2007.10.31 PM7:30
本日、語学学校トメルでの全日程が終わりました。
実は、結構凹んでいるので書きたくないのだけど、これまで応援してくださったみなさんにご報告するのも大切だな、と思いながら書いています。きのう、きょうと続いた試験の結果、残念ながらトルコ語中級を修了することができませんでした。
Okuma(読解)とDinleme(聴解)はともに合格だったけど、それ以外の3つの試験で赤点。これまでの4ヶ月が無駄だったわけでは決してないけれど、やっぱり最後の最後、集大成として修了証がもらえなかったのは残念でした。
一方で、納得もしています。街で困るほどではないにしろ、自分の考え、意見、思いを言葉で説明できるほどトルコ語が喋れるわけでもなし、まだまだクリアしなければいけないハードルがたくさんあるのは自分でも理解しています。だからこそ、Konusma(スピーキング)の試験と、Yazma(作文)で赤点だったわけで。。。わかっています、わかっているけれど、この落ち込みから立ち直るのには少々時間が必要です。だって、このためにトルコに来たのだもの。トルコ語を学ぶために来たのだもの。みんな、すごく上達したと言ってくれるけど、それを証明してくれるモノ(Sertifika)が欲しかった。自分でも上達したと思っています。前は全然喋れなかったのが、いまは学校の友だちとトルコ語で喋れるくらいにはなったのだから。でも、でもねー・・・。
このリベンジは、いつか必ず。日本に帰ったら会話力はまた元の木阿弥になりそうだけど、なんとか元の木阿弥レベルまで落ちないようにがんばって、またトルコで、トメルでDiplomaをゲットしたいと考えています。だって、このままじゃ終われない。自分が納得できないもの。これまで教えてくれた先生にも申し訳ない気持ちです。10人のクラスで合格者は2人。1人は明日Yazma(作文)で再試験を受けますが、たぶん合格するでしょう。つまり、7人が落第したわけです(先生は泣いていました)。この7人のうち4人はトルコ滞在歴も長いし、ふだんから問題なくトルコ語を喋っている人たちです。そんな人たちでさえ合格できなかった……というのが、唯一の慰めでしょうか(言い訳とも言いますね)。
とにかく、理想的な結果にはならなかったけれど、泣いても、笑っても、今回のトルコ滞在は明後日で終わり。そろそろ荷物を詰め始めないと……。でも、良いのです。ここで知り合った、いろんな国の、いろんな年齢の、いろんな文化、考え方の持ち主たちと出会って友情を育めたことは、何にも変えられない宝物。トルコに住んでいる人たちとは、ここに来れば会えるし、一時的にトルコに滞在している人たち(旦那さんが外交官だとか、学生だとか)とも、彼らの国を訪れることで再会できるかも。インターネットの時代ですから、筆無精にならなければいつでもメールしあえます。彼らが日本に来ることだって考えられるし(みんな、遠い、遠いと言うけれど・汗)。凹むのはやめて、来て良かったことを考えながら飛行機に乗りたいと思います。
日本を発つ前に応援してくださったみなさん、最後の最後でコケちゃいました。すみません。また、当分日本で燻りますので、どうぞこれからも宜しくお願いします。では。今度の日記は日本から。それまで、、、Gorusuruz!!(ギョルシュルズ)
2007-10-31
2007-10-27
初シネマ
2007.10.27 AM8:10
早いもので、わたしの学生生活も残すところトルコ語中級修了の試験を残すのみとなりました。土曜日、日曜日に加え、月曜日はCumhuriyet Bayrami/トルコの建国記念日のため休日。火曜日にSoz Anlatma(出されたお題の内容、それについて感じたことなどを先生に向かって説明する試験)とKarisiklik Konusma(登場人物が2人のお題を、学生2人がほぼ即興で言葉で演じる試験)、水曜日にOkuma(読解)、Dinleme(聴解)、Yazma(作文)があって終了。この試験にバスできれば、めでたく中級修了証書がもらえます。
つ・ま・り、いままであれほど「試験だー、どないしよー、ダメだー、受かったー」と騒いでいましたが、今回の試験に合格しなければ意味なーし。しかも、トメルは3ヶ月以上離学すると、次に入学するときに再試験を受けないとダメ。その試験に結果によって入学できるクラスが決まるので、日本に帰ってからも勉学に励まないと、同じことを繰り返すことになります(汗。
まっ、先のことはとにかく、あと5日で学生生活が、そして1週間でトルコ生活が終わってしまいます。いろいろたいへんだったこともあったけど、やっぱり4ヶ月は短かった。My mixiさんの方から「ちょうど慣れてきた頃に帰国ですね」と言われていたけど、まさしくその言葉どおり。ひとりで何処でも行けるゼー、電話もできるようになったゼー……というところで、お開きとはなんとも残念な気がします。が、この歳で語学留学できたこと自体が幸せなんですけどね。いままで知らなかったドアをひとつ開けられたような、、、なので、次のドアをノックしながら進みたいと思います。
ところで、きのうトルコで初めて、ひとりで映画に行ってきました。待ちに待ったFatih Akin監督最新作(カンヌで最優秀シナリオ賞、審査員特別賞、現在オスカー最優秀外国語映画賞出品作としてドイツを代表する映画に選出されています)。どこでやっているのか新聞でチェックし、一番分かりやすいANKAmallに行ったのですが(途中、クズライ周辺の小さな映画館でも上映中なのを発見)、ここはシネコンなのでスタジアム形式の急傾斜座席で視界良好。し・か・も、公開初日の夕方7時前の回で観客数30人足らず。でも、シアターは200人クラスでビッグスクリーン。のびのびと映画を楽しむことができました。
・・・がっ!!! そうそうそうそうっ、忘れていました、トルコにはこれがあることを。諸外国の事情は知りませんが、トルコではわずか100分程度の映画でも“Filmin aras?/途中休憩”があるのですっ。前に話に聞いてはいたのですが、まだ継続中とは。。。この休憩でお客さんはトイレに行ったり、食べ物を買って来たり、タバコを吸ったり(←これ重要ね、トルコでは)するわけです。まるで、演劇やオペラを鑑賞しているようですね(笑、これって。まぁ上映中にトイレに行きたくなることもあるし、一長一短ってとこですかね。慣れるとどうってことないような気もしますが、映画によっては「おいおい」とツッコミを入れたくなる場合もあるでしょうね。
