2008.06.19
トルコ通の方はご存知の話なのかもしれませんが、先日トメルのテキストを読んで初めて知ったので、ここにも書いておこうと思います。
トルコでは兵士たちのことを「Mehmetcik/メフメッチッキ」と呼びます。Mehmetcikとは、Mehmetという男性の名前に“〜くん、〜ちゃん”にあたる“cik”を付けた言い方で、直訳すると「メフメットくん」になります。
どうしてトルコ兵士が固有名詞の「メフメットくん」なのか? 話は第一次大戦まで遡ります。当時、オスマン帝国の首都イスタンブルの占領を狙って連合軍は海からイスタンブルを目指していました。でも、幅の狭いダーダネルス海峡を通り、マルマラ海へ出ていくにはまず、ガリポリ半島を抑える必要があります。そこで連合軍(イギリス軍+オーストラリア人とニュージーランド人からなるアンザック軍)はまず大規模な上陸作戦を実行。このときの地上戦は相当に熾烈で、両軍のあいだはわずか30mしか離れていなかったと言います。「ほんまかいな?」と思いますが「メフメットくん」誕生のエピソードを聞いて納得しました。
ダーダネルス海峡の西側にあるガリポリ半島への上陸作戦を開始したイギリス軍+アンザック軍は、海上の艦隊から物資の支給を受けながらトルコ軍を攻撃しました。一方トルコ軍はそれほど豊かではなく、医療物資や食べ物はもちろん、そのうち銃弾もなくなってしまったそうです。銃弾もなく、いったいどうやって戦うのか? 術はないように思いますが、そのときトルコ軍のメフメット軍曹がまわりにある石を集めて敵になるべく近いところまで運び、発砲している場所に向かって投げ始めたのだそうです。最初は軍曹の気が狂った……と思ったまわりの兵士たちも意外と善戦している軍曹を見て真似をし始め、銃と投石による戦いが始まりました。銃に対して“石”、なんてあり得ない……と思いますが、トルコ軍が陣取っているのは丘の上で、相手は丘の下という立地的優位さも味方して予想外の効果を上げたとか。そのうち連合艦隊が岸から離れざるを得なくなり、物資の補給が断たれたイギリス軍+アンザック軍も物資が枯渇。最終的にトルコ軍が勝利を収めたそうです。
この事件を聞いた新聞記者たちが、銃を持った相手に“石”で立ち向かったメフメット軍曹の勇敢さ、機智、行動力ーーそのすべてを忘れないために、と兵士に「メフメットくん」という名前をつけたのだそうです。そのときから現在に至るまで「メフメッチッキ」と呼ばれて愛されている兵士たち。本当は、彼らが戦場に赴く必要のない平和な日々が来ると良いのですけれど。
※興味のある人は、Wikipediaも読んでみてください。
ところで、Mehmet/メフメットは男の子のなかで比較的よく見られる名前です。彼らが「〜くん、〜ちゃん」と呼ばれることはないのでしょうか? そのへん混乱しないのでしょうか? わたしの素朴な疑問です。ちなみに愛称として「Memos/メモシュ」という言い方はあるそうです。
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