2008-05-08

カラギョズを上演するキョフテ屋さん

2008.05.08

 Karagoz/カラギョズといえば、トルコの伝統的影絵劇。ちょっとおマヌケで失敗ばかりしている“カラギョズ”と、それとは対照的に詩や文学に精通している教養人“ハジヴァト”の2人を中心に繰り広げられる風刺劇は、オスマン帝国時代から人々に愛された大衆娯楽でした。残念ながら近年は衰退の一途をたどり、ラマザン時期に上演される季節もののようになってきましたが(でも、UNESCOにも認定されている無形文化財なんですよ!)。

 そんなカラギョズを愛し、カラギョズ芸術を失うことのないように……と何年ものあいだアナドル(アナトリア)でがんばってきたのが、Kemal Atan Gur/ケマル・アタン・ギュルという男性です(←写真)。黒海地方のまんなか、トカット県の県都トカット(地図参照)でキョフテ屋さんを営むギュルさんは、おじいさんが開いたキョフテ屋さんの地下に〈Munir Ozkul Oda Tiyatrosu/ミュニル・オズクル小劇場〉という名前の36席ある劇場を作り、週に2日、手伝いのUfuk Ertekin/ウフク・エルテキンさんといっしょにカラギョズ・ショーをやっているそうです。

 ギュルさんは1984年以来ずっと自分で劇場を作りたいと考えていました。とはいえ、劇場のような大勢の人を抱える仕事はもちろん、トカットのような田舎で大都市にいるような役者を見つけるのは簡単ではありません。そこで1995年にカラギョズを上演しようと決意したそうです。もともと子ども時代からカラギョズには並々ならぬ興味があり、カラギョズの重要な基礎は習得していたそうで、その後イスタンブルへ行ってカラギョズ芸術の熟練者たち、殊にUnver Oral/ウンヴェル・オラル氏(カラギョズ芸術における大御所)から重要なポイントを学んだのだとか。
 トカットに戻るとおじいさんから受け継いだ100年以上続くキョフテ屋の名前を“ハジヴァト”に変え、地下に36人収容の気取らない小劇場を開きました。最初は観客を集めるのに苦労した劇場でしたが、次第に有名になり、いまではいつも満員だそうです。

 そんなギュルさんの夢は国にカラギョズ協会を設立してもらうこと。「カラギョズは死ぬ、あるいはもう死んだ」といわれる昨今ですが、ギュルさんはこう言います。「この国にはわたしたちがいます。わたしたちがいる限りカラギョズは死にません」。
 「アナドルに芸術はない」という人たちに、また「芸術はイスタンブルから生み出される」と考える人たちに向かって、ギュルさんはいま開催中のUluslararasi Istanbul Kukla Festival/国際イスタンブル人形劇フェスティバルでカラギョズを上演しています。これが終わったらまたトカットに帰って、自身の小さな劇場で地元の人を相手にカラギョズを上演するのでしょう。

 わたしはまだ実際にカラギョズを見たことがありません。カラギョズの故郷ブルサにはカラギョズ劇場(夏期のみ上演)があり、いつか行ってみたいと考えていましたが、ギュルさんの経営するキョフテ屋さんの地下にある劇場でも、カラギョズを見せてもらいたいなぁ〜と思うようになりました。こうして草の根でトルコの伝統を守っているのだもの、応援したいぢゃないですか。いつかギュルさんの夢が叶って、カラギョズ・インステュテュートもできるといいなぁ〜♪

 なお、この日記のネタもとは 昨日5月7日付けのZAMAN/ザマン紙 です。

 この写真は、影絵劇カラギョズとハジヴァトからインスピレーションを受けて作られた2005年製作のトルコ映画『Hacivat Karagoz Neden Olduruldu/ハジヴァト、カラギョズは何故殺されたのか』のポスター。人形劇の登場人物ですが、カラギョズとハジヴァトはオスマン帝国時代にブルサでモスクを建設するところの労働者(実在の人物)だったとも言われています。2人のジョークがあまりに面白かったため、まわりのみんなが仕事をせずに聞き入ってモスク建設が遅れたため、スルタンが怒って2人を処刑してしまったのだとか。この映画が、それを描いているのかいないのかは、見ていないので分かりませんが、ちょっと見てみたい気持ちになってきました。

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