さて、映画はというと・・・たぶん日本ではまだ公開されていないと思うので、内容に触れるとネタバレになっちゃいますから言えませんが、タイトルそのもの『Yasamin Kiyisinda/トルコ語では『人生の淵/浜辺で』。ちなみに英語タイトルは“The edge of the heaven”』の映画でした。人生っちゅーのは思い通りにいかないことも多いし、探しているものがすごく近くにあるのに気づかないことも多い。そのうえ自分の手で自分が一番愛するものを壊してしまうこともある。それでも人生は続いていく……ということを感じるような映画でした。好き嫌いはあると思いますが、わたしはこの静かな、とても静かな映画がとても気に入りました。できればトルコでもう一度、そして日本で帰ってからも見てみたいなーと思っています。前作『トルコ語タイトル:Duvar Karisi/壁に対して 日本語タイトル:愛より強く』より、ずっとずっと大人しい印象を受ける映画ですが、わたしはどちらも好きですね。
もし興味があったら、ぜひ見てください。イスタンブルや、カラデニズ(黒海)沿いの風景もとてもキレイです。
2007-10-23
失われたいのち
2007.10.23 PM5:30
ここのとこ日本でもトルコ関連のニュースを連日報道しているらしく、友人から「大丈夫か〜?」というメールが来てました。ふだんは電話などして来ない両親も、わざわざ旅先から電話してきたりして。
日本でどのように報道されているのか分かりませんが、ここアンカラでの生活はいたってフツーです。ラマザン後のシェケル・バイラム前にPKKとの紛争地域でトルコ軍兵士が襲撃されたり、紛争中に亡くなったりして、トルコじゅうで殉死者の家族を支援する募金などが行なわれ、PKKに対する抗議行動も各地で起こっていましたが、日常的な生活に大きな変化があったようには感じませんでした。そして、ここまではトルコ人たちの反応を微笑ましく眺めていたのです(トルコ政府は北イラクに侵入してPKKとの争いに終止符を打つのだ……的に、だんだんきな臭くなっていったのですが)。
ところが、今週の日曜日に再びイラク国境に近いハッカリという村でPKKに襲撃された兵士12人が死亡。休日の昼過ぎからテレビはこの話題で持ち切りでした。そんなニュースを受けて月曜日にはわたしがいま住んでいるAnkaraのkavaklideleという場所でもトルコ国旗を掲げ、PKKへの抗議を叫ぶ大車列がやってきたのです。昼間には何十台にも及ぶ救急車による抗議行動もあったのですが、すごい数のサイレンを聞いた時は「大事故か? それともどこか爆破されたか?」と心配しました。そして、きのうも再び抗議行動の大車列(上の写真は、その様子です)。周辺のビルからはトルコ国旗を振ってこの抗議行動に応える人たちんも多数。きょうも10数人で抗議を叫びながら歩く人たちを見ました。ニュースでもずーっと報道されています。
さて、殉死者に哀悼を示すのは当然です。トルコ人でないわたしだってニュースを見ながら悲しい気持ちでいっぱいです。亡くなった若い兵士たちの写真を見ると何とも言えない気持ちになります。もちろんPKKのテロ行為にも反対です。でもね。。。通りを埋め尽くしている車の車列を見て思ったのです。なんかお祭りみたいだと。不謹慎な言い方で申し訳ないけど、そんなふうに見えたのです。自動車に箱乗り、抗議を叫び、ときに唱和しながら、音楽やクラクションを流しながらゆっくりと通り過ぎていく車列。でもね、よーく見るとみんないい車に乗っているんですよね。「わたしたちはみな殉死者だ、わたしたちはみな兵士だ」というスローガン(心は彼らとともに……という意味)もあるのですが、そのスローガンを叫んでいる若者たちと、実際いま奮闘地域で戦っている若者たちのあいだには大きな隔たりがあるように思えてならないのです。
そして、抗議行動の次に彼らがいったい何を求めているのか、疑問に思うのです。PKKの襲撃によって若い命が失われた。嘆くのは当然のことです。彼らの家族の姿は見ていて痛々しいです。たとえ兵士として紛争地域に送られたと知っていっても、誰がその死を覚悟できるでしょうか。少しでも可能性があるなら、どうか無事で帰ってきてほしいと願うでしょう。当たり前です。
でもね、ただ抗議するだけでは、嘆くだけでは問題は解決できないのです。今後、北イラクに侵入してさらなる大規模な対PKK作戦が実施されれば殉死者の数はさらに増えていくでしょう、確実に。そのたびに嘆き、PKKに抗議を繰り返しても、失われた命は戻らないし、問題も解決しない。ならば、どうすることがトルコにとって良いのか、政府に求めていくこと、世論を形成していくことだって大切じゃないのでしょうか。トルコにとってPKKが敵だとすれば、PKKにとってトルコは敵。誰が敵の抗議に耳を傾けるでしょう。だとしたら、この抗議はいったい誰に向けられたものなのでしょう? トルコのために、そしてこれ以上殉死者を出さないためにトルコがどうあるべきなのか、何をすべきで、何をすべきでないのか、感情的になる前にじっくりと考えてみたいと思うのです。
きのうの抗議集会に参加していたアンカラの男性が、テレビのインタビューでこう言ってました。「わたしも兵役に就きました。要請があれば再び戦地に赴きます。子どもたちを置いて兵役につきます」← あなたがいま負うべき責任は兵役に就くことではなく、子どもたちの父親としての責務を果たすことなのでは? それだってトルコという国のために重要なことだと思いますけど。
きょう、学校から帰って来てテレビを付けたら、親に軍服を着せられ、胸にトルコ国旗のワッペンを付けた4〜5歳の子どもがテレビに出てました。マイクを向けると「アスケレ・ギデジェイム(兵役に就きます)」と舌足らずに言ってました。最後に、メッセージはある? とマイクを向けられると、カメラに向かって敬礼してました。なんだか、すごーく悲しい気持ちになりました。
果たして、、、現在の世界で武力によって解決できる問題はあるのでしょうか。
わたしは、いまでもトルコが大好きだし、トルコ人たちが大好きです。感情的な一面もあるけれど、それは彼らの熱さ、篤さによるものだと思うし。とにかく、これ以上命が失われないことを願っています。テロによっても、紛争によっても。
2007-10-18
ウルス散策ツアー
2007.10.18 PM3:30
久々の日記です。みなさんお元気ですか?
