2007-09-30

初体験!Boza/ボザ


2007.09.30 PM11:20

 きょうで9月も終わり〜♪ 先週木曜と金曜に試験も終わり、明日から新しいクラスが始まります(……の予定。クラスは5人集まらないと開講されないので、5人以上集まることを祈るばかりです)。

 さて、金曜日の試験後、イスタンブルから来られたマコトさんと会ってきました。マコトさんとの出会いは、3年前? 初めてトルコに行こうか、、、という頃にホームページ「めるはば通信」を知り、結構頻繁に拝読させていただいていました。その後、Mixiで再開。ずいぶん長いあいだMy mixiにはならず、メッセージだけ交換したりしていたのですが、その後My mixiに。そして、このたび初対面!となったわけです。そのとき教えてもらったのが「Boza/ボザ」という名前の飲み物(写真)。本来は冬の飲み物らしく、期間限定で販売されるらしいのですが、アンカラ・クズライのカランフィル・ソカーウ(カーネーション通り)に「365日Boza」という看板を出している店がありますよ〜ということで連れて行ってもらいました。

 Bozaは調べてみるとキビ、水、砂糖から作られる冬の飲み物で、最も古いトルコの飲み物として知られているもののひとつとか。本来は9月15日〜5月15日までに販売されているようです。
 また、トルコではキビを原料として作られていますが、別の国ではコーンや麦、粟などから作られたりもしているよう。オスマン帝国時代は炭水化物(いまで言えばプロテインって感じ?)とビタミンが豊富なため、兵士たちに供給された飲み物だったようです。

 で、お味は?というと、なんと言えば良いのでしょう? ひと口飲んで(というか食べて)、「ん? この味、なんだか知っているような? 何かに似ているような?」と思いました。でも、思いつかない。上にシナモンがかかっているからニッキ水に近いのかなー?と思ったりもしましたが、写真のところまで飲んで思い出しました。濁酒(どぶろく)に似ているんです。Boza自体はアルコール飲料ではありません。でも発酵加減とか、微妙に炭酸が感じられるところとか、とても濁酒に似ています。まぁ、すごーく砂糖が入っているので、めちゃくちゃ甘いんですけどね。しかも、ドロリとしている。スプーンが付いて来て、すくって食べる、という感じの飲み物です。ドロリ感で言えばヨーグルトぐらい。しかもめちゃくちゃ甘いので「ごくごく飲む」感じじゃありません。飲み物、なんですけどねー。

 好き嫌いが別れる味かとは思いますが、アンカラに来られたら、あるいはイスタンブルでも(上記の期間なら、どこかで飲めるはず)ぜひ一度トライしてみてください。わたしはシナモンをたっぷりかけるのがオススメだと思います。

2007-09-29

試験報告

2007.09.29 AM1:10

 取り急ぎ、ご報告を。本日、中級3の試験が終わりました。Okuma(読解)はテキストがすごーく長くて、1問目のテキストを読んでいるうちにどんどん時間が過ぎ、後半の問題は読み飛ばして答えたような状態。Dinleme(聞き取り)も3つあるテープのうち1つがほとんど聞き取れず撃沈。Kompozisyon(作文)も時間切れで最後まで書ききれず尻切れトンボ。。。
 今回はマジで追試を(ヘタをすれば落第)を覚悟しました。試験後、昼から友人と会っていたのですが、心のどこかに“試験結果”がひっかかって。。。夕方7時頃、試験結果を学校に見に行ってきました(ドキドキしたぁ〜)。

 結果 ◎読解は16/25、◎聞き取りも16/25、◎対面会話は13/15、◎意味説明(単独スピーキング)が8/10、◎作文が18/25、合計71点で合格することができました。決して良い点数ではないけれど、とりあえずパスしたのがわたしにとって一番のご褒美。これでこの週末も心置きなく休めます。あー、しかし、今回は難しかった〜。クラス6人中2人が用事で試験を欠席したため(彼らは月曜日に試験を受ける)受験したのは4人。うち、エチオピア人の友だちとわたしが合格、残りの2人は作文で追試を受けることになりました。でも、追試を受ける2人とも他の4科目はわたしより高得点。ただ作文がダメだっただけです。彼らも追試では合格するでしょうから、また来週から新しいクラスでがんばりますっ! ではでは〜♪ まずはご報告まで。

2007-09-27

Dil Bayrami/言語75周年祭




2007.09.27 PM8:50

 きのうときょうの2日間、アンカラ、イズミル、マニサ、アイドゥン・ショケ、クシャダスの5都市で75回目の”Dil Bayrami/ディル・バイラム(言語周年祭)”が行われたようです。

 数日前の日記でTurk Dil Kurumu/トゥルク・ディル・クルム(トルコ言語協会)について触れましたが、このバイラムはその設立75周年を祝うもの。今朝のニュースでは昨日イスタンブルのドルマバフチェ宮殿で行われた式典(アブドゥッラー・ギュル大統領も参加)の様子が紹介されていました(ここでは「人々のコミュニケーションツールとしてのトルコ語」「芸術言語におけるトルコ語」といったプログラムが金曜まで続くそう)。
 その後、TRTの放送内で現言語協会会長(?)へのインタビューも行われ、現在の言語状況や問題点、これからの課題といったことが話さていました・・・が、わたしのトルコ語能力では細かいところまで分からず、とても残念でした。

 でも、考えてみると“トルコ語75周年”って、なんだか随分新しい気もしますね。もちろん、トルコ語は75年前に突然起こった言語ではなく、共和国設立後に“整理された”言語。75年前の1932年にアタチュルクの提唱によって設立されたトルコ言語協会は、トルコ語やテュルク諸語の研究、規範文法の策定ほか、外来語の固有語彙への置き換えなども行っていて、だからこそコンピュータが「Bilgisayar/ビルギサヤル(ちなみにBilgiはトルコ語で“知識”“情報”という意味」になっているわけです。
 とはいえ、外来語の反乱を防ぐのはトルコでも至難の業。今朝のニュースでも街角にあふれる“英語”“フランス語”などの看板を映し、いかに外来語が日常のなかに反乱しているかが語られていました(たぶん、トルコ語に悪影響を及ぼしていると言ってたんじゃないかなー)。

 言葉って、使い方ひとつで印象が随分変わるもの。自分の考えや思っていることを正確に言葉に置き換えられなければ、相手に伝えることはできません。間違って使うことによって、あるいは間違って解釈することによって、コミュニケーションに支障をきたす場合もあるでしょう。
 とはいえ、自分が美しい日本語を使えているか? と自問すると「ぐぅ」の音もでないのがホントのところです。一方で、正しく美しい日本語を使っても感覚的にぴったり来ない場合もあります。「気が置けない友だち」なんて言葉も、本来の「気を使うことなく気楽につきあえる」という意味ではなく、そのうち間違った解釈(油断できない)が正解になるんじゃないかなーとも思ったりします。
 そこで問題!「流れに棹さす」「確信犯」「役不足」の本来の意味を知っていますか? ちなみに、わたしは全滅でした・泣。

 写真は“75. Dil Bayrami”のプログラム・ポスター(アンカラ大学のサイトで見つけました)。それと全然関係ないですが、今朝6時過ぎの西の空。満月1つ手前の白いお月さまがぽっかりと浮かんでいました。10分後には東からお日さまも上って来てダブル鑑賞(トクした気分♪)。もう1枚はアパート7階から南方向を眺めたもの。カメラの角度は水平より上に向けているのに坂道が目線より上に伸びているの、分かります? 左手タワーの右側、光っているのは車のヘッドライトです。この角度、車じゃなきゃ上れませんよ、ホント。ムーヴィング・ウォークをプレゼントしてあげたい。。。

2007-09-26

イフタル・ソフラス




2007.09.26 PM8:30

 現在ラマザン中のトルコ。Oruc tutan insanlar/オルチ・トゥタン・インサンラール(断食をしている人たち)にとって、Aksam Ezan/アクシャム・エザーン(夕方のエザーン:現在7時前後)は待ちに待った食事の(一部の人にとってはタバコの)時間を告げるものです。その食事、特別に iftar/イフタル、あるいはiftar sofrasi/イフタル・ソフラスと呼ばれています(わたしが愛用しているインターネット上のseslisozluk/セスリ・ソズリュックによると、iftar/イフタルとは「ラマザン中の晩ご飯」あるいは「ラマザン中の日没時間」)。

