2008-02-21

うつろいの季節



2008.2.21


 次の日記は日本から……と書いて、既に3ヶ月以上経ってしまいました。
 日本に帰ってきてしまえば〈トルコ日記〉ではなくなるし、、、という思いもあって、なかなか更新できませんでしたが、勉強のためトルコの新聞をインターネットなどで読みつつ、なんとか語学力落下をくいとどめようともがいています。

 さて、これまでの3ヶ月、書きためた日記のなかから抜粋して一部をアップしようと思います。

 まずは2007.11.29の日記。
 先日、大阪ヨーロッパ映画祭で上映された『うつろいの季節(とき)』。2006年カンヌ映画祭・国際批評家連盟賞、2007年イスタンブル国際映画祭・最優秀トルコ映画賞、2007年SKIPシティ国際Dシネマ映画祭・最優秀作品賞受賞作、という前フリもあってかなり期待して観てきました。
 原題は『iklimler(イクリムレル)』ー直訳すると“さまざまな天気・気候”ですから、邦題の『うつろいの季節(とき)』はうまく翻訳されていると思います。撮影地カシュ(夏)、イスタンブル(秋〜冬)、東部の町(冬・雪)と、人間関係の移り変わりとともに季節も変わり、天気も変わり、心も動く。なかなかうまいタイトルです。

 映画は見る人によってさまざまな印象を与えるものであって、ひとことで良いとか悪いとか言えないものだと思うのですが(観るタイミングにも大きく左右されるし)個人的には・・?・・でした。ストーリーが空虚。ただカメラワーク、アングル、映像の切り取り方は面白く、興味深く鑑賞しました。
 ストーリーが空虚、というのはドラマ好きのわたしからすると物足りなかったから。主人公の男性心理がうまく心にしみ込んでこないというか、気まぐれでワガママな男にしか見えなかった。彼の心の動きが単発的、発作的で、感情移入できなかったのです。まぁ、男ってものはそういう生き物なのだよ、ということが描かれていたのかもしれませんが、あまりにドライ。もう少し納得できるポイントがあれば少し違ったかもしれません。でも、リアルと言えばリアル……なのかな? これって。
 反対にカメラワーク、カメラアングルは良かったです。映像が語る映画だったと言えるでしょう。撮影している絵の切り取り方もすごくうまくて、唸らされるシーンもかなりありました。特に別れた彼女を追いかけて雪に埋もれた東部に行ってからが良かった。監督は若いころから名をなした写真家だそうで、静止画としての美的感覚が映画に反映されているのかもしれません。

 でも、ひとつ残念なことが。監督が撮影そのものでデジタルカメラを使っているのか、それともフィルムをデジタル化した時点でそうなったのか分かりませんが、映像がビットマップ化(ピクセルが粗い)していました。最初にテロップがでた時点で文字がビットマップ状。そのときは“わざと”そうしているのかな、と思ったのです。ところが、映画が始まってみると全編が同じ状態。アップのシーンは特に気になりませんが、遠景になると粗い画像が気になって、気になって……。せっかくのきれいな映像なのに、これはちょっといただけませんでした。ほんと残念です(泣。

 映画についてのWebsite(トルコ語と英語)
 http://www.nbcfilm.com/iklimler/iklimler.php?mid=1

 写真の男性がこの映画の主人公であり、監督でもあるヌリ・ビルゲ・ジェイラン、女性が主人公の恋人役で、実生活では妻のエブル・ジェイラン。あ、いま思い出したけどジェイランってトルコ語でガゼルの意味。ガゼルってトルコでは“愛”とか“恋人”を意味するってトルコ語学校の先生に聞いたような気がする〜。それと奥さんの名前エブルは、Ebru=マーブルって意味です。

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