最近ますますインターネットの接続状況が悪くなっていて、これまでのように日記が書けないでいます。いまも、近くのカフェにパソコンを持ち込んでこれを書いているような状況で……。
さて、先日16日、語学学校のクラスメイト(……といっても、大学生のお母さんでもあるカザキスタン人)の誘いで、Ulus Gezmesi(ウルス散策ツアー)に参加してきました。American Woman's なんとか……という、アンカラ在住の外国人女性による組織で、基本的には大使館員の奥さまが多いのですが。
今回は、アンカラ城周辺を中心にHan/ハンと呼ばれる昔の宿屋(日本でいう旅籠ですね)、モスク、ハマム、現在昔の町並みを再現しようと改修が行なわれているハマムオールなどを巡りました。
Han/ハンと呼ばれる2階建ての宿屋は現在マーケットとして利用されているのですが、かつては1階が馬などの動物をつないでおく場所、2階が人が泊まる場所として利用されていたとか。3日間は無料で泊まれたそうです(つまり3日を過ぎると有料ってこと。あくまで旅人のための宿屋ですから)。
また、Alaeddin Mosqueでは中に入って、イマム同席のうえ建築的な特徴の説明を聞きましたが、面白かったのは参加者からの質問。「毎日5回ながれるエザーンでは毎回同じことを言っていると新聞で読んだのだけど、すごく奇妙な感じがする」と。というのも、この方はエザーンを「pray/祈り」と解釈していらした。でも、エザーンは「祈り」ではなく「祈りへの呼びかけ」のはず。でも誰もそれを訂正せず、そのまま話が終わってしまったのです。仏教徒であるわたしからすれば、たとえエザーンが祈りであっても、毎回同じことを唱えるのはそれほど違和感を抱きません。だって、何かというと般若心経を唱えていますから。
ところで、エザーンで面白い話を聞きました。毎回同じ文言を唱えているエザーンですが、朝一番のエザーンはゆっくりゆっくり読まれるのだとか。寝ている信者を起こし、祈りの時間ですよと告げる意味合いがあるから、静かにゆっくり読まれるのだとか。反対に夕方のエザーンは帰宅時間であることから早く読まれるのだそう。こんな違い、まったく気づいていませんでした。なるほどな〜♪と納得。
何度か訪れたことのあるUlus/ウルスでしたが、こうして人の案内で巡ってみると新たな発見があって、なかなか楽しかったです。市場の活気も楽しいし。おまけに当日はTurk telekomという電話会社でストライキがあったらしく、Ulusの街には警官隊(機動隊?)が溢れ、テレビ局のカメラなんかも来ていて、なかなか物々しい雰囲気でした(危険な雰囲気ではないけど、機動隊みたいな人がたくさんいたから)。←面白かったけど。
※写真はUlusの市場(お兄ちゃんがカメラ目線です)、Cengel Han/チェンゲル・ハンという名の昔の宿屋(まんなかにあるのはモスクです)、改修が行なわれたHamamoglu/ハマムオールエリア(ただし、改修は外観だけで、中はいまだ行なわれていない模様)。アンカラ城のすぐそばにあるジャーミー。
2007-10-16
きな臭い
2007.10.16 AM2:20
最近、一部日本メディアでも報道されているようなのでご存知かもしれませんが、ここに来てトルコ国内がきな臭いです。というか、トルコ南東部が。PKKによるテロの激化に反応して、トルコでは北イラクへの越境作戦が展開されそうな雲行き。今年のはじめ、Hurriyet紙が行った世論調査ではイラクへの侵攻に懐疑的な人が半数を超えていたと記憶しているのですが、9月末だったかにトルコ南東部のシルナクという場所でドルムシュが襲撃され、乗客12人が死亡。今月に入り、トルコ人兵士15人がPKKとの交戦により死亡。ラマザン・バイラムというトルコ国内で最も大きな祝祭日のさなか、トルコ各地ではお葬式が営まれたりして、国内の雰囲気が今年のはじめとは変わって来ているように感じます。テロは許される行為ではありませんが、テロ闘争と称して北イラクに侵攻することが果たしてトルコにとって良いことなのか、は疑問です。アメリカの二の舞になるのでは……と不安です。泥沼に足を突っ込むようなもんじゃないかと思うのです。
一方で、トルコの有名なクルド人作家が、同じくラマザンの最後の日に亡くなり、ラマザン・バイラム中にお葬式が営まれました。クルド問題の平和的解決を望んだ作家の死。彼は死ぬ間際まで暴力行為の停止を望み、元気になったら平和的解決を求めると言っていたけれど、その作家は亡くなり、トルコではPKKとの闘争が激化しています。
いまこそ対話が重要ではないかと思うのですが(一部コラムニストなども、対話の重要性を説いています)、AKPにその意思があるようには思えない今日このごろです。
最近、一部日本メディアでも報道されているようなのでご存知かもしれませんが、ここに来てトルコ国内がきな臭いです。というか、トルコ南東部が。PKKによるテロの激化に反応して、トルコでは北イラクへの越境作戦が展開されそうな雲行き。今年のはじめ、Hurriyet紙が行った世論調査ではイラクへの侵攻に懐疑的な人が半数を超えていたと記憶しているのですが、9月末だったかにトルコ南東部のシルナクという場所でドルムシュが襲撃され、乗客12人が死亡。今月に入り、トルコ人兵士15人がPKKとの交戦により死亡。ラマザン・バイラムというトルコ国内で最も大きな祝祭日のさなか、トルコ各地ではお葬式が営まれたりして、国内の雰囲気が今年のはじめとは変わって来ているように感じます。テロは許される行為ではありませんが、テロ闘争と称して北イラクに侵攻することが果たしてトルコにとって良いことなのか、は疑問です。アメリカの二の舞になるのでは……と不安です。泥沼に足を突っ込むようなもんじゃないかと思うのです。
