2007-10-05

礼拝を始めた泥棒さん



2007.10.05 AM0:45

 きょうは、インターネットで見つけたちょっとコミカルなニュースを紹介しませう。

 Hirsiz, polisi gorunce namaz kilmaya basladi.
 フルスズ ポリス ギョルンジェ ナマズ クィルマヤ バシュラドゥ
 泥棒、警官を見て礼拝を始めた

 最初、このヘッドラインを読んだときは、プッと吹き出しました。……というか、かわいい泥棒だな、と思ったんです。つまり、泥棒に入っているところを警官に目撃されて、あぁこれまでか・・・と思った泥棒がアッラーに祈ったのかな? と思って。困ったときに神様に頼る姿が、なんだかカワイイじゃないですか。

 ところが、ちゃんと記事を読んでみると、、、
 泥棒は警官がやってくるとまず『わたしは、この家の主人だ』とのたまった模様。その後、警官をうまく騙せると考えて礼拝を始めたのだとか。結局は嘘がバレてつかまっちゃったんですけどね。

 すぐにバレる嘘をついちゃう泥棒さん、なんだか憎めない気はします。

 かくいうわたしも大阪に住んでいるとき2度、空き巣に入られた経験があります。2回ともベランダの窓ガラスを割られ、鍵を開けられて。めちゃくちゃ怖かったし、腹もたったけど、2回目の空き巣さんは後でつかまったと警察から連絡があり「この空き巣をきちんと刑務所に入れてください」という裁判官への嘆願書みたいなものに署名させられました。文書はすべて警察が用意していて、わたしは内容を聞かされ「これで、いいですね? じゃ、サインを」みたいな感じだったのですが。

 でも、よーく話を聞くと、この空き巣さんは59歳。前科があるため、今回はお目こぼしもなし。きちんと刑務所でお務めしてきなさい、ということだったのですが、聞くと刑期は5年。てことは、空き巣さんは64歳で出所してくるわけです。その当時も住む家の決まっていないような、浮浪者みたいな暮らしをしていたらしいい空き巣さん。59歳で仕事に就くのも難しいだろうし、結果空き巣として生計を立てていたようなのですが、刑期を務めたあとは64歳。さらに仕事を見つけるのも難しいじゃないですか。で、思ったんですよね。刑務所に入る意味があるのかなー?って。むしろ社会復帰できる道をつけてあげる方が、空き巣さんにとっては更正の可能性があるんじゃないの?と。
 もちろん、悪いことをしています。しかも何度も。お務めするのも、この人に課せられた義務でしょう。でも、刑務所から出て来て、また住む場所もはっきりせず、仕事も見つからないじゃ、結局同じところに戻っちゃうんじゃないのかな?

 家のなかぐちゃぐちゃにされてるし、土足で歩き回ってるし(靴ぐらい脱げよっ!)相当腹立たしい事件ではあったのですが(だいたい、ほとんど何も取らずに、というか取れるものがないからだけど、単にぐちゃぐちゃにしただけ)、なんとなーく、空き巣さんのその後が気にはなったのでした。

 この記事の泥棒さんも、どうなったんだろう? 奇しくも年齢が同じ59歳。泥棒に入っているところを現行犯でつかまってるから、結局何も盗ってないわけだし。んー犯罪を許してはいけないと思うけど、この人のためにも、そして再び犯罪に手を染めないためにも、刑務所以外の方法が別にあるような気がします。

 ※写真は、お茶目な?泥棒さんの事件があったTekirdag/テキルダーという街の写真。Belediye(市)のウェブサイトから拝借しました。

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