2007-08-31
トルコのものさし
2007.09.31 AM11:15
きのうの話なんですけどね。別に、書くほどのことでもないんですけどね。しかも、また食べ物の話だし。。。
きのうは朝からスナックをかじった程度で、きちんと食事してなかったので、ANKAmallに行った際にKahve Eviでご飯を食べたんです。で、何を食べようかな〜とメニューを見ていたら「Omlet/オムレット」が目に入ったので、そー言えばトルコに来てから卵を食べてないなーと思って注文したんです。パンは食べてますから材料としての卵は食べているのだけど、いわゆる目玉焼きとか、ゆで卵とか、シンプルな卵を食べてないなと。で、久々に卵が食べたいっ! と思って注文したわけです。
このお店じゃ何でも“大きい”というのは理解してました(以前のアイスクリームもそうだったし、サラダも巨大で食べきれなかった)。運ばれてきたオムレットは予想通り大きかったです(写真1枚目)。でも、予想を超えていたのは上にかかっているチーズの量と、中に具材として入っているソーセージの量。オムレット、なんだから卵が主役だろうに!! と思うのですが、どうみてもソーセージとチーズのあいだに卵がある、という感じでした(写真2枚目。これがオムレットの中身です)。
一生懸命食べたんですよ。マジで。実際お腹も空いていたし。でも、でもね、こんなにチーズがたっぷりかかっていて、ソーセージだらけじゃ満腹になっちゃいますよ。残したくはない。すごーい罪悪感です。でも、無理なものは無理なんです(写真3枚目。食べ残しの写真でスミマセン・汗)。で、諦めてナイフとフォークを置き、本を読んでいたのですが、なかなか皿を下げに来てくれない。どうもまだ食事中だと思われたみたいで。やっと来てくれた時も「もういいの? 終わってるの?」と聞かれました。
このオムレット、値段は6TRYですから安いです。このボリュームで昨日のレートだと530円くらいですから、めちゃくちゃ安いです。でもね、わたし的には半分の量でいいから3TRYにしてほしいです。あるいはソーセージとチーズを半分の量にして4TRYとか。だって、もったいないんだもん(じゃあ、外食しなければいーじゃん、って話ですが)。
まぁ、いまだ“トルコのものさし”に慣れきれない、、、という話です。
2007-08-30
旗。旗。旗
2007.08.30 PM6:50
きょう8月30日はトルコの国民的休日のひとつ、Zafer Bayrami/ザフェル・バイラムです。正式にはZafer Bayrami ve Silahli Kuvvetler Gunu(勝利の日・戦力の日)というのですが。なかなかトルコらしい休日名です。日本には“勝利の日”は、ありませんものねー。アメリカには“真珠湾攻撃の日”があって、毎年Remember Pearl Haber! と言われるんだけど。まぁ、個人的には“終戦記念日”で戦争を思い起こし、高校野球とともに黙祷して過去に学ぶという姿勢は大好きですけどね。
さて、前置きが長くなりましたが、このZafer Bayrami/ザフェル・バイラムというのは「トルコ独立戦争におけるDumlupinar/ドゥムルプナルの戦いで、共和国建国の父・アタチュルク率いるトルコ軍がギリシャ軍に勝利を収めた日(1922年8月30日)」です。ご存知の方も多いと思いますが、東ヨーロッパから西アジア・北アフリカまで広がる巨大帝国を築き上げたオスマン帝国は第一次大戦後、領内の諸民族が独立したのに加え、イギリスやフランスをはじめとする連合国に占領されました(トルコはドイツ側、同盟国側でした。連合国側だった日本とは反対にいたわけです)。こうした状況に反旗を翻し、真っ向から立ち向かったのがアンカラで結成されたトルコ大国民議会であり、その指導者として陣頭指揮をとったのがアタチュルク。連合国(イギリス)の後ろ盾を得てアナトリアへ侵攻して来たギリシャ軍を破り、最終的にはイズミルも奪還したわけですから、Dumlupinar/ドゥムルブナルの勝利は現トルコ共和国の礎とも言えるでしょう。
そんな日を、首都・アンカラで迎えたわたし。Anitkabir/アヌトゥカビル(アタチュルク廟)へ行けば、盛大なセレモニーが見られたと思うのですが昼過ぎまで寮でグダグダと過ごし、昼からANKAmallへ頼んでいたパンツのお直しを受け取りに行っただけ。それでも家々のベランダに、地下鉄の駅構内に、ANKAmall内のお店のなかにも国旗掲揚が見られ、寮のそばのビルには壁面に広がる巨大国旗が!!!(写真1枚目)。もちろん、うちの寮でも国旗掲揚ポールと、窓からトルコ国旗がはためいておりました(写真2枚目)。そうそう、きょうTRT(テレビ局)の放送を見たら、画面の右上にも国旗とアタチュルクの肖像の絵が(写真3枚目。インターネットからなので画像が悪いですが、右上にある国旗、分かります?)。
夜8時にはAnitkabirの西を走るMaresal Fevzi Cakmak Caddesi/マレシャル・フェブジ・チャクマック大通りに交通規制がかけられていますから、行けば何か見られるかと思うのですが、いかんせん人ごみが苦手。観に来ているトルコ人の気持ちも高揚しているだろうし、ひとりで行くのは心細いので寮でひっそり過ごします(あかんたれ)。
2007-08-29
ぶちキレッ……のち晴れ♪
2007.08.29 PM8:00
きょうは朝からソワソワし通しでした。それが、昼過ぎにはイライラに変わり、4時頃には爆発寸前!!!
というのも・・・本来、トメルの試験結果は、試験後3時間くらい待てば出るんです。つまり、昨日の昼3時頃には試験結果も出て、気楽な気分で帰ってこられたのです。でも、先生の都合で「夕方5時に」なり、「まぁ、仕方ないっか。明日の朝(つまりきょうの朝)見に行こう」と思っていたのです。
ところが、きのうの夕方クラスメートから届いたメールによると「試験結果は明日の1時に出るんだって」。しかも、金曜から始まる予定だった授業は、月曜からに変更。もともと、水が出ず学校閉鎖というトラブルがあったため今月末は試験後も休みなしで次のクラス(中級3)が始まると言われていたんです。ところが、月曜日になって水曜日と木曜日がお休みになりましたと言われ、さらに、きのうの夕方になって水曜〜週末までの5日間が休みになったわけです。※木曜日はZafer Bayramiという国民休日なのでトルコ中が休みですが。
で、きょう。約束の1時前に学校に行き、準備万端で試験結果を待ちました。・・・が、出て来ない。いつまで経っても出て来ない。1時半頃、トルコ語クラスの担当部署に行って聞いてみると「ごめんなさいねー。まだ先生から連絡がないのよー」とのこと。「でも、1時に出るって聞いたんですけど」と言うと、「どうしようもないのよー、あとで電話して聞いたら? 何度も学校に来ることないわよー」と笑顔で言われ、ぶちキレ寸前。「何時頃というのも分からないんですか?」と言っても「わからない」の一点張り。だったらぁ〜、きょうの午後1時って言うなよー!!!と心のなかで叫びながら、すごすごと引き下がりました。
当分出そうもない雰囲気だったので飛行機のチケットを買おうと学校のあるツナルからクズライまで戻り、北キプロス航空を訪ねると欲しいチケットは既に売り切れ。学校が休みの週末にチケットを取りたかったのですがソールド・アウトと言われては断念するしか仕方ありません。結局、9月9日(日)深夜0時15分アンカラ発→深夜1時25分北キプロス着、翌10日(月)昼12時発→1時10分アンカラ着のチケットを取りました(賞味1日滞在です)。※学生ビザを取得せずに来たので、滞在リミットの3ヶ月もまもなく。どこか外国に出ないといけないのす〜。
欲しいチケットも手に入らなかったためイライラは募るばかり。暑いなか再び学校まで戻ってみたけれど、やっぱり試験結果は出ていない。仕方なく屋上のテラスへ上がって本を読むこと1時間。まだ出ない。さらに30分。もう待てないっ! という気分で再びトルコ語担当部署へ行くと、なんと!! 誰もいないっ!! なんで? こっちは待ってるんだよー。と、そこへトルコ語部署の男性がひとり。「すみませーん、試験結果は……」「◎◎のクラス?」「そうです、そうです」と返すと即座に先生に電話して聞いてくださいましたっ!!(この男性が、とぉぉぉ〜っても良い人に見えました)で、電話を切ったあと、違う部屋へ行ったかと思うと試験結果を持ってきてくださったのです(あぁ、名前は知らないけど、ありがとー)。
結果は、なんとなんとクラス全員合格!! 自分が合格したのも嬉しいけど、クラス全員が合格で超ハッピ〜 電話番号を聞いている友だちの点数をノートに書き写し、即電話しました。はぁ〜、これで明日からの4連休、何にも煩わされずにゆっくり休めます。良かったぁ〜♪ あんまり待たされたもので沸点ぶっちぎり。「たとえ試験に受かっても、もう学校に行くのやめようっ」とまで思っていましたが、合格と分かればゲンキンなもので「また、がんばろうっ!!」という気持ちになりました。←単純
きょうは愚痴×愚痴の日記でスミマセン。読んでくださったみなさん、どうもありがとう。とにかく、試験に合格できて「ホッ」。来週から新たな気持ちでがんばりまーすっ。
※写真は、北キプロス・トルコ共和国のGazimagusa/ガズィマウサという街にあるLala Mustqafapasa Camii/ララ・ムスタファパシャ・ジャーミー。見たことないけど、なんだか金閣寺もビックリ!なくらい、金色に光っておりますね。
2007-08-28
都合の良い神様の使い方
2007.08.28 PM8:15
ジャーミーでの“雨乞い礼拝”が功を奏したのか? それとも昨日のKandil/カンディル=Berat kandili/ベラット・カンディリでモスリムたちが自らの罪を償ったからなのか? とにかく昨日の晩、夕立のような雨が降り、夜中にも断続的に雨が降り、さらにきょうの昼日中にも雨がザーッと降りました。これしきで水不足が解消するわけではないでしょうが、わたしがアンカラにやってきて以来、初めての雨らしい雨&曇り模様の1日でした。
さて、きょうの写真はアンカラ市のポスターです。以前から電車内や駅構内に貼ってあって気になっていたのですが、なかなか写真を撮ることができませんでした。でも、きのうバス停のところに大きく貼ってあるのを発見し、“激写”してまいりました。
Tesekkurler Ankara... Melih Gokcek(ありがとう、アンカラ メリヒ・ギョクチェク)と書いてあるの、読めます? 細かいところまで理解しているわけではありませんが、ニュアンス的には「アンカラの水不足に協力してくれてありがとう。わたしたちは水不足解消のためにがんばっていますよ〜」というメッセージのようです。アンカラの水源となる場所や、パイプライン引き込み工事現場などの写真もありますから。
でも、このポスターを初めて見た時は(2週間くらい前だったと思います)あまりの厚顔無恥さに笑ってしまいました。まぁ、政治家というのは、どこの国でも面の皮が厚くないと務まらないものなのかもしれませんが。
そこできょうは、以前に読んだMilliyet紙のコラムをご紹介しようと思います(8月11日付)。Can Dundar氏によるこのコラムでは「Yagmur duasi yerine 'istifa duasi'na cikalim(雨乞いではなく辞任乞いを)」というタイトルで市の無政策を痛烈に批判するとともに、ギョクチェクの責任を問うていました。
アンカラでは、空前の水不足で病院が一時的に機能しなくなりました。手術は中止され、重篤でない患者は家に帰されたそうです。ショッピングセンターのトイレも閉鎖され、ロカンタでは紙皿とプラスチックのナイフ&フォークで食事が出され(これは、わたしも経験済み)、給水車から届けられる水も決してきれいではなかったとか。
そんななか、ギョクチェク市長はあろうことか「Allah'in bu kadar afet verecegini ongoremedik. Muslumanlar Ankara icin dua etsin(アッラーがこれほどの災難をお与えになろうとは見通せなかった。ムスリムはアンカラのために祈ってください)」とのたまったとか。そこで、ひと言。
こんなところに神を持ち出してくるんじゃなーいっ!!!