一方で、トルコの有名なクルド人作家が、同じくラマザンの最後の日に亡くなり、ラマザン・バイラム中にお葬式が営まれました。クルド問題の平和的解決を望んだ作家の死。彼は死ぬ間際まで暴力行為の停止を望み、元気になったら平和的解決を求めると言っていたけれど、その作家は亡くなり、トルコではPKKとの闘争が激化しています。
いまこそ対話が重要ではないかと思うのですが(一部コラムニストなども、対話の重要性を説いています)、AKPにその意思があるようには思えない今日このごろです。
スタートレック?
2007.10.16 AM2:00
再び、テレビ・ウォッチングネタです。
これまたラマザン・バイラム中にたまたま見かけたものなのですが・・・なんと、TRT(トルコのNHKみたいな放送局)で、あの『スタートレック(オリジナルシーズン)』がっ!!! と思いきや、ん? どうも変だぞ。みんな俳優が違うぞ。
写真1枚目がカーク船長。まぁ、キャラ的には似たような感じの俳優さんです。
2枚目の中央右がスポック副長、一番左の青い制服のはドクター・マッコイです。右の女性は,,,ウフーラ?
3枚目の中央、グリーンの制服の偉そうに座っているのが、なんと機関主任のスコッティです。後ろにウフーラらしき黒人女性がいますが、通信士官としての役割を果たしていたのは前出の白人女性の方でした。※写真はありませんが、ヒカリ・スールーもいました。
4枚目、U.S.S. エンタープライズ(?)。5枚目は転送シーンです。
わたし自身の記憶が曖昧で、これがいったいどこから出てきたスタートレック(……というか『宇宙大作戦』ですね)か分からないのですが、パイロット版だったのでしょうか? いやいや、それともやっぱり版権を売って作られた別モノ・スタトレなのでしょうか? とにかく俳優さんはすべて別の人です。加えて、転送されているのは地球人なのですが、この放送ではトルコ人という設定でした。地球に帰ったあと、知り合いたちと両頬を合わせながらキスするというトルコ式あいさつをやってましたから。
これがいったいどこから出て来たスタトレなのか、すごーく気になるのですが、いまのところ判明する手だてがありません。ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいです。
ちなみに、トルコではフツーのスタトレもきちんと知られています(なんて書くと、前述のスタトレが“まがいもん”みたいですが。まがいもんなのか、そうじゃないのか、いまのところ不明)。
トルコで見つけたNIPPON、再び。
2007.10.16 AM1:30
先日より、何度もアップロードを試みてきましたが、なかなかうまくネットに接続できず、12日の日記がきょう16日になってしまいました。
先日の「セカチュー」ネタに引き続き「トルコで見つけた日本」と題してお送りするきょうの日記です。
30日続いたラマザンも先週木曜日11日のAksam Ezanで終了〜♪ ……というわけで、語学学校トメルも木曜からラマザン休暇に入り、土日をあわせて4連休となりました。かつてはラマザン・バイラムというと故郷に帰り、また近隣に住む親戚などを訪ね・・・というのが伝統行事でしたが(むかしの日本の正月みたい)いまどきのアンカラっ子は夏休みもついこのあいだだったというのに再びバカンスへ出かけているようで、心なしか街中の人の数が減っています。。。でも、この伝統的な親戚訪問しあいっこが減って来ているのは事実。テレビドラマでもこういった伝統が崩れていることをテーマにしたものがありました。
かくいうわたしは、訪ねる親戚があるわけでもなし。ラマザン・バイラム中はゆっくり朝寝して(……と言っても8時くらいまでだけど)、その後せっせと宿題をし、洗濯をして、新聞を読んで、、、と、学校が休みなこと意外は特に変わったことなしに過ごしました。
ところで、そんなラマザン・バイラム中にテレビをつけてビックリ。先日、こちらで映画版『セカチュー』を放送していた、と書きましたが、きょうは子ども向けチャンネル(アニメなどを中心に放送しているチャンネル)で戦隊ものを発見しました。登場人物が外国人なのですが、どう見ても日本の戦隊もの(ネットで調べた所、どうやらデカレンジャーのようです)。ちょうど話も終わりかけだったので、終わりのテロップで確認したところオーストラリア版でした。でも、しっかりとTOEIの文字も確認しましたから、ライセンスを売ってオーストラリアで再撮影されたんでしょうね。それがトルコで放送されていたわけです。
そのあと、チャンネルをまわしていたら今度は大相撲がっっっ! 2007年名古屋場所でした。朝青龍も見ました。ちなみにチャンネルはEURO SPORT/ユーロ・スポーツ。こーなってくると、もう世界中のどこにいてもあんまり関係ないんじゃないのかなーという気さえしてきます。
テレビを付ければ日本の映画やテレビシリーズ、果ては大相撲まで見られ、インターネットに接続すれば、日本と変わりなく情報が得られる。携帯電話があるから、いつでも、どこにいても、話ができる。直接会うことはできないけれど心理的な距離というのはどんどん縮まっているなーと、つくづく実感します。というか不思議。文明の進化に自分がついていってないから、いちいち驚いてしまいます。はぁ〜、こんなんじゃ10年後、20年後は完全に取り残されているかも・・・ちょっと不安です、正直なところ・汗。。。
2007-10-09
問題! この映画のタイトルは?