 さて、このiftar/イフタルは広告でも頻繁に登場します。夜明け前の食事から日没後の食事まで15時間余り何も食べないわけですから、iftarと呼ばれる食事はたいてい豪華。そのためテレビCMなどでも、iftarの……といった食べ物の宣伝がバンバン流れます。なかでも面白いのがヨーグルトのCM。それほど豪華でもないと思うのですが、iftarに……と確かダノンのヨーグルトを広告していました。お母さんが4個パックのヨーグルトをパチンと割ると、ぼんやりしていた子どもやおばあさんが音に反応……最後はみんな笑顔でヨーグルトを食べるという結末。あと、ラマザン中の食事は不規則ですから(しかも夜たくさん食べることになる)お腹にやさしいヨーグルトを……的なのもありました(笑。このへんは微笑ましいですね。テレビのニュースでもラマザン関連の話が毎日必ず出てきます。

 あ、そうそうテレビと言えば、今朝テレビを見ていると、なにやら日本のものらしきアニメが……。カードを使うと怪獣みたいなのが出て来てたからポケモンかなー? 実際見たことがないのでハッキリしません。でも、絵の感じが日本製では?と思わせます。台詞はもちろんトルコ語。日本アニメをトルコ語で見るって、なんだか不思議な感じ...でした。
 ※写真が、日本製らしきアニメの画面。あとは、その後に放送された別のアニメ番組(こっちは、どうみても日本製ではないですよね、絵が)。
 ※最後の写真は、iftar/イフタルに……とCMで流れていたアイスクリームに影響されて買ったアイス。シェアする人のいない1人暮らしなので、1週間くらいかけてゆっくり食べようと思っています・汗。

2007-09-25

トメルでの小さな出会い



2007.09.25 PM9:30

 きょうトメルに行ったら、教室に見知らぬ男子学生が3人、わたしの席に(……って決まってるわけじゃないんだけど)座ってました。ふぇ?と思って、ちょっとオロオロしたら「トルコ語、話せる?」と聞かれたので「少し。。。あのー、いつもこの教室はわたしたちが使っているんだけど……」。彼らは「でも、ここ3番教室だよね? ここって言われたんだ」と言って動く気配なし。「誰がそう言ったの?」「うーん、名前は知らない。ちょっと太った女の人」と言うので、仕方なくトルコ語担当部署へ。「あのー、◎◎先生の生徒なんですが、3番教室に知らない学生がいて、そこが彼らの教室だと言ってるんです。教室、変わりました?」と聞くと、「いやいや変わってないわよ、彼らが間違っているのよ」とのこと。

 まっ、いっか……と再び教室に戻り、男子学生たちと話してみると、コソボから来たと言います。
 ご存知の通り、コソボと言えばコソボ紛争の際のNATO空爆も記憶に新しいところ。あのとき、Jリーグでプレーしていたストイコヴィッチがゴールしたあと「NATO Stop Strikes(NATOは空爆を中止せよ)」と書いたアンダーシャツを見せたシーンは、いまだに鮮明に覚えています(対戦相手を思い出せないのだけど)。加えて、木村元彦著の『誇り ドラガン・ストイコヴィッチの軌跡』だったか、『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』だったか忘れたましたが、当時サッカー・ユーゴスラヴィア代表がユーロから追放されたときの涙なくしては読めない話なんかも頭のなかを巡り、コソボっていまどうなんだろう?と聞いてみたかったりもしたのですが、初対面でいきなりそんな話もできず、世間話で終わってしまいました。でも、彼らはいたってフツーの若者。「コソボって、確かトルコ人も住んでいたよね?」と聞くと、「そうそう、ボクはテレビでトルコ語放送とかも見てるから、多少は話せるんだ」と言ってました(実際、わたしが話すトルコ語も理解していた)。ほかの2人は「メルハバ/こんにちは」と「ナスルスン/ご機嫌いかが? 英語のHow are you?」だけ。うち1人は英語が少し喋れました。
 あとトメル初級に入るのか、中級に入るのかを聞いたのだけど、いまひとつ理解してくれなかったので「トメルの本はもう買った?」と聞いてみました(使う本で、レベルが分かると思ったから)。すると「えっ! 本を買わなくちゃいけないの? いくらするの?」「授業で使う本と練習帳、それとカセット2つで40TRYだったかな」「うぇー高ーいっ」と嘆く学生たち。その後も、なんとかコミュニケーションをとっていたらトメルの先生が来て別の教室に連れて行かれてしまいました。んー、残念。もうちょっと話をしてみたかったのだけど(頭でしか知らない国の人たちと出会えるのもトメルの面白さですから)。せめて彼らがアルバニア系なのか、セルビア系なのか、それともトルコ系なのか知りたかったし。・・・残念。

 さて、きょうは授業で読解と聞き取りの模擬テストがありました。読解が18点。聞き取りが17点。25点満点で15点が合格ラインなので決して良くはありません(ちょっと焦ってます)。でも、こればっかりはグラマーだけの問題じゃないので仕方ない。自分なりに勉強して、あとは運を天にまかせます。

 ※写真は、そのテスト用紙。結構イジワルなひっかけ問題もあったりします。もう1枚は昨晩つくってみたSemizotuのサラダ。友だちが作っていたのを見よう見まねでトライしてみました。味は、、、いまひとつ。何かが足りない感じ。見た目はまぁまぁと思うのですが(いかがでしょう?)。

2007-09-24

きのうの夢







2007.09.24 PM10:30

 寮に住んでいるとき、相部屋のときはもちろん、1人部屋でも結構気を遣いながら暮らしていました。1人部屋でもお風呂やトイレは共同だから、朝シャワー派のわたしとしては音が気になったわけです(寮で朝6時に起きる人はいない)。それが相部屋ともなろうものならお風呂セットや次の日に着る洋服をセットしておいて、朝なるべく音をたてないようにそぉ〜っと起き、部屋の外に出て朝の仕度をしていたのです。目覚ましもセットしていましたが、いつもベルが鳴る前に起きてました。

 アパートで1人住まいになったから、もう気遣う必要はないのね〜♪と気楽に考えていましたが、今度は1人ぽっちが不安。夜も寝付きは良かったのですが変な夢を見てしまって、そのあと眠れませんでした。
 夜、戸締まりを確かめたとき玄関ドアの覗き穴にティッシュが詰めてあったのが頭に残っていたのでしょう。それが1人の不安で増幅されてこんな夢を見てしまったのだと。。。

 夜、1人で過ごしていたら誰かが訪ねてきました。もちろん訪ねてくる人などいないはずなので無視していたら、覗き穴に詰められたティッシュが外から押されて内側にポトリ。ひぃ〜、誰だこいつ〜???と思いつつ怖がっていたら、いつのまにか見知らぬ男性が部屋のなかに。うわぁ〜! 多少もみあい、一時は金縛り状態になりましたが、なんとかバルコニーから助けを求め(でも、怖くてなかなか大声が出なかった)、警官がひとり上がって来てくれました。男性なのですが、明かに元女性。それで安心して中へ招き入れ「変なヤツが入って来た」「逃げていった」とか説明していたら、突然場面は変わって冒険映画風に。性転換した警官とともに車に仕掛けられた爆弾を処理する……という展開で、一応最後は事なきを得ました。

 なんなんだ、この夢は。。。その後はちょっとした物音が気になってなかなか眠れませんでした。なんと小心者。アパートが広いだけに、あちこち歩き回って戸締まりを再度確認し、物音がすればそっちに行って何事かと見て回り(だいたい、鳩が飛んで来たり、バタバタしている音なんですけど)。。。むぅ〜、きょうは大丈夫かしら?