そんなこと言ってたら政府や市制の不手際はすべて“アッラーがお与えになった試練”になってしまうじゃないかっ(怒。
一方で、宗教庁長官のアリ・バルダックオウル氏はギョクチェクの発言を受けてか受けずしてか「Susuzluk Allah'in cezasi degil. Tedbir almamanin cezasini cikiyoruz. Once tedbir al, sonra Allah'a yalvar.(水不足はアッラーが与えた罰ではありません。対策を講じなかったことの罰が出て来ているのです。まずは対策を講じよ、それからアッラーに乞うべし」と、市の無策にチクリと刺さる発言をしていました。ジャーミーで雨乞いを、という市の呼びかけに対して、宗教庁の長官が「アッラーに乞う前に対策を」と言っているのですから、これはキツーい一発だったでしょう。
このコラム、Can Dundar氏はこう結んでいます。雨乞いがあるなら、政府は自らの力でどうしようもない問題(責任が取れなかった問題)についても「地震よけの礼拝」や「テロよけの礼拝」やらを持ち出してくるかもしれない、と。そして、正式加盟のために礼拝をと呼びかけ、皆が祈ればEUにも加盟できるんだろうか、と。←笑いました、これには。言ってほしいことを言ってくれた、という感じ。
水不足に対する無策にも呆れましたが、敬虔なムスリムたちの信仰心を利用するような言動、市民に対する責任を“アッラーがお与えになった罰”にすり替えてしまう発言には、もう笑うしか……。大丈夫か、トルコ? と要らぬ心配までしてしまう、水不足問題だったのでした。
追記*試験はきょう終わりましたが、結果は明日の朝までお預け中。。。明日の日記で報告します(インシャッラー ←と、神に乞うてみたりする自分がここにいる。でも努力はしたんですよぉ〜、わたしの場合)。
2007-08-27
結果やいかに?
2007.08.27 PM10:00
時間の流れは早いもので、先月「あ〜、ゼッタイ試験落ちるわ〜」と嘆いていてから早1ヶ月。
きょうはOrta iki/オルタ・イキ(トルコ語中級2)の試験がありました〜。前にもご紹介しましたが、試験は全部で5種類。Karsilikli Konusma/カルシュルックル・コニュシュマ(対面会話)、Konusma (Soz anlatim)/コニュシュマ/ソズ・アンラトゥム(スピーキング/説明能力)、Okuma/オクマ(読解)、Dinleme/ディンレメ(聴解)、Yazma/ヤズマ(作文)があり、きょうは最初の2つ、Karislikli Konusma(対面会話)と、Konusma(スピーキング)のテストでした。
まだ結果は出ていませんが、感触としてはKarsilikli Konusmaはまぁ大丈夫だろうと。これは相手もある話だし、試験に入る前にちょっと練習もしたので最低でも前回と同じ13点は取れてるんじゃないかと。自分的には前回よりもずっとずっとよく話せたと思うのですが、さてどんな結果が出るか? 問題は〜先生に対して1人で話すKonusma。これが〜、思った以上にうまく出来ませんでした。何度も言い詰まったし、単語も間違ったし。こちらは10点満点で6点以上が合格なのですが、前回は8点。でもぉ〜、今回はこれより悪いと思います。願わくは6点以上付けてくれー!!ってとこ。
明日は残りのOkuma、Dinleme、Yazmaがあります。OkumaとDinlemeは、試験によって簡単だったり、すごーく難しかったりするので「どうかっ、分かりやすい、簡単な試験をっ!!」と願うばかり。Yazmaは話題によりますが単語をど忘れしたりするとパニックだしな〜。いずれにしろ、この1ヶ月(というか2ヶ月)勉強してきた総決算なわけで、どうにか合格して次のコースに進みたいです。不合格の場合はまた40000円払って再度同じ授業を受けないといけないし、それは避けたい。。。拙ブログをお読みのみなさん、どうか、不肖わたしのために祈っておいてください。別に点数はどうでも良い。最低点でも良いので、パスできるように!!
そうそう、きょうも夕方7時頃に雨が降りました。夕立みたいな感じで、結構強くザーッと降るのだけど、30分〜40分くらいで止んでしまう。「雨が降ったからどうなんだ?」とお思いかもしれませんが、雨が珍しいと思うくらい降らなかったんですよ、こちらは。水不足問題もありましたしねー。写真で分かります? 濡れたベランダ。もうひとつは隣りのアパートです。
2007-08-26
とても魅力的だったりするスカーフの女性たち
2007.08.26 PM6:15
きのうは8月13日の突然休講を埋め合わせるため、土曜日にも関わらず授業がありました。試験前……ということでOkuma/読解やDinleme/聞き取りのテスト形式の授業。Okumaは20点と19.5点、Dinlemeは18点。試験の合格ラインは15点以上なので一応クリアしていますが、やっぱり不安です〜。
とか言いながら、授業のあとはANKAmallにある本屋さん・D&Rで本を2冊(読めもしないのにトルコ語本。1冊はリチャード・バックの『イリュージョン』トルコ語版、もう1冊はジャケ買いならぬ表紙買いしたトルコ人作家・Emine Ceylanの『Kis Yoluculug(冬の旅)』)、さらにDIESELでブルージーンズと白のコットンパンツを買っちゃいました(彼氏にも忘れられた誕生日を自分で祝うため、という言い訳もあることだし)。でも、indirim/値下げで安かったんですよー(再び、言い訳)。
夜は、寮のオーナー・Gelengul Hanim(ゲレンギュルさん)直々に「いっしょにご飯食べにいかない〜?」とお誘いがあり、マネージャー・Sevda Hanim(セブダさん)と3人でGelengul Hanimのお気に入り、という超シックなレストランに連れて行ってもらいました(わたしだけならゼッタイ行かないな、というような高級感漂うところ)。残念ながら、わたしとSevda Hanimは夕食を済ませていたためCay/チャイだけ、と言っていたのですが、結局はチーズケーキをいただくことに(うぉー、3日連続甘いもの攻撃だー)。とーっても美味しかったですけどね。
そのとき、Gelengul Hanimの話をいろいろ聞いたのだけど、この方はスカーフをかぶる……ということを毛嫌いしているタイプの方で、選挙でAKPが大勝し、大統領もAKPのギュルさんがなるだろうことを嘆いておられました。「トルコでスカーフをかぶるようになったら、わたしがトルコから出て行くわっ」と。昔のトルコはこんなじゃなかった……とも。個人的にはスカーフをかぶろうが、かぶろまいが、それは個人の自由として認められるんじゃないのか……と思うのですが、確かに数年前よりスカーフをかぶる“若い人”が増えたなと感じます。でも、スカーフをかぶりながら彼氏と手をつないで親しそうに歩いていたりもするし、電車でスカーフをかぶるお年寄りが隣りに立ったからと言って席を譲るわけでもない。もちろん、彼女たちだってフツーの女の子だってことは百も承知だけど、外見に表していることと行動が伴っていないような違和感を覚えることはあります。
わたしの解釈が間違っているかもしれないけれど、コーランには「慎み深く目を下げて、陰部は大事にしまっておき、外部(おもて)に出ている部分は仕方がないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には覆いをかぶせるよう。自分の夫、親、舅、夫の息子……(中略)、以上の者以外には決して自分のお宝を見せたりしないよう(以上、岩波新書刊・蒲生礼一著『イスラーム』より引用)」と書かれているのですが、別に「全身を覆え」という記述があるわけじゃない。また「そのほかの美しいところ」というのは「頸、胸、腕などのからだの部分で男性に対して魅力を発揮するような部分」を指すわけですが、“男性に対して魅力を発揮するような”ということで言えば、目を魅了的に見せるであろうアイメイクや、深紅のルージュはどうなんだ? と思うわけで、彼女たちを見ると信仰というより、もっとポリティカルなもの、政治的な主義主張をアピールしているように映ります。
これは、あくまでわたしの個人的な見解です。でも、宗教とはそもそも外に表すものではなく、内に発するものではないかと思います。外に向けてアピールするものではなく、内に向けて問うものではないかと思います。日々、内に投げかけ、内に問い、その結果として外(行動)に現れてくる……というなら分かりますが、どうもスタイルから入っている感じがしてしまうのです。まぁ、若いときというのは往々にしてスタイルから入りますけどね。髪を伸ばしてみたり、ジーンズを破って履いてみたり、目につきやすい、アピールしやすいファッションやスタイルから入る方が簡単ですから。
先日娘に会いに寮に来ていたお母さんは、とっても現代的な方でした。外見も、考え方も。でも、人との接し方にイスラームの良さのようなものを感じたし、実際は分からないけどNamaz/礼拝をはじめられたときも、自分のためにというよりは娘や息子たち、旦那さんのために祈っておられるような印象を受けました。そして、このお母さんの姿、信仰の仕方の方がすんなり納得できるような気がします。
