2009-10-02

Bahşiş / チップ

2009.10.02

 Geçen gün TÖMER'de ''Bahşiş''ten bahsettik, ''Bahşiş'' kelimesinden ne düşündüğümüzü. Bahşiş kavramının olmadığı ülkede doğup büyüdüğüm için tartışmamız oldukça ilginçiydi benim için. Sonra bir kompozisyon yazdım, bahşiş hakkında. Onu buraya yükleyim.
 先日、トメルで「チップ」について話しました。「チップ」という言葉から何を連想するかと。チップの概念がない国で生まれ、育ったため、議論はかなり興味深いものでした、わたしにとって。その後、チップについての作文を書きました。それをここにアップロードします。

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 Geçen derste ''Bahşiş'' konusundan söz etmiştik. Bir arkadaşım ''Bahşiş'' kelimesinden ''Öğrenci'' ''Yükseliş'' ''Pahalı'' ve ''Para'' kelimeleri, diğeri ise ''Sevindirmek'' ''Yürek'' ''Büyüklük'' ve ''Yardım'' kelimeleri aklından geçirdiğini belirtmişti. Bunu duyunca bayağı şaşırdım. Önceki fikirlerine ben de katılabilirim ama diğerini hiç düşünmemiştim. ''Bahşiş'' nasıl düşünülürse ''Yürek'' ya da ''Yardım'' kelimesi anlamına gelebilir? Bu kavram, o zamana kadar hiç de aklıma gelmemişti.
 先日の授業で「チップ」について話しました。ある友だちは「チップ」という言葉から「学生(彼は学生だった)」「値上げ」「高い」「お金」という言葉が、もう一人は「喜ばせる」「心」「大人であること」「助け/サポート」という言葉が思い浮かんだと言いました。これを聞いて、わたしはかなり驚いたのです。最初の考えには、わたしも賛同しますが、もう一方は一度も考えたことがありません。どう考えたら「チップ」が「心」や「助け/サポート」といった意味になるのでしょう? こんな概念、そのときまでまったく頭をよぎりませんでした。


 ''Bahşiş'', her zaman kafamı karıştıran bir adet. Sınıfta söylediğim gibi Japonya'da böyle adet yok. Aslında lüks restoranda veya otelde var, fakat servis ücreti olarak ödememize dahil olduğundan hiç beni karıştırmaz. Yani belirtilen fiyata karşı ödemem yeterli. Buna çok alıştığım için yabancı ülkelerde her zaman sorun yaşıyorum ve niye böyle karmakarışık adet olduğundan usanıyorum.
 「チップ」は、いつもわたしを混乱させる慣習です。教室でも言ったように日本にはこういった慣習がありません。現実にはゴージャスなレストランやホテルにはあるのだけれど、サービス料として支払いに含まれているため、一度も困ったことはありません。つまり、明白な料金に対して支払えば充分。こうした習慣に慣れているため、外国ではいつも困るし、どうしてこんなややこしい慣習があるのかとうんざりします。

 Fakat, sınıfta konuşurken fark ettim. Ülkelere göre çalışma sistemi, ödeme sistemi ya da düşünme sistemi farklı. Kimi ülkelerin hizmet sanayilerinde maaş çok alçak ayarlandığından dolayı çalışanlara bahşiş ihtiyacı doğuyor. Aynı zamanda sanırım İslam ülkelerinde elinde para olanların olmayanlara yardım etmesi, zakattır. Bu yüzden ''Bahşiş'' kelimesinden ''Yürek'' ya da ''Yardım'' anlamları çıkmıştı galiba. Bence de zekat güzel bir kavram ama bahşiş adetinden yararlananın da olduğunu zannnediyorum. Mesela nasıl servis yaparlarsa yapsınlar, sonuçta bahşiş alınıyor, servis tarzı kötü ise de. Çünkü geleneksel birşey olduğu için ödemezsek rezil oluruz, en azından öyle hissederiz. Ya da maaşı alçak ayarlamak için restoran sahibine bahane olur. Dolayısıyla bahşiş, vicdan, kıymet veya niteliğe karşı değil, yalnız parayla değerlendiriliyor maalesef.
 けれど、教室で話しているとき気づいたのです。国によって労働体系や支払い方法、もしくは考え方が違います。ある国々におけるサービス業では給料がとても低く抑えられているため、そこで働くひと人たちにとってチップの必要性が生じます。同時に、イスラム教国では、富をもつ者がもたない者を助けることはザカート(喜捨)でもあるのでしょう。このため「チップ」という言葉から「心」あるいは「助け/サポート」という意味にまで広がったのでしょう、おそらく。わたしも、喜捨というのはステキな概念だと思います。が、チップの慣習を利用する者もいると考えます。たとえば、どんなサービスをしようが結果的にチップは払われます、サービスの仕方が良くなかったとしても。これは伝統的なものだから、支払わなければ恥をかくのはこちらだし、少なくともそう感じることになります。また、チップはレストランのオーナーにとって給料を低く抑えるための口実にもなります。結果的に「チップ」は、良心とか価値とか、サービスの品質に対するものではなく、お金に重きが置かれるものになります、残念ながら。