 お部屋大公開! 1枚目は寝室です。お布団はふわっふわっの羽毛布団でした〜♪ 2枚目:ちょっと暗いですがキッチンです。3枚目:シャワー&トイレ。便座カバーはキース・ヘリングです。←キース・ヘリングを知っているトルコ人に初めて出会いました(ちょっとカンドー。キース・ヘリングはわたしの趣味ではありませんが、知っているということに驚いた)。4枚目:サロン。奥左手には暖炉もあります。5・6枚目:広〜〜〜いバルコン。バルコンは北と西に面しているため、朝撮ったので青っぽくなってますが、とっても光が入ってくる気持ちの良い場所です。だいたい6枚目の黒い椅子に座って過ごしています。

2007-09-23

お引っ越し完了!





2007.09.23 PM10:00

 本日、お引っ越しが無事に済みました。引っ越し先は、Tunali Hilmi Caddesiにあるアパルトマン。学校まで歩いて2分の場所です。そして、おそらく、わたしの人生でこれほどすごい家に住めるのは、これが最後ではなかろうか……というような、超ひろーいアパートです。しかも最上階!!! いわゆるペントハウスです(……が、ただいまエレベータ故障中・汗。7階まで上るのはなかなかのエクササイズです)。

 まず、玄関の扉を開けると20畳は優にあろうかというサロンが。左手に入ると12畳くらいの寝室、キッチン(これは日本サイズ)、ユニットバスがあります。特筆すべきはバルコン(バルコニーですが、窓が付いていて部屋状態になったもの)。サロンの右手にバルコンに出るドアがあるのですが、L字型に広がるバルコンはあわせると40畳近くあるような、とんでもない広さです。窓の数も全部で24枚。2つに1つは開くようになっていて、夏は開け放して風を通し(アンカラは湿度が低いので、日向でなければ涼しいです。朝晩も涼しいし)、冬は窓を閉めて、日向のところでポカポカ過ごす……という感じです。また、この部屋の持ち主家族は外交官とか、それらしき関係のお仕事らしく、世界中で買って来られたり、お土産でもらったり……というエスニックな置物、趣味の良いランプシェードなどであちこち飾られています。

 1ヶ月の家賃はわたしがかつて豊中で住んでいたマンションより1万5000円ほど安い、くらいで決して安くはないですが、立地を考えると超お得。たとえば、アンカラのセンター・クズライを大阪の梅田とすると、ここからクズライまでは歩いて15分ほどですから肥後橋あたりに住んでいる感じです。ただTunali Hilmi Caddesiはおしゃれなショッピングストリートでもあるので、雰囲気としては南船場とか堀江、新町あたりな感じでしょうか。とにかく小金持エリアです。もうちょっと南の方へ行くとお金持ちの子息子女が高級外車で乗り付けるようなカフェ、レストランがたーくさんあったりして(わたしは行きませんが)、完全な金持ちエリアになります。

 とはいえ、住んでいるわたしは近所のスーパーで買って来た卵を茹でただけの、ゆで卵を食べながらこれを書いていたりするわけです。あぁ、家と住む人間のバランスが取れてないわー・汗。でも、こんな家に住めるチャンスはそうそうないと思うので、帰国の11月2日まで優雅に過ごさせてもらおうと思っています。ここ、インターネットはないのですが目の前に1泊105TRY(1万弱)の高級ホテルRAMADAがあって、どうやらそこのワイヤレスLANに接続できているのか(?)、何故か使えてます(有り難い)。時々接続状況が極端に悪くなるけど、無料でインターネットに繋がってしまういい加減さがトルコだなー(笑。

 ※写真は、バルコンからのTunali Hilmi Caddesi/ツナル・ヒルミ・ジャッデシ(夕方と夜)。夕日もキレイに見えました。最後のはバルコンからじゃなく、キッチンの窓から撮りました。このちょっと右手にはシェラトン・ホテルがあります。

2007-09-21

これって何語?



2007.09.21 PM6:25

 トルコ語にはArapca/アラプチャ(アラビア語)Farsca/ファルスチャ(ペルシャ語)Fransizca/フランスズジャ(フランス語)がかなりの確率で混じり込んでいます。

 Turk Dil Kurumu(トルコ言語協会/トルコ語辞書も出している ※詳細はWikipediaでも読めます http://ja.wikipedia.org/wiki/トルコ語協会)によると、2005年のトルコ語辞書に載っている外来語は、6463語でアラビア語がトップ。次いで4974語のフランス語、1374語のペルシャ語が続き、632語のItalyanca/イタルヤンジャ(イタリア語)、538語のIngilizce/インギリズジェ(英語)、399語のYunanca/ユナンジャ(ギリシャ語)、147語のLatince/ラティンジェ(ラテン語)、85語のAlamamca/アルマンジャ(ドイツ語)、40語のRusca/ルスチャ(ロシア語)、36語のIspanyonca/イスパンヨンジャ(スペイン語)がトップ10に入っています。
 ご覧の通り、アラビア語、フランス語はダントツ。歴史的につながりの深いペルシャ語よりもフランス語が多いというのは、トルコ建国時にフランスの文化が大量に流れ込んでいたせいなんでしょうね、きっと。

 なんでこんなことを書いているかと言うと、トルコ語のテキストを読んでいてガックリくることが多いから。bagaj/バガジ。なんだこれ? こんな言葉知らないぞーと思って辞書を引いたらフランス語源。英語でいうbaggage/バゲージ(荷物)です。egzersiz/エグゼルシズもフランス語源。英語でいうexercise/エクササイズです。知らない言葉だーっ!と思って辞書を引くと「あぁ英語にもあるじゃないか」と歯ぎしりすることしきり。思わず、こんなのトルコ語じゃないじゃんっ!と叫びたくなります(そー言えば、このあいだはクイズでspagetti/スパゲッティというのも出て来たな)。

 もちろん、自国日本を振り返れば相当に英語が反乱していますからトルコ語をどうこう言える立場でもありません。コンピュータをBilgisayar/ビルギサヤルと言っているあたりにはトルコ語への固執、自負が伺えます(お隣の中国には敵いませんが・汗)。でも、ラップトップはトルコ語でもラップトップなんですよね。一応、Dizustu Bilgisayar/ディズュストゥ・ビルギサヤル(直訳すると膝上コンピュータ。Dizが膝、ustuが上という意味です)という言葉もあるのだけど、みんな全然使っていない。学生たちはみんな「ラップトップ」と言ってます。あとマクドナルドのようなfast food/ファスト・フードに対してもオリジナルトルコ語が作られていたはずだけど(忘れた)みんなfest-fut/フェスト・フトと言ってる。まぁ、言葉は生き物ですから、どんどん変わっていくのが当たり前。人が話しながら新しい言葉を作り、使われない言葉は廃れていく、これは仕方のないことです。

 ところで、あるテキストでDeprem/デプレム(地震)の話があり、Tunami/ツナミ(津波)という言葉が出てきました。そう、津波はもはやトルコ語でもツナミなんですねー。それと今日ネットで読んだトルコ語の新聞によると、Hikikomori(引きこもり)もオリジナル日本語のまま使われてました。もしかしたら、Otaku(オタク)もそのままトルコ語になってるかも? ……と思って調べたらVikipedi(ウィキペディアのトルコ語版)で、otaku、anime、manga、doujinshiという言葉を発見しました。これらもトルコ語にそのまま取り込まれていくんでしょうね、たぶん。ちなみに、Turk Dil Kurumuによると、2005年度版の辞書には日本語語源の言葉が7つあるようです。選ばれている7つの日本語が何なのか、とっても気になります(animeとmangaは7つのうちの2つです)。

 ※写真はTurk Dil Kurumu(通称TDK 日本人にはおなじみの会社?みたいですが、トルコ語だと「テー・デー・カー」となります)のWebサイトと、Hurriyetのネット版で見つけた「Hikikomori」の記事。

アッラーの命令 × 予言者の取り決め


2007.09.21 AM 7:25

 お知らせのつづき:だたいま11月まで滞在できる場所を探しております(汗。学校の先生と、友だちの知り合いの2方向から探してもらってますが、まだ返事が来ないのでちょっと焦っています。うまくいけば超・超お手頃価格でホテル住まいができるかもしれないのですが。いずれにしろ、今週末には寮を出ないといけません。ギリギリです(汗。