んー、夕食を食べに行った話からえらくぶっ飛んでしまったなー。そんなこんなで昨日はほぼ勉強できずに終わったので、今日は1日寮にこもりきってました。でも、朝から何も食べずにいたので腹ヘリ〜ヘリ〜状態に陥り、さっき5時頃Otantik Kumpirというポテトレストランに出前を頼んでもらい(まだ電話でトルコ語は話せないー)Kumpir/クンピルというジャガイモにチーズを混ぜ込んでいろんな具(ピクルスやハム、オリーブ、コーンなど)をのせたものを食べました(写真)。超炭水化物補給。現在は、腹ハリ〜ハリ〜状態です(笑。
それと、最後の写真は昨日の夜のワンシーン。またまた30分ほどでしたが、強烈な夕立のような雨が降りました。夜だったため、分かりにくいですが、道路が濡れて反射しているのが分かるでしょうか? これ、アンカラに来てまともに降った3回目の雨です。黄色いのは通り過ぎるタクシー。
2007-08-24
確実に2キロは太ったな。
2007.08.24 PM10:30
いつもと変わらぬ金曜日。朝8時頃寮を出て、9時から授業。きょうは1時過ぎに終わってプラプラと寮まで帰ってきました。そう、いつもと変わらぬ金曜日。ただ、ひとつ違うのは〜、きょうはわたしの誕生ビー。ま、別にめでたくもないんですけどね、この歳じゃ。
それでも……と、Kizilay/クズライのSakarya/サカルヤ通りでたまたまHacioglu/ハジオウルというお店を見かけ、あ、ここはBaklava/バクラヴァのおいしーお店じゃなかったけ?と思い、自分への誕生日プレゼントにしようと思ったのですが……。外から眺める限りBaklavaらしきものが見当たらず、結局となりのKarakoy/カラキョイというお店で買いました(ガクッ・・・)。しかも、ここはBaklavaci/バクラヴァジュ(バクラヴァ屋さん)じゃなく、Borekci/ボレッキチ(ボレッキ屋さん)だったのですが。
量をどう指定して良いか分からず「これくらい」と手で示して(このお店の6個分)買おうとしたら、どうやらそんな少量で買う人がいないらしく、計量できない……。お店の女の子が困って、どうするのーとレジのおばさんに聞き、おばさんが「ハカン・ベイ(ハカンさん)が知ってるよ。ハカン・ベーイ、こっちこれるー? 上に上がって来て〜」と、どうやら階下にいるらしき男性を呼び、その男性がピピピッと計ってくれました。6個でしめて5TRY(きょうのレートで438円。1個73円。安ーッ)。12個買っても1000円未満。トルコじゃBaklavaは安いよ、とは聞いていたけど、これほどとは……。しかーし、こんなもの(写真)を日常的に食べていたら太るに決まってまーす(食べちゃったけど、ペロッと)。
実は、昨日は友だちと会っていっしょにお茶したのだけど、そのときに食べたケーキもでかかった。日本のケーキの3倍はあります。トルコのみなさーん、こんなのフツーに食べてたら、ぜぇぇぇったい太りますよー、と警告したいくらいの大きさでした(写真 ※食べかけでスミマセン。食べてから「あ、写真……」と気付いたもので・汗)。
↑ 上記、多少ヤケ食い気味です。というのも、誕生日というのに彼氏からひと言もなかったから。ちっ、忘れてやがる……と思いつつ指摘するのもイヤで黙っていたのだけど、日本時間の夜中に「まだ頭いたいの?」とメールが来たので「別に、頭痛いなんて言ってないよ。頭より心が痛いさっ」と返信したら、即電話がかかってきました。曰く「えー、28日だと思っていた、ごめんよー、ごめんよー」。・・・笑いました。らしいな〜と。こーいうアポ〜なところが彼らしい。許してあげましょう、今年は(つまり、来年忘れたり、間違えたりしたら覚悟しとけよってこと)。
2007-08-23
なんだ? 祭か? プロテストか?
2007.08.23 PM8:30
火曜日の夜の出来事です。何時くらいからでしょうか? たぶん夕方7時か8時くらいからだったと思います。寮の部屋で勉強していると、何やら外が騒がしい。車がやたらクラクションを鳴らしていたり、内容は分からないのだけどチャントのようなものを叫んでいたり。最初はサッカーの試合でもあって、興奮冷めやらぬ人たちが騒いでいるのかと思っていました。でも、調べてみてもサッカーの試合はやっていない。そもそも近くにスタジアムがあるわけではないので、このへんを歩くとも思えない。でも、騒ぎはどんどん大きくなっていくばかりで、そのうち警察も出動してきました。
で、何事?と思って夜10時頃外を眺めてみると尋常じゃない数の人たちが歩いている。車も大渋滞していて、なかには箱乗りしている男の子たちもいる。いくつかの車はボンネットにトルコの国旗を貼り付けている。旗を持って歩いている人もいる。んー、近くで夏祭りでもあったのかなー? にしても、声を張り上げて何かしら叫びながら歩くって、クラクションをバカバカ鳴らしながら街を流すって、どうも“お祭り”じゃない気がするなー。やっぱり何かに対するプロテストでもやってるのかなー? そう思いながら、一方で「うるさいなー」とも思ってました。でも、この騒ぎは一向に納まる様子もなく、夜12時を過ぎてもずーっと続いていました。静まったのは1時半くらいだったと思います。
昨日の夜も、同じようなことが起こりました。火曜の晩ほどの規模ではなかったけれど、やっぱり何かを叫びながらたくさんの人が通り過ぎて行く。んー、これはもう聞くしかないっ!
で、きょう寮のマネージャーに聞いてみました。
答えは「Asker」。つまりー、Asker/軍隊に入隊する人たちを送り出す儀式だったのです。通常、トルコでは入隊する青年たちを送り出すとき、こうしたお祭り騒ぎをやるのだそーで。
トルコ語の先生にも「軍隊に入隊する時は派手に送り出すんですよ」とは聞いていました。でも、それは送り出す家族とか親戚が集まって盛大に送り出すものだと思っていたのです。こんなふうに街中に人が繰り出して送り出すものとは思ってもみませんでした。もちろん、街中と言ってもアンカラ中というわけではなく、わたしが住んでいるエリアの話ですが。すぐそばにはAsti/アシュティや、Ulsoy/ウルソイというバスターミナルがあり、青年たちはここからAskerへと旅だっていくわけです。
いやー、しかしビックリしました。てっきりお祭りか、プロテスト行進みたいなものだと思ってたのに、Asker入隊の壮行だったとは。トルコでAskerがどれだけ重要な位置を占めているのか、ちょっと分かった気がします。そりゃー、スゴかったんですから。でも、家族や恋人、友だちと離れて少なくとも半年、満期なら1年半お務めするわけですもんね。送り出す方も気合いが入っているんでしょう。まだまだ観光者の域を出ないわたしですが、ちょっぴりトルコの中身を覗いたような気がしました。
でも、あと数日は続くらしいです、この儀式。。。おいおーい、こっちは月曜と火曜に試験なんだよー(と書いているいまも、若干バラララバラララ……とクラクションを鳴らす車が通り過ぎて行くー ToT);;; いや、分かってますけどね、わたしの試験と軍隊入隊の壮行は秤にもかけられないほど重さが違うって。でもぉ〜うるさいのよー。暑いから窓締められないしー。
※写真は寮のBahce/バフチェ(庭)でございます。緑がいっぱいで静かそうに見えますが、この5m先に道路があり、この道いっぱいに人や車が出てきて壮行の儀式をやっているわけです(3枚目、のんびりと猫が横切っていますが、その向こうに車が見えます。ここが道路です)。
2007-08-22
本日のオーレ・イェメーイ
2007.08.22 PM8:45
オーレ! と言っても、別にフラメンコではありません(くだらない・汗)。オーレ・イェメーイ=Ogle yemegi、トルコ語でお昼ご飯のことでーす。ついにネタが尽きたので(というか、ネタはあるのだけど、なかなか書く時間がなくて。気持ち的にも試験が近づいて来て余裕がないぞーっ・冷汗)。
きょうは授業のあと「将来、大統領になりたいんだ」という、エチオピア人の男の子といっしょにKolej/コレジという駅まで歩き、その後メトロでいつものロカンタ“Cinar alti/チナル・アルトゥ”へ。5日ぶりです〜(T_T)、ここへ来るのは。なるべく節約のためにスーパー調達物で簡単に済ませたり、シミッチで買ったシミットやポアチャで日々凌いでいるのですが、これが続くと心がサバサバになってくるもので。きょうはまともに食事しよーと行って来たわけです。
本日のメニュー☆
・Biber Dolmasi/ビベル・ドルマス(ピーマンの肉詰め 肉に紛れてちょっぴりお米も入っていまーす)
・Coban salatasi/チョバン・サラタス(トマト、キュウリ、青唐辛子を細かく切って合えたサラダ。本当はタマネギも入っているはずだけど、入ってなかった)右横にあるレモンを絞って、好みで塩をふりかけていただきます。
・タダのパン(2切れ)
・食後のチャイ
以上でしめて8.50TRY(本日のレートで733円なり〜♪ なんと、トルコリラが上がっている。17日には81円台まで落ちてたのに、きょうは86円台だー。なんだよー、5日で5円も上がってるじゃんよー。大統領選が終わるまでは低迷すると睨んでいたのに。手持ちの米ドルを換金するのもレートを見て、もうちっとリラが下がったら、下がったらと待っていたのに、上がってるじゃーん・泣)