 Bahşiş olmasın demiyorum, aslında Japonya'da da bahşişin gerektiği özel durum var. Türkçeye çevirirsem ''Gönüllü'' veya ''Yürekten'' olabilir bu bahşişin adı. Bence bahşiş böyle olmalı. Eğer gerçekten güzel servis yaparlarsa, paraya karşı değil, insana karşı hizmet ederlerse, sonuçta beni keyiflendirirlerse doğal olarak vermek isterim. Teşekkür etmek için ek para veririm.
 チップなんかなくなれ、とは言いません。実際、日本にもチップの必要な特別な場合があります(植木屋さんとか、引っ越し業者の人に「昼食代です」とか「タバコ代ですよ」と言って渡したりしますよね?)。トルコ語に翻訳すると「gönüllü / 寸志」とか「Yürekten / 心付け」になるでしょうか。思うに、チップってこういうものであるべきです。もし、本当に素晴らしいサービスをしてくれるなら、お金に対してではなく人に対してサービスしてくれるなら、そしてわたしを嬉しくさせてくれるなら、自然と払いたくなります。ありがとうという気持ちを表現するために、追加しようと思います。

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Şimdi siz nedersiniz?
さて、あなたはどう思いますか?

Fotoğraf : Kasım Özkan'ın karikatürlerden

2 comments:

  1. こんにちは、いつも楽しく拝見しています。freebird さんのトルコ語文を解読しながら、日本語文をみて答え合わせをして、勉強しています。(ほとんど答えを見ているのですが)
    チップに関して、私も悩むことが多いですが、イギリスでは以前ほどチップを払う機会が少なくなったような気がします。今、息子が学校の宗教学のプロジェクトでZakatについてまとめています。イスラム教国といっても、いろんな国があるので、彼がいくつかの国の人に質問をしましたが、国によって、Zakatに対する考え方や思い入れが、少しずつ違っているのが面白いです。ある国の人のコメントのひとつに、「Zakatをあげる人ともらう人の間で、深い絆が築けて、一生の友を得ることができる」とありました。これを聞いて、何だか、じわっとあついものがこみあがってきました。熱い人情は、トルコ人だけではなく、ムスリム特有のものなのでしょうか。

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  2. Kei in the UKさん

    こんにちは〜♪ こちらこそ読んでいただけて嬉しいです。わたしのトルコ語も怪しいものですが、これも練習と思って書いているのでご了承ください(今回のは作文で一度先生に見てもらったので、メチャクチャではないと思いますが、inşallah!!)。
    Zakatについては確かにいろんな考え方、捉え方がありますね。わたしの知る限り、イスラム本来の喜捨の概念の人もいれば、明かに上から目線の人もいます。そういうのを見ると戸惑うことも多いのですが、それって結局人間があとから都合が良いように解釈しちゃったからじゃないのかなーと感じたりもします(タリバンなんかは、その代表みたいなものですね。ジハードの意味を完全にはき違えているし)。
    厚い人情、確かにトルコでも多いと思うし、ムスリムの考え方がそうなのかもしれないけれど、基本的には insana bağlı, kişilğe bağlı / 人による、と思いますね、わたしは。まぁ、トルコ人以外、それほど知らないから何とも言えませんが。

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