 ちょっと前の話ですが、トメルのテキストでトルコの伝統的な結婚前のしきたり……を紹介する文章が出てきました。

 現在、大きな街ではそれほど行われていないけれど、村ではまだまだ一般的、と書かれてたテキストでは、年頃の息子をもつ母親がまず花嫁候補を探し始めるところから始まります。母親の目にかなう女性が見つかると相手にその意を伝え、男性の家族および親戚が、女性の家をチョコレートなどを持って訪問します。最初は相手の健康を伺ったり、世間話をするのですが、いよいよ結婚の申し込み……となると「アッラーの命令、予言者(ムハンマド)の取り決めにより・・・」と言って結婚を申し込むのだそうです。ただ、ここではすぐにOKの返事はもらえません(しきたり的に)。そして2回目の訪問で、女性の家の家長が「アッラーが書き記したことなら……」と結婚を承諾する、といった内容でした。

 まぁ、日本で言えば“お見合い”みたいなものですね。最初に釣書があってそこから話が始まる。話がまとまったら結納がある。自分に経験がないので、結納のとき日本では何を言っているのか知らないのですが、「アッラーの命令、予言者の取り決めにより」というのが、いかにもトルコです。大事なところには、必ずアッラーが登場する。この話を、いかにも現代的な学生にして「あなたのところはどう?」と聞いたら、やっぱりやっているそうです。その学生のお姉さんはフツーに自由恋愛で結婚相手を決めましたが、いざ結婚となると、やはり男性の家族、親戚が女性の家を訪問し「アッラーの……」とやったそうです。宗教的、というより伝統的な結納の品を収めたりする感覚と同じなんでしょうね。

 ところで、最初に男性の家族や親戚が女性の家を訪れたとき、これまた伝統的に結婚相手となる女性がトルココーヒーを来客に振る舞います。このとき、男性のコーヒーに「塩」を入れるという伝統もあるそう。つまり、人生は甘いだけじゃないのよ、というわけです。最近は男性の方から「塩を入れないでよ」と言って、入れなかったりもするみたいですが。まぁ、人それぞれです。

※写真はhttp://www.gelinlik.comから拝借しました

2007-09-18

お知らせ

2007.09.18 AM7:20

 いつも拙サイトを読んでくれているみなさんへ
 少しのあいだ、ブログをお休みすることになると思います。寮に学生たちが戻って来てホテルに移ろうと考えているので、ちょっとバタバタしそうですし、ホテルでインターネットに接続できるかどうか分からないので。落ち着いたら、また書きます。ご心配なく。取り急ぎ、お知らせまで〜♪

2007-09-17

ラマザンがはじまった


2007.09.17 AM7:00

 ここ数日、日記をお休みしてしまったのには訳がありまして……。というのも9月に入って以来、新学期の始まる大学生たちが入寮し始め、彼女たちと過ごす時間が増えてしまって、なかなかパソコンに向かう時間が取れなかったのです。

 そんななか先週水曜日の夜からラマザン(断食月)がスタート。モスリムでないわたしも、せっかくトルコにいるし……と試しにトライしてみたのですが散々でした。朝起きて、なーんにも食べず、タバコも吸わず学校に行ったら、まったく脳が起きていない。ボーッとするし、眠気はひっきりなしに襲ってくるし、その日何をしたのかも定かではないような状態で、寮に帰ってからは横になってひたすら時間が過ぎるのを凌ぎました。

 日本で働いている時だって夜まで何も食べずに……なんてことは当たり前だったので「楽勝じゃーん」と思ってましたが、コーヒーもお茶も何も飲まず、バナナとかヨーグルトとか軽いものも一切摂らず……というのは想像以上にたいへんでした。とにかく脳が機能しない。お腹が空くという感覚よりも、頭がボーッとして動かないというのが辛かったです。トルコ語を勉強しに来ているのに、これじゃあ本末転倒だな……と思って1日で挫折しました(←自分に甘いというか、何と言うか。そもそも「断食やります」なんて安易に口にしたことが恥ずかしー)。でも、この日、Aksam Ezan/アクシャム・エザーン(夕方7時12分だったかな?)が聞こえたときほど「ありがたいっ」と思ったことはありませんでした。いつもは全然気にしていない、気にしても「あぁ、いま何時頃なんだな」と思う程度だったのに、この日は「もうすぐ、もうすぐ」と心待ちにしてました。

 でもね、まわりを見てて思ったんですが、断食するよーと言ってる学生たちも意外とゆる〜い感じなんです。「断食はするけど、タバコとチャイは飲んでるんだ」とか、「きょうは病気だから食べるんだ」とか。「やってるよ」と言ってるのに、昼日中ふと近くのカフェで見かけたり……。もちろん、真剣に一切飲まず喰わず、断食のルールを守っている学生もいます。一方で前述のようにゆる〜い感じだったり、そもそも断食をしていなかったり。いろいろなんですね。

 一方で、モスリムでもないのにする必要なんてないでしょーという人もいました(寮のマネージャーやオーナー←彼女たちはしていない)。彼女たちは筋金入りのセキュラリスト/世俗主義だし(スカーフも嫌っている)、信仰心を理由としない断食を快く思っていなかったのかもしれません。
 でも、神のような存在・・・というのはあるんじゃないかと思っています。これまで学んで来たなかではネイティヴ・アメリカンの“Great Sprit/グレート・スピリット”が、わたしの考える“神”に一番近いです(日本の八百万の神も感覚的にわかる)。何と言うか、わたしのなかにある神は名前をもたない。空気、あるいは宇宙のような存在です。
 ちょっと調べたら、Wikipediaの「神」の項に仏陀のこんな対話が載っていました。
朝、ある人が来て仏陀に質問した。
「神は存在しますか?」。仏陀は「存在しない」と答えた。
昼に、別の人が来て仏陀に質問した。
「神は存在しますか?」。仏陀は「存在する」と答えた。
夜になって、また別の人が来て仏陀に質問した。
「神は存在しますか?」。仏陀は目を閉じた。質問した人物も目を閉じて座っていた。そこに長い沈黙があり、しばらくして質問者は涙を流しながら、「ありがとうございました」と言って帰って行った。
深夜になって、アーナンダ(仏陀のいとこで、仏陀のそばで世話をしている人)は仏陀に質問した。「朝、昼、夜のあなたの答えは私を混乱させます。どうか説明してください」
仏陀は答えた。「まず第一にそれはあなたに対して答えられたものではない。あなたはそれを自分への言葉として受け取るべきではなかった」
「朝来た人物は有神論者だった。私が神が存在すると言ったら、それは彼の信じ込みを強めるだけだった。昼来た人物は無神論者だった。私が神は存在しないと言ったら、それも彼の信じ込みを強めて、真理への到達の邪魔をするだけだった。夜来た人物は、信じ込むタイプの人物ではなく、真実を知る準備ができていた。私は真実を示し、彼はそれを受け取って帰って行った。アーナンダよ、真実は語ることは出来ない。私は道を指し示すことができるだけだ」

 むー、深い。「真実は語ることはできない。道を示すことができるだけだ」とは。でも核心を突いているかもしれません、これ。確かに、言葉で説明できることなんて限られているのかもしれません。それに心で理解しなければ意味がない。
 あー、宗教って興味深い。

 ※写真はアンカラのKocatepe Camii/コジャテペ・ジャーミーの内部。ジャーミーのステンドグラスとか窓って、なんか神秘的で神を信じさせるような効果があるような気がする。。。

2007-09-13

連続ドラマに負けた代表サッカー


2007.09.13 AM7:30

 きのうは〜学校に行ったら〜先生が大学に行かないといけないらしく〜1時間で授業が終わってしまったぁ〜(まただ・・・)。もう慣れてきたけど、それを当たり前にしてしまうトメルには問題を感じてしまう、やっぱり。そんなわけで爆弾騒ぎの話は出来ず終いでした。

