2007-09-27

Dil Bayrami/言語75周年祭




2007.09.27 PM8:50

 きのうときょうの2日間、アンカラ、イズミル、マニサ、アイドゥン・ショケ、クシャダスの5都市で75回目の”Dil Bayrami/ディル・バイラム(言語周年祭)”が行われたようです。

 数日前の日記でTurk Dil Kurumu/トゥルク・ディル・クルム(トルコ言語協会)について触れましたが、このバイラムはその設立75周年を祝うもの。今朝のニュースでは昨日イスタンブルのドルマバフチェ宮殿で行われた式典(アブドゥッラー・ギュル大統領も参加)の様子が紹介されていました(ここでは「人々のコミュニケーションツールとしてのトルコ語」「芸術言語におけるトルコ語」といったプログラムが金曜まで続くそう)。
 その後、TRTの放送内で現言語協会会長(?)へのインタビューも行われ、現在の言語状況や問題点、これからの課題といったことが話さていました・・・が、わたしのトルコ語能力では細かいところまで分からず、とても残念でした。

 でも、考えてみると“トルコ語75周年”って、なんだか随分新しい気もしますね。もちろん、トルコ語は75年前に突然起こった言語ではなく、共和国設立後に“整理された”言語。75年前の1932年にアタチュルクの提唱によって設立されたトルコ言語協会は、トルコ語やテュルク諸語の研究、規範文法の策定ほか、外来語の固有語彙への置き換えなども行っていて、だからこそコンピュータが「Bilgisayar/ビルギサヤル(ちなみにBilgiはトルコ語で“知識”“情報”という意味」になっているわけです。
 とはいえ、外来語の反乱を防ぐのはトルコでも至難の業。今朝のニュースでも街角にあふれる“英語”“フランス語”などの看板を映し、いかに外来語が日常のなかに反乱しているかが語られていました(たぶん、トルコ語に悪影響を及ぼしていると言ってたんじゃないかなー)。

 言葉って、使い方ひとつで印象が随分変わるもの。自分の考えや思っていることを正確に言葉に置き換えられなければ、相手に伝えることはできません。間違って使うことによって、あるいは間違って解釈することによって、コミュニケーションに支障をきたす場合もあるでしょう。
 とはいえ、自分が美しい日本語を使えているか? と自問すると「ぐぅ」の音もでないのがホントのところです。一方で、正しく美しい日本語を使っても感覚的にぴったり来ない場合もあります。「気が置けない友だち」なんて言葉も、本来の「気を使うことなく気楽につきあえる」という意味ではなく、そのうち間違った解釈(油断できない)が正解になるんじゃないかなーとも思ったりします。
 そこで問題!「流れに棹さす」「確信犯」「役不足」の本来の意味を知っていますか? ちなみに、わたしは全滅でした・泣。

 写真は“75. Dil Bayrami”のプログラム・ポスター(アンカラ大学のサイトで見つけました)。それと全然関係ないですが、今朝6時過ぎの西の空。満月1つ手前の白いお月さまがぽっかりと浮かんでいました。10分後には東からお日さまも上って来てダブル鑑賞(トクした気分♪)。もう1枚はアパート7階から南方向を眺めたもの。カメラの角度は水平より上に向けているのに坂道が目線より上に伸びているの、分かります? 左手タワーの右側、光っているのは車のヘッドライトです。この角度、車じゃなきゃ上れませんよ、ホント。ムーヴィング・ウォークをプレゼントしてあげたい。。。

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