……と話がそれましたが、以上でもうお腹パンパン。パンを食べたらパンパンになると(別にダジャレじゃないよ)分かっているのだけど、ビベル・ドルマスのソースが美味いもので、ついパンに手が伸びてしまい、結果「く、くるしい、、、」ということに。
で、きょうは食後、Demirtepe/デミルテペという駅まで歩き、Maltepe Camii/マルテペ・ジャーミーのまわりをブラブラしてから寮に帰ってきました。Demirtepeにあるのに、Maltepe Camiiとはこれ如何に?(というのも、Demirtepeの次の駅は、Maltepeなのです)……と思っていたら、Maltepeはより広い範囲を(地区?)を表す名称で、Demirtepeはその中の地名なんだとか。
で、写真を……と思ったのですが、うまく全体の入る場所がなくて。ミナレット1本だけ撮ってきました(太陽の光が入って、結構キレイ?)。木が生えてて写真だけ見ると雰囲気のあるジャーミーに見えますが、にぎやかな街中のジャーミーで写真の雰囲気とは全然違いますっ。ジャーミーのすぐ下には人口の滝が作ってあって、フードスタンドが広がってるし。まさしく、生活密着型宗教イスラームを体現しております!!!(意味が違うやないかいっ、というツッコミはやめてくださいね。ジョークですから・笑)。
2007-08-21
わたしは大好物なんですが……
2007.08.21 PM10:00
ただいま来週の試験に向けての追い込み中っ!! 宿題もたーっぷりあって、まったくネタの仕入れができていないのですが、きょうは先日の教室で出た“豚”ちゃんのお話をしましょー。
ご存知の通り、国民の99%がムスリムと言われるトルコでは、クルアーン(コーラン)で定められているとおり“豚肉(トルコ語でDomuz/ドムズ”は食べることを禁じられています。厳密に言うと「死肉、血、豚の肉、それから(屠る時に)アッラー以外の名が唱えられたもの」という記述があるので、アッラー以外の名において屠殺された場合は何肉であろうとダメなんですけどね。というのも、ムスリムたちは動物を屠殺する場合「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」頸動脈をざくりと切って屠殺することを掟としているので、この方法以外で屠殺された肉は豚肉でなかろうとイスラムの法には適わないですから(注1)。ちなみに、きちんとクルアーンにのっとって屠られた肉はHalal/ハラールと呼ばれています(日本でもイスラーム文化センターなどではハラールを販売しています)。
とはいえ、やっぱり豚肉を食べる文化圏の人からすると「なんで豚肉を食べないの?」というのが素朴なギモーンとして頭に浮かんでくるようで。個人的には食べようが食べまいが、それは個人の自由だからいいんじゃないの? と思っていますが、このときはウクライナ人の女性が「酒も飲むし、クルアーンで禁じられていることだってやってるくせに、なんで豚肉だけ食べないのよー」とまくしたてました。まぁ彼女の言い分も分からなくはないです。でも、習慣として食べないものを突然食べたくなるか?と言われたら難しいとも思います。だいたいトルコで豚肉を買おうと思ってもどこへ行ったら良いのか分からない。フツーに近所のスーパーに行ってもありませんから。クラスでも「トルコはそういう文化、宗教の国なんだから、それを“おかしい”というのは良くないんじゃないの?」的な反論が出ました。加えて、オーソドクス(正教会)派のエチオピア人、ルーマニア人たちが「わたしたちはイスラム教徒じゃないけど、わたしたちの宗教でも豚肉は忌避なのよ」……みたいな話が出て来て話はさらにややこしく……。
そんななか、みんなを黙らせたのはイラン人の男の子のひと言。「ボクは豚肉食べるよ〜。」
えーーーーー!!! みんな一斉に「でも、ムスリムじゃないのぉ〜?」と彼に注目。すると「食べるよ。だって美味しいじゃん。あんな美味いもの食べないでどうするんだよ〜」と。
わたしも、イラン人の彼はてっきり豚肉を口にしないと思っていました。なんてったってイスラーム共和制の国ですよ。イスラーム法が国法になっている国ですよ。女の子はサッカー観戦にスタジアムに行けない国ですよ(2006年ベルリン映画祭で銀熊賞&審査委員特別賞を受賞した映画『オフサイド・ガールズ』のイメージです ※注2)。……って、わたしも相当先入観強いな。
トメルで出会うイラン人学生たちは本当にフツーの若者(ラップが好きで、ファッショナブルで、いまどきの子)ですが、それでも豚肉は食べないと思っていたのです。でも、彼は食べる。あらためて、国で人を判断しちゃーいけないなーと思いました。「◎◎人だからこうだろう」というステレオタイプの枠の、なんと当てにならないことか。
とにかく、そんな彼のひと言で「どうしてトルコ人は豚肉を食べないのか?」というお題が吹っ飛んでしまいました。結局、国とか宗教とかじゃあないんだなー。そもそも育んで来た食文化だって異なるわけだけど、そのなかに考え方の違う人間がいて、宗教のとらえ方の違う人間がいるんだもんね。でも、それでいいんじゃないかと思います。特にイスラームは神と自分のあいだに何ものも介在しない宗教。あくまで神対自分なわけですから、豚肉を食べようが食べまいが、それはその人個人と神との間の問題なわけで。それにねー、人からものを盗んだり、罪のない人を殺したり、人々から搾取したり……そんなことの方が豚肉を食べるより、よ〜〜〜っぽど罪だと思いますけどね、わたしは。ま、これはわたし個人の考え方ですが。
注1:クルアーンの表記については、岩波新書版・蒲生礼一著『イスラーム』を参考にして書いています。
注2:「女性がサッカー観戦にスタジアムにいけない国ですよ」とイランのことを書いていますが、いろいろ調べてみると結構女性も行っているようです。実際に目にしたわけではないので断言はしませんが、この規則は有名無実化しているらしく、サッカーが好きな女性たちはあの手この手を使ってスタジアムに潜り込んでいるそうです。つまり、映画『オフサイド・ガールズ』は、イランのサッカー好きの女の子たちのフツーの姿を描いたもの、と言えるのかもしれません。
※写真に豚ちゃんをもってくると生々しいので自分で書いてみました。めちゃくちゃイラストレータ使いましたイラストでスミマセン。
2007-08-20
Borc/ボルチ(借金!!)
2007.08.20 PM11:25
(タイトル)……って言っても、わたしが別に借金して困っている〜(ToT); というわけではありません。
きょうは、トメルで学んでいて「なんで?」と思った素朴なギモーンについて書いてみたいと思います。というのも、トメルのテキストや配られるプリントの練習問題をやっていると、やたら“borc/ボルチ(借金)”という言葉が出てくるのです。練習問題に出てくるってことはトルコ人の日常において“borc”が当たり前のことなのかなー? 日常茶飯事というか、借金をする……というのは別に大問題でもなんでもなくて、すごーく気軽なことなのかなー? と思ったりして。
そりゃ、わたしだって友だちにお金を借りたことはあります。財布忘れたーとか、いっしょにご飯食べた時のワリカン時にたまたま大きなお金しかなくて後で払う、とかね。でも、それは借金って感覚より一時的に借りてるだけで、すぐ返すもの。借金という感覚とはちょっと違うような気がするのです。まぁ、日本にもATM感覚でお金が借りられる高利貸しのシステムがありますから、よその国のことをどうのこうのと言えた義理でもないのですけど。
でも、どーなんだろう? トルコで“借金”ってフツーのことなのかなー? もしかしたら単なる思い過ごしで、そもそもborc/ボルチ=借金という翻訳のニュアンスが違うのかもしれない。わたしと同じように“借金”とはまた違う、気軽な貸し借りのことをborcと言っているのかも。……と思ってトルコの諺を調べてみたら「買うことは簡単でも支払うのは困難なものである」「空腹であることは、借金をするより良い」なんてのもある。やっぱり、借金という行為は良いものとはされていないようだなー。
にしても、仮にもAnkara Universitesi/アンカラ・ユニベルシテシ(アンカラ大学)の管轄下にあるトメルで、やたら“borc”って言葉を使うのもどうかと思うけど。そーいうイメージが付いちゃうじゃん、トルコってそーいう国(借金が当たり前の国)なのかって。
そー言えば、友人から借金を依頼されたらどうしますか? ということについて教室で話もしたなー。貸さない、という人もいれば、困っている友人を助けるためなんだから貸すという人もいた。わたしは、貸すときは「あげても良い」という気持ちで貸します。反対に言えば「あげても良い」と思えなければ貸さない。冷たいかもしれないけど、それがわたしの基準ですね。
※写真は、現在の1トルコリラ札。すごーく珍しいので取ってあります。トルコでは1トルコリラとして紙幣とコインがあるのだけど、通常はコインが流通してて札の方は滅多にお目にかかりません。10年以上前の話ですが、アメリカでは1ドル札と1ドルコインがあって、圧倒的に札が流通していました。一度、コインのお釣りでもらったことがあって、別のお店で使おうとしたら“ニセ金”と思われて、アルバイトらしき店員が店長に確かめに行ってました。それくらいコインが珍しかったんですけどね。
2007-08-19
忘れてたっ!
