2008-07-10

Turku/トルコ民謡が物語るもの

2008.07.10

 きょうはRadikal/ラディカル紙で見つけた記事。この夏、もしボドルムやマルマリス、フェティエなど、トルコのムーラ県にあるリゾート地に行く……という方は、ちょっと足を伸ばしてみませんか? バスで行けるのかどうかは不明ですが(汗。レンタカーだと結構簡単に行けそうなところのお話です。 (写真はGoogle Mapで検索したCaybuku村と、そこにある喫茶所)

 年間4万人が訪れる〈ベレン喫茶〉

 トルコ南西部、エーゲ海地方のムーラ県にあるCaybuku/チャイビュキュ(昔はゲベネスと呼ばれていた)という小さな村に有名なトルコ民謡「Ormanci/森の番人」に登場する〈ベレン喫茶〉があります。ムーラ県によって修復され、2005年4月6日に新しくオープンしたこのお店では昔のようにボードゲームのチェッカーが楽しまれ、定期的に民謡「森の番人」が奏でられ、年間平均4万人の観光客が訪れる観光スポットになっているそうです。

 民謡で歌われる事件は、とても単純な言い争いから起こりました。
 地主の息子であったムスタファ・シャフブダックと、村長のテヴフィク・ジェザイルは親友でした。毎晩、村の喫茶所でチェッカーに興じるふたりの姿はいつも喫茶所にいる者たちに目撃されていたそうです。
 1946年の7月のある日、事件は起こります。ムスタファとデヴフィクは、いつものように村の喫茶所で頭を付き合わせ、くだんのボードゲームに興じていました。ゲームも中盤にさしかかった頃、「黄色いメメット」というあだ名で知られる森の番人メフメット・インが酔っぱらって突然店に入ってきました。
 ちょうどその前日、近隣の農村で火事があり、森の番人はその報告書を郡の役所にもっていくため村長のところの門番に留守を頼みたいと言いました。村長は、門番が別の街に行く予定があるからダメだと答え、言い争いが始まりました。
 最初、森の番人がチェッカー板にげんこつを振り下ろしました。いっしょにいたムスタファはこのふるまいに我慢できず森の番人を殴ります。言い争いが大きくになるにつれて森の番人は短剣を取り出してムスタファの腕を斬りつけました。これに対してムスタファは森の番人を脅そうと銃を取り出して発砲しました。ところが銃弾は親友である村長のテヴフィクに当たってしまいます。彼はすぐに病院に運ばれましたが手遅れでした。彼は手を振ってムスタファを呼び、「わたしは死ぬ。キミを許すよ」と言って事切れました。 ※写真左が森の番人のメフメット、中央が亡くなったテヴフィク、右がムスタファ(事件当時24歳)※写真はかつての〈ベレン喫茶〉の面影

 親友を失ったムスタファは気落ちし、争うのを諦めて4年の刑に服しました。また、森の番人のメフメットは「もうこの地にいられない」と転勤を願い、カヴァクルデレの森林局へと移ったが、退職後再びムーラへと移り住み、90年代の初めに亡くなった。ムスタファも刑務所を出たあと、辛い思い出がいっぱいの場所では暮らせないとムーラへ移り住んだ(2005年3月28日にイズミル・エーゲ病院にて83歳で逝去)。そして伴侶を失ったテヴフィクの妻はその哀しみに耐えられず数年後に正気を失ってしまった。

 そんな村の悲しい物語をムスタファの母方の親戚であった粉屋のピシリ・タヒル親方(↑写真)が民謡にして歌った。

 「Ormanci/森の番人」というトルコ民謡の舞台となった〈ベレン喫茶〉は村を見下ろす丘の上にある。喫茶所のあらゆる場所に、この民謡の内容を紹介する文章が貼られている。この喫茶所で民謡を歌う者のリストにはKemal Aydin/ケマル・アイドゥンの名前も見られる。(以上、Radikal/ラディカル紙より抜粋)


 最近、NHKの『シルクロード ローマへの道 第11巻 騎馬・隊商の道』という本を読んで、Ask/アーシュクと呼ばれるトルコの吟遊詩人に興味をもっていたので、この〈ベレン喫茶〉にも行ってみたくなりました。地のトルコ民謡を聴いてみたいっ!!! ムーラというと、まだ行ったことのないわたしのイメージは映画『Dondurmam gaymak』の世界なのですが、あののんびりした時間と〈ベレン喫茶〉の空気感が重なって、日常とは違う時間を過ごせそうな気がするのです。

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