Dün Lobna'nın hikayesini bloguma koyduktan sonra bir video izledim facebook üzerinde. Videonın başlığı ''Gezi polisleri konuştu; ''Rezilliğin destanı yazıldı''.
きのう、Lobnaの物語をブログにアップした後、facebook上であるビデオを見ました。ビデオのタイトルは〈ゲズィ公園に出動した警察が語った。あれは「極悪醜行伝」。〉
Evet, bütün Türkiye'ye yayılan Gezi Parkı protestoları boyunca hep kafamda bir soru işareti vardı; Bu insanları karşı alan polislerden neden isyan çıkmıyor? Bir insan olarak eli boş insanlar saldırmakta vicdan azabı çekmiyor mu?
Olay başladıktan 1 hafta sonra mıydı bir kez polislerin içini döktüğü videoyı görmüştüm ama sonra birşey bulamadım.
そう、トルコ全土に広がったゲズィ公園抵抗運動の間じゅう、わたしの頭の中にはひとつの疑問が浮かんでいました。一般市民たに対峙する警察のなかから、どうして暴動が起きないのだろう。ひとりの人間として丸腰の人々を攻撃することに良心が痛まないのだろうか?
事件が始まって1週間ほどした頃だったか、一度だけ警官が内心を打ち明けたビデオを見たのだけど、その後はひとつも見つけることができませんでした。
''Gezi polisleri konuştu; ''Rezilliğin destanı yazıldı'' videosu; http://vagus.tv/2013/07/09/gezi-polisleri-konustu-rezilligin-destani-yazildi/
〈ゲズィ公園に出動した警察が語った。あれは「極悪醜行伝」。〉ビデオはこちら。
(翻訳)
エルドアン首相「われらがトルコ警察は、まさしく一篇の武勇伝を記したのだ」
某警官「武勇伝を記す、っていうのは人を誇らしい気持ちにさせる言葉だが、実際わたしたちが(抵抗運動に対して)働いた条件を考えてみると武勇伝なんかではなく、極悪醜行伝でした。」
「武勇伝、という言葉を考えるとき、まずわたしたち警官の対峙しているのが、わがトルコ国民であるということを知っているわけです。だからこそ“武勇伝”という表現は受け入れられるものではありません。(警察の力の行使が)自国民に対する場合、武勇伝なんてあり得ない。武勇伝というのは、(戦争時に)敵対する軍隊に対し、敵に対する戦いにおいて記されるものです。」
ニュース解説:エルドアン首相が「武勇伝を記した」と表現した警察のあいだでも(首相と)異なる考えを示す者たちがいる。彼らはゲズィ公園抵抗運動のあいだ(5月31日~6月中旬の警察の強制介入・テント撤収等が行われ、数日間タクシム広場周辺への出入りが制限された期間と思われる。ただ抵抗運動の集会は現在も継続しており、警察の介入も断続的に続いている)、18日間超過労働を強いられた警察官。自身が何者であるかを公表することは避けている。というのも警察内部における圧力を恐れているからである。しかしながら、(今回の抵抗運動が始まって以来)初めて警察内部からの明確な意思表示となった。
某警官「現在はまったくひどい/異常な状態にあります。上からは「自分のことは自分で何とかしろ」と言われて現場に残されるんです。」
「そこで働いている警官に支給されるのはチーズ二切れと、レタスが挟まれたサンドイッチだけ。ただそれだけがずっと支給されるんです。あるいは赤インゲン豆のシチュー。そのうち賞味期限ギリギリの食品が持ち込まれるようになった。その日のうちに食べてしまえと。(どこかの会社から賞味期限が迫った食品を警察が安く購入する)そういう合意の上で持ち込まれたものでしょう。(こうなってくると)この抵抗運動への介入など、もはやどうなってもいいという気持ちです。」
「わたしたちは現場できちんとモノを食べることもできず、きちんと眠ることもできなかった。休憩を取ることも、風呂に入ることもできなかった。何千人もの警察官が招集されていたのに、現場には2つしかトイレがないんです。トイレに入るために1時間も行列に並ぶんです。しかもこのトイレ待ちの1時間は休憩時間に計上されるんです。こんな状態では健康的に身体を休めることもできなければ、健康的に眠ることもできない。だから健康的に考えることだってできないんです。」
「イスタンブル以外から何千人もの機動隊員がゲズィ公園の事件に関連して連れて来られましたが、皆外の通りに寝かされたんです。こうした機動隊の司令官たちだけが警察会館で寝たんです。『わたしの警官たちは自己犠牲を厭わない』『わたしの警官たちは忍耐強い』それからよく言われるのが『わたしの警官たちは皆ヒーローです』。でも、わたしたちはヒーローになんかなりたくないし、自己犠牲を支払いたくなどないのです。」
「トルコ警察は寒がったりしない。トルコ警察は腹を空かしたりしない。どうしてですか? わたしたちだって人間ですよ。わたしたちはアニメのヒーローなんかじゃないんです。ロボットなんかじゃないんです。無神経でもなければ、感情のない人間でもありません。良心を失っているわけでもありません。ただの普通の人間です。」
「一般的に国家公務員は週に40時間働くわけですが、わたしたちは160時間働いているんです。自己犠牲以上のものですよ、これは。わたしたちは、もうこうした(武勇伝を記した、英雄であるといった)言葉や、スピーチに騙されたくないんです。欺かれたくないんです。」
ニュース解説:上司からの命令がどのように隠されたかについても衝撃的な事実を語っている。
某警官「わたしたちが使ってるトランシーバーには会話が録音される回線があるのですが、第9回線は録音されない。機動隊のトランシーバーにも同じものがありますが、この第9回線から命令が下されるんです。そいつらを抑えろと。録音されない回線を使って命令が下るんです。どうしてか。自身の責任を逃れるためですよ。『わたしは彼に何も言ってない』、そういうために。録音もされていません。たとえばTOMA(放水弾を発する乗り物)が介入したとき、あなたに誰が命令したか。彼がしたと言っても、彼は言うわけです。『そんな命令はしていない。彼が自分で考えてやったことだ』と。つまり見放されるわけです。直属の上司が石を投げろと言えばわたしたちは投げなくてはならない。武器を使えと言えば使わなければならないんです。そのとき上司に異議を唱える権利は、わたしたちにはないんです。実際、こうしたことはありました。『石を投げろ』という命令さえもあったんです。