2007.08.19 PM6:20
そうそう、忘れてました。日本時間ではもう19日は終わっちゃったけど、トルコではまだ夕方ってことで。
きょうは、わが愛すべき姪っ子・夏空(そら)ちゃんの誕生日でしたー(写真左/妙にわたしの幼い頃に似ているため、行く末がちょっぴり不安。右はわんぱく兄ちゃん)。きょうで満1歳でございますー。前に会ったとき(トルコに来る前だから6月中旬)はやっと寝返り(仰向けから下向きになるだけの一方通行)ができるようになったかな……という程度だったのに、いまではもうハイハイして徘徊しまくりらしいです。つかまり立ちもできるとか。もしかして、次に会う時は歩いてたりしてっ!
子どもを見ると、その成長の早さに愕然とします。こちらは20歳くらいからたいして成長しているとも実感できないでいるというのに、子どもたちは目の前でどんどん大きくなっていく。目に見えて成長していく。で、そのうち追いつかれるというか、ヤツらが20歳くらいになったときには完全に追い越されちゃってるんだろうなー、いろんな意味で。でも、ひとつでもヤツらにできなくて、わたしには出来るぞ!! ……と誇れるものがあるように、やっぱりトルコ語がんばろーっと。
すみません、超わたくし事で。一応、誕生日だったので記録に残しておこうかと。そういう、わたしの誕生日もまもなく。単にひとつ老いるだけで、たいしてめでたくもないけれど。
坂の上の……バフチェリエブレル
2007.08.19 PM3:45
日曜日。勉強する気にもなれず、ふたたび寮の近くの坂の向こうにあるBahcelievler/バフチェリエブレルと呼ばれる地区を歩いてきましたー。前回は、照りつける太陽&あまりの坂道に途中でギブアップ。今度こそは……と意を決して出かけたわけであります。
一応、坂を写真で撮ってみましたが分かっていただけるでしょうか、この坂道加減。撮影地点も結構な坂なのですが、その先でグググッと上に伸びているの、分かりますか? 角度にすれば20度くらいのものなのかもしれませんが、スキーでも20度の坂って結構怖いでしょう? その反対を歩いて上るわけで、5分も歩けば息が上がってきて挫けてしまうのですが、きょうは頑張って制覇しました。
その先に広がるのは〜、Bahcelievler/バフチェリエブレル地区、Askabad Caddesi/アスカバッド大通り〜♪ この通り、歩いているだけで楽しかったです。寮の近くのBiskek Caddesi/ビシケック大通りもお店は建ち並んでいるのですが、基本的にロカンタやレストランなどの食べ物屋さんばかり。その先に続くのは中古車販売店ばかりで面白くなーい。でも、Askabad Caddesiにはロカンタあり、カフェあり、Maviなどの洋服屋さんもあって歩いているだけで楽しー。ここに行けばある……と聞いていたKahve Evi/カフヴェ・エビという喫茶店に行くつもりでしたが、結構お客さんが多くて断念。スタバもあったけど、トルコでスタバに入っても面白くないし……と、チラッと見かけた2階のカフェへ……。入ってみるとお客さんは1人もいず、「あのー、やってるんですかぁ?」と恐る恐る。でも、お店の人(ご夫婦)はとても気さくな方で、窓辺に座ってのーんびり過ごすことができました。
そして、メニューを見ると、な・なんと“Nargile/ナルギレ(水タバコ)”が〜〜〜!!! ひとりでやるのもどうかいな?と思いつつ、誘惑には勝てず「ひとりでやるって変ですか?」とお店の人に聞いたら「いやいや、大丈夫ですよ。何がいいですか?」なんて言われたもんで、調子に乗ってElmali Nargile/エルマル・ナルギレ(リンゴフレーバーの水タバコ)をいただきましたー(2枚目の写真)。客がわたし1人だったので、最初はお店の方と談笑しながら。奥さまに「日本のテレビシリーズで好きなのがあるのよー」と言われたので「どのシリーズ?」と聞いたら「サムライの」と言われて??? さ、サムライ? しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん……でもやっていたのか? でも、よーく聞いたら“おしん”でした。トルコでもやっていたのねー。ビックリー。
その後、ご夫婦+娘さんのファミリーが来店。このご夫婦の目的もどうやらNargile/ナルギレ(水タバコ)だったようで最初はElmali/エルマル(リンゴフレーバー)を注文されていましたが、お店の人のおすすめはNaneli/ナーネリ(ミント)で、結構熱心にその良さを解いておられました。わたしも今度はNaneli/ナーネリにトライしてみようっと。その後、やたらイチャつく目に毒なカップルが来て、完全にふたりの世界〜♪を作っておりました。ずーっと寄り添って携帯のカメラで自分たちを撮ってはウキャキャウキャキャとはしゃいでいる。ふーん、こちとら一人だもんねー、と拗ねつつNargileを一服、さらに一服。さらに女性のふたり連れが入って来たのを機に、こちらも1時間以上窓際の席でのーんびりとしていたのでお店を後にしました(3枚目がお店の外観。2階から道ゆく人を眺めているだけでのんびりできました)。マスターのハカンさんには「早く帰るねー。もうちょっといたら?」と言われましたが。でも、また必ず行くと思う。来週末は試験前だけど、煮詰まったらこのカフェまで足を伸ばしてのんびりさせてもらおうっと。
帰りは坂をひたすら下る、下る、なのでラクと言えばラクですが、急な坂道は上るのも下りるのもたいへん。しかも、トルコって1ブロックが大きいのですよ。なんかアメリカのソルトレイクシティーを思い出すな、この区画のでかさは。しかも道の片側は国立図書館とか、何やら国の施設らしきものが立ち並んでいるのですが、この区画がやたらでかい(4枚目の写真)。狭い所にコチョコチョと住んでいる日本に慣れ親しんでいるわたしにとって、この大きさにはちょっと辟易します。日本の倍以上の国土があって人口は半分というトルコ。土地があると、こーいうことになるんでしょうか?
2007-08-18
トルコじゃ1円に価値はないのか?
2007.08.18 PM11:30
きのうは同じ寮に住むトルコ人学生のお母さまが来られ、お土産に……と手作りのCikolatali kek/チコラタル・ケク(チョコレートケーキ)とリンゴ入りのパイ、それから“お家の庭で採れた”という桃と葡萄をいただきましたーっ(写真/色が悪いですが、めちゃくちゃ美味しかったですー。桃なんてスーパーで買ってくるものより数段美味しかったっ!!!)。しかーし、お家の庭で桃や葡萄が採れるって、、、どんなお家なんだろう?
きょうは、そのお母さまがNamaz/ナマズ(礼拝)するところも見学させてもらいました。口をゆすぎ、顔を洗い、頭も清め、手足も洗って準備完了。寮のお部屋に敷物を敷いて、長袖のジャケットを着、頭もスカーフがなかったのでブランケットで巻いて、お祈り開始〜♪ 娘の方は「やったことない」と言ってましたが。Ramazan/ラマザンのOruc/オルチ(断食)も「やったことない」……と言いつつ、お母さまが礼拝されているあいだタバコを吸いながら待ってました。
彼女たちはきょうANKAmall/アンカモールという巨大ショッピングセンターにお買い物に行く〜♪ ということで、わたしも誘われましたが、宿題の作文もまだ書いていないし、何より親子水入らずに水を差すようで丁重にお断りしました。その後、お腹が空いたな〜と近所のスーパー(きょうはBIM)へ。1.5リットル入りの水とアイラン、お菓子2つを買ったら合計1.87TRY(きょうのレートで152円!!! 安っ! ※写真がきょうのお買い物とレシート)でしたー。いまだ日本感覚が抜けず、だいたい300円くらいかなーと、これでも安めに考えていたのですが。152円とはお見それいたしました……でした。その後、いつものCitir Simitでサンドイッチ(写真)と葡萄入り?というポアチャを買ってこちらは2.50TRY(きょうのレートで203円なり〜)。きょうは355円しか使いませんでした。
※ちなみに、トルコでは総選挙が終わって以来レートが下がり続けております。一時は1TRY=96.877円まで上がっていたのに、その後は下降の一途をたどり、一昨日には80.455円まで下がってました。わずか1ヶ月で5円以上下がってるぞー。大丈夫かっ!トルコっ! あぁ、でも日本も株価などは激下がりしてますけどねー。
ところで、トルコのスーパーなどでお買い物をすると0.04TRY以下の端数はくれなかったり、あるいは切り上げて0.05TRYのお釣りをくれたりします。これって不思議ー。日本ならきっちり1円、最小単位までくれますが、こちらではそのへんが超テキトー。たとえば1.87TRYのお買い物をして2TRY出すとするとお釣りは0.13TRYですが、0.10TRYをくれたり、0.15TRYをくれたりするわけです。これはタバコや新聞を売っているスタンド、小さなお店などでも同じ。トメルのビルにあるカフェでも小銭がなかったりして1.50TRYのところ「1.40TRYしかないから……」と5TRY札を出そうとすると「これでいいよ」と簡単に0.10TRYくらい負けてくれます。
小さなお店なんかは店主の裁量次第でしょうから良いとして、スーパーなんかじゃPOSシステムで「ピッ、ピッ」とやっているのに、いざお釣り……となったら0.40TRY以下はテキトー。売り上げ金額をどうやって合わしているのだろう?と疑問です。そのへんがいかにもトルコらしいな、とも思いますが。
さぁ、きょうは作文も書けたし、あしたはどこかに出かけてみよー(また、坂道を上り下りしながら、近所探索ですっ!)。
2007-08-17
ここはホルモン屋だったのか?