2007.10.09 PM8:00
きょうはネット接続の状態が良いので、もひとつおまけに書いちゃいます。
左に5枚の写真をのせました。
きのうの晩、NTVで放送されていた映画です。「えっ、うっそーっ!」と思って、思わずカメラに収めました。何の映画か、分かりますか? 分かりますよねー、きっと。(答えは下に↓)
↓
↓
↓
はい!大正解っ。
ご回答通り、答えは『セカチュー』とも言われた映画『世界の中心で愛を叫ぶ(……ですよね?)』でした。
放送は日本語音声、トルコ語字幕でした。
一番上の写真の字幕は「Yarim yuzyil boyunca ayni insani hayal ettigimi dusunemiyorum. /半世紀ものあいだ同じ人のことを想いつづけるなんて、わたしには/ボクには、考えられないわ/考えられないよ」。
その次は、みなさんご存知の長澤まさみちゃん。
さらに、かつて交換しあったカセットテープ(!)を、ウォークマン(!)で聞く現在のサク(大沢みきお氏)。
そして、カメラ屋のオヤジ役・山崎勉氏。前述の「半世紀ものあいだ同じ人のことを想いつづけるなんて」というのは、このオヤジのことです。でもって、このあと主人公のふたり(サクと亜紀)は墓場に忍び込み、お骨を盗むわけです、カメラ屋のオヤジが想い続けた人とともにいられるように。
最後は、映画の舞台となった四国(香川県か愛媛県)の街の(?)風景。これを見て、トルコの人は何を感じるんだろうなー。日本っていうと、みーんな同じように「TOKYO」って言ってるんだけど、こんなとこもあるって分かったかな?
さて、Wikipediaによると映画そのものの評価はそれほどでもないようですが、本作が遺作となった名カメラマン篠田昇の美しい撮影、種田陽平の美術、行定勲監督の演出などは、高く評価されているとか。
んー、でもねー、80年代前半に中高生だった人間からすると、この映画ってなんかツボをついてるんですよねー。カセットテープに吹き込んだヴォイス・メッセージを交換するとか、それを“ウォークマン”で聞くとか、、、ね。うひゃーっ恥ずかしーって思いとともに、懐かしいというか、こんなことやってたよなーという思い出が交錯してね。。。 同時に、雪が降るなか(降ってたよね?)、ウォークマンで音楽(?)を聞くサルの姿が浮かんでくるのですよー。衝撃的だったな、あのソニーのコマーシャルは。でもって、映画のなかの登場人物同様、ウォークマンを手に入れたくて仕方なかったわけですよ、当時。結局手に入れたのは、発売されてから何年もあとの、何世代目かのウォークマンだったけれど。
以下、トルコ語ではこう訳されていたのだ……という個人的覚え書き。
Ama oldugunde her sey biter. でも、死んだらおしまいだよね。
Olunce ask da olur mu? 死んだら、愛も死ぬのかな?
Ne isin var burada? 何やってんだ、こんなとこで?
Zeki ve her konuda iyi. 頭良くってさー、なんでもできたもんな。
insanlarin birlikteyken birbirinin kusurlarini gorebilir. 人って、いっしょにいる時はお互いの欠点を見ちゃうんだよね。
以上、個人的覚え書きなので、トルコ語的に合ってるとか、合ってないとか、、、は自信ありません。あしからず。
んー、でもトルコでこのDVDが出てるなら、買って帰りたいなー。トルコ語の勉強のためにも。
そうそう、再びWikipedia情報で忝いですが、小説『世界の中心で愛を叫ぶ』は、英語を筆頭にフランス語、ドイツ語、中国語、韓国語に翻訳され、出版されているようです。映画がトルコ語字幕で出てるってことは、まもなくトルコ語翻訳も出るのかもーっ! これまた手に入れたいっ!!
