2008.05.20
昨日、京都精華大学にて行われたオルハン・パムク氏の講演会に行ってきました。本当は行く予定ではなかったのですが、前日に京都漫画ミュージアムで開催されるはずだった講演会にパムク氏が現れず(ドタキャン)、こんな機会はもうないかもしれない……と思って足を伸ばしたわけです。
講演会前半は『父のトランク』という、ノーベル文学賞受賞後に記念出版されたパムクの講演&対談本からの抜粋で、彼の文学観を紹介するような内容。最初の一段落をパムクがトルコ語で読み上げ、それを日土協会の翻訳者の方が日本語で読み上げたと思ったら、あとはパムクが翻訳者に「読んで」と促すような仕草をし、延々翻訳者の朗読が続きました。そのあいだ、パムクは手持ち無沙汰というか、つまらなさそうな様子で机に座っていて「そんなにつまらないなら自分でトルコ語で読めばいいのに」という感じ。『父のトランク』の抜粋は、来場者にプリントで手渡されていたため、別に日本語で読み上げなくとも後でも読めたのです(だからこそ、パムク自身の声、言葉で語ってほしかった・泣)。
講演会後半は質疑応答で、準備された質問を英語でパムクに聞く……というもの。パムク自身、このときはジョークなども交えながら英語で嬉々として答えていましたが、トルコ語が聞きたいと思っていたわたしはガッカリでした。せっかくトルコ語の翻訳者もいるのに、どうしてトルコ語で喋らなかったのだろう??? もちろん、日本人やトルコ人以外の方も数名はいらしゃったと思うので英語がすべてをカバーできる言葉だったのかもしれませんが。
おもしろいな、と思ったのは彼が英語では小説を書かないという点。流暢に喋っておられたし、現在はコロンビア大学で教鞭を取っているのに英語では書かない(書けない?)。「英語で書くと何かが失われる、とても微妙だけど、大切な何かが失われる」といったニュアンスのことを話されていました。ということは、自身の本の英訳などもまったくチェックしてないってことなんでしょうか?(←絶対してそうだなー、と睨んでいるのですが)
以前、メブラーナの言葉のアンソロジーを英語で読んで、そのあとトルコ語版を読んでみたら、あまりの意訳にぶっ飛びました(まぁ、本来はペルシャ語で書かれているのだけど……)。そんな経験もあったので、もうちょっと詳しく聞いてみようと会場での質疑応答に勇気を出して手をあげてみようか、と思ったところ、パムクは自ら「これぐらいでいいんじゃない? 終わり」といった調子で講演会の終了を仕切り、とっとと部屋を後にしたのでした。
パムク氏は、講演会での喋りから見る限り、思っていたほど気難しい感じではありませんでした。気分屋なのかもしれませんが、後半のジョークを交えながらの話には親しみさえ覚えたくらいです。ただ、もう少し自身の言葉で語ってほしかった。半分以上、配布された日本語のプリントの読み上げではパムク氏がその場にいる意味がない。でも、帰り道で思わぬ出会いがあり、それだけで行った価値はあったかな。講演会がなければ彼女とも会えなかっただろうし、これについてはパムクに感謝しないといけないかな???
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