2007.08.17 PM7:20
そー言えば、昨日は京都五山の送り火だった……と気付き、「ほぼ日」の五山中継をちょっと見てみたりした今朝でした。
さて、きょうは〜授業の帰りに、お気に入りのロカンタへ行って“きちんとした食事”を摂ったので、とぉ〜ってもゴキゲンですっ! これまでにもブログに登場しているこのロカンタ。やっと名前が分かりましたのでご紹介します。
Cinaralti/チナル・アルトゥ(プラタナスの木の下)というのが、ロカンタの名前。
お店のサブタイトル?として、iskembe ve Lokantasi(イシケンベ〈胃袋〉と大衆食堂)と付いているので、イシケンベ(たぶんイシケンベ・チョルバス)が有名なのだと思います。知らなかったー。
イシケンベ・チョルバス、というのは子牛の胃袋を使ったスープで超絶品。これまでクラスで内蔵系の料理の話が出ると、ロシア(ウクライナなどの旧ロシア圏を含む)の子たちは一様に顔をしかめていたけど、こちとらホルモンのある国の人間ですから、ヘッチャラ。……というか大好物です、このチョルバ。内蔵スープですから健康に良いのはもちろん、お酒を飲んだ後なんかトルコではよく飲まれているようです(二日酔い防止にもなる)。確か、韓国にもお酒を飲んだあとに最適!という内蔵スープがあったと思うけど、、、名前は忘れちゃったなー。
このほかにも、このCanaralti Lokantasi/チャナル・アルトゥ・ロカンタスにはTuzlama/トゥズラマ(塩漬けしたラマの胃袋〈…だと思われる〉を使ったスープ)、Kelle paca/ケッレ・パチャ(どうやら脳味噌を使っているらしい)など、内蔵系スープがオンパレード。きょうは給仕のおじさんと話ができたのでお願いしてお店のリーフレットと店舗カード(※写真/店舗カードは裏がカレンダーになっている)をもらってきたのですが、な、なんと24時間営業でした。夜になったら酔っぱらったおじさんたちが、イシケンベを飲んでいるのだろうか??? 見てみたい気もするけど、そんなとこにはゼッタイひとりで入れないだろうなー。
なんて書くと、ゲテモノ・ロカンタみたいに聞こえるかもしれませんが、Ev yemegi/エブ・イェメーイ(家庭料理)や、ケバブ、ピデ(トルコ風ピザ)、Tatillar/タトゥルラル(スイーツ)もあって、ホントに美味しーです。まだスイーツは試していませんが、きょう食べたジャジュック(以前にも登場したキュウリ入りヨーグルトスープみたいなもの ※でもトルコではスープに分類されないみたい)、ファスリエとパトゥルジャン、トマトの煮込み(豆と茄子とトマトの煮込み)、サーデ・ピラーウ(普通のピラフ)は全部おいしかったーっ! きょうはピラーウを注文したのでパンを食べたらお腹いっぱいだな……と思いつつ、煮込みのスープが美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまいました。この写真、撮りたかったのですが携帯電話のバッテリー切れで……orz
ロカンタの所在地はG.M.K.(Gazi Mustafa Kemal) Bulvari No.93-A, Maltepe, Ankara でございます。出前あり。使ったことはないけどカード支払いもOKのよう。クズライからもアンカライに乗れば2駅なのでスグ(歩こうと思えば歩ける距離。坂道もないし)。お近くにお寄りの際はぜひっ。
……と満腹&満足で幸せ〜♪ と寮に帰ってきたらいつも日本との通話に使っているSkypeが不具合により使用不可。昨日もログインできなかったのに、まだ直っていないみたい。いったい何が起こっているんだーっ! せっかくの幸せ気分が20%減。明日、明後日は休みだけどー、宿題がたくさーん出たのでがんばりまーす。再来週は試験だしー。幸運の神様に恵まれるよう、一応自分でも努力しておこうっと。
2007-08-15
Carsamba(水曜)だけどCuma(金曜)
2007.08.15 PM9:30
先週の火曜日から寮のマネージャー(オーナーではなく、寮の統括責任者みたいな感じ)が夏休みで里帰りされたため、寮の管理のためにTemizlikci/テミズリックチ(寮のお掃除をしてくれる女性)の方が1週間、寮で寝起きされました。
彼女には2人の子どもがいるのですが、旦那さまはバスの運転手で始終イスタンブルだ、ボドルムだ、と遠出されるため、子どもたちもこの1週間彼女とともに寮に滞在しました。お姉ちゃんは中学生(今度から高校かな?)、弟は10歳の小学生。ふたりともお母さんに似て美人&美少年で、めちゃくちゃ可愛いーのです、これが。「宿題を手伝ってあげるよー」と寄って来たり、一緒にご飯を食べようと誘ってくれたり。お姉ちゃんの方はお母さんのお手伝いで寮内のお掃除もよくしてました(エラいっ)。弟の方はYaramaz/ヤラマズ(いたずらっ子)でしたが、お母さんやお姉ちゃんに怒られるとすぐ泣き出してしまうアカンタレでもあったりして。とはいえ、友だちもいない寮で過ごすわけですから、子どもたちにとっては退屈だったはず。そこで、わたしのMacを貸してあげたりするうちにどんどん仲良くなり、最近では直接部屋に訪ねてくるようにもなっていたのですが、マネージャーが帰ってくるため、きょうでお別れ。2人にとっては家に帰れるわけだし、友だちのいない退屈な日々から解放されるわけですから喜ぶべきことですが、こちらはせっかく仲良くなったのに……と、ちょっと淋しいです。
でも、お姉ちゃんは「この本おもしろいから読んでみて」と、Uyku istasyonu/ウユク・イスタスヨンヌ(眠りの駅)という本を貸してくれました。弟も、最後に部屋に遊びに来て、ちょっとボクシングの真似事をして遊んでみたり。そのときに折り紙の手裏剣をあげたら結構喜んでくれました。一応、折り方も教えたけど覚えてないだろうなー。
この弟くん。名前をCuma/ジュマ(金曜日)と言います(写真)。今週の金曜日にはSunnet Dugunu/スンネット・ドゥーウヌ(割礼式)を迎えるそうです。トルコでは男の子は割礼をして正式なイスラム教の一員となる(まぁ、大人になるってことなんでしょうか?)ようで、とても重要な儀式です。Ulus/ウルスの街を歩いていると、割礼式用のキラビやかな衣装がウィンドウに並んでいますが、ジュマもこんなのを着るんだろうなー(写真)。でも、痛いんだろうなー。でもって、ゼッタイ泣くんだろうなー(今回、寮に滞在した1週間でも、何度泣いているのを見たことか。お調子者のくせに、すぐ泣くんです。それがカワイーんだけど)。
「また、おいでねー」と言って別れましたが、学校が始まるとそうそう来れないと思う。でも、帰るまでに、ぜひもう一度会いたいなー。ジュマ(金曜日)と別れたCarsamba(水曜日)。なんとなく切ない気分になってしまいました。
2007-08-14
トマトと、タマネギ。
2007.08.14 PM4:30
突如の休講でお休みとなった今日は、スーパーでタマネギとトマト、パンを買って来て自分でサンドイッチを作って食べました。
タマネギは薄切りにしてSumak/スマックというスパイス(赤紫色で、ちょっと酸味のあるスパイス。Ruhという木の実を乾燥させてつぶしたものらしい)を揉み込むようにまぶしてサンドイッチの具に。これ、おいしくて大好物です。日本では見かけないスパイスなので、ぜひ買って帰ろうと思っています。
ところで、ビックリ! タマネギ小4個で0.25TRY(きょうのレートで23円)、トマト中6個で0.56TRY(きょうのレートで51円)。や、安いっ。今ごろ気づくわたしもわたしですが、安いっ! リンゴやバナナを買った時はそこまで安いっと思わなかったので、野菜も似たようなもんなんだろうなと思い込んでいました。
それに外食すれば日本とそれほど変わらない感じだし、カプチーノはだいたい400円〜650円、コーヒーは350円〜500円くらいだからトルコも日本並みね、、、と思っていたのです。先日なんて、あるカフェに入ったらネスカフェが350円くらいでメニューに載っていたのでぶっ飛びました。ネスカフェですよ、ネ・ス・カ・フェッ。インスタントのお湯を注げば出来上がるようなコーヒーをフィルターコーヒーと変わらないような値段で売るなんて、信じられなーい。でも、これが“コーヒーと言えばネスカフェ”だったトルコの名残なのかもしれません。※フィルターコーヒーを出していないお店でコーヒーやカプチーノを頼むと、インスタントでお値段も300円はします。
話が横道にそれましたが、お家で料理して生活すれば、トルコでの暮らしはもっともっと倹約できそうです。わたしは残念ながら寮暮らしなので自由にキッチンを使って……というわけにはいきませんが(ここはozel kiz ogrenci yurdu/個人経営の女子学生寮なので、料理はお金を取って出しているのです。いまは夏休みで学生がいないので、こっそりキッチンを使っていますが)。
あぁ〜、きのうときょうは突然の休みで、金曜日から数えると実質5連休。なんだかトルコ語が頭のなかから消えていく〜(汗。
※写真はきょう買って来たトマトとタマネギ、トマトのバーコード。そしてSumak/スマックの木(Wikipediaから)
2007-08-13
閑静な住宅街
2007.08.13 PM1:00
少し寝坊してしまった今朝。心持ち急いでトメルに行きましたが、先生がいつまで待っても現れません。結局、1時限終わっても先生が現れず「なんだ?」と思ってクラスメートとともにトルコ語クラスの事務所を尋ねると「あぁ、きょうはトルコに奨学金留学する生徒たちの試験があるのよ。だから、、、『あなたの名前は?』『Yukari Yasudaです』『あぁ、あなたはきょうと明日休みね』……」という説明が。。。えー? なんで? せっかく来たのに。
先週の金曜日はトメルの入っているビルで問題があって急遽休みに。そしてきょうは何の事前連絡もなく突如休講。しかも1時間待ったあと、こちらから聞きに行って初めて休講と分かるなんて!! 休講なら休講で教室のドアに連絡事項を張っておくとか、朝一番に先生がやってきて事情を説明するくらいできるだろうに。説明に来た先生は「ごめんなさいね。突然決まったのよ」と言っていたけど、突然でも何でも生徒が聞きにくるまで何もしないのはおかしくなーい?