テレビで見た!Kandil Gecesi/カンディル・ゲジェシ
2007.10.09 PM7:30
きのう寝る前、なんとなくテレビを付けたらTRT 1ではイスタンブルにあるスルタンアフメット・ジャーミー(通称ブルーモスク)の、別のチャンネルではここアンカラにあるコジャテペ・ジャーミーのKandil Gecesi/カンディル・ゲジェシの様子を生中継(!)で放送していました。
しばらく見ていると、イマムらしき人のお話があり、そのあと数人の男性による歌、再びイマムらしき人のお話……という感じでセレモニーは続き、ときおりモスクを訪れた人たちの姿、モスクの幻想的な夜の外観などを挟みながら放送されていました。スルタンアフメットのイマムは伝統的な衣装に身を包んでいましたが、コジャテペのイマムはスーツ姿でした(帽子はかぶっていたけど)。興味深かったのは、スルタンアフメット・ジャーミーでまったく女性の姿が見られなかったこと。もちろん、ジャーミーの後方に女性たちが座る場所は設けられているはずですが、放送のなかでは見かけませんでした。一方、コジャテペ・ジャーミーは……というと、こちらは2階〜4階(か5階まで)が女性専用席となっているのですが、女性も数多く見られました。果たして、スルタンアフメット・ジャーミーに女性は来ていたのか、来ていなかったのか。ふだんNamaz/ナマズ(礼拝)で訪れる際も、基本的には男性しか行ってなかった気がするので女性はいなかったのかもしれません。
ところで、これを見ながらわたしは大晦日の「ゆく年 来る年」を思い出していました。紅白歌合戦を見終わったあと、コタツに入ってのーんびりと日本各地のお寺の除夜の鐘を聞く、、、そして新年を迎える。なんだかあの感覚に似たものをテレビを見ながら覚えたのです。
イマムの朗読やモスクで謳われる歌は、除夜の鐘とともに唱えられるお経に重なり、それをナマで見よう、聞こうという人もいれば、テレビの放送を通してそれを見よう、聞こうという人もいる。モスクに集まる人々を見ると、どうしても宗教的に考えてしまいがちだけど、感覚的にはもしかして新年を迎えるために除夜の鐘を聴き、神社にお参りする感覚に近いんじゃないかと思ったりして。もちろん、日本の新年よりはずっと宗教寄りだとは思うけれど、なんというか「これをやらないと、◎◎した気にならない」という感覚もたぶんにあるんじゃないかと。ふと、そんなふうに思ったのです。
正月に寺や神社に参る。彼岸に墓参りする。お盆に墓参りする。精霊流しする。こういうのって宗教も関係しているけど、たぶんに習慣化したもので、やらないとどっか気持ち悪いとか、すっきりしない……ってところもあると思うんです。モスリムっていうとえらく敬虔に考えがちだけど、きのうジャーミーに来ていた人たちのなかにも習慣として、あるいは「やっぱジャーミーに来ないとKandil Gecesi/カンディル・ゲジェシを迎えた気にならない」って人が結構いたんじゃないかなーと、鼻づまりのボンヤリした頭で考えたのでした。
それに、Kandil Gecesi/カンディル・ゲジェシは「預言者ムハンマドによって最初にコーランが詠まれた夜」とされていますから、感覚的にも新年に近いんじゃないかなーと。んー、どうなんだろう? 思い込みすぎかな?
※写真は上からスルタンアフメット・ジャーミーの中の様子(左手にイマムが座っています)。コジャテペ・ジャーミーのイマム朗読。同じくコジャテペで男性が半円になって歌っているところ。コジャテペ・ジャーミーを訪れた女性たち・その1(キレイな人だからか、アップで何度も映っていた)、その2(この女性たちを見て、イマムのお話も頬杖ついて聞くのねーと思っちゃいました。だって、日本ならお寺の住職のお話、頬杖ついて聞かないものー。それに、どうみても世間話をしているように見えるぞ)。最後はコジャテペ・ジャーミーの中の様子。奥に窓のようなものが見えますが、コジャテペではここや、その上のテラス状の場所が女性専用席になっています。
2007-10-08
初・風邪 orz...
2007.10.08 PM9:15
トルコに来てから一度も体調を崩していなかったのに、ここに来て、思い切り風邪を引いてしまいました。
異国で病気……はツライのが分かっているので充分注意してきたつもりだったのに・・・。先々週の週末、1度ヤバいな、というときがあったのですが、そのときは持ち直したのです。それが、先週金曜日、ちょっと吐き気がしたりして、何だこれは? と思っていたら次の日から頭が重ーくなって、今朝起きたら完全に鼻がグズグズになっていました。
聞くところによると、アンカラではどうやら風邪が流行っている様子。それも鼻に来る風邪だとかで、すっかり流行に乗ってしまったよう。きょうは学校の帰りにビタミンCのタブレットを買い、2錠飲んでから一度寝たのですが、いかんせん鼻がつまっているので頭もボーッとしてどうしようもありません。とはいえ、こんなところでダウンしている場合でもないので、きょうも早く寝てなんとか撃退したいところ(願。
きょうはKandil Gecesi(カンディル・ゲジェシ)だったので、Kocatepe Camii/コジャテペ・ジャーミーにでも出かけてみようか……と思っていたのですが断念。※Kandilについては以前に日記でも触れていますが(http://freebirdinturkey.blogspot.com/2007/08/kandil-cagri.html)、聖なる5夜と言われるなかでも一番重要なのがきょう(そんな日に風邪を引いてしまうとは、不覚)。
そして、ラマザン(断食)もあと3日で終了〜♪ 街ではラマザンのお買い物、と称して新しい服を買ったり、おもてなしの食べ物を買ったり、という姿が目につきます。近所のスーパーでもチョコレートの箱やボックスがどどどーんと並びだして、ラマザン・バイラム(シェケル・バイラム)な雰囲気が漂ってきました。
んー、ラマザンの休暇を寝て過ごすことにならないよう、早く直さなければっ! また元気になって日記を書きたいと思います。
※写真は、きょうEzcane/エズジャーネ(薬屋さん)で買って来たC Vitamin(トルコでは“ジェー・ビタミン”という)。
2007-10-06
暮らしのアイデア商品?
