2008-03-04

未来を見通す目

2008.03.04
(2008.03.03の日記から)

 2005年11月15日(水)のVatan Gazetesi/バタン新聞のコラム。
 Zulfu Livaneli/ズゥルフ・リヴァネッリが書いた記事です。
 http://w10.gazetevatan.com/root.vatan?exec=yazardetay&Newsid=64464&Categoryid=4&wid=5

















 タイトルは『トルコで体制が変わる日』

 周りで妙な、みんなの理解し難い風が吹いている。EU、シャムデインリの事件、ヴァン、キプロス、強盗、トゥルバン、与党と国家公務員間の緊張、一番のケマリスト的要素をもつ軍隊批判……どうなのだろう、これらすべては大きな変化の、大きな混乱をもたらす予兆なのだろうか? もし、こうした変化が起こるとして、それはいつ? どんなふうに起こるのか?

 親愛なる読者諸氏、皆と同じく、わたしもこうしたことを自分に問いかけ続けた。そして残念ながら、これらの事件が13年前に予測したカタチで現実になったのを目にしている。トルコが団結したひとつの国家から急速に遠ざかり、イスラム主義者と共和国主義者、クルド民族の3つに分断している。無能な指導者たち、強欲な政治家たち、そして(悪い方へ)変わってしまった権力者たちが、トルコをこの状態に導いてきた。

 さて、あなたは今後何が起こりえると考えるだろうか。わたしにはターニング・ポイントが2007年の6月になると言うことができる。

 もし、そのときまでに通常の外的進展が起こらなければ、AKPは2007年にチャンカヤ(大統領職)に彼らの望む人物を送り込む。国家公務員とトルコを手中とする策略において、最後の仕上げはこのようにして成し遂げられる。
 何を考えようが、セゼルの代わりにチャンカヤ(大統領職)にAKP党員が就くとき、YOK(高等教育機関)もまた変わり、憲法裁判所も同様に改変される。
 国会組織に対して行われる指名にも異議が唱えられる。
 与党で構成される国会からの命令で通過する法律はただちに承認される。
 そして、トルコはAKPの望むシステムが何であれ、そのシステムに移行される。
 学校においても、新しい世代がこのシステムによって教育され、ラジオやテレビの放送はこのシステムによって管理される。そしてもちろん、イスタンブルの娼婦と古い左派(社会主義者)、つまりリベラルなコラムニストたちはすべて、この進歩に喝采を送る(→反対のことを言って揶揄っていると思われる「この進歩に眉をひそめる」という意味?)。

 国際社会は、トルコにおける世俗共和国の終焉を望んでいる。わたしたちに課せられた役割は、中東における〈西洋の利益を守るイスラム国家〉であることだ。この役割を演じ始める日付は、2007年の6月である。

 このコラムで、きょうまで「(西洋社会との)特権的パートナーシップ」から「(イスラム主義者、共和国主義者、クルド民族の)3極化するトルコ」まで、(学者でも何でもない)わたしでも理解し得たすべて、学んできたすべての真実を、読者諸氏にも気付いて欲しいと考えている。

 すべてが思った通りになった。
 いま、このコラムで予測したことが間違いであることを心から望んでいる。
 けれど、残念ながら、見えている村に案内人はいらないのだ(→『見えている村に案内人は不要』はトルコのことわざ。ここでは「起こると分かっていることに説明はいらない」という意味)。


 この2年前のコラムを読むと、ご本人の言葉通り予想は的中しているように見えます。彼に、どうしてこの未来が予測できたのか分からないけれど、予兆はすでに2年前から(もしかしたらもっと前から)あったのかもしれません。
 「国際社会は、トルコにおける世俗共和国の終焉を望んでいる。わたしたち(トルコ)に課せられた役割は、中東における〈西洋の利益を守るイスラム国家〉であることだ」という一文がとても不気味です。


 ちなみに、このコラムを書いたZulfu Livaneli/ズゥルフ・リヴァネッリは、トルコの人気フォーク・ミュージシャン(歌手、作曲家)であり、小説家、新聞のコラムニスト、映画監督としても活躍する人。2005年にはCHP(共和国人民党)から出馬・当選し国会議員となるも、その後CHPと決裂。離脱後は無所属として任期を終了しました(現在は政治家ではありません)。友人に聞いたら、ジョーン・バエズみたいな位置づけの人だとか。

 ※翻訳には誤りの多々あるかもしれません。ご指摘いただければありがたいです。

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