が、トルコ語に似ていると言いたくて、こう話しました。
 「映画のなかで、トルコ語の「Teşekkürler」の代わりに「Taşakoğır」と言ってたよ」
 みんなちょっと黙って、そのあと爆笑。なんで? なんで大笑いするの? あとで一人の友だちが説明してくれました。トルコ語で「Taşak」は男の人の……下の方にある玉……と、ためらいがちに。最悪! でも知らなかったのです。だって、ふつうこんな言葉を使わないもの。でも、恥ずかしいっ。
 そのあと突然、あることを思いついて、こう言いました。
 「アフガニスタンで“Teşekkürler”と言うと、トルコ語では“Taşak oğlu(玉の息子)”なの?
 すぐに、ひとりの友だちがこう言いました。「そう、みんな“Taşak oğlu”だよ。」

 どう思いますか? ただわたしたちがバカだと? でもね、こんなふうに話せば、決して言葉の意味を忘れることはないんですよね。(おそらく、わたしはこの言葉の意味を一生忘れないでしょう)

2009-02-03

Hangi kurala(tarafa) uyar? 〜どちらの法(方)に従うのか?

2009.02.03

 先日、図書館で予約していた『神の法 vs. 人の法 〜スカーフ論争から見る西欧とイスラームの断層(内藤正典/坂口正二郎(日本評論社)』を借りて読みました。

 タイトルにもなっているとおり、軸として「スカーフ論争」が取り上げられているのですが、「信教の自由の保障」と「政教分離の原則」について社会学および憲法学の両面から理解を深めることができ、また欧州各国における「政教分離」政策の違いを確認しつつ、その象徴的な問題のひとつとして「スカーフ論争」を見つめ直すことができたように思います(もちろん、すぐに結論が出るような問題ではないのですが)。

 まず、認識を新たにしたのが「信教の自由の保障」と「政教分離原則」は、つきつめると対立する可能性のある考え方だということ。

 「信教の自由の保障」というのは、思想の自由や表現の自由と同じく、国家からの個人の自由を定めています。つまり、思想や表現、信教において、国家が個人に対して何かを強制することを禁じています。
 一方、「政教分離の原則」というのは、そのまま国家と宗教を分離する原則のこと。とはいえ、日本やフランス、アメリカのように(あくまで憲法上は)宗教の特権や権力行使を認めない厳格な分離と、ドイツやイタリアのようなゆるやかな分離があり、さらに言えば政教分離を採用していないイギリスのような国でも(国教はイングランド国教)信教の自由は認められています。 ※写真は、国教を定めている国々です(Wikipediaより)
 ご覧の通り、シリアは国教を定めてはいません。「国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、バアス党(アラブ社会主義復興党)を「国家を指導する政党」と定めている。(Wikipediaより)」そして「国家元首である大統領は、バアス党の提案を受け人民議会が1名を大統領候補とし、国民投票で承認するという選任方法を採っている。大統領の任期は7年で、イスラム教徒でなければならず」という場合もあるわけです、余談ですが。


 さて、では「信教の自由の保障」と「政教分離」の何が対立するのか……というと、「信教の自由」を徹底すれば国家に対して宗教への便宜を図ることを要求することもあり得ますが、政教分離を徹底すれば国家は宗教について無関心でなければなりません。たとえば「教義によって格闘技を禁じられているエホバの証人の信者にとって、体育の授業で格闘技を強いられることは"世俗の義務"と"神の義務"のいずれに従うのか、という問題になる。そこで信仰に配慮して世俗的な義務の履行を免除すれば、当該宗教を特別扱いすることになり、政教分離原則に反する可能性を生み出しうる」というのです(坂口氏の弁)。