2007.10.06 PM7:00
↑ 本当はこの日付でアップする予定だったのですが、突如インターネット接続が切れてしまい、いま(10月7日AM11:40)までまったく繋がりませんでした(泣。従って、ブログの内容は昨日の夜の時点のものです。
きょう2007年10月6日付、Milliyet紙のインターネット版で見つけた〈暮らしのアイデア商品?〉をご紹介しましょう。
トップページの中段、なにやら怪しげな写真とともに書いてあったのは・・・
Hayati boyle kolaylastirin!
Gundelik yasamda surekli kullandigimiz esyalar, kucuk bir dokunusla hayat kurtaran mucizelere donusebilir...
毎日をこんなふうに簡単に!
日々の暮らしのなかでよく使っているものに、ちょっと手を加えると暮らしを助ける奇跡に早変わりっ!!
あとは文章の紹介は一切なく、アイデア商品のフォトギャラリーに(写真の順番でコメントを書いています……が、いかんせんインターネットの接続が悪いため、写真は折を見て徐々にアップします・・・というわけで、現地時間7日夕方4時半頃にすべてアップし終わりました。1日仕事だな、こりゃ)。
まず出て来たのがテニスボール。これを2つに割って金具を取り付けて騒音防止用の耳当てに……って、なんか無理がないかい? テニスボールってそんなに安かったっけ? イヤーウィスパー使った方が簡単なような……。でも消音性能は高そうです。ぴったり耳にくっつけることができれば、の話ですが。
お次は水仕事用のゴム手袋。指の所を切って、さきっちょに穴をあけ、液体状の調味料(トルコならレモン果汁か?)の瓶に取り付けると……あーらお見事っ。1度に適量が出せるように。これで思った以上にドバッと出るのを防げます!?!?!?
こちらは勝手に名付けて、その名もスポンジペダル。なかなかグッド・アイデア? 自転車のペダルに台所用のスポンジを取り付けるとハダシで乗っても痛くなーいっ!(笑。まぁ、夏限定商品ですが。それに、日本にゃーこんな草原はないぞ。アスファルトの上や、固〜い土の運動場の上じゃ、ハダシはやっぱり暑いし、痛いんじゃないか? という疑問がないわけではありませんが、ハダシで自転車って気持ち良さそうです。
漏斗のようなものの先を少しだけ斜めにして壁に取り付ければフックに(つーか、買った方が早いような……100円ショップに行けば3つくらいセットで売ってそうな気がするのですが)。
プラスチック製の柄の刷毛を使って、ドアストッパーに。これはなかなか?という気がしないでもないですが、やっぱり柄を曲げる手間とか、見た目とかを考えると、100円ショップで買って来よう!と教えてあげたい。
水中眼鏡の眼鏡の部分のプラスチックだけを使って……電車の中での居眠り用スタンド。←そこまでしなくても・・・汗。ふつーにハンカチとか使っちゃいけないでしょーか???
個人的に気に入っているアイデア商品はコレ! キレイなデザインのアルミ製空き缶(ここではカールスバーグを使っていますね)を利用して、キャンドルカバーに。空き缶のカットの仕方、横面だけでなく、上面とかにも穴をあけたりするとプラネタリウムみたいでキレイなんじゃないでしょうか。ただし、空き缶の背丈を短くしすぎず、ろうそくは丈の低いものを使わないとヤバそうですが。でも、キレイだと思います、これ。誕生日とか、クリスマスの使い捨てデコレーションにいかが?
使い残った切手を使ってネール・ペインティング代わりに!! キレイなデザインのものを使えば結構イケるかも!?
腕浮き輪(だと思う)を使ってランプシェードに……って、危ないじゃんコレッ! ゼッタイ燃える、というか溶けると思う。火事のもとだと思うのですが、新聞社がこんなの載っけちゃって良いのでしょうか? 真似する人がいて、火事になったらどーするんでしょう?
洗濯バサミのバネ部分だけを利用してお箸に取り付ければ、お箸使いが苦手な外国の方でもホラッ、簡単にお箸が使えますよー……って、これ相当無理があるような(汗。これで写真のような麺(ラーメンの麺のように見えるけど、スープがない。なんだコレは?)は食べられないんじゃないのかなー。無理せず、フォークで良いのじゃないでしょうか? それとも持ち方矯正箸、プレゼントしましょうか?
泡立て器を、いつでもどこからでも取り出しやすいコットンボックスに……って。もう、、、だから無理があるってーっ!!!
そして最後はなんだかよく分からない代物3連発っ!!!
トランプを使っているのですが何なんでしょう? 天井の低い所に〈頭上注意〉の代わりに貼るんでしょうか? それともマンションとかの階段部分に〈現在何階〉か分かるように貼るんでしょうか?
それからレゴらしきものを使っていますが、まったく何を意味しているのかわたしには分かりません。
最後のヘルメットに蠅タタキ状のものを取り付けた代物もいったい何のアイデアなんだか・・・orz どなたか「これはアレですよ」と指摘できる方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいです。
というわけで、Millyet/ミリエット紙で見つけた「暮らしを簡単にしてくれる“小さくてかわいい”奇跡たち」の紹介でした。まぁ、土曜日ですから、新聞も息抜き記事というか、みんなで笑える記事を載せているのかもしれません(確証なし)。
2007-10-05
礼拝を始めた泥棒さん
2007.10.05 AM0:45
きょうは、インターネットで見つけたちょっとコミカルなニュースを紹介しませう。
Hirsiz, polisi gorunce namaz kilmaya basladi.
