2009.07.23
うちのエミネが、ジーハンが、大業を成し遂げましたっ!
さっき、6時45分くらいにジーハンから電話があって「産まれたっ」と。
きのうは本当にたいへんだったのです。見ているだけでこっちまで辛くなってくるほどエミネが苦しんでいて。
学校から帰ってきたときには既に陣痛が始まっていたのですが、3時頃に陣痛が去ったらしく、エミネとエミネのお母さん(出産に備えて来ていた)は「ちょっと出かけて来る」……と外出。買い物までして帰って来たのですが、その後も30分間隔くらいで陣痛が襲って来て。でも、その頃はまだ陣痛の合間に笑って話ができるくらい、だったのです。夕方6時過ぎにジーハンが帰って来て、すぐに二人は病院に行きました。ジーハンのお父さんとお母さんも興奮状態で(彼らにとっての初孫)、二人が病院に行って30分もたたないうちに電話があり、エミネと赤ちゃんの荷物をもって彼らの家へ行きました。さらに、ジーハンから電話があり「病院に来て」というので、3人でそそくさと出かけたのですが……。
病院に行ってみるとエミネもジーハンも、エミネのお母さんも病院の庭で座っている。どうやら、まだ早い……と言われたらしく、家で待機することに。このときはまだ笑い話だったのです。エミネも「ジーハン、何やってんの!」みたいに笑っていたのです。
でも、家に帰ってからもエミネの陣痛はひどくなるばかり。夜10時くらいに再び病院に行きましたが、やっぱり帰宅。そのあとが本当に可哀想でした。痛みを共有してエミネが少し楽になるなら、わたしも少しくらいは肩代わりしてあげたいほど苦しんだのです。ひどい痛みは夕方くらいからずっと続いていたので、夜中12時くらいには「もう耐えられない」「力が残っていない」「死んじゃう」とずっと言っていました。途中、何度も吐いたりして、本当に本当にひどい状態だったのです。そのあいだ、ジーハンはずっとエミネに付き添っていまいた。
わたしも2時過ぎくらいまでは何となく起きていたのですが、結局寝てしまいました。きっと、そのあともエミネは寝たいのに寝られない。横になることもできない。ずーっと家のなかを痛みを抱えて歩き回っていたのです。
朝5時半に起きると、家には誰もいませんでした。何時に病院に行ったのか分からないけど、おそらく3時か4時頃なんだと思います。
そして、さっき。ジーハンからの電話があったのでした。
「エミネはどう? 赤ちゃんは?」と聞きましたが、産まれたことだけを聞いただけで、ジーハンもまだ赤ちゃんとエミネに会っていない様子。でも、産まれました。スゴい。人間てすごい。
わたしには甥っ子や姪っ子がいるけれど、実はこうした陣痛状態の人のそばに何時間もいたことはありません。友だちの出産でも、産まれてから会いに行っているので、陣痛がどれほどのものかを肌でヒシヒシと感じたのは今回が初めてでした。友だちの出産を経て、その話を聞いて、母親ってすごい。母親って世界で一番クリエイティブな存在だと思っていはいたけれど、今回産みの苦しみを体中で受け止めながら、何時間も苦しみながら、新しい命をこの世界に送り出したエミネは、本当にすごい。ジーハンもエラい。おそらく、出産というのは、母親が持っているすべての力を出し切る作業なのだと思います。新しい命を生み出すというのは、母親の命を削るような行為なのだと思います。
きっとエミネはぐったりと病院のベッドで横たわっているでしょう。でも、心には、体の内側には、赤ん坊を生み出したすき間をすべて埋め尽くす何かに満たされていると思います。その何かは“幸せ”という言葉以上の、もっともっとスゴくて、神秘的で、人智の及ばないようなもののような気がします。改めて、母親という存在の強靭さ、忍耐力、そして自分の血と肉と力を惜しみなく分け与える包容力に感服です。
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