2007-10-09

テレビで見た!Kandil Gecesi/カンディル・ゲジェシ







2007.10.09 PM7:30

 きのう寝る前、なんとなくテレビを付けたらTRT 1ではイスタンブルにあるスルタンアフメット・ジャーミー(通称ブルーモスク)の、別のチャンネルではここアンカラにあるコジャテペ・ジャーミーのKandil Gecesi/カンディル・ゲジェシの様子を生中継(!)で放送していました。

 しばらく見ていると、イマムらしき人のお話があり、そのあと数人の男性による歌、再びイマムらしき人のお話……という感じでセレモニーは続き、ときおりモスクを訪れた人たちの姿、モスクの幻想的な夜の外観などを挟みながら放送されていました。スルタンアフメットのイマムは伝統的な衣装に身を包んでいましたが、コジャテペのイマムはスーツ姿でした(帽子はかぶっていたけど)。興味深かったのは、スルタンアフメット・ジャーミーでまったく女性の姿が見られなかったこと。もちろん、ジャーミーの後方に女性たちが座る場所は設けられているはずですが、放送のなかでは見かけませんでした。一方、コジャテペ・ジャーミーは……というと、こちらは2階〜4階(か5階まで)が女性専用席となっているのですが、女性も数多く見られました。果たして、スルタンアフメット・ジャーミーに女性は来ていたのか、来ていなかったのか。ふだんNamaz/ナマズ(礼拝)で訪れる際も、基本的には男性しか行ってなかった気がするので女性はいなかったのかもしれません。

 ところで、これを見ながらわたしは大晦日の「ゆく年 来る年」を思い出していました。紅白歌合戦を見終わったあと、コタツに入ってのーんびりと日本各地のお寺の除夜の鐘を聞く、、、そして新年を迎える。なんだかあの感覚に似たものをテレビを見ながら覚えたのです。
 イマムの朗読やモスクで謳われる歌は、除夜の鐘とともに唱えられるお経に重なり、それをナマで見よう、聞こうという人もいれば、テレビの放送を通してそれを見よう、聞こうという人もいる。モスクに集まる人々を見ると、どうしても宗教的に考えてしまいがちだけど、感覚的にはもしかして新年を迎えるために除夜の鐘を聴き、神社にお参りする感覚に近いんじゃないかと思ったりして。もちろん、日本の新年よりはずっと宗教寄りだとは思うけれど、なんというか「これをやらないと、◎◎した気にならない」という感覚もたぶんにあるんじゃないかと。ふと、そんなふうに思ったのです。

 正月に寺や神社に参る。彼岸に墓参りする。お盆に墓参りする。精霊流しする。こういうのって宗教も関係しているけど、たぶんに習慣化したもので、やらないとどっか気持ち悪いとか、すっきりしない……ってところもあると思うんです。モスリムっていうとえらく敬虔に考えがちだけど、きのうジャーミーに来ていた人たちのなかにも習慣として、あるいは「やっぱジャーミーに来ないとKandil Gecesi/カンディル・ゲジェシを迎えた気にならない」って人が結構いたんじゃないかなーと、鼻づまりのボンヤリした頭で考えたのでした。
 それに、Kandil Gecesi/カンディル・ゲジェシは「預言者ムハンマドによって最初にコーランが詠まれた夜」とされていますから、感覚的にも新年に近いんじゃないかなーと。んー、どうなんだろう? 思い込みすぎかな?

 ※写真は上からスルタンアフメット・ジャーミーの中の様子(左手にイマムが座っています)。コジャテペ・ジャーミーのイマム朗読。同じくコジャテペで男性が半円になって歌っているところ。コジャテペ・ジャーミーを訪れた女性たち・その1(キレイな人だからか、アップで何度も映っていた)、その2(この女性たちを見て、イマムのお話も頬杖ついて聞くのねーと思っちゃいました。だって、日本ならお寺の住職のお話、頬杖ついて聞かないものー。それに、どうみても世間話をしているように見えるぞ)。最後はコジャテペ・ジャーミーの中の様子。奥に窓のようなものが見えますが、コジャテペではここや、その上のテラス状の場所が女性専用席になっています。

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