 こうした場合、どこで線引きするのか……が問題になるのだと思います。また、どこで線引きするかは、そのときの国の状況、政治によって大きく左右されるため、そのときどきによって「信教の自由の保障」「政教分離原則」という軸が大きくブレてしまうという問題も起こり得ます。9.11以降、またロンドンでの地下鉄テロ以降、西欧におけるモスリムの置かれた状況は大きくシフトしました。そうなってくると、それ以前と以後では「信教の自由」と「政教分離」のあいだのどの地点に問題を着地させるか、というのは大きく異なってきます。これは、何もイスラームの問題だけでなく、どの国のどんな問題においても同じだと思いますが。

 また、同著では各国における宗教の捉え方、スカーフ問題をはじめとする公共の場(特に学校)における宗教を検証されていました。

 たとえば、フランスは厳格な「政教分離」政策を取っているため、公立学校において宗教の入り込む余地はありません。この国では「信教の自由」の保障よりも、「政教分離」の原則が強いと言えるでしょう(だから、公教育の場ではムスリム女学生のスカーフはもちろん、ユダヤ教のキッパといった宗教的シンボルが禁止されるのも、妥当と言えば妥当と言えるのです)。
 フランスの北にあるベルギーはと言えば、公教育でもカソリックやプロテスタント、イスラームなど、生徒たちの宗教に応じた教育が週2〜3時限ほど取り入れられているとか。とはいえ、スカーフ問題はまた別、だったりするのですが。
 さらに、その北のオランダとなると政教分離を厳格に設けているわけではなく、多元主義の国だけあって宗教色のない公立学校であっても、宗教や信条に基づいて設立されている学校であっても、全額公費によって行われているし、卒業したときに有する資格にも違いはありません。個人的には、オランダのようなカタチもありだとは思うのですが、異なる宗教の子どもたちが混じらないのも、また問題を大きくする原因になりかねないのでは、という危惧があります。信教の自由は保障され、それぞれ望む宗教教育も受けられるのですが、完全に分断されてしまっている。そのなかで、どのように異なる宗教を理解していくのでしょうか。彼らに異なる宗教を理解する機会は与えられているのかしら、とも心配してしまうのです。


 ところで、どの国においても、ことが「スカーフ論争」となると、一様に「スカーフ」=イスラムの因習=「女性の抑圧の象徴」という思考形式が多く、「信教の自由」に重きを置く論者たちのあいだでも、スカーフ=女性の抑圧の象徴というしがらみから完全に自由にはなれていない印象を受けました。

 もちろん、イスラーム女性と言ってもいろいろで、自らの意思でかぶる人もいれば、目に見えないプレッシャーを少なからず感じてかぶる人もいないとは言えません。なかには親に強制されている人もいるでしょう。でも、だからこそ、一律に「抑圧の象徴」と捕らえがちな論壇の風潮には、いささか奇妙さを覚えました。そこにはいろんなプロパガンダもあったりしたのでしょうけれど。

 トルコのスカーフ論争をチラチラと見てきましたが、こうして欧州まで見回してみると、対立する可能性が"ある"問題を議論しているのですから、もめるのは当然と言えば当然なのです。大切なのは議論を重ねて分裂してしまうことではなく、お互いに歩み寄りつつ、どこに着地点を見いだすかってことなんですよね。深めなければいけないのは分裂ではなく、相互理解。信じるものが別であれ、共存できる方法を見つけることはできると思うのです、決して簡単ではないけれど。


 なお、本著は前述の2教授だけでなく、只野雅人(一橋大学大学院法学研究科教授)、山元一(東北大学大学院法学研究科教授)、森千香子(南山大学専任講師)、見原礼子(日本学術振興会特別研究員/社会学)、大曲祐子(一橋大学大学院博士後期課程/社会学)、樋口陽一(日本学士院会員/憲法)諸氏も執筆されています。


 備考:この本を読んでいる際、気になって国教とか、政教分離とかを少しだけ調べたのですが、こんなものを見つけました(英語)。
 国際的な信教の自由に関する米委員会というところの調査報告書です。