ニュース解説:自国民と対峙する、というのはどういう心理をもたらすものか、という質問に対して彼らは「疎外、孤立」という言葉を使った。
某警官「警察官たちは、今回の事件が始まって以来誰からも守られることはありませんでした。皆、警察をスケープゴートとして見ていましたから、すべてが警察官たちの責任になりました。『警察がこんなことをした』『警察があんなことをした』……誰も警官がどうなろうと知ったことじゃない。」
「ゲズィ公園の抵抗運動には誰が参加しているのか。普通の人々です。警官としてそこにいる理由だって、そこに座っている人々のせいだって気になってくる。正しいことをしているとは思わないですよ。ここに管理の弱点がある。警官たちはそこに置き去りにされ、孤立する。各自それぞれ自分でなんとかしろと言われる。警官たちに対して必要なことは何もなされない(最初に語られたように食事や睡眠、休憩など人として必要不可欠なことさえも充分ではない)。そのうち自分たちがこんなハメに陥ったのは公園で抵抗運動をしているヤツらのせいだと考えるようになるんです。現場で受けている仕打ちの原因が抵抗者たちにあるように思うんです。これは正しい考えじゃないかもしれません。彼らだって法律で定められた権利を行使しているのかもしれないし、憲法違反の活動をしているのかもしれない。でも、わたしだってあそこで12時間働いた後には家に帰って休む権利があるはずです。」
……ビデオの続きでは、トルコの警察官における自殺率が非常に高いということについて語られています。2013年の初めまで、13日で1人の割合で警官の自殺がありましたが、2013年の前半でこの数字はさらに増えていると伝えています。
Evet, polislerde insanlardır, bizimle hiçbir fark yoktur. Ama toplaşmak bazen insanı delirtiyor. Tek başınayken kendini güçsüz hisseder ama bir grup oluşturulunca aniden güçlü hisseder, tek başınayken yapmayacaklarını yapar. ''Polis'' adlı bir manto giyince herşey yapma hakkı varmış gibi hisseder, öyle polisler de vardır.
そう、警官だって人間です。わたしたちと何ら変わりありません。けれど、集団化するってことはときに人を狂わせます。一人のときには弱いと感じていても、グループになると突然強いと感じてしまう。一人のときにはできないことをしてしまう。〈警察〉というコートを羽織ると、何でもできるという権利があるように感じてしまう。そんな警官もいるでしょう。
Bugün yine polis tarafından saldırılan bir üniversite öğrencisi Ali İhsan Korkmaz, 19 yıllık hayatını kaybetti. 3 Haziran günü direniş yürüyüşüne katılan Ali, eli sopalı sivil polisler tarafından dövüldü. Ali'nin bu saldır sonrası hastaneye gittiği halde ''ifadeni ver öyle gel'' yanıtını aldı. Ertesi gün karakollar dolaşarak ifade veren Ali, dünkü hastaneye gittiğinde beyin kanaması yaşıyordu ve 4 Haziran'dan itibaren bilinç kapalıydı.
きょう、また警官によって攻撃された一人の大学生アリ・イフサン・コルクマズさんが19年の生涯を閉じました。6月3日にデモ行進に参加したアリさんは、手にバットを持った私服警官によって殴られました。彼は殴られた後に病院に行ったにも関わらず「供述してから来い」と言われました。翌日警察のオフィスを巡って供述したアリさんは、前日の病院に行った時点で脳内出血であり、6月4日以降は意識不明の状態でした。
Bu ülkenin geleceğini sahip çıkacak gençlerin hayatını mahvedip ne koruyorlar ki!
この国の未来を担う若者たちの人生をめちゃくちゃにして、一体何を守っているんでしょう。
ne korumaya çalıştıklarını ben söyleyeyim sevgili freebird; koltuklarını, makamlarını, paralarını, sermayelerini, potansiyel oylarını. ama korunması en mühim olan şeyi sen de ben de biliyoruz: insanlık. varsın onlar bilmesin.
ReplyDeletesevgiler..
benim için en üzücü olan, polislerin halka karşı yaptıklarından pişmanlık sözlerinin olmaması. ''destan'' kelimesi hakkında konuşurken biraz değmişler ama hep çalışma şartlarından şikayetçiler. yok kaydedilmeyen kanaldan emir veriyorlar, yok çok kötü durumda çalışıyoruz... bir kez olsun, bu direnişte hayatını kaybeden gençlere özür dileseydiler... özür dileyip de affedilecek şey de değil ama biraz da olsun onları insan olarak görebilseydik...
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