フルスズ ポリス ギョルンジェ ナマズ クィルマヤ バシュラドゥ
泥棒、警官を見て礼拝を始めた
最初、このヘッドラインを読んだときは、プッと吹き出しました。……というか、かわいい泥棒だな、と思ったんです。つまり、泥棒に入っているところを警官に目撃されて、あぁこれまでか・・・と思った泥棒がアッラーに祈ったのかな? と思って。困ったときに神様に頼る姿が、なんだかカワイイじゃないですか。
ところが、ちゃんと記事を読んでみると、、、
泥棒は警官がやってくるとまず『わたしは、この家の主人だ』とのたまった模様。その後、警官をうまく騙せると考えて礼拝を始めたのだとか。結局は嘘がバレてつかまっちゃったんですけどね。
すぐにバレる嘘をついちゃう泥棒さん、なんだか憎めない気はします。
かくいうわたしも大阪に住んでいるとき2度、空き巣に入られた経験があります。2回ともベランダの窓ガラスを割られ、鍵を開けられて。めちゃくちゃ怖かったし、腹もたったけど、2回目の空き巣さんは後でつかまったと警察から連絡があり「この空き巣をきちんと刑務所に入れてください」という裁判官への嘆願書みたいなものに署名させられました。文書はすべて警察が用意していて、わたしは内容を聞かされ「これで、いいですね? じゃ、サインを」みたいな感じだったのですが。
でも、よーく話を聞くと、この空き巣さんは59歳。前科があるため、今回はお目こぼしもなし。きちんと刑務所でお務めしてきなさい、ということだったのですが、聞くと刑期は5年。てことは、空き巣さんは64歳で出所してくるわけです。その当時も住む家の決まっていないような、浮浪者みたいな暮らしをしていたらしいい空き巣さん。59歳で仕事に就くのも難しいだろうし、結果空き巣として生計を立てていたようなのですが、刑期を務めたあとは64歳。さらに仕事を見つけるのも難しいじゃないですか。で、思ったんですよね。刑務所に入る意味があるのかなー?って。むしろ社会復帰できる道をつけてあげる方が、空き巣さんにとっては更正の可能性があるんじゃないの?と。
もちろん、悪いことをしています。しかも何度も。お務めするのも、この人に課せられた義務でしょう。でも、刑務所から出て来て、また住む場所もはっきりせず、仕事も見つからないじゃ、結局同じところに戻っちゃうんじゃないのかな?
家のなかぐちゃぐちゃにされてるし、土足で歩き回ってるし(靴ぐらい脱げよっ!)相当腹立たしい事件ではあったのですが(だいたい、ほとんど何も取らずに、というか取れるものがないからだけど、単にぐちゃぐちゃにしただけ)、なんとなーく、空き巣さんのその後が気にはなったのでした。
この記事の泥棒さんも、どうなったんだろう? 奇しくも年齢が同じ59歳。泥棒に入っているところを現行犯でつかまってるから、結局何も盗ってないわけだし。んー犯罪を許してはいけないと思うけど、この人のためにも、そして再び犯罪に手を染めないためにも、刑務所以外の方法が別にあるような気がします。
※写真は、お茶目な?泥棒さんの事件があったTekirdag/テキルダーという街の写真。Belediye(市)のウェブサイトから拝借しました。
2007-10-04
意味を求めるのは無意味?
2007.10.04 AM7:15
きのう書きたかったのは、実はこっちのニュースでした。朝のニュースでチラッと見たため、新聞を買って詳細を確認しようと思ったのです。……が、新聞の一面にその記事はない。3面の真ん中あたりに12cm四方くらいの大きさで載っていました。
イズミルで2つの爆弾が爆発し、29歳のAtilla Eraslanさんが死亡、9人が負傷したというニュースです。
ひとつめの爆弾は朝7時50分にマーケットの近くにあるカフェ(チャイ・バフチェシ)の隅で爆発。掃除夫のMustafa Ozsefikさん(42歳)が通りに設置してあるゴミ箱を空にしようとしたとき、爆弾が爆発し、Ozsefikさんは左足と右手を骨折。その場所を通り過ぎようとしていた別の男性(41歳)も負傷したようです。
さらに、ふたつめの爆弾は11時25分に、1つめが爆発した場所から100mほど離れた場所で起こった模様。そこはある絨毯屋さんの前で盗まれたバイクに仕掛けられた爆弾が爆発。絨毯屋で働いていたAtilla Eraslanさんが亡くなり、7人が負傷しています。Atillaさんは1人っ子で現在結婚の準備をしているところだったとか。
この記事が出た時点ではまだ声明も何も出ていなかったし、誰の仕業かは分かっていません。が、いずれにしても何のために? という思いが拭えません。1つめの爆弾が爆発した近くにはバスの停留所があり、学校に行く子どもたちがバスを待っていた、とテレビでは報道されていました。トルコでは朝早くから(アンカラでは6時頃には)掃除夫の方々が歩道のゴミをキレイにしてくれます。そんな人を標的にして、いったい何を主張したいのでしょうか。一般市民を死に追いやること、傷つけることに何の意味があるのでしょうか。テロなんだから意味など求められない、という人もいますが、何かしらのプロテスト行動なら、そこに意味があってしかるべきだと思うのです。でも、ここには“意味”は見当たらない。どうしてこんなことが起こるのか、何のために起こしているのか、説明できる人がいるならきちんと説明してほしい、じゃなきゃモヤモヤはモヤモヤのまま、そして2〜3日もすれば(わたし自身も含めて)すっかり忘れてしまうのだろうな、と思うと何ともやりきれないのです。
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