以前、トメルに留学していた知り合いのおじさんが「突然休講になったり」「連絡事項を先生が口頭で伝えるため、うまく伝わらなかったり」でトラブったことがある、とおっしゃっていたけど、いま「こーいうことなのね」と分かりました。最初の1ヶ月は何の問題もなかったので意外と大丈夫じゃん、と思っていましたが。金曜日のビルのトラブルは“事故”みたいなものだから仕方ないとして、きょうのは事前に防げた話なのに。ま、いまさら言っても仕方ないけど。
というわけで、きょうと明日は突然の休暇になりました。とはいえ、他にすることがあるわけでもなく、ブラブラー、だらだらー、ときどき勉強……で終わってしまうと思います。なので、ふだんはKizilay/クズライからアンカライという地下鉄に乗って帰ってくるのですが、きょうは2駅歩いて、友だちの家の近くを歩いてきました。
それがこの写真。アンカライのDemirtepe/デミルテペ駅の近くで、大通りは車も人通りも多いけれど、Sokak/小通りを入れば閑静な住宅街。想像以上に静かです。そして、ベランダ好き、テラス好きのトルコ人は、写真のようにパラソルで日よけをしてベランダやテラスで時間を過ごしています。わたしが通ったのはちょうどお昼くらいで誰もいなかったけれど。でも、大通りから小通りを入るとスゴい坂。上るのも下りるのもたいへんですが、アンカラ中こんな感じで、健脚でないと暮らせません(きょうも、年老いたおばあさんが大きな荷物を背中に担いで坂道を上っておられました)。
きのうも寮の近くをブラブラしよう……といつもは行かないエリアを探索してみたのですが、ものすごぉぉぉぉぉい坂が目の前に広がって挫けました。なんと説明すればよいでしょうか。たとえば大阪や京都でこんな坂はお目にかかりません。峠でもないのに、峠レベルの坂がどどどぉぉぉーんと、しかも延々と続いていてジリジリ照りつける太陽の下を歩くのは至難の業。坂道ばっかりで、上っては下り、上っては下りを繰り返すので実際に歩いている距離の倍疲れます。かと言って、寮にこもりきりは精神的に疲れるし。あしたは何をしよーかなー???
2007-08-12
いろいろ考えた日曜日
2007.08.12 PM9:30
きのう、友だちが兵役義務に就くためにアンタルヤに向けて旅立ちました。
きょうは、学校の宿題で「もし、将来有力で権威ある者のひとりになったら、まず最初に国のどの問題を解決したいと思いますか? なぜ?」の問いに答える作文を書きました。“将来”では間に合わないけど、いま何かできるとしたら憲法改正の動きを押し止め、これまで誇りにしてきた平和憲法を守りたい、それがわたしの書いたことです。
それから何となく気になっていろいろ調べていたら、こんなものが見つかったので転載したいと思います。非営利的使用で、著作権関係を明記すれば転載できると書いてあったので。ちょっと長くなりますが、ぜひぜひ読んでください。
「戦争のつくりかた」
あなたは戦争がどういうものか、知っていますか?
おじいさんやおばあさんから、むかしのことを聞いたことがあるかもしれません。学校の先生が、戦争の話をしてくれたかもしれません。
話に聞いたことはなくても、テレビで、戦争している国を見たことなら、あるでしょう。
わたしたちの国は、60年ちかくまえに、「戦争しない」と決めました。だからあなたは、戦争のためになにかをしたことがありません。
でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、戦争しないと決めた国も、戦争できる国になります。
そのあいだには、たとえば、こんなことがおこります。
わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、武器を持ってよその国にでかけるようになります。世界の平和を守るため、戦争でこまっている人びとを助けるため、と言って。
せめられそうだと思ったら、先にこっちからせめる、とも言うようになります。
戦争のことは、ほんの何人かの政府の人たちで決めていい、というきまりを作ります。
ほかの人には、「戦争することにしたよ」と言います。時間がなければ、あとで。
政府が、戦争するとか、戦争するかもしれない、と決めると、テレビやラジオや新聞は、政府が発表したとおりのことを言うようになります。政府につごうのわるいことは言わない、というきまりも作ります。
みんなで、ふだんから、戦争のときのための練習をします。なんかへんだな、と思っても、「どうして?」とは聞けません。聞けるような感じではありません。
学校では、いい国民は何をしなければならないか、をおそわります。どんな国やどんな人が悪者か、もおそわります。
町のあちこちに、カメラがつけられます。いい国民ではない人を見つけるために。
わたしたちも、おたがいを見張ります。いい国民ではない人がまわりにいないか と。
だれかのことを、いい国民ではない人かも、と思ったら、おまわりさんに知らせます。おまわりさんは、いい国民ではないかもしれない人をつかまえます。
戦争が起こったり起こりそうなときは、お店の品物や、 あなたの家や土地を、軍隊が自由に使える、というきまりを作ります。
いろんな人が軍隊の仕事を手伝う、というきまりも。
たとえば、飛行機のパイロット、お医者さん、看護師さん、トラックの運転手さん、ガソリンスタンドの人、建設会社の人などです。
戦争には、お金がたくさんかかります。
そこで政府は、税金をふやしたり、わたしたちのくらしのために使うはずのお金をへらしたり、わたしたちからも借りたりして、お金を集めます。
みかたの国が戦争するときには、お金をあげたりもします。
わたしたちの国の「憲法」は、「戦争しない」 と決めています。
「憲法」は、政府がやるべきことと、やってはいけないことをわたしたちが決めた、国のおおもとのきまりです。戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです。
そこで、「わたしたちの国は、戦争に参加できる」と、「憲法」 を書きかえます。
さあ、これで、わたしたちの国は戦争できる国になりました。
政府が戦争すると決めたら、あなたは、国のために命を捨てることができます。
政府が、「これは国際貢献だ」と言えば、そのために命を捨てることができます。
戦争で人を殺すこともできます。
おとうさんやおかあさんや、学校の友だちや先生や、近所の人たちが、戦争のために死んでも、悲しむことはありません。政府はほめてくれます。国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから。
人のいのちが世の中で一番たいせつだと、今までおそわってきたのは、間違いになりました。
一番たいせつなのは、「国」になったのです。
もしあなたが、「そんなのはいやだ」と思ったら、お願いがあります。
ここに書いてあることがひとつでもおこっていると気づいたら、おとなたちに、「たいへんだよ、なんとかしようよ」と言ってください。
おとなは、「いそがしい」とか言って、こういうことになかなか気づこうとしませんから。
わたしたちは、未来をつくりだすことができます。
戦争しない方法をえらびとることも。
「戦争のつくりかた」文:りぼん・ぷろじぇくと
絵:井上ヤスミチ 氏
=「戦争のつくりかた」の著作権について=
「戦争のつくりかた」の著作権は、りぼん・ぷろじぇくと、及び井上ヤスミチ氏に帰属します。版権は株式会社マガジンハウスに帰属します。
友だちは兵役とは言え、結局アンタルヤのジャンダルマ(内務省に所属し、国境警備・国内の治安維持・主要施設の警備・交通取締りといった“警察任務”を主体とする組織。一方で軍事組織としての性格を併せ持ち、機関銃・迫撃砲・対戦車ロケット砲などの重火器も保有〈戦車、装甲車は不保有〉。有事にはトルコ陸軍の指揮下にはいる ※以上Wikipediaより抜粋)へ。陸軍とかじゃなくジャンダルマで良かった、というのが正直な思いですが、それでも親しい友だちが兵役に就くという事実を受け止めるのが難しく、心は落ち着きません。トルコ国民ではない私が、トルコの兵役システムについてどうこう言う資格はないかもしれませんが、日本のことなら言えます。わたしは、心から「憲法第9条を世界遺産に」してほしいです。「違法に押し付けられた憲法をありがたがっている」と言われようと「軍事アレルギーだ」と言われようと、世界中探したって、こんなに素晴らしいものはないのだから(あ、コスタリカにはありますね)。充分、世界遺産に匹敵すると思います。戦争をしない、戦力をもたない、というのは自衛を放棄するものなんでしょうか? 国際社会における責任放棄になるんでしょうか? でもそれは何のための、どんな責任?なんでしょうか。
※写真は上から絵本『戦争のつくりかた(マガジンハウス刊)』、『世界がもし100人の村だったら』でも知られるC・ダグラス・ラミス氏の『日本は本当に平和憲法を捨てるのですか?(平凡社刊)』、そして太田光と中沢新一の対論集『憲法九条を世界遺産に(集英社新書)』
2007-08-11
Kandil と Cagri
2007.08.11 PM3:30
タイトルは「カンディルとチャウル」と読みます。
そうそうそうそう書くのを忘れていました。昨日の夜はKandil/カンディルと呼ばれる日でした。寮のお掃除とかをしてくれるTemizlikci/テミズリックチのノリエ・ハヌムと、寮の女の子がひとしきり話したあと「ムバレッキ・オルスン!」と言っていたので、「なあに、それは?」と尋ねると「あぁ、きょうはトルコでKandil gunu/カンディル・ギュヌなの。きょうはMirac/ミラチ(昇天)ね。このほかにもBerat/ベラットとか、いろいろあるのよ。何だったっけ・・・、ノリエ・アブラー(ノリエ姉さん)、Kandilには他に何があったっけー?」と聞きながら教えてくれました。
その後、じぶんでも調べてみたら1年のうちに5回、聖なる5夜と言われるKandilがあることが分かりました。イスラムは太陰暦なので、毎年この日も変わるのですが、今年は
3月30日の夜〜31日の朝がMevlid Kandili
メヴリド・カンディリ(予言者ムハンマドの誕生日)
7月19日の夜〜20日の朝がRegaib Kandili
レガイブ・カンディリ(予言者の母が妊娠した日)
8月10日夜〜11日の朝がMirac Kandili
ミラチ・カンディリ(ムハンマドが昇天した日)
8月27日の夜〜29日の朝がBerat Kandili
ベラット・カンディリ(免罪の日)
10月8日の夜〜9日の朝がKadir Gecesi
カディル・ゲジェシ(予言者により最初にコーランが読まれた日。
ラマザンが始まって27日目の夜)
になるのだそうです。で、「Mubarek olsun/ムバレッキ・オルスン」と言ってお互いを祝いあいます(ムバレッキ・オルスンは「神聖でありますように」というような意味なので、聖なる夜に神聖でいることができますように、信心深くいられますように、ということなのでしょう。
そして、そのKandilの晩23:50分からKanal D(Dチャンネル)で放送されたのが「Cagri/英題The message」というムハンマドの生涯を描いた映画。トルコではこの時期になると必ず放送されているそうです。これ、日本でもDVDが出ていますが、調べたら希少なのかAmazon.co.jpで中古で19800円でした(高ーいっ)。ちなみにムハンマドの生涯を描いていますが、ムハンマドも容姿を描写することができないため作中は声のみ、という出演です。でもぉ〜喋っているトルコ語も理解できないし、30分くらいでギブアップして寝ました。帰国後DVDが見つかったら見てみようと思います。
※写真はカードサイトから拝借しました。
Knockin' on the dorm's door
2007.08.11 PM2:30
きょうのお昼、やっと念願の部屋の扉がつきましたーっ!!! …といってもまだ扉が付いただけで、扉の取手もないし、鍵も締まらず、ドアのまわりはコンクリートや発砲系の材料がむき出しですが。それでもドアが付いただけでもウレシーッ!!!