 さて、話題は変わって、EURO2008予選。昨日もありましたっ!!! 残念ながら寮のテレビでは学生たちがYaprak Dokumu/ヤプラック・ドキュム(落ち葉)というDizi(シリーズ物のドラマ)を見ていたので、このDiziがコマーシャルに入るあいだしかトルコ vs ハンガリーの試合は見られませんでした・泣。

 ま、仕方ないんです。トルコで女の子たちは基本的にサッカーを見ない。でもって、連続ドラマを見るわけです。←このへんは日本と似ているかもしれませんねー。一方、わたしはと言えば長いあいだ連続ドラマを見なかったため、その習慣がない。しかもトルコ語で見ても全部理解できるわけじゃなし・・・。

 トルコ vs ハンガリーの試合は、序盤ハンガリーのプレスが高い位置から効いていて、なかなか面白そうな試合でした。先日のマルタ戦に比べれば数段面白い。トルコも早いパスを回しながら攻めていましたが均衡が破れない。点は入らなかったけど緊迫した見ている者をドキドキさせてくれる予感のあるゲームだったのです(それだけに、きちんと見られなかったのが悔やまれるー)。

 その後、部屋に戻ってインターネットで試合経過をチェックしていたのですが、となりのアパートで男の人たちがこの試合を見ていたようで、彼らの騒ぎ方を聞いていればネットより早く試合が動いたのが分かりました(笑。← 寮のマネージャーは「うるさいわねっ、遅い時間まで騒ぐなら警察に電話するわよっ」と言ってました(この言葉からも女性がサッカーにまったく興味がないのが分かります)。

 試合は、ハンガリーのGera選手がシミュレーションで2枚目のイエローを食らい退場。その5分後、さらに4分後、トルコが立て続けに得点しました。試合終了前の90分にもトドメの3点目。あぁ〜見たかったなー、これ。トルコにいて、トルコの試合が見られないなんてっ!!!
 グループCでトルコより上位だった首位ギリシャと2位ノルウェーの直接対決は2-2で引き分け。3位だったトルコがハンガリーに勝って勝ち点3を積み上げたため、勝ち点では2位ノルウェーに並びました。次の試合は10月13日のモルドバ戦ですが、これはゼッタイ勝つとして、問題は17日。首位ギリシャとの直接対決です。前回、ギリシャホームの試合では勝利したトルコ。自国開催のゲームで文句無く勝って、しっかり首位でグループを通過してほしいなー。

 ※写真は1点目をあげたGokhan/ギョクハンと、祝福するAltintop/アルトゥントップ(Uefa.comより)

2007-09-12

セプテンバー11



2007.09.12 AM0:10

 きょう、ちょうど学校にいるとき日本にいる彼氏から電話があって「きょうは学校の帰りにメトロを使わないで、タクシーで帰ってね」と言われました。「なんで?」と聞くと「9月11日だから……」みたいなことをモゴモゴと言うから「あぁ、分かった、分かった。心配しないでいいから」と答えて電話を切りました。
 その後、クラスメートにこの話をして「心配しすぎだよねー」なんて笑っていたのですが、寮に帰ってインターネットをチェックしたら、どうやらアンカラで爆弾が発見された様子(ガッビーンッ)。

 ニュースによると、アンカラの市街で1300ポンド(600キロ近いのか? ポンドと言われてもピンと来ないぞ)の爆弾を積んだミニバスが立体駐車場に停めてあったのですが、探知犬がこれを発見し、事なきを得たようです(えらいっ! 探知犬)。
 目撃者の情報だとミニバスを運転して来た男性は朝6時頃この場所に駐車し、そばにあるマーケットに卸す商品を積んで来たと言っていた模様。アンカラでは5月にUlus/ウルスで自爆テロがあったばかりですが、みんなそれほど気にしている様子はありません。慣れちゃってるのかなー?

 ニュースではマーケットのとなりの駐車場というだけでハッキリと場所が特定できませんが、彼氏によるとSihiye/スゥーフィエの辺り(アンカラの中心地・クズライからメトロでひと駅)らしい。たぶん、このニュースをネットで読んで電話してきたんでしょう。加えて、トルコでは明日1980年に起こった軍事クーデタの記念日を迎えるらしく「明日も、メトロは使わずにタクシーで行け!」と言われています(でも、メトロで行っちゃう)。

 5月にUlus/ウルスで自爆テロが起こったときは、わたしもまだ日本にいて「な、なんだよー! いままでアンカラでテロなんてなかったのに、行く直前に起こるなんて!」と、戦々恐々としていたのですが、いま実際に事の起こっている当地アンカラにいて、そういう物々しさみたいなものは微塵も感じません。なんなんでしょー、この温度差は。一応、ニュースでは報道もしてるんですけどね。でも、誰も口にしない。

 あした、学校でこの話が出るかどうか、ちょっと話を振ってみようっと。

 写真はAP通信から拝借。

2007-09-10

ほっ。


2009.09.10 PM9:10

 ……とまぁ、いろいろありましたが、本日10日月曜日、昼1:10には無事アンカラ・エセンボア空港に到着。帰りはきちんとHavas/ハバシュに乗ることもでき(料金わずか10TRY。あぁ〜あのときの70TRYが悔やまれるぅ〜。60TRYあればTシャツの2枚でも買えたのに)、2時半には慣れ親しんだ寮に帰ってくることができました。

 なんだか、妙にホッとしています。緊張が解けたというか。

 今回の北キプロス旅行は、わたしにとって「めちゃめちゃ楽しかった」と言えるものではありませんでしたが、勉強になった旅でもありました。怖いこともあったけど、それはキプロスどうのこうのじゃなく、結局じぶんの準備不足が祟ったと言えるでしょう。早めにチケットを手配していれば深夜到着なんてこともなかったし。旅先の情報をもっと仔細に収集していれば、もっと快適に効率よく楽しめたと思います。

 それに、わたしはわずか36時間滞在したに過ぎません。「行ってきました」というだけで実際は何も見てないも同然。もっときちんと街と触れ合えば、人と向き合うことができれば、全然違った印象をもったのではないかと思います。そもそも36時間の滞在で、キプロスどーのこーのと言えるものでもないでしょう。また、日本に帰ったらキプロスのことを調べて、もうちょっと勉強したいなと思っています。

 写真はSelimiye Camii/セミリエ・ジャーミー。行く前にWikipediaから拝借して写真をアップしましたが、こっちは正真正銘わたしが撮影したものです。イスタンブルのアヤソフィアと同じく、最初は教会、その後モスクに変わった建物。

北キプロス写真集














2007.09.10 PM8:30

 写真だけはたくさんあるので、とりあえずアップします。

1、2枚目。Saray Hotel/サライ・ホテルの最上階から。奥のビルがたくさん建っているあたりはすべてキプロス共和国(南側)です。こうして見ると、分断されているようには見えないんですけどね。


3枚目。北キプロスの山に描かれたキプロス国旗。これ、南側に向かっているので、ある意味「ここは北キプロスだっ」という主張に見えますね。


4枚目。キプロスの夕日。太陽は、南も北も関係なく照らしているんですけどね。そして、たぶん、どこから見ても美しい。


5枚目。Lefkosa/レフコシャ、城壁内で見つけたPasabahce/パシャバフチェ。でも、終わってます(店はなく、ただ看板だけが残っている)。こういうお店が、城壁内にはたくさんありました。これも戦争の傷跡なんでしょうか? それとも、その後のことなんでしょうか? 尋ねる人もいなかったけれど。


6枚目。この向こうが緩衝地帯のグリーンライン。そして、その向こうにビルの建ち並ぶキプロス共和国(南キプロス)が広がっているわけです。道が途中で切れて、こんなふうに分断されているのを目の当たりにすると、やっぱり複雑です。


7枚目。ぶっ壊れ、ヘッドライトなんかもなくなっている車。こういう車もあちこちで見かけました。ゴミが積まれているような場所もありました。カメラを取り出して撮ることができず、携帯で撮影。


