2008-03-04

喋っても罪?

2008.03.04
(2008.02.27の日記から)







 本当は、トルコについてもっと楽しいことを書きたいのだけれど。。。
 今月23日に始まったトルコ軍の大規模な北イラク越境攻撃。目をそむけてはいけないのかもしれないけれど、終わりのない戦いのように見えて、なるべくニュースなども読まないようにしていました。

 そんななか昨日見つけたのが

 『取り調べ、開始』

 ……というニュース。
 『ポップスター・アラトゥルカ』という“アメリカン・アイドル”的なコンテスト番組で審査員を務めるトルコでは超有名歌手ビュレント・エルソイ。そのエルソイの番組内における発言が〈Halki askerlikten sogutma/国民を兵役から遠ざけた、離反させた〉という罪に抵触したかどうか、現在取り調べ中だと言うのです。

 そもそも、わたしからすれば〈国民を兵役から離反させる〉罪って何? という感じなのですが、この件で起訴されて罪が確定すると、エルソイは9ヶ月〜3年の懲役刑に服さなければならなくなります。

 問題となっている発言が、どの部分に当たるのか分かりませんが、予想するに「自分にもし子どもがいたら、戦地などに送らない」「わたしは母親ではないし、今後なることもない(エルソイは男性からの性転換者)けど、誰かの陰謀のための戦争に、自分の子どもを使われたくない」、さらに「みんな『戦死者は死なず、故郷は分かれず』って言うけど、(戦地に)赴く子どもたち、血の涙、泣き叫び、葬式……みな使い古された言い草よ。わたしは、あなた方とは同じ考えじゃないの(スローガンで何と言おうと、戦死者は死んでしまうという意味)」といったあたりではないかと。。。

 これはエルソイと、エブル・ギュンデシという女性のトーク中の話で、一方エブル女史は「わたしも兵隊の母となるなるよう運命づけられてる。わたしにも息子が一人いるし、栄誉あるカタチで彼を兵隊に送るわ(これに対しエルソイは「そして彼の死を手にすることになるのよ」と返しています」とか、「これは国のため、この共和国のため、この社会のため、わたしには女性として何が必要であれ、必要なことができるわ。息子だって勇敢にやり遂げるわよ」と正反対のことを言っています。

 ただ、注意して読んでみると、エルソイは〈誰かの陰謀のための戦争に〉と言っているのです。つ・ま・り、自分自身が正しい戦いだと感じられるなら、また違った意見になるのかもしれません。

 エルソイの発言は賛否さまざまな波紋を拡げているようですが、新聞のコラムニストのなかには彼を支持する記事を書いた人もいるようです。
 またNBC TVはこの件に関して討論番組を放送したようで、そのときのエルソイ支持のコメントを掲載していました。
 そもそも「〈国民を兵役から離反させた〉という法律の条項318条自体、改変するべきだ」「こんな法案、民主主義国家には相応しくない」「民主主義国家において人は兵隊に行かない、良心的拒否の権利がある」「いまの時代、こんなことがあっていいものか? 僕だって戦争には反対だ」「誰にも、言いたいことを喋る自由がある、この国で。〈国民を兵役から離反させた〉とも思わない。わたしだって、政治的な解決を支持している」「これはまさしく思想の自由、表現の自由に関わる問題」……などなど。

 第二次世界大戦以降、平和憲法を擁してきた日本と、オスマン帝国〜共和国誕生まで戦いによって国を守ってきた(取り戻してきた)トルコとでは〈戦うこと〉の捉え方が全然違います。ただ、エルソイが言いたかったのは「戦争によって国を守るな」ということではなく、「この戦いの後ろに潜んでいる、本当の目的はなんなのか?」ってことだったのだと思います。

 そんななか、キツい一撃だった一般読者のコメント。
 「ビュレント・エルソイの言葉は、内容としては事実です。わたしたちは誰かの陰謀によって息子たちを失っています。誰が息子の死を望むでしょうか。けれど、誰にも『わたしの子どもは行かせないわ』と言う権利はありません。あなたが行かせないのなら、わたしも行かせないのなら、いったい誰がこの国を守るのですか」

 10年後、20年後、トルコを守るためという思いで臨んだこの戦いが、別の目的だったと明らかになったら(そんな保証はないけど)、命を落とした青年たち、その母親たちは、その家族たちは、いったいどうなるのでしょうか。こんな作戦を実行する前に、まず「あなたの息子たちはどこで何をしているの」と聞いてみたいです、エルドアン首相に。

 写真は巷の話題独占中!ビュレント・エルソイ(レコジャケです)。

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