2009.01.06
松の内も終わろうかという日に言うのも変ですが、みなさん、あけましておめでとうございます(Yeni Yiliniz Kutlu Olsun!!)。
きょうは年末年始に読んだ本の感想を、覚え書きの意味も込めてちょっと記しておこうと思います。
1冊目は『「対テロ戦争」時代の平和構築 過去からの視点、未来への展望』。
この本、わたしにとって意味深い本でした。ふだんテレビや新聞、インターネットで何気に目にし耳にし、何となく理解していると思っている言葉(たとえば「テロリズム」や「対テロ戦争」「ジェノサイド」「民族浄化」など)における誤解、言葉の“作られたイメージ”と“本来の意味”のギャップを修正することができたから。
内容的には「アルメニア人虐殺」「アゼルバイジャンにおけるジェノサイド」「ボスニア内戦」「カンボジアの大量虐殺」「ルワンダのジェノサイド」「イスラエルによるレバノン攻撃」「アメリカの対外介入」などの10章からなり、知っていること、知らなかったこと、知っていると思っていたけれど正確ではなかったことを確認しつつ読み進めることができました。
そして改めて、マスメディアだけの情報だけでは偏ってしまうと感じました。わたしは研究者ではないし、世界各地で起こっていることを逐一追いつづけることもできませんが、ある「事件」を報道されるままに見ることの危険性、起こった当時の見解、イメージだけで捉えてしまうことの危険性を感じずにはいられませんでした。時間を経て初めて見えてくることがたくさんあるにも関わらず、わたしたちが興味をもってその「事件」を見るのは起こっているときだけ。ときどきはこういった本に目を通して、自分を修正しつつ世界を眺めることも必要だな、と。
加えて、一番興味のあった「アルメニア人虐殺」ですが、たとえ研究者であってもアルメニア人研究者がトルコ寄りの、トルコ人研究者がアルメニア寄りの研究成果を発表するって「国を棄てる」「命を賭ける」くらいの気持ちがないと難しいような気がします。国民からの反発もすごいだろうし、暗殺だってありえる。だからこそHirant Dinkって人は、どちらに寄るでもない“自分の意見”を口にできる勇気をもった人だったなと思います(結局、哀しい結果に終わったけれど)。彼を追悼した「Hepimiz Ermeniz」と掲げながらの行進を、彼の魂はどんな思いで見ていたのでしょうか。
その次に読んだのが『激動のトルコ 9.11以降のイスラームとヨーロッパ』。
こっちは、改めて「EU、失敗したかな」という思いで読みました。EUの理念そのものは悪くないと思っているし、アメリカという大国に相対するためにはEUという巨大な共同体である必要もあるだろうけど、包容力なさ過ぎ。おまけにあれだけバラバラになってしまうと“共同体”である意味がない。EU憲章を批准しない国っていうのも、これからどんどん出て来る気がします。そして、おそらくトルコが承認されることもないような。
トルコに対してはクルド人の権利についていろいろと議論されますが、ではEU加盟国における移民の問題はどうなのか。加盟国のご都合主義に振り回されるくらいなら、スイスやノルウェーのとった道もあながち間違いではないかも(もちろん、加盟しない理由は表に出せるもの、出せないもの、いろいろあるだろうけど)。ただ、現エルドアン政権は、そのあたりなかなか上手に立ち回っていて頭が良いなという印象を持ちました。折れる所は折れつつ、譲れないところはぜったい譲らない。ただ、そういった立場をどこまでとり続けられるか、ですが。
最後は『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』という本。
ひとことで言って、読破するのはキツかったです。読みにくかったという意味ではなく、あまりに辛過ぎて。そういったことが行なわれているであろうことを頭では分かっていても、こうしてルポルタージュのカタチで目の前に出されると、にわかにそれが現実なのだとハッキリと突きつけられたようで本当にキツかった。
実家で甥っ子が簡単に「死ねっ」とか「殺すぞ」というのを聞いて、思わず「そんな言葉は簡単に口にするもんやないんやでっ」と一喝したのも、この本の影響が大きかった気がします。もちろん、自分自身も恵まれた星の下に生まれてきているにも関わらず、なんだかんだと不満を口にしているのが虚しいように感じました。彼らのために自分にできることって、精一杯生きることしかないんじゃないかと。
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