2008-04-07

ヒロシマ

2008.04.07

 いつものようにトルコ語の新聞ウェブサイトをチェックしていたら、Milliyet/ミリイェット紙のトップページに『地獄のようなヒロシマ、隠れていた写真』と題された記事を発見。すぐにクリックしてみると、31枚もの写真でヒロシマの原爆記録が綴られていました。
 http://www.milliyet.com.tr/content/galeri/yeni/goster.asp?prm=0,226866&id=1&galeriid=2710&ver=76

 写真記事の日付が2008年1月28日なので最初に記事になったのは2ヶ月以上前のようですが、ページビューを見るとなんと494983。50万人近い人が見ていることになります。
 『これまでにあなたが見たことのない写真で知る、地獄のようなヒロシマ』のタイトルとともに紹介されているのは




 爆発直後のヒロシマの街

 骨だけとなった人々を弔う人

 エノラ・ゲイから撮られたキノコ雲

 人の影だけが残る銀行前の階段

 8時15分で止まった時計

 ケロイド状になった少女の背中

 焼けた三輪車

 熱波でボロボロになった学生服

 原爆白内障に冒された人の目

……といった写真の数々。出典は明らかではありませんが、おそらく原爆記念館にあった写真なのではないでしょうか。

 こうした写真は見るのがツラいため、つい目を背けがちです。自ら好んで痛々しい写真、わずか60数年前に起こった事実を見なくても、済んでしまったことにしてしまえる話です。でも、改めて見てみると憲法第9条や、非核三原則の大切さを感じます。日本国憲法自体がアメリカの押しつけ憲法だとか、いまの時代にはそぐわないとか、軍隊を持たない法治国家はないとか、いろいろ意見はあるでしょうが、ヒロシマやナガサキで起こったことが再び繰り返されても良い、という人はいないでしょう。しかし、戦争とはこういうものなのだと思います。人を狂わせてしまうものなのだと思います。
 アメリカでは10年ほどまえにスミソニアンで“エノラ・ゲイ”を展示するにあたりヒロシマやナガサキの記録を紹介する展示が企画されましたが強い反対にあって実現しませんでした。現在“エノラ・ゲイ”は、スミソニアン航空宇宙博物館別館のスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターに展示されていますが、原爆被害などについては残念ながら説明されていないそうです。

 わたしは、この写真を見てくれた50万人のトルコ人(ほかの国の人もいるかもしれないけど)に感謝しています。2ヶ月あまりで50万人ということは、単純計算で1日に7000人以上の人が見てくれたということです。戦争の記憶の風化が叫ばれる近年にあって、トルコではそれだけの数の人がヒロシマやナガサキ、原爆の記録に関心をもってくれた。それってスゴいことだと思うのです。

 わたしたちは歴史から学ばなければならない。
 当事者である日本人として考えさせられた記事であり、写真であり、またページビューでした。

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