最初の写真はトイレ&お風呂ルーム、2番目ははめ込まれたドアの周りの状態、3番目手前がわたしの部屋、奥がトイレ&お風呂ルームです。扉は付きましたが現在定着させるために横木がはめ込まれていて、寮の子は「プリズン・ブレイク状態やな〜」と言ってます。
思えば、ドアがなくなって2週間(7月28日の日記参照 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=511712123&owner_id=8479773 日記は28日ですが、こちら時間で27日の夕方、寮に帰って来たらドアがなくなってたんですよねー)。いつ付くのか? の問いに翌週の月曜日には付く、とオーナーが言っていたのに付かず。その後、3日金曜日には付くよ、と言われていたのに付かず。それから丸々1週間経ってやっとやっとここまで来ましたーっ。
水はない。ドアはない。。。のナイナイ生活も、ひとまずここで一段落。たぶん来週には落ち着くでしょう。
ところで、問題続々勃発のトルコ留学ですが、今朝寮の女の子と話していたら「アンカラでこんなことになったのは初めて」と言っていました。彼女の人生(22年間。ただし大学入学前はKaradenizのBartinという街に暮らしていた)においても、断水するなんていうのは初めてらしいです。「小さい頃、電気はときどき切れたけど大きくなってからはそれもないし。こんなことあり得ない。信じられないっ」というのが彼女の言葉。つまり、今年は異常事態なわけです。暑いだの、水がないだのと、日々不満を書き綴ってきましたが、たまたま異常気象が到来したトルコに滞在しているから。誤解しないでくださいねー。
先日、日本からやってきた友だちからも、マラトヤでは「これぞっトルコ!」のホスピタリティーに包まれて過ごしたと報告がありました。日本大好き!女子中学生と出会ったらしく、彼女の家にお邪魔して晩ご飯もご馳走になったとか。案の定、泊まって行けと言われたらしいですが、見ず知らずの方にそこまでお世話になる訳は……と辞退したそうです(もちろん、泊まっても問題なかったと思いますが。ここまでもてなすのがトルコ流だし)。
わたしも、ラマザン終了後のシェケル・バイラムにはぜひ来てねっ、とカイセリから来ている女の子に招待されています。まだ行けるかどうか分からないけど、何も予定が入らなければ彼女の実家にお邪魔しよーかと思ったりして。
ではでは、きょうはこれまで。日本も猛暑到来で最高気温を更新しているようですが、みなさまくれぐれも体調を崩されませんように! アンカラは本日35℃。でも京都は37℃とか言ってるし。兵庫県の豊岡市では38.6℃!!だしっ。Kendinize iyi bakin!!
2007-08-10
紙皿とプラスティックスプーン
2007.08.10 PM4:30
アンカラの水不足に対応するため市内では断水を始めていますが、このローテーションがいまいち理解できていません。始まった時は2日断水、2日使用可能、2日断水……になると聞いていましたが、その後3日に変更されたとトメルの先生から聞きました。
そうなると、本来昨日はわたしの住んでいるエリアでも断水が始まるはずでしたが寮では問題なく使えたのです。何故? でも、寮の近くにあるロカンタにお昼ご飯(写真)を食べに行ったら「水がでないからね。。。」とプラスティック製のナイフとフォーク、スプーンが出てきて、さらにお皿も紙皿になっていました!! ふだんの暮らしでも水が出ないというのは大変ですが、ロカンタで水が出ないと営業するのも難しいはず。それでも料理の種類はそこそこあったし、使い捨て食器で対応しているのがスゴいなーと感心したりもして。
でも、このロカンタは寮から歩いて3分くらいの場所にあるんです。寮では出る水が、このロカンタでは出ないのか? それとも寮にはデポ(タンク)があるから大丈夫なのか? まわりの学生にもいつ水がでなくなるのか、ことあるごとに聞いているのですが、はっきりした答えも得られず、お風呂も使って大丈夫、と言われたので昨日の晩はシャワーを浴びました。……が、その後水が完全にストップ。夜11時以降は蛇口をひねってもポタリとも水が出てきませんでした。
この断水は今朝も続行中で「あぁ〜、きょうから3日は水なし生活を覚悟しなければ」と思いつつ学校に行くと、学校のビルのトイレすべてに鍵がかかっていて使用禁止状態。なんで? わたしが住んでいる寮のエリアで出なくなったとしたら、学校のあるエリアでは出るはずなのに!! クラスメートに聞いたら、彼女の住んでいる場所では断水が始まってきょうで4日目だと言っています。なんで? こっちが出ないとき、彼女の住んでいるエリアは出るはずなのに。結局、学校も完全断水のためきょうはお休みとなり、その代わりに月末の休みがなくなりました。
はぁ〜今日から3日間水が出ないってことは、週末は寮にこもりきりだな(だって、シャワー浴びれないんですよっ!)と憂鬱な気持ちで寮に帰って来たら、なんと水が出ました。なんで? 断水は明日からなのか? それとも寮のデポで持っているのか? いずれにしろ、いつ水がでなくなるのかまったく見当がつかないので、とーっても不安です。夏休みでアンカラ市民が減っている夏でこの状態。学校や会社が本格的に始まる9月になったら、いったいどんなことになるのでしょう?
すみません。最近は水ネタの愚痴が多くて。
あ、ちなみに昨日のお昼ご飯は、ジャジュックと、オヴェッチ(野菜と肉のシチューみたいなもの)、食後のチャイで8.50TRYでした(ちょっと高いよー。水が出ないから高めになってたのかなー?)
2007-08-08
気になる野菜
2007.08.08 PM 4:00
トルコに来てから知った野菜のひとつにSemizotu/セミズオトがあります。
一番最初は、友だちの家で晩ご飯をご馳走になったときに、このSemizotuの葉っぱだけをちぎって、その上にニンニク入りのヨーグルトをかけたサラダをいただきました(写真上がSemizotuという野菜、2番目の写真がYogurtlu Semizotu Salatasi/セミズオトのサラダ、ヨーグルト和え ※ただし、友だちの家でご馳走になったサラダはヨーグルトにもっと水と塩を加えていて写真よりもソースっぽかった)。
2度目は先日Mertくんの誕生祝いに行ったとき、サラダのなかにこのSemizotuが入っていました。こちらのサラダは他にトマトやタマネギ、キュウリなどを使い、レモン果汁と塩、オリーブオイルのドレッシングで和えたごく一般的なサラダでしたが、Semizotuが入っているだけでワンランクもツーランクもおいしく感じました。
どんな野菜に似ている……といえば良いのでしょうか? 最初みた時は水草っぽい野菜だな、水生栽培っぽい野菜だなという印象でしたが、Semizotuだけを使ったヨーグルト和えサラダにしても、他の野菜と和えたサラダにしても、ひとくち食べると夏の暑さがスーッと引いていくような感じです。なんだろうなー? と調べていると、日本では園芸用として知られていることが発覚(パースリン、あるいはポーチュラカというらしい)……が、ここトルコでは立派な野菜。もちろん園芸用と食用では若干違うのかもしれませんが。
近頃は海外の野菜などもデパートなどでは売られていますし、もしかしたら発見できるかも?(きっと高いだろうけど・汗) 暑い夏には程よい酸味のあるヨーグルトソースで和えると食欲も湧くと思いますよ。
あと珍しい野菜ではありませんが、キュウリとヨーグルトを使ったCacik/ジャジュックも夏の一品としてオススメ(写真下がCacik)。数日前にロカンタで食べた……と日記(8月5日)に登場した料理のひとつですが、作るのも簡単だし、さわやかな口当たりで食欲がないときにもOK。ニンニクを入れるので滋養強壮にも良いかと。。。
レシピ参照
http://www.rakuten.ne.jp/gold/dogal/recipe/sebze/cacik.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~qk5h-oosk/mezeler/cacik.html
キュウリはあんまりゴロゴロしていると口当たりが悪くなるので、なるべく薄めに切って、時間があればさらにそれを千切りにするのが良いかと。。。個人的な好みですが。ヨーグルト、水、ニンニク、塩の割合はお好みですが、臭いを気にしてニンニクを外すと味が落ちると思います。あとは好みでミントやディル、バジルあたりのハーブ類を足してみるとか。※上記レシピのパプリカ入りオリーブオイルはあってもなくてもOKだと思います。
夏の一品としてはもちろん脂っこい料理に添えて出すと箸休めにもなりますから、ぜひ一度トライしてみてください。注意:ヨーグルトはもちろん無糖をお使いください。でないと、ヒドいことになります(わたしが経験者です >~<;;;)。
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