8枚目。ホテルの前のアパート。バルコニーで寛いでいる人たち。ここには2人ほど女性も見かけました。通りに女性がいないのは、単に家で過ごしているからなのかもしれないけど。日曜日だったし。きょう月曜日は見かける女性の数も増えてました。それと、Lefkosa/レフコシャは首都なので、何もこの城壁内だけが街じゃない。城壁の外に広がる街はフツーです。女性もたくさん見かけました。


9、10、11、12枚目。ギルネ城と、海。

北キプロス1日観光




2007.09.10 PM8:00

 翌朝。起きると電気は点くようになっていました。が、ホテルの風呂場にはシャンプーしかないっ!!! しまった、忘れていた。トルコでは(ここは北キプロスだけど)シャンプーだけってこともあるんだった。おまけに歯ブラシもない。ドライヤーもない。な、なんだよー。1泊90TRYもとってドライヤーなしかよー(泣。
 仕方なく、シャワーを浴び、タオルドライでなんとか凌ぎ、朝食を食べに最上階へ。あー、最上階から見るキプロスはキレイでした。高いビルがないから見晴らしも良いし。北キプロスの側の山には北キプロス国旗が(どうやって山に書いているのかな?)。そして、北と南の間にある緩衝線グリーンラインの向こうには南キプロスが。おぉ〜、なかなか良い眺めです。ひとしきり写真を撮って、いざ観光へ出発!

 ……とホテルを出て道を歩いていると、女性がいない。まったく見かけない。なんだ? キプロスでは女性は外に出かけないのか?(大袈裟ではなく、本当に見かけませんでした。朝、見かけたのは観光案内所の女性と、飲食スタンドのところにいたおばちゃんだけ) 前の日のタクシーの件もあって男性しか見かけない街を歩くのもなんだかな〜という気になり、観光案内所の女性が勧めてくれた港町・Girne/ギルネへ行くことに。バスで約30分。ホテルから見えた山を越えると真っ青な海が広がっていました(観光客のほとんどは、このGirne/ギルネに行くらしい)。
 ところで、Girne/ギルネへはドルムシュのようなミニバスで行ったのですが、不思議なことがひとつ。周りに民家のないところにポツーンと停留所があったりするのですが、ここから人が乗ってくる。いったい停留所までどうやってやって来たのか。遠くに見える民家から歩いたとしたら優に30分以上はかかると思う。それとも車で送ってきてもらっているのか。不思議、不思議。

 で、Girne/ギルネ到着。まずは海沿いの堤防内を散策。風が強かったけど抜けるような青い海の眺めはひとときの開放感を味あわせてくれました。あちこちでシャッターを切りつつ、その後港のすぐ隣りにあるGirne Kalesi/ギルネ・カレシ(ギルネ城)へ。ビザンツ期に建てられたのがオリジナルらしいのだけど、Lusignan/ルシグナン(? スミマセン、勉強不足で知りません)時代、Venetian(ヴェネチア)時代、Ottoman(オスマン帝国)時代、イギリス統治下時代と、主を変えるごとに城もレストアされたようです。中にはアレキサンダー時代の木造の沈没船が引き揚げられて展示されてあるのですが見逃してしまいました。ビザンツ後期の建設といわれる聖ジョージ教会は発見できたのに。まぁ、城というより要塞でした。外観もそうだし、戦うための建物という印象です(実際、そうだったらしいけど)。とにかく、この城からの眺めは最高! 港も一望できるし、水平線までなーんにもない、ただただ青く広がる海が見張らせました。近くにはレストランやカフェもたくさんありましたが、ひとりで食べても美味しくないし、その後は街をブラブラ。残念ながら日曜日でお店は見事に閉まってました(観光案内所も!)。空いているのはレストランかカフェだけ。お土産物屋さんも閉まっていて、これ以上歩いても何もないな……と、再びドルムシュでレフコシャへ。

 レフコシャに戻ったあと、せっかくだからと街散策へ。ところが、ふと気付くとオレンジのTシャツを着た男性が後ろを歩いていました。最初は気にしなかったのだけれど、どうも付けられている様子。わたしは街を眺めながらブラブラ、時には立ち止まったりして歩いていたのですが、追い抜いていったと思ったら今度はやたらゆっくり歩いている。再び追い越して、グリーンラインの近くまで行き、引き返してくると、前からオレンジの男の子がやってきました。声をかけられましたが無視し、急いでホテルへ。ホテルの部屋から見ると前でブラブラしているオレンジ男。な、なんだよー。悪い人じゃないかもしれないけど、昨日のタクシーの件があるので怖くなって外へは出ませんでした。

 2時間後、再び外に出てグリーンラインの近くなどを歩いてみましたが、やっぱりちょっと怖かったです。当時破壊された建物などがそのままなのか、それとも単に荒廃しているのか分かりませんが、崩れかけの家とか、壊れた車とか、とにかく街が寂れていて、やっぱり男性しか見かけない。道も迷路みたいで近くにハイダル・パシャ・ジャーミーとか、セリミエ・ジャーミー、カトリック教会などがあるのだけど、どうしても恐怖心が先に立って歩けない。結局、遠くから写真だけ撮ってホテルへ引き返しました。

 夜はホテルでご飯を食べようと思っていたのだけど、戻るとホテルのレストランで結婚式の披露宴があるらしくテーブルがセッティングされていました。「わたしも、ここで食べられますか?」と聞くと、2つのメニューなら用意できるとのこと。仕方なく、そのうちのひとつを注文し、レストランの片隅の薄暗がりでいただきました(なんで、こんなことに。。。泣)。

 写真は、わたしが泊まったホテル(Saray Hotel/サライホテル)の目の前にあるAtaturk Meydani/アタチュルク・メイダヌ(アタチュルク広場)。夜になるととってもライトアップされて幻想的。Lefkosa/レフコシャの城壁内は遠目に見ると、とっても素敵なんですけどねー(でも、通りに出ると男性ばかり。そんななか歩いたらジロジロ攻撃の的です)。そして、Girne Limani/ギルネ・リマーヌ(ギルネ港)。

キプロスの第一印象、それは恐怖


2007.09.10 PM6:20

 アンカラを00:15に飛び立った飛行機が、北キプロスのErcan Havaalani(エルジャン空港)に到着したのは02:25。暗いなかタラップを下りて、徒歩で空港内へ。イミグレーションを通過し、外へ出るとお出迎えの人たちがワンサカいました。……が、わたしにお出迎えはなく、そのままタクシーの並んでいるところへ。「タクシー?」の問いに「Evet/エベット(そう)」と答え、そのままタクシーに乗りました。

 ホントはこんな遅い時間にタクシーに乗るのは危険かもしれないから、空港で一夜を明かそうかとも考えていました。でも、キプロスでの休暇は翌日の1日だけ。翌々日の朝10時には空港入りしないといけないし、ホテルで休まないと観光もできないと考え、タクシーに乗る方を選んだのです。

 ところが、ここでキプロス不信が始まります。タクシーの運ちゃんは若い兄ちゃんだったのだけど(これが、そもそもイヤだった。おじさんが良かったのに)、こいつがどうしようもない。行き先を告げて走り出したのも束の間、すぐにタクシーを止めて「横に座れ」と言い出したのです。なんで? なんで、アンタの隣りに座らなきゃいけないの? とはいえ、変なとこに連れて行かれても困るから愛想良く笑いながら「いいよー、日本じゃタクシーの客は後ろに座るのがフツーなの」とか「あぁ、でもトルコじゃあ男の人がよく運転手の隣りに乗ってるよね」とか話題を変えながら、なんとか後ろに座ることに固辞しました。ようやく走り出したタクシー。でも、外は真っ暗。いったい自分がどこにいるのかも、まったく分からない。運ちゃんの軽口になんとなーく合わせながらも警戒心200%。早く着かないかなー、着かないかなーと思っても、なかなか着かない(空港からホテルのある街は30キロ以上あるので結構かかる)。しかも、運ちゃんは話をするときに後ろを向くので、めちゃくちゃ怖い。前を向け、前をっ! 危ないじゃん。わたしゃー、こんなとこで死にたくないんだよー。……と思っていたら、運ちゃんが「え? 聞こえない。聞こえないから前に来て座れ」と、再びこの話を持ち出してくる。しつこいな、お前。。。また「イヤだ、イヤだ」と言い張って、やっと走り出してくれたものの、心のなかはマイナス200℃状態。真剣にヤバいと思いました。だって、空港からも離れた場所だし、まわりにもなーんもない。真っ暗な田舎道。運ちゃんの機嫌を損ねて放り出されたりなんかしたら、わたしはどうすればよいの? かと言って、この運ちゃんの車に乗ってること自体が危険な感じ。早く着いてくれー、着いてくれー、とそればかり願っていました。

 で、ようやく城壁の街・Lefkosa/レフコシャ(北キプロスの首都です)へ。城壁らしきモノも見え、あ、着いたのかな? と思いましたが時間が遅いこともあって街は真っ暗。と、そこで突然タクシーが止まります。ホテルに着いたのかな? と思ったら、なんとビールを買ってくるから一緒に飲もうと言い出す。な・ん・で? な・ん・で、わたしがアンタとビールを飲まなきゃいけないの? 「飲まない、飲まない。実際、最近はビールなんて飲んでないんだから(←これは本当)。いいから、ホテルへ行ってよ」「いいじゃん、じゃあコーラにする?」←ホントーにしつこいな、お前。「イヤだ、イヤだ、早くホテルへ行ってくれ!」と、ここでもしっかり言い張って(でも、心の中では超怖かった)、「チッ」と舌打ちされながらも、どうにかホテルへ連れて行ってもらいました。最後の方は向こうも憎まれ口を叩きまくりでしたが、そんなこと知るもんか、です。

 でも、運ちゃん。ひとつだけ誉めてあげようと思います。料金は44.5TRYだったので、とっととタクシーを降りたかったわたしは、50TRYを渡して即降りようとドアを開けたのです(1秒でも早く降りて、ホテルに入りたかった)。すると「待って、待って、お釣りがあるから」と、5TRYを渡してくれました。この時間で、あんだけ態度悪かったのに、取ったチップはわずか50クルシュ。ここだけは誉めてあげたいと思います。ボッタクリもしてなかったし(帰り、ホテルから空港への料金は40TRYだった。つまり夜料金で45TRYは正当な料金ってこと)。

 はぁ〜、やっとホテルに着いた。休める〜と足を踏み入れると真っ暗。レセプションのコンピュータだけがわずかに光っていました。なんだ? 「ここ、サライホテルですか?」「はい」「予約している◎◎ですが……」「そんな予約はありませんね」「・・・」「泊まれますよ、1泊100TRYで、2泊なら200TRYです。いま払いますか?」「(えー??? 予約のときは1泊90TRYって言ってたじゃーん。でもこの時間で選択肢はなし)じゃあ、カードで」「あー、いま電気が故障しててね。機械が使えないんですよ、じゃあ明日の朝ってことで」……といったやり取りのあと、部屋へ。もちろん部屋の電気も点きません。当たり前ですがテレビも。仕方なく、携帯電話を光源にして顔だけ洗い、ベッドへ……。な、なんなんだ、ここは。タクシーは態度悪いし、予約したホテルで予約がないと言うし、おまけに電気まで点かない。こうして、北キプロスという国に対するイメージはガラガラと音を立てて崩れ落ち、飛行機に乗るときより、さらに暗い気分で眠りについたのでした。

 写真はキプロスの夜(というか夕暮れ後、夜8時過ぎ)。到着した日じゃなく、次の日の夜、ホテル最上階から近辺を撮ったものですが、到着した時はこれより、手前右に見える建物がある辺りよりさらに暗い感じでした。だって、ホテルの電源がすべて落ちてるんですから。なんでコンピュータだけ点いてたのか不思議だけど。
 それと、別に北キプロスが悪い国と言っているわけではありません。あくまで、自分の体験に基づいたことを書いているだけなので、誤解のないように。ただ、キプロスに行かれた際に深夜のタクシーはオススメしません(女性は特に)。

初っ端から大失敗


2007.09.10 PM5:32

 本日2時半頃、無事アンカラの寮に帰ってきました。トルコ脱出計画であったことを忘れないうちに記録しておこうと思うので、きょうは、出来事を区切りつつ一気に書きたいと思います。

 土曜日、夜8時前。北キプロス航空でチケットを買ったとき、お姉さんが「10時半には空港に行ってね」と言っていたので、そろそろ出かけようとバスステーションのAsti/アシティへ向かいました。ここから空港までHavas/ハバシュというバスが出ている、ということは昼間に確認済み。早速Havas/ハバシュ乗り場へ(いま思うと、北キプロス航空のお姉さんは「10時半にチェックインが始まるからね」と言っていたようです、どうやら。わたしのトルコ語もまだまだのようで……汗)。
 すると、男の人が「Havas/ハバシュかい?」と言いながら近寄ってきました。「はい、そうです」と答えると「あぁ、これはもう満員だよ。次のバスは9時出発だ」。えー、いまから1時間もここで待つのイヤだな、タクシーにしようかな? と心のなかで迷っていたら「何時に行きたいの?」と言うから「10時半には着きたい」と答えました。「だったらタクシーだね。バスはUlus/ウルスにも寄って行くから時間がかかるよ」。ふーん、じゃあ……と目の前のタクシーに乗ろうとすると「ここから乗ると高いから。向こうから乗りな」とメトロの方を指し示しました。まぁ、確かにメトロの出口付近にも、いつもタクシーは待機しているし、じゃあ向こうから乗ろうとその場を立ち去ろうとしたら「付いて来な」と、その男の人。あぁ、場所を教えてくれるのね、といっしょに歩いていると、Asti/アシティの出口までだけじゃなく、メトロの方まで案内してくれる。別に案内してくれなくても知ってるけどなーと思いつつ、親切でやってくれてることだから、と付いていきました(あぁ、本来ならここで気付くべきだったのです。でも、トルコ人って本当にここまで親切な人が多いからすっかり……)。

 で、メトロの出口のとこまで行って「さぁ乗りなっ」と言われ、乗ったらナント、その男の人がドライバーだったのですっ!!! なんだよーっ! お前がドライバーかよっー! でも、乗ってしまったタクシーを降りることもできず、そのまま空港へ。道中、男の人はいろいろ喋りかけてきたけれど、わたしの頭の中は『騙されたー、騙されたー、騙されたー』でいっぱい。もしかしたら、あのHavas/ハバシュは満員なんかじゃなかったのかも。満員なのかもしれないけど、他にも乗れるHavas/ハバシュがあったのかも。……と、後の祭りになったことがグルグルと頭のなかを駆け巡ります。ただひとつ救いだったのは、その夜ユーロ2008の予選でトルコ vs マルタの試合があり、早く空港に着けばその試合が見られたということ。だから「まぁ、試合も見られるし、良しとしよう」と無理矢理自分を納得させたのです。……が、なんと代金は70TRY(土曜日のレートで約6200円)。たっかーいっ!!!!! 高いじゃないかっ。……と、再び激しく後悔。なんで、Havas/ハバシュのそばまで行ってきちんと確認しなかったんだ、わたしは。あるいは1時間待ってもいいからHavas/ハバシュに乗ろうと思っていれば、もしかしたら8時のHavas/ハバシュに乗れたかもしれないのに(泣。トルコのしたたかさを学ぶ授業料として6200円は高いっ。高すぎるっ。まぁ、自分が悪いのだけれど。

 そして、唯一タクシーに乗ったことを正当化できるトルコ vs マルタの試合は、引き分けに終わり、やっぱり激しく後悔(勝っていたら、この大失敗も笑って済ませたのに)。わざわざタクシーに乗り、高い代金を払って見た試合で、トルコは勝てなかった。しかも、試合自体が面白くなかった。……と、初っ端からつまずいた脱出計画だったのです。

 トルコ vs マルタの試合は、マルタがドン引き。GKを含め9人で守って、2人で攻める、という戦略でした。ボール・ポゼッションは終止トルコ。でも、まるで日本代表のように決定機に決められない。あぁ、いやな展開だなー。こーいう試合って、CKとか、FKとかでポンッと相手に決められたりするんだよなーと思っていたら案の定、CKからマルタに先制点を許してしまいました。その後、前半終了間際に今度はトルコが流れのなかから得点し、同点。後半もマルタのドン引きは変わらず、トルコはボールの出しどころに迷ってポゼッションは高くも攻められない。そんななか決定機を迎えたっ!と思ったら入らず、「あ、ファウルかな?」と思ってみんなの動きが止まったところ(カメラも止まり、ボールが画面から消えた)実は笛は鳴っておらず、マルタのFWに素早くボールを持っていかれ、トルコDFは完全に出遅れてしまった。その後ろを走ったマルタの2人目にもトルコDFは追いつけず、すごーくすごーく無様な失点をしてしまったのです。2分後にはCKから再び同点に追いついたのですが、追加点は奪えず。グループ6位のマルタに勝ち点を上げられなかったトルコは3位に甘んじています。あー、こんな試合のために、わたしはタクシーに乗ったのね(実際は、自分が騙されて乗ったんだけど)、とさらに後悔は深まり、暗ーい気分で飛行機に乗ったのでした。

 ※写真はもひとつ活躍できなかったハカン・シュキュル(おしゃれーなシュートもありましたが、入りませんでした)。わたしの好きなトゥンジャイも良いとこなしで終わったし。。。

2007-09-08

コンヤ・ダッシュツ!



2007.09.08 PM4:55

 きのうは突然ビックリの来客が!! ここに入寮した初日に知り合って一番仲良くしていたカイセリのBerna/ベルナが、大学卒業の証明書を取りにアンカラにやって来たのです。ほんの数週間の間柄だったけれど、妙に懐かしく、話も弾んで(わたしも、わずかながらトルコ語が上達したし)1ヶ月半ぶりに旧交(?)を温めあいました。
 彼女のおじさんはアンカラに住んでいるし、お父さんの親友という方もアンカラ在住らしく「うちに泊まってね」と言われたそうですが知り合い関係に泊まると夜出歩けない、夜遊びできないってことで寮に泊まったようです。夜8時半頃に彼氏が車で迎えに来て、夜の街へ繰り出していきました(深夜12時前には帰ってきたけれど)。

 そんなわけで、サッカー日本代表の欧州遠征試合のことをすっかり忘れていました。結果は0-0ドローのPK負け。試合詳細を読む限りボールは日本が支配していたみたいだし、得点だけが取れなかった様子。まぁ、いつものことか。。。火曜日のスイス戦に期待します。
 一方、きょうは北京五輪の最終予選を戦うU-22の対サウジ戦(アウェー)が。現地20:30キックオフです。さらに、ユーロ2008予選でただいまグループCの3位につけているトルコがアウェーでマルタと対戦。こちらもたぶん8:00頃キックオフと思われます。ただ、今晩はKuzey kibrus/クゼイ・クブルス(北キプロス)への脱出計画があるので、残念ながらどちらも見られそうにありません。飛行機の出発は0:10なのですが、最遅でも10時半には空港に行ってね、と北キプロス航空のお姉さんに念を押されましたから。8時頃には寮を出るつもりですから願わくは空港のテレビで見られることを祈っています(たぶん、代表戦トルコ vs マルタは見られるんじゃないかと)。

 キプロス到着は夜中の1:25。その後、入管を通ってタクシーでLofkosa/レフコシャのホテルへ。たぶん到着するのは2時半か、3時頃じゃないかと。。。着いたらまず潜り込めそうなツアーがあるかどうか確認。運良く見つかれば、明日1日ツアーでお手軽にキプロス観光ができるんですけどねー(なかったらタクシーチャーターか? 高いけど1日しか滞在できないんで、この際金に糸目はつけねー状態です)。明後日は昼12時の飛行機なので、これまた10時には空港入り。朝起きて、ホテルで朝食を取ったらおしまいです。くー、改めて、先週の4連休が悔やまれる。

 ということで、月曜まで日記はお休みです。バッグひとつのお手軽脱出旅行なのでパソコンも置いて行くし。いい写真が撮れることを期待して行ってまいります。では〜♪

 写真左、首都レフコシャ(南北に分断されている首都です。ちなみにギリシャ側のキプロス共和国ではニコシア)。写真右は、キプロスの北岸にあるギルネの古城。ともにWikipediaから。滞在はレフコシャなのでギルネまで行けるかどうか? でも行ってみたーい!!!

2007-09-07

お世話になっているスリッパちゃん




2007.09.07 AM7:30

 トルコに来る前にお友達からプレゼントしてもらった5本指スリッパ。ピンクでかわい〜♪(寮の学生たちにも「Cok seker/めちゃカワイー」と言われていた)スリッパも、この3ヶ月足らずで、こんなになっちゃいました。擦り切れ、薄汚れ、へたり……でも、まだ履き心地は健在です。
 トルコは靴を脱ぐ文化だから・・・といただいたスリッパちゃん。本当によく働いてくれたけど、まだ暑いトルコ。もう少しがんばってもらってハダシの快適を味わわせてもらいたいと思っています。

 さて、最近は寮の学生たちとおしゃべりしたり、ご飯を食べに行ったりで、なかなか時間がありませんが、そのなかで感じたことを、明日の日記で書こうと思います。

 写真。左がメルシンから来たSuzan/スザン。入寮して2日は学生がいない、学生がいない、と嘆いていたのですが、一昨日から同じ部屋の学生(中央Tugba/トゥーバ、右:名前忘れたー)が来て楽しそうです。でも、みんな18歳!!! 年齢を乗り越えて?おしゃべりしてます(ほとんど母親と言っても過言じゃないのだけど)。

2007-09-05

LとR(左と右じゃありません)



2007.09.05 AM6:55

 きのうは学校の帰りにD&G(トルコ語では「デーゲー」というらしい。確かにアルファベット的には合ってるけど、CDは「シーディー」と言ってるのに……)という本屋とCD&DVDがいっしょになったお店に行ってきました。

 突如、Fatih Akin/ファーティ・アクン監督の『愛より強く(トルコ語タイトル「Duvara Karsi/ドゥバラ・カルシュ」)』の冒頭で流れるトルコ音楽が聞きたくなって、サントラを買いに行こう! と。
 残念ながらサントラは売り切れで、在庫もまったくなし。仕方ないのでDVDを買い、ついでに前からチェックしていたFazil Say/ファズル・サイの『Nazim』というCD、トルコ25年間のミュージックシーンから名曲を選りすぐったというコンピ『Ceyrek/チェイレッキ』、そしてジャケで選んだPinhaniの『Inandigin Masallar』を買ってしまいました。

 最後のPinhaniはまったく聞いたことがないのだけど、TOP10に入っているので人気はあるみたい。でも、どんな音楽か気になる。そこで店員さんに聞いてみると
「トルコ・ラク」という答え。
「え? ラク(……って、お酒のラク)???」。あー、もしかして「ラップ?」と再び聞き返すと
「ラク、ラク」と教えてくれる。
なんだよー、そんなジャンル知らないよー。で、何度も何度も聞き返していると
「これ、英語だよ」と。
「へ? 英語?」……「ラク?」……「アルファベットは?」
「L、O、C、K……ラック」
……「えー? LOCK、ラック?(ここでピーンと来ました!!!)、あーロック(ROCK)?」
「そうそうそうそう!!!」

 日本人はRとLの発音ができないと言われますが、トルコ人のキミも思いっきり間違ってるよー。Lockじゃなくて、Rockだよー。だってアルファベット(綴り)まで聞いて確かめたんだから。しかもLockなら「ラック、じゃなくてロックにもっと近いと思うのだけど……???」 んーまぁ、いいや。親切だったから。

 ※写真はきょうの収穫(DVD1枚と、CD3枚)、帰り道に見たウェディング用セダン。前になかなか撮れないと言っていた1枚がやっと撮れました。もっと幅広のリボンで派手派手にしている車もたくさんあります。これはちょっと控えめ。